第467話 √b-51 神楽坂ミナの暴走!
クリスマスイブだよバカヤロー
俺は最近ちょっとした幸せを感じてしまうのだ。
それは本当に些細で不確定なことで。一喜一憂できる自分はおめでたいと自覚もしている。
それでも俺はミナのことを知ることが出来てうれしい。
それは”姉貴”に重ねてのことで、俺の思考の中で勝手に繋げているだけだ。
そうだったとしても姉貴の違う一面と脳内補完して、俺は満足感に浸っているのが事実だ。
俺は寂しかった、悔しかったのだ。
なによりも情けなかった。近くにいるのに、誰よりも身近にいてくれるのに、そんな姉貴のことを知っていなかった自分が。
姉貴は常に何かを押し殺しているようにも見えた、時々の溺愛がその少しだけ自分を見せる機会で、それ以外は超優等生を演じていた。
俺は考えてしまう。今の状態は、もし姉貴が俺の姉でなく幼馴染として存在していた”イフ”の世界なのではないかと。
一つの可能性の具現化なのではないかと、そしてそれを。
「本人が望んでいたことなんじゃないか」
と。
押し殺す自分に嫌気がさして、我慢の限界を超えて。今まで溜まりに溜まった欲望を願望を、表せなかった自分をさらけ出しているんじゃないかと。
今のミナは生き生きしている、優等生の面影はない訳ではないが、それを上書きするほどの明るさや元気さお転婆さが彼女にはあるのだ。
本当に俺が間違っていただけなのかもしれない、姉貴を望むのは俺だけで。
それ以外の皆は今のミナを求めている、異論を唱えるのはたった一人。
「姉貴を求めていたのは俺だけ」
そういうことなのだ、姉貴がミナになっておかしな部分はあるか?
たとえ周囲の環境整備がどうであれ――ミナにおかしな点はない、彼女は俺の幼馴染として成立し、一年二組のクラスメイトとして確固として存在出来る。
何の不都合があろうか、これが”正しい形”なのは見ていてわかるだろう。今もこうして姉貴を求める俺は只のワガママでしかないのだ。
一人のワガママを聞いてくれるほど世界は優しくない、世界は常に大多数と正しいことを選ぶのだ。
「…………だがな」
だがそれがどうした? 俺が世界に合わせる義理は一切合財ない、世界を敵に回したとしても俺には姉貴が必要なんだ。
身勝手にも程がある横暴なものだ、それでも俺の最終目標は姉貴を取り戻す。数ミリとて微動だにしない不動のものだ。
そしてその実現方法はただ一つ。
「ミナを攻略する」
ミナと恋人関係になりエンディングを迎える。
まるでギャルゲー、否ギャルゲーままだ。ミナには悪いがそういう軽い考えで進んで行けばいい……いいはずなんだ。
「幼馴染……ねえ」
トラウマ、一生記憶から剥がれ落ちることのない悪夢のような記憶。
――俺は長年悪友的に親しくし続けていた幼馴染に振られた、その振られ方は俺の目の前から忽然と、それでいて完全に姿を消すという、あまりにも残酷な仕打ちだった。
言葉で拒否されてもいい、ただ何の返事もないまま、まるで何もかもすべてを拒絶するように姿を消されるのが、どれだけ辛いことか……俺は一年半年前にそれを痛いほど味わった。
幼馴染と言う共通点から、俺が告白したことでミナが姉貴が姿を消してしまうことを恐れている。
どうしてもそこで踏みとどまってしまう、そしてトラウマに打ち勝つほどの決意も今の俺にはない。
軽率な行動で、ミナが俺の目の前から姿を消したら。それこそ俺は立ち直れない、心が折れてしまうだろうと思う。
「笑えるほどに臆病だ」
笑って許されるならどんなにいいかと思う。
更に俺はある問題も蓄積したまま、甘えているのだ。
「……決着を付けなきゃいけない」
彼女らの好意で保留にしてくれている、あれからも核心に触れるような話題は出さなくなった”告白してくれた三人”のこと。
いつか、ケジメを付けなければならない、それも遠くないうちに。
「それから――」
最低限の誠意を見せなければならない、すべてはそれからなのだ。
* *
――夢、それは遠い記憶。
本来の春休みならば外に無理やりにでも駆り出されいつもの三人、時折四人で遊びに出かけていたことだろう。
そして俺はやれやれ言いながら彼女らに付き合い、なんだかんだで楽しんでいたことだろう。
失意に満ちて、後悔に暮れて、自虐に塗れて。
病気のように繰り返す繋がることのない電話番号へのコール、無意味の動作。
外に出たかと思えば、かつての幼馴染が住んでいた空家となったその場へと赴き、しばし立ち尽くして帰宅する。
希望などないことは分かっているのに義務付けられているかのように、俺はその行動に縛られていた。
そんな行動をする一方で俺は無表情で無気力で無言で、いつから声帯を使っていないだろう……きっとすぐに声は出てはくれない。
周りなんて当に見えない、退院したその時から俺は全てに無関心になってしまっていた。
ミユがどうなったのかも、姉貴がどんな心境なのかも。
「ユウくん……さまして……」
姉貴が話しかけているのに、それに一切動じない。挙動や行動を返すこともない。
「……私のこと……よ」
俺はそうして人間として活動する最低限の行動の一つである排泄を終えて部屋へと戻ろうとしていた。
今から扉を開けて姉貴が立っていることを一切気にすることもなく。
「どうしたら…………の。もう……」
姉貴がどれほど追いつめられているかを知る由もなく。
「お姉ちゃん……だからって……ぜんぶぜんぶぜんぶ………………っ!」
その時姉貴は腕を振り上げた。
もちろんそれに気づくこともない俺は、
「ユウジっ!」
パチィンッ。
「っ!?」
頬に鋭い痛みが走る。
その痛みの正体を知ろうと、ようやく俺は姉貴の姿をとらえた。
そこには姉貴がいた。涙に濡れていた、目元を真っ赤に腫らせて、悲痛の表情で俺に向かって。
「ばかぁっ!」
そう姉貴らしくない言葉遣いで、いつもの何倍も人間味に満ちた表情で、姉貴が崩れ落ちるように膝をついて、俺の腹部を軽く叩き始めた。
「ばかばかばかばかぁっ! お姉ちゃんだって人間なんだよっ! 一人だけ悲しくないわけなんかないのにっ!」
「っ……っ!」
声が出ない。
「サクラちゃんがいなくなって、ミユちゃんも閉じこもって、ユウくんもダメになって……どうしたらいいのよ! お母さんでも聖人でもないただのお姉ちゃんに全部おしつけないでよぉっ」
「ぁっ……」
俺は、俺のせいでサクラがいなくなってミユもとじこもって、どれだけ自分に責任を感じてるか!
言えない。
「ユウくんがダメになったら私もダメになっちゃう……やだよぉ……ユウくんがこんな表情するの、ユウくんが私とお話してくれないのっ、目を覚ましてぇ……お願いだから……お……ねがいだから」
姉貴が怒るのを俺は初めて見た。姉貴が俺に手を挙げたのも生まれて初めてだった。
こうして懇願するように、叩くのも力尽きて俺の腰回りに顔をもたれかけさせて、泣き続ける姉貴を初めてみた。
それで俺はだいぶ目を覚まされたのだ。
「ぉ……ご……め…………ん」
ようやく発することのできた言葉はそれだった。
一週間ぶりに声帯を動かして出た言葉、涙を流しながらの謝罪の言葉だった。
これは”姉貴”の頃にでも本当にたった一度だけの大きな感情を表した時の事。
記憶と言う名の夢は終わり――
* *
七月某日
夏休みを迎える直前、定期テストもなんとか乗り切っての残りタイムリミットを各々気が抜けたように過ごしていた時のこと。
「ねーね、ユウくん」
「どしたよ?」
ミナは”何かいいことを思いついたぞ”という表情をしていた。これはそういえば弁当交換回の時にも見覚えのある顔だ。
「合宿しない?」