第432話 √b-17 神楽坂ミナの暴走!
「ねーねー、ユウくんユウくん!」
教室に着いて鞄を机の横に掛けて座るなり、ミナが駆け寄ってきた。「おは」と一応の挨拶をすると「おはようっ!」と元気返してくれた。
それで本題に早くに入りたいばかりに、机に手をついて身を乗り出すようにして顔を急接近させてきた。
ミナとは直接的関連性はないが関係ないが、今日いや昨日も含めて自分はなかなか致命的なミスを仕出かした自覚がない。
そう、いつも通りならば守っていたこと。昨日のゴタゴタを引きずっているのも確かだろうし、一応の姉貴の生存確認ができたことで気が抜けたのだろう。
このことは後に追求されることなので、今は割愛する。
「どした? なにか面白いことでもあったのか?」
「そそ! 昨日テレビ見てたらさ――」
で、テレビで知り得た雑学のような豆知識のようなものを披露。俺自身はそれに「へぇー」やら「マジか」などと相槌を打ち、既に知っていたことから初耳なことまで話した。
そう本当に他愛のない会話だった、だけどもそんな会話を姉弟という立場でなくクラスメイトとして行っているのが新鮮に感じてしまう。
「昨日の雑学TVの話? 私も見たよー」
「私も見ていました。まさか殺傷力の高い武器は”アレ”だったんですね」
「ふむ、アタシも食卓時だったから見ていたぬ」
と、俺とミナで話しているといつものメンバーが集まり始める。今日の話題はオタっ気の薄いもので、その後は豆知識自慢大会化した。
会話にのめり込んではいたが、ふいに第三者目線になったときにこのメンバーでごく自然にミナが溶け込んでいることに不思議な感覚を覚えさせられた。
授業中、相変わらず自分の旅行記を夢中になって語るセカイし
現実のこの状況に順応しつつある自分が恐ろしく思えてくる。それが今は正しいこと。
この世界で過ごすからには、それなりに自分を制しなければならない。
しかし俺の目的はあの時から変わっていない、そう――姉貴を取り戻すのだ。
姉貴でなくなった姉貴を、ミナとなった姉貴をどうにかして姉貴に戻す。
どうやって?
そもそも姉貴が姉という立場から、上書きされたかのようにクラスメイトに、幼馴染こと神楽坂ミナに変わったのだ。
それはあくまでも作為的、姉貴であったことは俺の記憶が正しいならば間違いのないこと。
この世界でそれを叫ぶ俺は周りからみれば”狂っている”のだ。何を言っているのだと意味を問われ、正気を疑われ、壊れているのだ。
大衆対個人ならば、それがどれだけ間違っていようと大衆が皆言うならばそれは”正しい”こと。
なぜ、俺を残して世界は変わったのか。
なぜ、姉貴は幼馴染という立場に変わり得たのか。
姉貴の意思はあったのか、それとも第三者によるものなのか。
それを突き止め、解決の糸口を見つける。
「(…………)」
しかしそれを望んでいるのは俺ぐらいのものなのだろう。
正確には副会長職が空いてしまった生徒会メンバーはあるだろうけども、姉貴が幼馴染になって迷惑する者はいない。
じゃあなぜ俺は姉貴というものに執着するのか、姉貴がもし望んだのならばそれでもいいじゃないかとも思える。
私的に言ってしまおう、
とてつもなく寂しくなった。悲しくなった。
俺は姉貴の背中を見てきたのだ、俺を溺愛しつつも家族を背負っていく。姉という立場を超え母親とも言いにくい――下之家のリーダー。
姉貴がキッチンで料理する後姿が好きだった。学校で引き締まった表情で生徒会を執行する姉貴が憧れだった。
行き過ぎてはいるけども、構って、絡んで、愛してくれる姉貴が俺にとっては日常の一つになっていた。大切な、欠けちゃいけないパズルの一ピース。
「(ああ……弟離れ云々を姉貴に説いてる筋合いないな)」
俺は姉離れしたくないのだ。
俺の今の取り戻そうとする信念もそれからなのだろう、まったく自分を客観的に見れないとはこのことだ。
姉貴にも姉貴の生活があり自分がある。だから、いつかは俺の近くからはいなくなってしまうのだ。
それでも、学校で共に出来る。学校で先輩として、生徒会の上司として、姉としての――下之ミナと過ごしたかったのだ。
「(桐と話してみよう)」
桐はこの世界がゲームと現実のハイブリッドだと、組み合わさった世界で四月一日から始まる世界だと言った。
桐も俺と同様に最初は動揺していたが、今は特になんともないような表情をしている。何か知り得たことがあったのかもしれないな、ここらは忙しいからそのうちに――
「うわー……」
わかんねえ。勉強わかんねえよ……本当に。
板書だけは機械的に行うことに定評があると自負している自分はノートに内容こそ写されているが、意味が分からない。
「(数学の授業は思考に没頭するべきではなかったな)」
後悔先に立たず。この内容を理解できないまま授業は無慈悲に進んでいき、晴れて実力試験ことテストが訪れるのだ。
生徒会に家事、そして勉強の三要素を両立させるのが困難であることを思い知る姉貴消失から僅か二日目のことである。
「(どーしよ)」
嘲笑うかのように鳴り響く授業終了の鐘と共に、教師の口説以外静寂に包まれていたクラスに喧騒が生まれ始める。
その中で一人頭を抱えて、小さく「あああ」と唸る俺一人だ。
「ユウくんっ! ……って、どしたの? 頭なんか抱えて。痛いの? それともツボ刺激中?」
声が聞こえてきたので顔をあげてみると、先ほど思考内容の中心人物こと元姉貴、現神楽坂ミナがそこにはいた。
「ツボ刺激で数学の理解に務められるなら体中のツボを全押ししてもいいんだけどな」
はぁと溜息をつきながらそう皮肉っぽく言ってみる。
「ユウくん! 授業はまじめに受けなきゃっ、もったいないよ!」
たしかに学費は払ってるからな。
「えー、まあ確かにそうなんだがかったるい」
「勉強って楽しいのにー、知る度知る度に喜びを感じるよー?」
なんて勉学に置いて模範的な生徒なんだろう、俺が校長だったらこの言葉だけで表彰したい。
こういう話しなかったけども姉貴勉強好きどうだったからな……これも素なんだろうな。
「へいへい無気力人間で、出来れば勉強なんて避けて通れるものならば遠慮願いたい自分には耳の痛い話ですよ」
「勉強は大事だよ! ……で、ユウくんはどこが分からなかったの?」
と身を乗り出して、俺の開きっぱなしのノートを覗いた。
どうでもいいけども、俺に近づいたことでミナのシャンプーの香りがふわりと鼻をくすぐった。
「って、ちゃんと板書してるじゃん」
「いやー、書いては書いたけども理解が追いつかなくてさー」
「そうなの? ……うーん今日は――の計算だったから……ちょっと待ってて、ノート持ってくる」
「あね……ミナ?」
するとミナは数学ノートを持参し、その裏表紙からページをめくった白紙のページを見開いた。
「えーとね、まずは――」
なんと即興授業であった。
ノートの内容を、教師の授業を噛み砕いてミナなりにわかりやすく解釈した計算のコツなどを教えてくれた。
そのミナがノートに書きだした内容を俺は、自分の板書の内容を補足するように書き込んでいった。
そして休み時間も残り数分の頃、授業終了。
更にはノートを見ただけではチンプンカンプンだった計算がぎこちなさはあるけども出来るようになった。
今ではノートを見ればそれを思い出すことも容易だ。
「――っと、こんな感じかな?」
「おお、すげえ」
「わかった?」
「わかった。ミナって教えるの上手なんだな、ビックリだ」
「ふふ、私の潜在的な才なのだよ」
姉貴は冗談をあまり言わないし、こうも自賛することも少なかったのでさりげなく衝撃を受けて固まった。
「……突っ込んでくれないと、バカみたいだよ私」
と、ツッコミ待ちだったらしい。いやあなたがバカという定義に当てはまってしまうのならば、このクラスの全員が「猿脳」の烙印を押されること確実だ。
俺に関してはゴミカスか、脳みそ一ミリグラムもないのかと……そのツッコミは色々とキツすぎる。
「勉強バカではあるんじゃね?」
「あ、ひどーい! 教えてあげたのにっ」
「教えてくれたのは助かった、ありがとな。だけども勉強好きなんて、俺からすれば理解できないって」
「幼馴染という立場なのにユウくんとの距離が!? ……うん、でもこれは譲れないな。勉強は楽しいよ!」
「いや、俺も譲らぬ。勉強が楽しいなんてアリエナイ」
「むう……でも諦めないよ、いつかユウくんに楽しいって言わせてみせるんだからっ」
ぶっちゃけミナに一から十まで教えられたら、本当に楽しいと言えるほどに洗脳されてしまいそうだ。
……と、まあ授業についていけるのが確定したのは確かで。
さらには姉貴の頃にはこんな言い合いもしなかっただろうから、やはり俺はそれに逐一衝撃を受け、新鮮味を感じてしまうのだった。
姉貴じゃなくてミナでもいいんじゃないか? そういう思いが微量にも心内に燻り始めるのに、俺は未だ気づいていない。