第525話 √5-6 より幸せに
五月十日
とりあえず、朝だ。
「…………」
そしてちょっとした疑問……いや実は重大な問題が発生している。
この寝起き直後、時間も朝の六時といった具合でまだ意識も覚醒していないはずだったが、とあることで目が覚めてしまった。
と言ってもここで素直に反応するのもシャクであり、相手の狙い通りになりそうで腑に落ちないというか。
要はだ。
「……何が目的だ、桐」
「おはよっ、おにいちゃん☆」
俺が身体を起こした先、丁度俺のお腹に跨る桐の姿が目の前にはあった。
見方によっては際どいのかもしれないが、相手は桐であり、何の劣情も抱くことは無い……そもそも抱いたら社会的に危ういのだが、ノーロリコン。
それよりもこんな朝早くに、このような行動を起こす桐の方に意識が行ってしまう。
「おにいちゃんを起こしたかっただけだよー☆」
「その喋り方きもい」
「キモいとはなんじゃ! 可愛いじゃろうが」
「自分で言うなよ……」
年寄り言葉の方が安心できてしまう不思議、猫かぶり桐の意図は更に見えなくなってしまうのだ。
「大好きな兄を起こすべく早起きをする健気なわしの妹力が分からぬのか」
「一生分からんな」
「少なくとも何も企んではおらぬ。この光景をホームステイ組に見させてユウジの好感度を下げようとしたり、ホニに見せてわしとホニの修羅場にしたり、ミナが目撃してブラコンが暴走して乱入してきたり、というような面白展開を望んではいない」
「何もやってないよな!? どれも実行には移してないよな!?」
そんなことしたら朝から俺の寿命が縮んでしまう。
「面白そうじゃが、まあここでかき回しても意味ないしの。残念じゃが」
「残念ってのは気になるが……なるほどな、とりあえず重いからどいてくれないか?」
「分かった途端に態度変えよってからに! それにレディに向かって重いとはなんじゃ、失礼じゃぞ!」
「悪かった悪かった、俺が悪かった」
適当に謝って桐を俺の上から追い出して、ようやく起きる。
「……まあ本当の目的はないわけではなかったのじゃが、一応解決はした」
「本当の目的?」
「こっちの話じゃ、まあ頑張るがよい」
「? あ、ああ」
桐は瞬間にどこか憂げで、懐かむような表情をすると俺の部屋をあっさりと出て行った。
そんな桐の表情が気にはなったが、俺は朝の家事を手伝おうと本格的に身体を起こす。
* *
えーと、ナレーションのナレーターです。
そろそろ辞めさせられたかと思いました、そもそも斬新であっても意味があるのか分からないこのナレーションはどうなんでしょうね。
言ってしまうとオオカミさんと七人のホニャララのアニメナレーションを参考にしたとかゴホゴホ、あぁ唐突な規制が!
それはともかく、ユウジの部屋を出た桐です。
そういえば桐のモノローグって少ないですよね、というか滅多にない? または今までにない?
どうにも覚えていませんね、それほど桐は自分を語りたがりませんから。
ということで私が桐の声を一部代弁もすることとしましょう。
「わし流のストレス発散じゃな」
桐はユウジの部屋を出るとはぁと息を吐いた。
そういえば以前はこのタイミングで、桐はユウジと学校に行くよう要求とかもしていましたね。
最近はそんなユウジ達への無茶ぶりを避けているような気がするのですが、それは私の気のせいでしょうか。
桐はユウジの部屋を離れて自室に向かいながら一人呟きます。
「どうにも以前のように出来んのう」
以前の桐はお転婆と言うよりは破天荒、ユウジをよくからかったり、執拗に絡むようにしたりもしていましたね。
それが最近はなりを潜めたようにも思えます、桐の内心で何か変化があったのでしょうか?
「なんだかんだで、わしも余裕がないのじゃろう……この世界は”また”あの世界観なのじゃから、束の間の平穏をユウジに味あわせたいのかもしれんな」
桐の言うこと、そして以前あの空間でユミジとアオの話したことが本当ならば――この世界はホニの物語との共通ルートなわけで。
更に以前の世界でユウジに見せた夢と、ユミジがアオに要求したことを考えればおのずと……戦いが間近に迫っていることになるのですから。
「今回はどう乗り切ったものかの」
そう言い残すと桐は自室に戻っていきました。
ホニの物語の頃とは、この世界は多くが異なる上での桐の判断なのでしょうね。
以前は留学生がおらず、ホニの出会うタイミングも異なった、そしてきっとナタリーにアオの魂が宿ることもないのです。
似ているようでいて、どこからか変化し、一つずつのズレがいづれ大きなズレになっていったようにも思えます。
そしてそのズレがこの世界ではどう作用するのか、ナレーションであり傍観者である私にとって期待半分不安半分と言えましょう――
* *
そして教室、それは曖昧な世界。
生と死と仮想と現実の中間に位置するような、不思議な空間。
そこに私とユウさんとユミジが居た。
教室に備え付けられたプロジェクターには天井から生えた映写機により映像が流れ続けている。
「ユミジさん、要求した私が言うのもなんですけれど。便利ですねこの世界」
「はぁ、そうですね」
ナタリーとなる私の出番がまだこない以上、暗い倉庫の中で意識があってもしょうがないので、ユミジに要求した通りこの空間に入り浸っている。
ちなみにこれまでユミジさん教師による疑似授業、ユミジさんとユウさんとの疑似昼食、ユミジさんとユウさんとの疑似勉強会など、私の生前出来なかったことをやった。
そして時折は今この空間の外で繰り広げられている世界、ユウさんの見る現実を鑑賞していた。
「それにしてもホニさん可愛いですね」
「それはあるな、ホニさんの小動物っぽさが保護欲をそそるというか……こう守ってあげたくなる」
「ユウさんそれ分かります。なんでしょうか、早く現実でナタリー越しでも会いたいです」
ぶっちゃけるとホニさんの物語をユウさんの夢を通して小説化して、その小説を読んでから私はホニさんのファンだった。
「健気ですよね……叶わぬ恋というのも、切なくてキュンキュン来ます」
「まぁそれに関しては俺は反応し辛いんだが、まったく罪作りな俺だぜ」
「……下之ユウジ、あなたそんな性格してましたっけ」
無言を貫いていたユミジさんがユウさんにツッコミを入れていました。
まあ確かに冗談ではなく罪作りでしょうね、こう現実の映像を見ている限りは。
そうは思ってもホニさんトークはしばらく続きました。
結論としてホニさんは可愛いということです。
「そういえばユミジさん、次はオルリスルート見ていいですか?」
「はぁ、構いませんがちょっと長いですよ」
「ちょくちょく早送りするから大丈夫です」
この教室の中では眠くならないし、常に私は元気で、かつ時間も永遠に存在しているようにも思える。
その時間を使って疑似体験のほか、これまでのユウさん視点の物語もユミジさんに頼んで見せてもらっていた。
ホニさんの物語は小説で見たから後回しで、少し前にはユイさんの物語を見て、一番最初には姫城さんの物語も見た。
「あ、でも神楽坂さんの物語も気になります。うーん、どうしましょうか」
「……考えておいてください」
そうしてこの、私にとっては魅力に満ちた娯楽の空間で今まで病室での退屈さを晴らすように、色々なことをして色々なものを見て。
ナタリーとしてまた現実に戻るその時まで、私はこれまでの遅れを取り戻すように満喫した。