第320話 √a-20 彼女は彼に気付かれない
七月二三日
「海だ……」
わいわいがやがやと騒がしく人々が、夏だからと男女問わず肌の露出を増やして訪れる娯楽の場。
親に連れられた幼児や小学校の友人仲間や高校生グループ、大人までもが炎天下の中走り回っている。
目の前に見えるのは青く太陽の光を反射してきらきらと光る水面ではしゃぐ水着姿の男女。
陽炎立つ砂浜にはパラソルやビーチチェアにビニールシートなどが広げられ各々(おのおの)で海水浴を楽しんでいるようだ。
俺の格好と言えば、家から十数分の近場だけども何故か半ソデ短パンにプールバッグとクーラーバックをそれぞれの肩にかけて立ちつくしている。
「いやっほーいユウジ」
「ユイ……って、おい」
「どうした? ユウジ、これスキだろ?」
絶賛継続中のグルグル眼鏡をかけたユイは紺色のスクール水着の装いでやってきた――なにも羽織らずに。
「家から着て来たのか?」
「当たり前だろぅ!」
「……恥ずかしくないのか?」
「視線が気持ちいい」
コイツと深く話すのは止めておこう。
「ユウジ、スクール水着好きなのは否定しないんだな」
「ああ」
「そんなこと言っちゃって――って、ええ!? 否定……しないのか?」
「俺はスク水が大好きだ、そしてやっぱり紺色が素晴らしい」
「……ユウジも変わったな」
どこか遠い目をしてこっちを見てくるが……好きなんだからしょうがねえだろう!
「ユイのスク水もいい感じだな!」
「え、あ、そうか……そりゃ、どうも」
俺の返しに拍子抜けしたらしい。まぁ狙ったからな.
テレテレし始めたから……もうひと押ししてみようか。
「特にユイはスタイル良いし、その体の曲線美がエクセレントォ!」
「ひっ……あ」
あれ? やり過ぎてユイにひかれたぞ?
特に地声で後ずさったのはその証拠……だけどもどこか顔が赤い気がするのはなぜだろうか。
まあ、この暑さだしな。
「ユウージー!」
「お待たせ致しました、ユウジ様」
「待ってないぞー、ユキ、姫城さん」
白い美肌が眩しいユキは腕が全て見え、肩を大きく出し、ジーンズ生地のショートパンツの涼やかな格好はなんとも色っぽい。
フリルの効いた白い生地の上に紫色のパーカーを羽織り膝上までのミニスカートを付けた姫城さんは清楚な感じだ。そしてなぜか大き目のソフトクーラバッグを持っている。
「ユイちゃん来てたんだー」「ユイさんも来てたんですね」「いやー二番乗りだようー」
どうやら知らぬ間に姫城さんとユイも仲良くなっているようで、さん付けながら名前で呼び合う仲にはなっているようだ。
うーむ、こういう時でないとあまり気付かないから、少しその変化にオドロキだ。
「よー」
「やぁやぁー」
とマサヒロが来たがスルー。
一緒に来た愛坂さんはまるで少年が着そうな……てか俺と同じ服構成。
「海だぁー!」
「いい感じに風が吹いているわ」
「おっしゃー泳ぐぜー」
「大きな水たまりですね……」
生徒会の面々も訪れた。
「ユウくーん」
「ユウジさーん」
「お兄ちゃーん☆」
下之家の女性陣が遅れて到着したところで、全員が揃う――
* *
「あっついー」
暗い部屋の中でエアコンを付けながらも、パソコンなどなどが放つ熱気では半相殺状態で、決して涼しいものではなかった。
と、いっても寒いのは苦手でとりあえずは「二十八度設定」守るので暗く閉め切られた部屋は外よりはマシなほどに蒸している。
そんな中で気休め程度に団扇で顔を扇ぐ。
『ミユは行かないんですか?』
「はぁ、なにに?」
暑さのせいかイライラとした口調で画面の中のキャラクターへと返す。
『下之ユウジ達は海水浴に行ったようですよ』
「知ってるよ」
ミナ姉からメール来てたし……勿論行かないって返したけど。
『下之ユウジは沢山の”女性達”と一緒に行ったようですね』
「……ふぅーん」
そっか、ユウ兄がねえ。
『男性二人に対し十一人です』
「流石多いんじゃないかな!?」
そ、そんなに女の子侍らせてっ! ふ、ふざけてる!
『なぜ、行かないんですか?』
「私の今までの状況見てて分からない?」
私は引き籠りだ。これで「わーい海だー」なんて軽々しく外へは出ない。
『でも分かりますよ? ミユは下之ユウジと遊びたいと』
「っ!? な、ななななななな何言ってるのよ! このポンコツ電波プログラムっ!」
『素直になればいいじゃないですか、その間に下之ユウジは女の子を攻略するんですよ?』
「…………」
ユウ兄は主人公になった――そうこのポンコツプログラムことユミジは言った。
実際これまでにログを見せて貰って、それが本当だとは分かっているし……キ、キスしたり。姫城って人とみ、みみみみ水着であんなことやこんなことしてたりっ!
「ユミジ」
『はい』
「海水浴場中継出来る?」
『出来ますけど……興味がわきましたか?』
「出来るなら、早くして!」
『はいはい……えーっと、そうですね。ここら辺に……そこの右下です』
「あ――」
* *
「ふぅ」
さっきまで海でばしゃばしゃと水掛け合いやらビーチバレーやらを楽しみ、俺は一足先に休憩していた。
二人が悠々に入れそうな大き目のパラソルの下に少し熱せられたビニールシートに座っている。
「……つめたっ」
「ごめんなさいユウジ様……えと、お疲れ様です」
頬に付けられたのはキンキンに冷えたコーラで、それを手渡すのは来た時と同じ格好をする姫城さんだった。
「ありがと」
「いえいえ、コーラでよろしかったですか?」
「貰っていいのか?」
「もちろんです」
そう姫城さんはクラスメイトの男子の半分が一瞬にして恋に落ちるであろう笑みを向けてそう言った。
おそらくは持ってきたクーラーボックスから出したものだろう。自販機をも上回るほどに冷え冷えだ。
プシュと開けて喉を冷たいコーラが潤す。
「ぷふぁ」
缶の口に唇を付けたまま、どこか憂いを帯びた姫城さんの横顔を横目に見る。
「(そういや姫城さんって学校の水泳授業にも出てなかったな)」
姫城さんのスタイルは抜群な為に、出来れば見てみたいとは思ったが……どうにも水泳授業は毎回休んでいた。
「(何か水に対するトラウマでもあるんだろうな)」
そう勝手に解釈し、人の知られたくない部分だろうとも思ってそれは口に出さない。
「あの……ユウジ様」
「ん?」
「少しお手洗いに行ってくるので……その」
「荷物番は任せろ、行ってらっしゃい」
「はいっ! じゃあお願いしますっ」
そう言って姫城さんは駆けて行った。その後ろ姿を振り向いて少し眺めて、また海の方へと向き直る。
すると紺色のスクール水着を着た人物が近寄ってきた。
「遊んだぅー……お、ユウジか」
まるで居るのが意外だと言わんばかりのニュアンスでそう言った。
「ユウジだ。ユイも休むか?」
「おう……あー、マイさんは?」
きょろきょろと周辺を見渡しながらそんなことを聞いてきた。
「お手洗いで留守」
「そ、そうか……隣、座っていいか?」
少し申し訳なさそうに、遠慮がちにそう言うユイはなんとも不可思議だ。
「ああ」
「じゃ、失礼して」
どっこいしょとオジサンのごとくビニールシートに腰掛けた。
「…………」
「…………」
しばらく話すこともなく俺はといえば体を倒して仰向けにパラソルの模様を眺めている。
「ユウジ……誰にも言わなかったんだな?」
「というか、俺は知らないしな」
演技と分かってもいいから俺は白を切る。
「……ありがとな」
「なんだよ、改まって」
ここまで真面目っぽくなるのは俺がユイの素顔を知って追いかけて、ユイが部屋に戻る際に囁かれた言葉以来だ。
「いやさ、アタシの素顔みて何も言わないからさ……アタシの秘密を守ってくれてありがとう」
秘密……ねえ。
「そりゃ本人が見せたくないものを俺が見て、それを俺が喋りまくってもしょうがないだろう」
「いやさ……ユウジは本当に優しいなって、思って」
眼鏡で分からない表情だが、感情はよく分かる。
「なんだ? 俺は今までは鬼畜王とでも思ってたのか?」
「卑屈すぐるよ! いや……体育倉庫の時も、アタシのことも、さ」
そういえばそんなこともあったな……あの後から会長は体育祭終わりまでは終始真面目で、終わってからはダラけているものの人が嫌がるようなことはもうしていない。
まあ、そんなことじゃなくてもな。
「そりゃ、友人が困ってれば助けるもんだろう」
「……流石ユウジだ」
いつものおふざけ口調がどっかに吹っ飛び、地声の透き通った声でそう言われてしまうので、ふいにドキリとしてしまう。
なんなんだよ、調子狂うなあ。
「なあ……あんまり二人になれる機会がなかったから、聞けなかったんだけどさ」
「ん?」
「いや、その、な。冷静になって、さ。少し聞きたいと、思って、な」
「だから、なんだよ」
「アタシの……アタシの素顔は」
どうだった?
――そう不安そうに問いてくる。
「アタシは自信がないしさ、あまりの残念さにもしかしたら更に幻滅したんじゃないかと思って……」
「いやー……そりゃないわ」
「っ」
ないわ、というのは。幻滅するということ自体がないのだ。
そもそもユイを容姿で友人にしたとは微塵に思ってない。あくまで趣味が被り、話始めて友人になっていたのだ。
「じゃあ、ちょっとでいいからそのゴーグル外してみてくれ」
俺はユイの素顔を正直に言えば「メガネ姿とのギャップ」のせいで記憶が変な事になっている。
ただ記憶通りで思い出補正がかかっていないのなら、それは結構な美女の面持ちだった気がするのだが……そんなに俺の感想が気になるのなら、もう一度見せてほしい、そう思ったのだ。
「え」
「ほんのちょっとでいいからさ」
俺がそう懇願するよう言うと、渋々と言った様子で躊躇しながらも。
「……ほ、本当に少しだけだぞ」
「うんうん」
「じ、じゃあ――」
俺は息を呑んだ。
そこには、スタイルの良さゆえに起伏にとんだ容姿を持ち、水に濡れて肌にぴったりと張り付いた紺色のスクール水着を着て、ショートカットの良く似合う美少女が居た。
ゴーグルを頭に載せて、恥ずかしそうに、不安そうに、頬を染めながら大きな瞳を少しばかり潤ませて俺の方へと顔を向ける。
なんだよ、クソ可愛いじゃねーかよ。
「お、おしまいっ!」
「あ、ああ」
俺はその一瞬が永遠に思えた。ユイにしたら数秒も無かったであろう、その時間。
「……ど、どうだった?」
「え、いや……」
素直に言うべきなのだろうか……いやでも、なんかなあ。そこまで女たらしにはなりたくないし、実際はユイだし。
かといって否定するのは……まるっきり嘘だし……むー。
「やっぱりダメなんだ……」
その瞬間シュンとして俯き始めるユイに俺は心底焦り。
「い、いいんじゃねーかな!」
と、答える。素直じゃないよなあ。
「そう? 本当に?」
「ああ、むしろ――」
可愛かったさ。
「むしろ?」
「何でもないっ!」
「えー、ユウジ殿白状するでござる」
「途中で戻るなっ」
「えへへ」
その笑い声はいつもと違って、照れの入ったものだと付け加えておく。
ここ最近で、ユイの印象が随分変わった。
思い始めている。本当に今までのが芝居で、時折見せるのが――
* *
私はある二人の映像を見せられて震える指でスクール水着の女を指した。
「誰? あの子」
『義妹です、ミユにとっては義姉です』
「き、きいてない! あんな、あんな――」
* *
「見えなかったけどユイ、眼鏡外した?」
「そう……みたいですね」
「少し前からユイのユウジへの態度がぎこちない気がするんだよね」
「ええ、ユキさんの仰る通りの感想を私も抱いていました――」
トイレの近くで偶然居合わせた二人の美少女がそう言葉を交わした。