第507話 √4-22 テガミコネクト
時系列は戻って最新の日付、そして。
六月十日
ホニさんに避けられている、というか嫌われた。
きっとそうに違いないと俺は思い込み始めていた。
「マジか……」
やっちまった、という感想をまず抱いた。
他人に、本人の了解もとらずにその人のことを書いて教えるということの重大さ。
というよりデリカシーというかプライバシーというか、最低なことについて。
「はは、自業自得だな」
なぜか笑いが漏れた。
笑う資格などないのに、茶化すことではないのに、そんな面白いわけでもないのに。
「以外と、クルな」
ホニさんに嫌われたという事実は、俺にとってかなりのショックをもたらしていた。
実際ホニさんと出会ってからまだ数か月しか経っていない、が出会ってからは毎日顔を合わせているのだ。
まるで家族、妹が新しく出来たような、それも家事に積極的に勤しんでくれる女の子。
理想といってもいい、こんな嫁が欲しい、いくら現実とゲームが混ざった世界とはいえこんないい子がいる物なのかと思うほどだ。
表情は豊かなのに、とても寛容で、そして俺に対しても優しくしてくれた、労ってくれたし、甘えさせてもくれた。
挨拶をすれば返って来て、むしろ俺の顔を見るなり笑顔で挨拶に声をかけ、話をしてくれたりもしてくれた。
そんな彼女を裏切ってしまったという罪悪感。
ひどいものだ、この関係性に俺は胡坐をかいていたのだろう。
きっと心の中で、ホニさんなら大丈夫だろうと思っていたに違いないのだ。
なんて最悪だろう、最低だろう、馬鹿で、愚かで、救いようがないんだろうか。
今までここまでネガティブに思考が進んでいくことはなかったはずだ、あったとしてもあの時の一度だけ。
自業自得で、まったくもって至極当然、すべての非が自分にあるのは明らかだ。
だというのに、俺はとてつもなくショックを受けて、落ち込んで、悲しくて、後悔に満ちている。
なぜだろうか。
さっきも思ったように出会って数か月、よく懐いてくれたがそれだけの時間でしかない。
なのに、俺は”あの幼馴染”に振られたのと同じぐらいにショックを受けている。
おかしい、ホニさんに俺はそこまで入れ込んでいたのか。
おかしいのだ、数字上は数か月の関係が、俺にとってはもっと長いものであったように思えてならないのだ。
それは夢の記憶ともごちゃまぜになっているのだろう、だがそれでも足りないぐらいに、もっともっと長い――何年も一緒に暮らしていたような錯覚。
ホニさんと出会ったのは今年の三月の末に、ふと訪れた神石前だった。
それからホニさんが家にやってきて、すぐにこの家に慣れて家事をしてくれるようになった。
ホニさんはホニさんで俺を警戒することもなく、他の家族を警戒することもなく、自然と溶け込んで、あとに来たホームステイの二人ともすぐさま打ち解けた。
数字上は間違っていない、時間軸としても間違ってないはずで、時系列も混ざっていないはずだ。
なのに、なのにだ。
「ホニさんがあんな表情をするのは初めてで」
ホニさんが泣くのを初めて見た、それもうれし泣きのようなものに当時は見えた。
「ホニさんにここまで避けられるのも初めてで」
ホニさんにここまで徹底的に避けられるというのも初めて経験した。
初めてだ、何もかもが初めてだった。
いや、初めてというのは何も間違っていないはずだ。
なにせ、ホニさんと出会って数か月なのだから――
だというのに、俺は今まで数年間で初めての表情と挙動をホニさんがしていたと思えて仕方ないのだ。
意味が分からない、だというのに変な汗が出て、心臓の動悸が激しくなる。
気持ちが悪い、ホニさんに避けられ嫌われたという事実がじわじわと染みこんでいき、不安が満ちていく。
どうしてここまで俺は動揺している? どうしてここまで後悔している?
何年も積み重ねたものを壊してしまったかのような、そんな風に思えてしまうのはなぜか。
それは、もしかすれば俺の立てた仮説が、夢物語が、世迷言がもしかすれば本当だったのかもしれないという考えへと変わっていく。
この世界は何度もやり直されて、その度に時は過ぎて。
何度も世界をやり直したことで、もしかすれば時間に換算すれば何年も同じ時をやり直しているのかもしれない。
『俺は何回目だ?』
何年もやり直し、続いている時間で言えばもしかすれば俺とホニさんの出会ってから数か月というのはまったく違うのかもしれない。
数か月の前、そのやり直す前の世界、前の世界、前の自分。
そこからカウントして俺は、ホニさんと長い時を過ごしたと思っているのだとすれば。
「はは、馬鹿らしい」
こんなことを思うのも馬鹿らしい。
ホニさんに嫌われたというのに、こんなことを考えるのがアホらしい。
すべて自分の勝手で、自分が原因で嫌われてしまったのだ。
どっちにしろ、もう取り返しがつかないじゃないか。
「どうするかな……」
謝れば許してくれるのだろうか、いやそもそも避けられているのだから謝れもしない。
そしてそもそも謝れば許してもらえるという考えが、馬鹿すぎて愚かすぎる。
「はは」
笑うしかなかった、自室に籠って壊れたように乾いた笑い声を口から漏れさすことしか出来なかったのだ。
* *
我は一日考えて、少しずつ頭が冷えた。
頭が冷えたけれど、やっぱりユウジさんと話す勇気はまだ出なくて。
決意して動き出すまでには時間がかかった。
さっきもユウジさんを避けてしまったぐらいで、まだやっぱり意識しすぎてしょうがなかった。
「でも、そっか。そうだよね」
これじゃ、ユウジさんを困らせるだけだ。
我が勝手に喜んで、勝手に意識して、浮かれているだけだ。
「言わなくちゃいけないよね」
そして改めて理解しなくちゃいけない。
そう、昨日お風呂場で言われたように――
六月九日
『あー、もう! もどかしいなぁ! ホニはっ!』
響いたのは懐かしくも、我に一番近くて、一番傍にいる声だった。
「ヨーコ!?」
ヨーコ、今の我の身体の真の持ち主。
今は我が借りている状況で、その一方で持ち主のヨーコは自分が出てこようとせず、我がいつも前面に出ている。
ヨーコは我視点から見守っているから十分、私が出たところでしょうがないしなどと言っていた。
『そうだよ! まったく、こっちはずっと潜伏して我慢してるのに。そんなことを気にも留めずキュンキュンとして!』
「きゅ、キュンキュン!?」
『そそ! 嬉しかったんでしょ、ユウが覚えているかもしれないことが、私とホニとのあの記憶をね』
我と、ヨーコとユウジさんの記憶。
それは何度も前の世界の記憶、物語の記憶だった。
本来ならば覚えていないはずの、思い出すこともないはずのその記憶を、ユウジさんは夢という形で思い出していた。
ユウジさんの中に、夢と言う形であっても、あの時の我とヨーコとユウジさんの……正確には桐との記憶が残っていることが嬉しかった。
嬉しくて、その時のことを我自身も思い出して、そして激しく意識し始めてしまった。
もうユウジさんが振り向いてくれることはないって、分かっていることなのに。
「そ、そうだけど……」
『はぁ……ホニの気持ちもわかるよ。実際私も嬉しいしね、ユウのことを思って毎回記憶が消えるのは仕方ないとは思うけども、やっぱりその思い出を共有できないのは悲しいもんね。気持ちはよーく分かる』
ヨーコは今は我の口を使って喋る、そしてそれに我も答える。
なのでまるでお風呂場で我は、独り言で独り芝居を打っているようにしか見えない。
「だ、だよね!」
『だけど! ……分かってるよね、もうホニに――ううん、私たちに振り向いてくれることはないんだって』
「…………それは」
分かっていること、だった。
そう決まっているから、それでも我は共有できなくても、この思い出を残したいがためにそれを受け入れたはずだった。
そう、これは未練なのだ。
または僅かな希望、もしかしたら、奇跡が起こったら、何かのチャンスで――またユウジさんが我に振り向いてくれたらという、熱い想い。
『それに、ユウをここで振り回してどうなるの? 混乱させるだけだよ? 場合によっては――』
その言葉を聞いて我は頭が冷えていくのを感じた。
『また、時間を無駄にして世界をやり直すことになるんだよ』
「…………」
そうだった。
たとえ、もし、何かの間違いで、ユウジさんが振り返ってもそれは我の自己満足にしかならない。
世界は進まない、停滞を続けたまま――何か月、場合によっては一年を無駄にする。
『別に私はいいよ、どうせ死ぬつもりだったし……そりゃ、助けてもらったホニやユウには感謝してる。てかホニやユウとかの周りが面白いから、意外に飽きないし』
かつてヨーコは死ぬつもりだった、両親を失い、家を失い、そして逃げ出した先で力尽きるはずだった。
それを我が勝手に自己中心的な勧化で助けてしまった、それから今に至る。
『でもね、他の子はどうなるの? 桐は? 美優は?』
我と同じようにこれまでの記憶を有する二人だった、特に桐に関しては最初から全部経験している。
我の物語が終わったそれまでにも、なんどもやり直した可能性だってある。
『他の皆もそうだよ、自覚はなくとも何年も時をやり直して、実際には何年も十数年も経ってるのに、時が進むことは無いんだよ? そんなこと本当は異常なんだ、もしできるなら早くこの繰り返される異常の世界から抜け出さないといけないはずなんだ』
ヨーコの言う事はもっともだった。
この一年が繰り返される世界は異常だった、永遠にさまよい続ける迷路の中のようだった。
でも、この世界だからこそ我は存在できているのも確かだった。
『私たちのワガママで、時間を一年を無駄にする。それは本当に無駄、だって物語は進まないし、またユウジは同じ世界をやり直さなくちゃいけないんだから』
「っ……!」
そうだった。
我のワガママでしかないのだ、振り向いてほしいというだけで一年を棒に振ってしまう――最低のワガママ。
『私はホニのやることに従うつもりだったし、私もあの思い出を無くしたくなかったから反対もしなかった……けどね、それが今はユウジの足かせになってるんだよ』
「そ、それは……」
『そうなんだよ、思い出が無ければこうして意識することもなかったはずだよね。ユウは優しいお兄ちゃんのような、男の子の同居人、それぐらいで済むはずだった』
「そんなの」
嫌だ、そう思うのが嫌だった。
ユウジさんをそう思ってしまう自分を想像してしまうのが嫌だった。
『これでも十分ワガママなんだ、もしこれ以上求めたら更にワガママになっちゃうよ、そしていつか際限がなくなっちゃう』
違うと言えなかった、きっと一度またあの甘い日々を経験してしまえば、また経験したいと思ってしまうだろう。
抑制が効かなくなってしまうかもしれなかった。
『だからホニ、冷静になろ? 私たちに選択肢なんて最初からないんだ、この世界でこの物語で、これからもずっと――』
そしてヨーコは残酷で、そして正しいことを言った。
『私たちは永遠に片思いでいるしかないんだよ』
そういう、選択を我はしたのだ。
愛情を、記憶を、思い出を残す代わりに誓ったのは今後はユウジさんが我に振り向くことはないという呪い。
それを受け入れて、我はこの思い出を残したはずだった。
それで、この思い出を残したまま永遠に片思いで、そしてユウジさんをサポートし続けるって。
それぐらいしか、我はユウジさんに恩を返せなかったから。
愛情をくれた、友情をくれた、家族をくれた、色々なものを我にくれたユウジさんに、返せるのはそれぐらいだった。
そんなことも忘れていた、抜け落ちていた、一時の興奮に、感動に、熱情にほだされていた。
「……うん、分かった」
『そう、ならよかった』
「ごめんねヨーコ、辛い役目任せちゃって」
『…………』
ヨーコは答えなかった。
『ま、分かったところで心の整理ついたら数日中に迷惑かけてごめんなさいだの謝っといた方がいいかもよ。ユウのヤツだいぶショック受けてるし』
「ええっ!?」
『……そりゃそうだよ、だってホニ露骨にユウのこと避けてたし、あれは私でも傷つくね』
「え、あ、本当に……?」
『嘘ついてもしょうがないじゃん、だから早めにね。私はまた――潜るから、あとはよろしく』
そうしてヨーコはあっさりと我の中に消えていった。
「……うん、ありがとねヨーコ」
やっと気づけた、やっと目が覚めた。
ユウジさんを想うなら、我のこの感情は邪魔であり障害だ。
「そう、我が決めたことだから」
そうしてまた、我は封印を決意する。
この恋心を、大切な思い出を、さっきまでの興奮を、熱情を。
「ごめんね、ユウジさん」
もう少しで我は、もとの我に戻るから。
少しだけ待っててくれるかな。
長い間入っていたお風呂は冷め始めていて、風邪をひく前に我は湯船から上がった。
ひんやりとした外気に触れて、頭がさらに冷えて行った。