第440話 √b-25 神楽坂ミナの暴走!
五月六日放課後家にて
『新婚旅行楽しかったよ、ナオトさんの話すトークが楽しくて楽しくて! て言っても新婚旅行自体は一か月前だけどね。あ、今日帰るから』
ツー。
以上、俺の携帯に入っていた留守電である。
「はぁ!?」
そうして母上の数か月ぶりの帰宅である。
ちなみに最後に声を聴いたのは一か月以上前のことで、電話もおなじぐらいに久しかった。
「ただいまーっ!」
夜も七時を迎える頃、玄関の扉が勢いよく開け放たれた。
「母さんが帰ったわよー、誰かいるー?」
近所迷惑甚だしく、テンションアゲアゲの母上が玄関で騒いでいるので調理を一旦切り上げて迎えにいった。
「おかえり、母さん」
「ただいまっ、愛しの我が息子よっ」
そうして思い切りに抱き着かれ腕で首を絞められる。母さんの愛情表現第一弾、くるじい。
「おお、ユウちゃんを見るのは半年ぶりかな? ごめんねー、ずっと帰れなくて」
「いやいいって、慣れてるし」
母さんは雑誌のライターだ。それも世界各地を飛び回っての取材で、職柄家に帰ることは少ない。
最後の電話の後に届いた手紙によれば、ユイの父親と再婚後新婚旅行、そのまま取材へ――だったらしく、矢継ぎ早に向かったのだという。
まあまあ売れっ子らしく下之家の金銭面に不自由はないものの、圧倒的に親の不在の多い家庭だった。
「おっきくなったなぁー、ユウちゃん! ユウトさんに似てきて感激だよー」
下之ユウト、俺の父親であり故人だ。
俺とミユが生まれて数年経たずして亡くなった。だから物心つく前にいなくなり、あまり父さんが死んだという実感がない。
それで再婚だと、言われてもぶっちゃけ実感がない。
そういえばユイの父親は偶然にも母親と同じ職場で、色々あって交際、後に結婚となったようである。
同じ職場と言うことで察していただきたいが、まあ父親も基本的に不在だ。現に一度も顔を合わせたことがない。
「なんじゃ騒々しい……ぬお!?」
「あぁぁ、桐ちゃんもかーわーいーいー」
「はな、離せ! ぬぅ、は、はなしてぇ」
桐にひしっと抱き着いてホールド。ばたばたと困惑しながら暴れる桐はなかなか見ていて新鮮だ。
「ユウジさん……?」
「おおっ、これが電話口できいたホニちゃんね! 私、ユウちゃんの母親の下之 美咲です。よろしくね、ホニちゃん!」
母親はまあそんな名前だ。
「お母さま、ですか? こちらこそ、な、なにとぞよろしくお願いします」
「出来てる子ねぇ! そしてかわいいっ」
可愛いものに目がない母親である。まあ精神年齢的に考えれば出来た子ってレベルじゃないんだが。
母さんはホニさんのエプロンルックに気付いたようで、
「もしかしてお料理中だった? 呼び出しちゃってごめんねー」
「いえいえ、ご挨拶は大事ですから」
「まぁ、良い子!」
母さんからの好感度うなぎ上り、さすがホニさん!
――と、まあ色々あって夕食時には母親はキチンと紹介することとなった。
「巳原ナオトの娘、巳原ユイです。よろしくお願いします、お母様」
「ナオトさんの娘だけにしっかりしてるわ~、あ、よろしくね! かーさんでいいよ?」
ユイは相も変わらず眼鏡キャストオフでのあいさつなので、これじゃ普通に真面目で清楚な女子である。
「ホームステイさせていただいております、アイシア=ジェイシーです」
「下之家にお世話になってます! ホ、ホームステイのオルリス=クランナです」
「ミサキですっ。特に不自由とかはない? コネで取り寄せるものは取り寄せるけど」
「と、とりあえずは大丈夫です、ありがとうございます」
ホームステイ組も挨拶、許可を一応母さんは取ってるはずだから。
「あ、そういえばユウちゃん。この二人とは仕事先で会ってたのー、運命の巡りあわせよねー」
ちなみにそのことは先ほどの手紙にも書いてあり「良い子そうだからオッケー」だったらしい、なかなか無茶な話である。
かつての姉貴曰く、実際その件に関しては姉貴と話し合ったらしく、一応の双方の合意を得ていたとのこと。
姉貴の負担が増えるから、一応俺も助力したつもりだけども――
「おお、ユウくんの揚げ物かな? サクサクぐーっど!」
「どうも」
「ふおっ、なにこの煮つけすっごく美味しい! これはホニちゃんね」
「はい、お口にあってなによりです」
「はぁ沁みるなあ……最近カップ麺ばかりだったから、特に。あぁ味噌汁が身体に染み込む~」
「絵面的にヤダな、それ」
と、まあそんな母親だ。
育児に関しては完全放棄というか、超放任主義というか。
まあぶっちゃけ姉貴に押し付けるだけ押し付けた母親はあまり最高とは言えない。
それで、時折こうしてひょっこり帰ってくるのだから始末に負えない。
だけども、何故か母親にキツく当たれないのは俺が甘いからなのだろう。
姉貴によれば母さんは俺の父親が亡くなってから、仕事にのめり込んだとも聞く。
あんなテンションだけども、色々考えていることはあるのかもしれない――考えすぎかもしれないが、ふと思ってしまうことでもある。
「色々ゴメンね」
「何が?」
「いや、色々だよホントに」
台所で皿洗いをしていると母さんがやってきて謝ってきた。
「ホームステイのこととかか?」
「それに再婚のことも、ね」
実際それは俺の意見も聞かずに行われたことだった。
「弁解はしないわ、いつでも私は行き当たりばったりで、迷惑をかけるのは全部ユウちゃんだから」
「俺だけですか?」
「……ミユにも迷惑かけたわ」
「姉貴は?」
「……そうよね、ユウちゃんにもお姉ちゃんがいればもっと良かったかもしれないね」
――母さんにも姉貴の記憶はなかった。
「別に今更かしこまれても、現に母さんは俺が物心つくころから変わらないし」
「そうだけど」
「母さんはその分働いてくれてるからいいんだよ。そりゃ文句の一つ二つもないわけじゃないけどさ」
「ユウちゃん……」
ホームステイにも母さんがわざわざ受ける理由があったんだろうし、再婚も何かのタイミングがあったのかもしれない。
「これからもちょくちょくしか帰れない、母親失格だけど……」
「母親は失格だ。だけども母さんがいないとこの家族は破綻しちゃうから」
「金づるは大事よね」
「こらこら自虐らない。まあのたれ死なれても困るから、ちょくちょく声なり顔なり出してな」
「……うん。わかった、ありがとねユウくん」
もし姉貴がいたら、これと似たような会話を母さんと姉貴がしていたのかもしれない。
でもそんな会話があったことを姉貴はきっと話さないだろう。
姉貴のことを俺は思いのほか知らない、そう改めて痛感させられたのだった。