第318話 √a-18 彼女は彼に気付かれない
ユイはそのあとすぐさま俺の部屋を抜け出して去って行った。
俺は呆然として、しばらく固まっていたが――
「…………ええ?」
色々あり過ぎてわけがわからなくなってきた。
えーと、つまり、なんだ。
「ユイの素顔はアレってことだよな……」
眼鏡をかけない彼女は正直に言って――美女だった。
短めに切った髪と長身のおかげでボーイッシュな印象を受けるスタイル、そこに精悍さと潜む可愛さを兼ね備えたカッコ可愛い系の顔だった。
ユキや姫城さんほどの華やかさはないが、十二分に美人に入るもので、目立ちにくいがしっかりとファンの付きそうな隠れ美人といったところだろうか。
「どうしてあそこまで眼鏡に固執するのか……あ」
そこで思いだしてしまう。その露わになった美女の顔で表情を曇らせあげくには涙を流してまで”俺に見られた”ことを嘆いていた。
「ユイのあんな顔は――」
初めてみるのは……当たり前か。体育倉庫でもあそこまで感情を出していなかったように思える。
本気泣き、だったな。
「…………俺のせい?」
いやいやいや、俺はあくまで自室で寝て。普通に明日を迎えると思った矢先、布団には寝ぼけたユイが――っ!
「あの時も――」
四月のあくる日、何故かユイに棺桶登校させられた際。俺はその朝、ユイの素顔を見ていたのだ。
夢だと言われ、そうだと勘違いしたままだった。あの時の記憶はあいまいだが輪郭は――ほぼ一致する。
あの子が、今ユイだと言われれば……確かにそうだと言えるのだ。
「不可思議な行動は俺に夢と思わせる為、か」
棺桶登校というあまりにも奇抜なことを行うことで、ユイを見たという印象を薄れさせた。
それは効果覿面で、まんまと俺は今の今まで信じ込んでいたことになる。
「うーん……」
考え込んで居いたその瞬間に先程出て行ったばかりの俺の部屋の扉が開かれた。
「ユウくん!」
「え」
姉貴は大抵俺の部屋に入る際に、ノックして声をかけるものなのだが……相当に急いでいることが分かる。
「姉貴、どうした?」
「どうしたじゃないでしょ! 今ユウくんのお部屋からユイちゃんの泣き声が聞こえたのっ」
あー……確かに大きかったな。少なくとも俺の部屋周辺からこの階の皆に響くほどの声だった。
だとしてもいつものユイの声でなくて”女の子”したユイの声だったはず……姉貴にはそれをユイだと分かったわけか。
「ユウくん? ユイちゃんに何かしたの?」
「いや、してないから」
「嘘言っちゃだめだよ?」
「…………分からねーんだよ」
「分からない?」
「俺が部屋で寝てて、目を覚ましたらユイが一緒に寝てて――」
「ちょっとまってユウくん……ユイちゃんと添い寝?」
「意図してないからな?」
「とりあえず近いうちにそれはするとして――」
とんでもないことをサラっと予告された気がする。
「そしたらユイは眼鏡をとった姿で寝ぼけてて、俺を見た途端に殴りかかられて、叩かれて、泣かれて、逃げられた」
あ、ありのまま起ったことを話したぜ。
「…………ユウくん」
「俺に要因はないと思うん――」
「そういうエッチなことをするなら私も呼びなさい!」
言いかけた俺を遮って言う価値のあるのかと、姉貴はといえばらしくなく顔を真っ赤にしている。
「ええええええええええ、いやいやいや! どこにそんなエッチな要素有ったんだよ!?」
「だって……ユウくん……朝から……したんでしょ?」
この姉貴はいきなり何をいうのやら……正直に答えていいこともないだろうし、白を切っておこう――って考えたら俺は被害者だし。
「いや、何を」
「そ、それは……せ、せ……エッチなのはいいと思います!」
「何いきなりま●ろさんみたいになってんだよ! てか言ってること逆だし」
ダメだ、姉貴完全に発情状態だ。
「ユウくん、ユイちゃんとセッ――」
「あえて聞かなかったわ! 成人になる前の女性がそんなこと口にするんじゃない!」
「わ、ユウくんお父さんみたい。それでおねえちゃんは妻で――」
そして何故か両手の指を使って何かを数え始めた……それはもう嬉しそうに。
「おいおいおい、何口走ってるか分かるかな? 姉貴?」
「え、ユウくんとの結婚願望からの子作り」
「最後の要素は初めて聞いたわ! てか全要素を聞きたくなかったわ! 姉貴……てかユイはいいのかよ」
「――それでユウくん、ユイちゃんに何したの?」
突然の切り替えに俺は大混乱だぞ!? そして、そこまで戻るのかよ!
「なるほど――それは思春期ね」
俺がまた順を言って説明した結果に返された言葉はそんなものだった。
「そんな一言で片づけられても」
「そういえばユイちゃんはあの眼鏡外したことなかったものね……」
「だからって外して悪いこともないんだよな……(実際可愛かったし)」
素直な感想ではあるのだが気恥かしいことも有って誰にも聞きとれないほどの小さな声で呟いた、のだが。
「ユウくんっ、可愛かったの!?」
「地獄耳だなあ、姉貴さん!」
俺に関連することだと高性能集音装置も助走で打ち負かすほどの地獄耳を発揮する姉貴なだけはある。
「茶色ショートの髪に長身なユイちゃん……そっかユウくんはショートが好きなんだね」
「……って言って何故に懐から髪切り鋏を取り出したんだよ!? いいからっ、姉貴はそれがいいんだから!」
姉貴のショートカットを想像する……に、似合わない訳じゃない! だが姉貴の、その艶やかな栗色がかった茶髪にはロングヘアーがベストマッチなのだ。
「ユウくん……っ! 嬉しい……私もユイちゃんも平等に愛してくれるんだね」
「愛さねえよ! ……いや、姉弟的な意味では愛すよ? だからそんなあからさまに落胆するなって……俺だって姉貴はき、嫌いなんかじゃねえよ、って抱きつくなっ! とにかく、ちょっとユイと話してくるから部屋に戻った方がいいぞ、まだ朝も早いだろ? な?」
姉貴を俺の部屋から出すことに成功した。さて、と頭をかきながら俺も部屋を出る。
向かう先は勿論のことユイの部屋。十数秒立たぬ間に着いてしまうわけで……いや、俺はどう声をかけるべきだろうか、と悩むこと一時間――じゃ、ダメだから。
「ユイー」
ガタッと部屋の中で物音が聞えたあたり、ユイは寝てはおらず俺が扉前にいることに気付いているようだ。
「あのさー、さっきのことだけどさ」
「…………」
返されるのは沈黙で。
「――俺、寝ぼけてて良く分かんないからな?」
ガタ。返事は物音。
「じゃ、まだ早いから寝るわ――」
そう言って背を向けた途端にどたどたどたと部屋を駆ける音。
「ユウジッ!」
「ユイ?」
扉を開けて、いつも通りのグルグル眼鏡に地味な一色の寝間着を着たユイ。
ただ目元が少し赤く腫れていることと、俺の名前を呼んだ声が少し震えていたのが大きく今までは違った。
「ユウジは、ああああああ、アタシの素顔を見ただろ!?」
「ん? 見ていいのか?」
「いやいやいや! さっきアタシは素顔で――」
「だから寝起きで何見たか、何聞いたかも覚えてねえ。なあ? ユイの素顔ってどんなんだ?」
「え――そうか、そうならいい。素顔は誰にも見せぬ」
「だろうな、今まで俺は一度も見たことないからな」
「っ……そうだぞっ、ならいいっ! じ、じゃあ寝るぞい」
「って言ってもあと数時間だけどな、おやすみユイ」
「オヤスミだぜいユウジ、あとな――」
突然ユイは俺に近づき耳元で、
「ゴメン、ユウジ」
と、囁いた。ユイは結構に見透かせる奴だから、俺の三文芝居も分かっているのだろう。
――だが俺は見てなどいないのだ。ユイの素顔なんて。
「……はぁ」
さてと……あと二時間ちょっとあるし、寝るかな。
これらの出来事はある朝を迎える少し手前。日がひょっこりと地平線に顔を出す程度には光さす早朝のこと。
そうして俺は目覚ましを確認して再びの眠りについた――ユイの秘密を知りながら。