第481話 √b-64 神楽坂ミナの暴走!
最終回まで三段ロケット
俺は駆け出していた。
井口の勇気を振り絞った大きな覚悟であり、決意から来たであろう告白に答えることもせず。
熱に侵された、動揺に押し潰されそうな、真っ白になった思考ではそこまで考えることも出来ない。
俺は必死に足を上げて、重い体を持ち上げて、階段を上がっていく。
俺は背中で感じた気配、そして直感で今この瞬間に追いかけなければならないと思ったのだ。
この時を逃せば取り返しのつかない結果が待ち受けている――根拠のない、それでも不安に掻き立てられた俺は行動を起こさざるを得なかった。
また失うのか、今は分かりもしない失った大事な事と同じように、失って忘れてしまうのだろうか。
そんな予感がしてしまうのだ。
人違いであれ、さっきの光景を見たのがタダのヤジで、茶化すのを目的に言いふらすが為の行動だならまだ間に合う。
どうかミナでありませんように。俺の幼馴染であり彼女な大切なミナでありませんように、藁にすがる気持ちで願った。
「はぁ…………はぁ」
予感というものは悪いものほど当たってしまう、なんて都合の悪い世界だろうと責任転嫁の一つや二つしてしまいたくなる。
「……ッ」
神楽坂ミナが目の前の踊り場に立ち尽くしていた、追いかける俺に気付いて立ち止まり振り返っていた。
泣いていた、目の端が赤くなって、表情は悲しみに満ちている。
こんな顔をさせてしまったのは――他ならない俺なのだ。
「ミナ」
「……もういい」
名前を呼んで、続けようとした言葉に遮られる。向けられたのは簡潔な否定の言葉。
「もういいよ! 私、知ってるんだから! ユウくんがあの大人しそうな子と仲がいいことぐらい!」
確かに井口と一緒に行動することが最近は多かった、生徒会の仕事と文化祭委員会の仕事は共にすることも多く、偶然にも仕事上でペアのような構図されたのも事実だ。
「ちが――」
「違くない。分かってるよ、ユウくんが無理して昼食に付き合ってることも、それ以外私と一緒にいることがないから分かるもん」
無理していた。それが間違っていない、間違っていないのだ。
義務のようなものを感じていた、これが”したい”という気持ちよりも”しなければ”が勝っていたのが事実だった。
「否定しないんだ」
「お、俺はっ…………」
続かない
そんなことないんだ、違うんだ。井口からの告白だって断るに決まってる、俺はミナと付き合ってるんのだから。
俺はミナのことが好きなのだから。
なぜ、その言葉らが口から出ないのか。
嘘じゃない、虚実じゃない、俺の本心だ。でも、どうしても――
最後に襲ってくる違和感がそれを滅茶苦茶にしてしまうんだ。
「こんなことって」
ミナはぽつりとぽつりと声を漏らす――涙と共に。
「幼馴染のままの方が一緒にいれたなんて……ひどいよ、ひどすぎるよ」
俺は酷い、最低だ。それが分かっていても、それを覆す力がなかった。
――それは甘えだ。詭弁でしかないことを、知っていても。
「こんなことなら付き合うんじゃなかった、こんな苦しい気持ちになるなら彼女になんてなるんじゃなかった」
後悔で紡ぎだされる言葉は痛々しくて、涙交じりの声は俺の心を抉り続けて。
なんとか保とうとする理性を崩していく、意識を薄れさせていく。
「ユウくんの……ばかっ」
彼女の振り上げられた手は俺の頬を叩いた、痛みが響く、それが頭に伝わっていく。
「っ!?」
この痛みを覚えている。
この光景を覚えている。
そうだ、思い出した――
初めて感情を露わにして、初めて手を出して、初めて俺にすがって泣いた、あの時のこと。
そして違和感の正体、失った大切なもの。
「あね……き」
俺には姉貴がいた。
誇れる自慢の、最高の姉がいた。
それを取り戻すべく俺は今まで頑張っていたのだ。
その過程で彼女を、ミナを好きになった。
唐突にその過程を失って、理由の一つを失った俺は彼女への気持ちが本当なのか混乱してしまっていたのだ。
「!」
そしてこれもまた重なる、ミユに押された時と同じように。
意識が薄らいで、ただでさえ体を踏みとどまらせるのが限界だった俺の足は階段の感触を失う、身体は宙を舞った。
「――っ! ユウくんっ、いやああああああああああああああああああああああ」
本当に姉妹揃って俺は、彼女らに突き落したと思わせるなんて最後の最後まで最低な弟であり兄だな。
意識が落ちる。
* *
思い出されていく記憶の数々。
これは俺と姉貴の記憶。
* *
「ユウくん! 私、生徒会の副会長になったんだよっ!」
鼻高々に任命状を突き出して、胸を張って言う姉貴。
「すげえ! さっすが俺の姉ちゃんなだけはあるっ!」
「でしょでしょ! もっと褒めて褒めて」
「会長でなく副会長と言う奥ゆかしさに惚れるぜ!」
「うんうんそんな感じでお願い!」
この時、俺は小学三年生。姉貴は小学四年生。
いつもは大人で、静かに真面目を演じる姉貴が俺に見せるはっちゃけた表情。
こうして賛美を要求し、実際にそれが凄いから俺は褒める。そして姉貴はとにかく嬉しそうにする、それが嬉しくて更に褒める。
俺はこの頃から姉貴に憧れを抱いていた。
* *
「……ごめんね」
「ううん、お母さんはお仕事忙しいから。わたし、がんばるね」
「ありがとうね、ミナ」
俺はこの時小学校を迎える頃か、入りたてぐらいのそんな頃。
早くに寝てしまったもののトイレに起きて、少し開いた居間の扉から覗いた光景。
まだ小学生も低学年なのに、どこかきりりと引き締まった表情をして母を見上げる姉貴の姿があった。
* *
「ご飯遅れてごめんねー」
「姉ちゃん、手伝うよー」
「いいってー、待っててー」
「そー? ならいいけど」
俺はテレビを見ながら、さぞ決まりきった答えに反応するように、いつもの通りな会話をしていた。
姉貴は断るのが分かってる、そして手伝う気もない俺はあくまでも恒例行事のように交わすだけだった。
中学一年生を迎えた姉貴が徒会終わりで疲れているはずなのに、労いの言葉をかけることもなく俺は目の前のテレビのバラエティでハハハと笑うのだった。
姉貴はこの時の少し前から褒めてと言わなくなった。時にミユとサクラと遊ぶことも姉貴は少なくなった。
そして俺も姉貴の行動が当たり前に思えてきて、憧れの気持ちも薄らいでいたのだ。
* *
「……すげえな」
中学生を迎えて、小学校との勉強の難易度が格段に上がり、困惑していた頃。
生徒会をこなして、貼り出される試験点数上位者も常連で、家事も殆どこなす。
何気ないことから凄いと思うことから出来ている再び姉貴に尊敬の念を抱くようになる。
それでも頑なに自分でしようとする姉貴は、頑固すぎるだろうと思う一方で凄い人なんだと思うようになった。
そしてこれは恐らくはギャルゲーで言うところの分岐点、そしてすべての発端。
* *
今年の四月、クランナ・アイシアのホームステイが決まり、姉貴に変化の兆候があったその頃。
姉貴が消える寸前のこと。
姉貴の為に何かできることはないかと、姉貴の要望でこそあったものの俺は副会長補佐に就いた。
その生徒会活動後の帰り道。最近元気がなく、ぼーっとしていた時間も多かった。
「姉貴何か悩み事?」
「…………そうかもね」
意味ありげに姉貴は呟いた。いつもならそんなことないよと言葉を濁す姉貴が、そう答えた。
この時に気付けばよかったのだ。
「誰かのこと考えてたり?」
「っ! よくわかったね、ユウくん」
その時の俺は何か冗談でも言って元気付けようと、軽い気持ちで言ったのだ。
「姉貴って好きな人いるとか? 俺応援しちゃうかな――」
姉貴の好きな人。それまで浮いた噂は一切なく、俺限定への溺愛もほどほどに存在していた。
もし姉貴が変わっていないのであれば、
「っっ! ご、ごめんユウくんっ先に帰るねっ」
姉貴は俺を置いて走り出した、突然のことに俺は取り残され呆然とする。
「姉貴……泣いてた……のか?」
それが最後で、姉貴は消えてしまった。
代わりに神楽坂ミナ――姉貴は幼馴染のミナとして現れたのだ。
* *
「お母さーん、あのねー 私大人になったらユウくんと結婚するのー!」
「いや、あねといもうとでの結婚はむりだろ」
そう異を唱える僕。
「あらあら素敵な夢ねー よぉし、お母さん全力で支援するわよ!」
「いやいや、親があとおししてどうすんの」
「……夢のない男ね」
「小学二年で夢がないのは致命的な気がする……」
なんで僕が弄られてるのだろう。
「大丈夫! ユウくんは私が幸せにするから!」
なんなんだろう、その謎の自信は。
「良く言いました! お母さんは鼻が高いです」
「そんな鼻すぐにへし折れてしまえ」
「……お母さんに向かってなんて口聞くの? 学校にいけないほどのむごい屈辱を浴びせるわよ」
「だから小学二年の僕になんて暴言を吐いてるのさ……」
「だからねー 待っててねユウくん!」
「いや待たない」
「え、もう結婚する?」
「そういう意味じゃないから」
「男ならバシっと言いなさい! ”ミナちゃぁん、お願いだよぉ、付き合ってくれよぉ”って」
「母さんの中じゃ僕のイメージは最低きわまりないな」
「イメージアップを図りたいなら、ミナとさっさと付き合うこと」
「もういいです。そのイメージで」
……この人を、本当に母さんと呼んでいいのだろうかと、たまに――しょっちゅう思う。
「じゃあユウくん、今日からお付き合いしよっか? 大人になったらすぐ結婚出来るよーに」
「ごめん、むり」
「……勇気を出した女子を振るなんて、最低な男ね。端くれという言葉さえ惜しいわ」
「母さんは僕のことがそんなに嫌いなんだね!」
分かってたさ。何故か毛嫌いされてることぐらい……ああ泣きたい。
「……ユウジ、お母さんがユウジを嫌いなわけないだろ?」
「え……」
「嫌いだったらとっくに見捨てて孤児院でも預けてる」
嫌いだったらの例えが酷過ぎる。
「私が頑張って産んだ子供なんだよ? 嫌いになるはずがないよ」
……。
「お母さんはユウジが大好きだ、そしてミナも大好き。そしてミユもね!」
そう……思っててくれたんだ。
「そんな私の子だからこそ、世界中の誰よりも……幸せになってほしいんだ」
母さん……。
「私の家族は世界一、宇宙一幸せなんだぞ。って宇宙中に自慢したいから」
……そうか、僕は母さんの真意を読み取れなかっただけなのかもしれないね。
「だから……そんな幸せを思ってミナをけしかけてるんだよ。わかるか?」
「一瞬感動しかけた僕が愚かでした」
ちくしょう、僕の感動を返せ! 十倍で返せ!
「宇宙一幸せなユウジと、同じく宇宙一幸せなミナがくっついたら……そりゃあもう幸せ以外の何者でもないでしょ?」
……確かにそうかもしれない。 いつもは甘いお姉ちゃんでも、頼れる時は頼れるお姉ちゃんだし。
姉弟という高く厚い壁が無ければ、本当に良い相手なんだと心の奥底では密かに思ってる。
ここまで僕を愛してくれる姉はそうそういないだろうし、こんな幸せ者もそうそういない。
「法なんて吹っ飛ばせ、世間体は粉砕しろ! 世の中が間違ってると思いながら生きればいいの」
「吹っ飛ばしてもだめだし、粉砕もだめだよ! 世の中じゃなくて僕らが間違ってるよ!」
「なら世の中を変えちまえ」
「なんて親だ」
「お母さんお母さん」
「なにミナ?」
「世の中を変えるにはどうしたらいい?」
「国の一番の総理を吹っ飛ばして、そこの席に座ればいいんだよ」
「なんてことを!」
「……ということは、私が総理になればいいんだね?」
「ピンポーンピンポーン大正解! ミナ総理なっちゃえよ」
「おいおい、なんてことけしかけてるの! ミナもそんなこと――」
「うんわかった! 私総理になる!」
「うわぁ! 速効で洗脳された!」
「ユウくん、待っててね! 総理を吹っ飛ばして、私がユウくんのお嫁さんになるから!」
「もうなんか無茶苦茶だ!」
姉貴がこの頃からもし変わっていないのであれば、
俺のことを弟ではなく男として見ていて。
『こんなことならお姉ちゃんになりたくなかった、こんな苦しい気持ちになるならお姉ちゃんになんてなりたくなかった』
少し前までのミナへの拒絶の言葉を置き換えて、思ってしまうのだ。
姉貴はもしかして姉であることが嫌で、だから幼馴染であることを願った――
姉である下之ミナでなく、幼馴染の神楽坂ミナであれば結ばれることは出来るのだから。
そしてこの思考はプツリと途切れる。
世界は真っ黒に染まる。