第429話 √b-14 神楽坂ミナの暴走!
なんとか俺は家に舞い戻ると玄関から廊下をまるでシースルーかのようなスムーズさで靴を脱ぎ捨て、居間に入る共にソファに脱ぎ去った学ランを放り、俺はキッチンで鍋を見つめるホニさんに「ただいま」と告げると早速にエプロンをワイシャツ越しに付けた。
こうして今までも綱渡りよろしくの切迫する家事事情が、姉貴の消失で早速悪化の一途を辿り初日から露骨に下之家へと降りかかった。
以前「我は自宅警備員なんだね!」などとホニさんは言っていたがその言葉の意味通りに彼女を社会的不適合者と称するのは絶対にありえない。
俺はそんな良い意味の言葉じゃないよ、と諭すと「警備員ってカッコイイのになあ」とほんの少し不満を漏らしていたが「ホニさんは第三の母だよ、ホントに」と返した。
実際家事のおおよそをホニさんが担っていたことでかつての姉貴の負担は大きく軽減されていたのだ。姉貴が第二の母と言うならば、ホニさんはそれである。
それを聞いて照れるような表情を形作る一方で瞳の奥に寂しげな色を見せたのを俺は見逃していない、しかしその色の理由を理解することは今の今まで出来なかった。
そんなホニさんに打ち合わせで先行して夕食の準備に取り掛かってもらっているわけで、俺がおいそれ生徒会で疲れたからを理由に一休憩できるはずがない。
そもそも姉貴に頼り切って成立するこの下之家という家庭事情が歪み、そして明確な異常だったのだ。
俺はそれに甘えていただけにすぎない、姉貴も俺を甘やかしてくれるからと、それにただただあぐらをかいて能天気に過ごしてきたに違いなかった。
ホニさんに頼っている現状も本来はどうにかしたい、しかし学業も疎かに出来ない以上は自分にできることも限度と言うものがある。
正直ホニさんがいなかったらと思うと恐ろしい、しかし姉貴がいなかったらを妄想の範疇に留めていたのがここにきて仇となるのは想像しようがない。
姉など一体どうしていなくなるだろうと想像できるだろうか、それも愛想を尽かして家を飛び出したわけでも、不慮の事故に会ってしまったわけでもない。
……いや、これは事故なのかもしれない。姉貴の最近の様子・変化以外にも何かないかと目の前のキャベツを刻みながら記憶を探る。
一番に引っかかる要素は三月末日までユイの義妹化やホニさんの引っ越しなどがあったということが、まるで脳髄に刻み付けられたかのように、あまりにも鮮明で詳細な事柄を記憶していることだ。
その出来事の上下左右、ありとあらゆる行動や挙動が手に取りように脳内から引き出せるのだ。
三日前の夕食は何かと下手すると一分近く採掘に奮闘する一方で「ホニさんとの出会い」と脳内検索を試みると、そこまでの流れと出来事が実に明瞭に再生された。
その記憶の中の姉貴はまったくもって正常だった。俺個人にとっての姉貴像がそこには存在していた。
そしてふと何気ない挙動の中で思い出してみれば、四月の初め、二人のホームステイが確定したときのことだったように見える。
その事柄を電話越しに聞いている姉貴はいつもの俺以外に見せる真面目モードとはまた違った「不安」の横顔を見た気がするのだ。
思えば三月と四月の記憶の間には大きな隔絶のようなものがあるでははないかと訝しんでしまうほどに、そう露骨に。
忘れそうだったが、桐が説明するにこの世界は今までの現実と俺が三月の末に購入していたゲームが混ざって出来上がったものだという。
考えてみればユキや姫城が俺の近くにいるというのは、今までのオタだけで盛りあがるような根暗インドア集団の一員だった自分からすると有り得ない。
学園アイドル双方そろい踏み、そしてユキに関しては幼馴染という間柄であり、姫城に至ってはエキサイティングながらも愛の告白を受け今もなお好意を向けられている。
客観視しないまでもおかしな状況だ。だからそう言われると「ああ、そうかもしれない」と思ってしまう。そして三月末日までの異様に鮮明な記憶の中に幼馴染のユキとのことが少なからず存在しているのも事実。
自論、妄想を大いに孕んだ推測にはなるが――三月末までの記憶は作られたものであると。
その四月を迎えた瞬間にあらゆる関係性がゲームを起動したことにより構築され、人々の記憶に”それまでのことが”植えつけられ、現にゲーム出身の桐もユキも姫城も違和感なく溶け込めているのだった。
しかしここで疑問に思うのは記憶の通りであれば、ゲームを起動したのも三月末に違いないのだ。
これはどう説明しようかというところだ。ゲームを起動したという記憶が三月末にあるということは、それも作られた記憶とも思えてしまう。
それだけが潔白なる事実で、実際に行動した可能性が皆無ではない。だとしてもその起動の記憶はまたしても鮮明だった。
中古屋で買った「ルリキャベ」を家に舞い戻るとともにパソコンのディスクドライブに突っ込み、そこで現れたエラーメッセージのようなバグともとれる何重までものウィンドウの生成現象がデスクトップ画面を襲った。
それから色々な文面のあとに『OK』というボタンが表示され、俺はデスクトップの問題が解消されるならとボタンをクリックし従ったのだ。
そして、何も起こらなかった。
いや、正確にはゲームを起動することはできなかった。
というよりゲームディスクが取扱い説明書とケースを残して消失していた。しかしそれ以外の変化はなかった。
……何度も訂正するようで申し訳ないが、取扱い説明書がまるで子供の悪戯がされた後のようにユキや桐以外の登場キャラクターの欄が黒マジックのようなもので塗りつぶされてもいた。
そしてゲームを起動する前からユキも桐も存在していた。姫城は遭遇前だから分からないとしてでもだ。まるで俺の知りえないキャラ情報を隠すように今は思えてくる。
その後にユイの義妹化やホニさんとの神石での遭遇を果たしている。その後説明書にはホニさん、そして教室での遭遇で姫城、生徒会での福島が追加されたのは言うまでもない。
この事象は一体……そしてこれは姉貴の消失に何か関与しているのだろうか。
もしかすると俺が起動したゲームの登場人物が具現化しているとして、姉貴がその一人――
「ユウジさん、包丁っ!」
「っとと」
気づくとキャベツが千切りになり、切る対象のないまな板で包丁が踊っていた。
考え事をするとダメだなー、と思い俺は目の前の調理に注力することにした。
そしてホニさんとの共同作業とも言うべき夕食を作っている間に、その疑問点は多忙な故か薄らいでいた。
またいつか考えればいいだろう、今は目先のことを考えないとなと皿を居間へと運ぶのだった。
我が家の居間はなかなかにカオス空間と言える。
イグサで編まれた畳が居間いっぱいには十六畳分敷かれ、そこに卓袱台があり小物タンスがある光景。そこまでなら和風一本攻めだ。
しかしその卓袱台に並ぶようにして、二メートルほど先にヨーロピアンなデザインのテーブルと四脚のチェアの結構にしっかりと作られたセットが置かれている。
そしてベージュの成人男性が二人座れるであろうゆったりとしたソファが対角線上に、特に面白みもない白く劣化による黄ばみ始めた壁紙の貼られた壁に沿うように鎮座していた。
更にソファ二つの対角線上に32型サイズの数年前に母親がなんとなくに買い替えた薄型テレビが堂々存在していた。
和洋折衷とはこのことだろう。
だがソファは使えどテーブルの使用機会は俺と姉貴と桐だけでは必要過多な無用の長物で、ごく最近まで物置と化していた。そうしてちゃぶ台に畳に足を延ばして食卓と成していた。
しかしユイにホニさん、ホームステイ二人も来れば話は別であった。ユイやホームステイ組はテーブルで食事、そのほかが卓袱台での食卓だ。
高低差のあるちぐはぐなものだが、西洋人に地べたに座る慣習もないだろうし、ちゃぶ台もキャパオーバーだった故に仕方ない。
こうしてキッチンのカウンターにくっつけられたテーブルにまずは料理皿などを運び、そうして腰を屈めての卓袱台への配膳である。
はたしてこれで姉貴を抜いた六人ほどでの、急きょタッグの俺とホニさんによる料理の夕食を迎えるのだった。
そしてこの時の食す場面ではそれぞれの癖などが見えてくる。
なかなか豪快に頂くのはユイと桐で、桐に至っては猫かぶりを忘れてがっついており茶碗を顔につかんばかりに持ちあげて食す場面は傍から見ると姉妹同然だった。
俺はいたって普通、最低限の家庭での礼儀は幼少期に姉貴から教えられているので守っているつもりだ。
ホニさんも食事は礼儀をそれなりに守る上でのいたって普通なものだ。
クランナは日本に大変な興味を抱いているようで箸を使っているのだが、やはりぎこちなく時折取り落とし「あ……」という声を小さくあげる場面もある。
アイシアは割り切ってフォーク・ナイフ・スプーンの三種の神器で日本食を頂いている。秋刀魚の塩焼きをナイフで丁寧な仕草で切り取り骨を巧みなまでにフォークで取り除き身だけにしてから食す姿は結構に異文化の差を突きつけられたものだ。
ちなみに二人ともそのような面倒被るような食事にも一切の文句も言わず「おいしい……優しくそれでいて深い味わいですわね」と微笑をこちらへ向けるクランナのことを覚えている。
そういえばかつての姉貴はといえば俺やホニさんの上位互換とも言うべき礼儀をしっかりわきまえた丁寧かつ無駄のない、嫁に出しても何の不安もない最高の食仕方だった。
それから俺は風呂を洗い沸かし、ホニさんは今日の夜分の洗濯物を回し、その間に夕食の片づけを俺とホニさん。
そして皿吹き要員としてユイを捕まえている間に約二十分後には風呂が沸き、女性陣が入浴を開始する。最後の俺が風呂に入れるのは決まって十一時以降なのだが、夕食が生徒会によって遅れたことで十二時までにもなった。
一応説明しておくと最初にクランナとアイシアが一緒に入り、それから桐とホニさん、そしてユイで俺。姉貴は俺の前に入るのが定例になっていて
女性の入浴はとても長く一組に付き三十分から四十分、そうしてラグも含めれば自ずと入れる時間は決まってくる。
一日の労を癒す貴重な時間でこそあるが、いつまでも風呂に浸かっていると水音が近所迷惑なのでカラスの行水よろしくに身体を洗い浴槽に浸かり着替えまで十五分で済ませる。
そうして風呂に今日の昼分の洗濯物を浴槽にフタをしたままに、風呂の天井から吊るされたポールにハンガーやらをかけてから、乾燥を四時間終了で予約する。
それから居間でウトウトしている一日頑張ってくれたホニさんに部屋に戻って寝るよう促すと、こうして一日が終わりを告げる。
さすがに姉貴のいなくなった穴を埋めるために奔走した俺に迸るような疲労が一挙に押し寄せ、ベッドに倒れこむように身体を預けると泥のごとく眠った。
ということで、姉貴消失の一日目は今後の影響やらシワ寄せを鑑みないで言えば、なんとか終わりを迎えたのだった。