第517話 √4-32 テガミコネクト
六月十九日
彼女から夏をテーマにした小説の書かれた手紙が届いた翌日だった。
彼女がいつかのような”彼女らしい”手紙の書き方へ、後書きを設けたあとのこと。
俺はポケットに彼女に対する返信用の手紙を突っ込むと、駆けだした。
そうだ、俺はあることに為に走っている。
これから行うことはかなりネガティブかもしれない、だが俺はあくまで前向きだった。
少なくとも今回は考えあってのこと、そして自分だけでなんとかしようとせずに周りを頼った上のことだった。
先に桐やホニさんは合流ポイントで待っている、あくまで今俺が家を出たのは時間調整の為だった。
病院に行けないのはなぜか。
それはこの世界の元のになった中原さんのゲームのシナリオで”主人公が病院にお見舞いに行くような展開”がないからと思われる。
元からなかった展開ゆえに、世界はそれを許さずに強引とまで言える手段で病院に俺を向かわせることを拒む。
それを俺はシナリオの強制力と呼んでいた、実際に自分の意思を無視してまでもシナリオに忠実であろうとするこの世界に俺は強制されたのだ。
そしておそらく本来のシナリオは、手紙で関係を育みつつも、彼女とは一度も会うことなく、彼女は亡くなる。
それが正規のシナリオなのだろう、そのエンディングを以てこのシナリオは完結する――はずだった。
しかしそれを俺は許せなかったのだ。
ゲームでやれば主人公と違ってプレイヤーは彼女の立ち絵やCGが見えていることだろう。
だが俺にそれは見えない、彼女の顔をしっかりと覚えていないし、声だって知らない。
俺は彼女に一度でも会いたかったのだ。
たったそれだけのことを許さないこのシナリオに、この世界に俺は怒りを覚えた。
だから一度はそれしか選択肢はなかったとしても――自殺という過ちを犯した。
自殺によって結果的に俺の納得の行かない世界はそのまま完結を迎えることはなかったのだ。
その代償は俺の死と言う犠牲だけではなく、多くの人を巻き込み悲しみや絶望に満ちさせた最低最悪の後日談だった。
それをすべて償えるとは思っていない、愚かしい行為であり今後もその罪を背負い続けるべきだ。
だが、俺はその二の舞に近しい行動に出ようとしている。
でも本当はそうじゃない、今度は違う。
彼女と出会うために、俺はやり直したのだ。
今回は間違わない。
桐によるちょっとした未来予測と、ホニさんによる神が操る自然の力。
そして名前は思い出せない、夢の中の少女の手伝いもあって。
俺は車道に飛び出した。
ふっ、と時間が静止したような錯覚。
実際のところはスローモーションのように世界は動き続けていて、今も俺の横腹目がけて乗用車が向かって来る。
正直運転手には本当に申し訳ないと思う、しかしこうでもしないと俺はシナリオの呪縛から逃れる手段を思いつかなかったのだ。
咄嗟にかかるブレーキの音、しかし急停止することは叶わずに俺の横っ腹へと思い切り衝突した。
鉄の塊が、通常の走行速度で人間に当たったらどうなるかといえば――まず確実に吹っ飛ばされる。
場合によってはぶつかった段階で骨や内臓がぐちゃぐちゃになりかねない。
そこで近くに待機していたホニさんの風の力によって幾らか衝撃を相殺、桐の重力操作でこれも衝撃を格段に抑える。
それから俺は地面に転がる、出来るだけ車の車線上から離れるように斜めへと体を突き動かした。
そして、決意の日から散々試した受け身で地面に直接身体を衝突させることを回避する。
「きゃあっ! ユウジさんっ!」
「大変じゃっ! 救急車を呼ばなければ」
ホニさんが叫び、桐も慌てた表情で携帯を扱って三桁の電話番号を入力し発信した。
俺の出した強制力への打開策は、なんともシンプルで、そして荒業にも程があるものだった。
「ユウジさん大丈夫ですか!?」
分かっていてもホニさんは心から心配した表情で俺に声をかけてくれている。
実際に右足首と脇腹が痛い、この痛みはおそらく骨が折れた痛みだろう、ズキズキと体を少し動かすだけでも激痛が走る。
「つっ……とりあえず……動けそうにないな」
本当ならホニさんが全力で神の力を、桐の重力操作を行えば無傷で、あるいはかすり傷程度で済むものだった。
しかし俺はここで骨の一本や二本折ることに意味があった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「な、なんとか……」
青い顔で中年の男性の運転手が駆けよってくる。
本当に彼には悪いことをした、心から申し訳ないと思う、当たり屋にたまたま当たってしまったのだから。
「で、済まぬな”記憶消去”と」
その運転手の記憶を桐は消す、ここに残っていられると事態が複雑になりかねないからだった。
「……ああ、なんで僕降りたんだろう」
その運転手は俺が倒れていることを”認識しないように”操作した上で、車に乗り込んで走り去っていった。
「あとは周囲の監視カメラや、発見者の記憶操作……むむ、大変じゃのう」
桐はそう言いながら、俺がさっきの”中年の男性の車に轢かれた”という事実をすべて抹消した。
しかしあくまでも車に轢かれたというところは変わらず、誰かも分からない、誰も発見者がいない、誰もナンバーを覚えていないひき逃げにあったということに改変を行う。
「ユウジさんっ、あと五分で救急車来ますからっ」
「ああ、ありがとう……」
やばい出血はなくとも骨折って相当痛え、思いついたとはいってもやるんじゃなかったという感想がよぎる。
それでも俺は、ここまでしてでも、あの結末に納得が行かなかったのだ。
近づいてくる救急車のサイレンの音を聞きながら、俺は笑みを浮かべる。
病院に見舞いに自分の足で行けないなら、救急車を呼んで連れていってもらえればいい。
それもシナリオの強制力に負けない程の、イベントを起こす必要性を感じた。
俺が車にはねられて、病院に搬送されるも、奇跡的に骨数本折っただけで済むということにする。
俺はそれで実際に事故に会うも、出来るだけ怪我が最小限で済むようにホニさん達を頼ったのだ。
日が巻き戻ってから、今日実行するまでの間は転ぶ練習をした。
受け身が出来るだけとれるように、ホニさん達の力はあえて加減しなければならず、俺が何もしなければ骨の数本で済まない場合があった。
だから自分に最低限できること、受け身を出来るよう徹底をしたのだ。
「大丈夫ですか?」
「我……私たち下之ユウジさんの妹で……つ、ついて行っても大丈夫ですか?」
「ご家族の方ですか、同乗してください」
俺は駆けつけた救急救命士によって救急車に乗せられた。
「病院は近いですから」
「は、はい」
本来は救急車をこんな使い方などしてはいけないのが当たり前だが、今回ばかりは許してほしかった。
そして俺を載せた救急車は病院の門をくぐる――そうして俺は一か八かの作戦で、成功するかも分からなかったが、結果的にシナリオの強制力を撃ち破ったのだ。
それから検査の結果車に轢かれたのに、奇跡的に骨数本で済み、内臓などにも一切の異常なしと医者に驚かれた。
駆けつけた姉貴をまたしても泣かしてしまったりした。
更にあるタイミングで俺はこっそりと桐たちの助力もあって、検査を抜け出して松葉杖を付いて俺は彼女の病室を目指したのだ。
本来ならば面会の手続きもしなければいけないのも無視して、奇異の目で見られながら、今も続く足や脇腹の痛みに顔をしかめつつも俺は彼女の病室にたどり着いた。
「中原蒼……よし」
俺はそういえば彼女にまずどう会えばいいかを考えていなかった。
どう切り出せばいいだろうか、少なくとも突然文通相手と名乗る相手が松葉杖を付きながら入ってきたらナースコールを呼ばれてしまうだろうか。
「ええい、ままよ」
俺はそんな悩みを放り投げた、とりあえず彼女の顔が見れればいい。
そこで嫌われるのもしょうがないだろう、引かれるのもしょうがないだろう。
報われなくとも構わない、俺は彼女と出会うためにここまで来たのだから。
「失礼します、下之ユウジです」
ノックはしても答えも聞かずに扉を開ける失礼さ、本当に最後まで俺は最低である。
あとで罵ってくれて構わない、それでもまずは――
そして俺は中原蒼と、初めて出会ったのだ。