第512話 √4-27 テガミコネクト
四月二十四日
彼から手紙が届いた。
彼からの手紙が届くまでの時間は、彼からのこれまでの手紙を読み返したりして過ごす。
または彼に送る手紙以外にも文章を書く、時間だけは余りあるから、私は文通を始めてから毎日のように文章を書き続けた。
その中には彼に見せるつもりのないものも含まれている、彼に見せなければ誰に見せることのないそれは何の為に書いているのだろう。
それはきっと――私が生きていた証を残したいから。
確かに私が存在して、私の手によって生み出されたものが残っていることを証明したいからなのかもしれない。
自分のことは自分が一番理解している、もう私に残された時間は少ない。
「っ……!」
訪れたのは変化。
最近ペンを取り落すことが増えた上に、更に手の震えが始まった。
少し書く分には問題ないけれど、長い文章を書いていくうちに手が震えて文字が崩れていく。
「あ、あーあ。汚い字だなあ」
そして汚くなってしまった字を消して、少し手を休めてからまた書きはじめる。
それを繰り返していつもの何倍もの時間をかけてとりあえずの文章を書き終えた。
「……はは、何やってるんだろう私」
手紙を読み返して気づいてしまった。
まず文字が汚いところがところどころあるのはもう仕方ないけれど……問題は中身だった。
「こんなの見せられてどう反応すればいいんだろうね」
書かれていたのは、私のことだった。
これまでは自分のことを深く書くことは避けていた、だからポエムだったりテレビで見た光景で思いついた小説のようなものを書いていた。
だけど今回の手紙はどうだろう――私のことだった、私の実体験を少し脚色したものだった。
「こんなの……」
見せられない、こんなの見せるぐらいなら手紙を出さない方が――そう心が思っていても、私の手は破りすてるようなことはしなかった。
手が震えていた、身体も震えていた、そして涙も溢れていた。
「……もう、私に次はないかもしれないんだった」
この手紙を破り捨てて、また新しい内容を考えて書きはじめることを想像する。
きっと、手紙は書き切れない。
この手の震えで書くのに時間を要す上に、もしかすると――時間も足りない。
「最後ぐらい、いいよね」
本当は、いつか彼に対する手紙の内容が失礼だったのは浮かれていただけではなかった。
自分語りを、本当の自分のことを書くことを避けるためにもしていたのだ。
きっと自分のことを書いてしまったら、すがってしまうから……そして彼を困らせてしまうから。
だけど書いてしまった。
それはなぜか、ほぼ無意識にも自分のことを書いてしまったのはなぜか。
「本当は自分のことを知ってほしかった」
病室で一人寂しいことも、あなたの手紙が私にとっては最後の希望だったことも――死ぬのが怖いことも。
「あ、ああ……」
怖い、諦めていたはずなのにいざ近づいてくると怖くて仕方ない。
着実に私の身体を蝕んで、ボロボロにしていく、病魔によって私が殺されるのが怖い。
「最近は、こんなこと思わないようにしてたのに」
思い始めると、恐怖が身体中に満ちていく。
誰かにこの恐怖を和らげてほしい、諦めかけた両親の言葉でもいい、見知らぬ誰かの言葉でだっていい。
もし望むのならば――
「下之さんに会いたい……っ」
実際に会ったらガッカリされてしまうかもしれない、ああこんな相手と文通してたのかと落胆されてしまうかもしれない。
それでも私には……私には!
もう彼しかいないんだ。
「うう……」
書いた手紙を握りしめながら、私はすすり泣き続けた。
怖い……嫌だ、死にたくない。
まだやりたいことも一杯あったのに、まだ彼の小説を最後まで読めていない。
私には時間をくださいと、祈ることしか出来なかった。
せめて、彼の小説を最後まで読ませてください、と。
それ以外はもう望みませんから、お願いしますと。
* *
六月二十六日
今日私は高校生になる。
晴れやかな気持ちで、高校の制服に袖を通すとようやく実感が沸いてくる。
鏡で見ると、私の髪の色が変でちょっと不機嫌になる……どっちかに染まってくれればいいのに。
それでもいざ朝食を摂って家を出ると、春の爽やかな風を感じる。
気のせいか身体も軽やかだ、散々寝ていたばっかりに鈍って歩くのもままならないかと思ったけども、奇跡的に大丈夫だった。
どんな出会いがあるのかな、誰かと友達になれるのかな、そんな淡く儚い願いを胸に抱きながら学校を目指していく。
入学式は、見知らぬ人ばかりだった。
本当なら顔を合わせていてもおかしくないのだけれど、私の場合は例外だった。
きっとこの入学式にいる生徒たちは、以前の中学校時代と何ら変わらない関係が出来ているのだろうと思う。
そう考えると、私の居場所はないのかもと落ち込むけれど、めげない!
入学式で友達百人……は無理でも、知り合い五人ぐらいは出来るはずだ。
うん、だいぶ自分でも目標下げたとは思うけどいいんだ。
知ってもらえるだけでいい。
ううん、気に留めて。
そういえばそんな子居たなと、いつか思い返してくれると嬉しい。
たぶん、それは叶わないんだろうけど。
私のクラスは一年二組だった。
入学式の前に一度クラスに訪れて荷物を下ろしたけれど、特に何もなかった。
正直この髪色とか目立つはずなんだけどね、何故か私は目立たないし、記憶に残らないらしかった。
人間性が薄いから、もしかすると存在も薄い……っと、ネガティブになっちゃいけないよね!
誰とも話すことはなくて、ただ自分の席に座っているだけでも私は幸せだった。
夢に見た高校生の教室の自分の机を前に座れているのだ、高望みなんてしない。
そんな時、ふと視線を感じた。
視線の先を追うと少し遠くの席に座っている、色んな女の子に囲まれている男子の一人からのものだったらしい。
私とは住む世界が違うなあ、と思ってしまう。
小説の中では、あの男子のポジションと同じように私も人気者……な、妄想をしては書いてたりする。
彼はそのあと私に目を向けることはなかったけれど、私から見える横顔は少しだけ幼さを残した優しそうで真面目そうな顔立ち。
色んな人に囲まれているのも納得、そんな彼に……彼を取り巻く雰囲気に憧れてしまう。
そんな彼が唯一と言っていい、高校生活で印象に残った人だった。
たった一日行っただけで全員の顔と名前を覚えられるはずもなく、実際彼の名前だって知らない。
そして私は、彼への憧れを抱いたまま入学式の翌日は欠席した。
翌日の翌日も、何日経っても学校に登校することは叶わなかった。
高校に一日だけ何もなく行けただけでも奇跡のようなものだった、実際あとで無理がたたった。
だから私の高校生活は入学式の一日間だけだったんだ。
『というのはフィクションです! 小説の中のは私なんかじゃないですよ!』
『こう見えて町内でも私の名前を知らない者はいないほどの人気者でしたからね!』
『小説読ませていただきました……主人公たち倒されちゃいましたが、どうなるんでしょうか!?』
『気になって夜も眠れません、代わりに昼寝ているので昼夜逆転していますが(笑)』
『続き楽しみにしています』
前回よりも文字が乱れ気味で、ペンを取り落した跡や、消しゴムで消したと思われる具合も分かってしまう。
彼女がこの手紙を書くのももしかするとやっと……いや、そんなことはないはずだと俺は自分に言い聞かせる。
「フィクション言うけどこれは――」
実体験にしか思えない、
今まで文章の方向性と違うというか、前々回の夏の話に似ているようで違う。
説明できないが、これはきっと彼女の入学式のことなのだろう。
「だって、なあ」
彼女の手紙を読んで俺はようやく思い出す。
彼女が入学式にいて、あの入学式以来空席の席に座っていて、俺はそんな彼女の姿を一度は見ていることを。
「容姿を思い出せないのが申し訳ないが」
細形で、髪がきらきらとしていたような気がする。
「ってことは、中原さんの言う男子って俺の可能性もあるわけだ」
自意識過剰なのかもしれない、そう罵ってくれて構わない。
だけども、確かに俺は一度彼女に視線を向けて。
そして彼女は俺らしき男子を見たという。
「俺の記憶力が本当恨めしい……」
記憶力の無さと、彼女のことをしっかりと見ておけばよかったという後悔。
「……まあ、とりあえず書かないとな」
俺はパソコンを起動してメモを立ち上げる。
今回は土日を使って最後まで書き切るつもりだった。
「……よし!」
俺はキータッチを始めた。
想定では原稿用紙二桁は確実、メモで下書きして更に手紙に清書するとどれぐらい時間かかるかも予想出来ない。
それでも、俺は何か予感させるのだ。
これが最後まで読んでもらえる最後のチャンスかもしれない。
「…………」
無言でキーボードを叩き続ける、今まで以上の速度が出ている。
脳内にある夢で見た内容が着実に文章に起こされて行く――