第317話 √a-17 彼女は彼に気付かれない
五月十二日
いつも通りに起床する。鏡に見るアタシは誰にも見せたことのない素顔で、直ぐに渦巻きメガネで隠す。
そのまま服を藍浜高校制定セーラー制服を着込む。鞄に昨日の内にやった自主復習をやるときに使った教科書を押しこんで自分の部屋を出た。
そうしてすっかり元気になったユウジ達と朝食を共にする。
「ユウくんが元気になってくれて良かったぁ」
「皆に心配かけたな、すまん」
「いいんだよユウジさん。風邪が治って良かったね」
「良かった、ユウジ。わしも少々心配していたぞ」
「少々かよ――」
そう言っていつも通りの家族風景が繰り広げられる。
名字も性格も容姿も変えてさえいないが、アタシはこれでもこの家族の一員なのだ。
「(なんだかんだで、治って良かった)」
口に出すのが何故か恥ずかしいアタシは、そう思いつつも白飯をかけこんだ。
先に家を出て、ユキと会う。
「今日はユウジ、来るかな……?」
「来るんじゃないかぬー」
分かりきっていることなのだ、アタシにとっては。
「ユウジと話したいぜ、あのアニメ化決定した――」
マサヒロもユウジが休んでいることで退屈そうだった。
今は二人ともユウジが来るんじゃないかと期待に胸を膨らましていて、その様を見るアタシは。
「(ユウジは本当に中心なんだな)」
と思わざるを得なくて、ユウジと共に暮らすアタシにとっては複雑な思いだった。
少し待っているとユウジが一人やってきた。
ミナ姉は生徒会の都合で先に出ていて、迎えるのはユウジ一人だ。
「復帰したー」
そう通学路で出会うなりユウジはそう言った。
それを聞き、見てた
「ユウジもう熱ないの?」
「あー、すっかり平熱になった」
「本当に……?」
「ちょ」
すると話しかけ心配するユキがユウジの額へと手を伸ばした。
いきなりの行動に呆気に取られるユウジは心なしか頬を赤くしている。
「ななななな、ユキ!? いきなりどうしたっ」
「え、熱を測ろうと……無いみたいだね。良かったー」
「いやいやいやユキ! あのさ嬉しくないわけじゃないけどさ、道端で――」
「あ――」
その時自分がやったことの行動を改めて考える。
道端でそんな親しい仲かそれ以上の関係でやりそうな行動をした、と。
もちろん理解したユキは一気に顔を赤くして、
「た、他意は無いんだよ! べ、べつにユウジに触れたい口実とかじゃ――」
「――ユキさん、抜け駆けですか?」
「マ、マイさん!? 違うよ! そんな意図はなくてっ!」
「だとしても……ずるいです。ユウジ様額をお貸しください」
「いや、なに!? 俺はこうしてピンピンしてるって……え」
次の瞬間には姫城さんが跳びユウジの前へと来ると、流れる仕草でユウジと姫城さん自身の前髪を除けて――額と額をごっつんこ。
「な……」
「ユウジ様、熱はないようです」
少しの間の後、ユウジは飛び退いて顔を更に真っ赤にして額を抑えながら。
「ひ、姫城さん!? 言ったじゃん、熱はないって!」
「いいえ、私自身がユウジ様の熱を感じなければ納得しません!」
その発言は周囲を歩く生徒をにぎわせる。まあ誤解する台詞だよなあ。
それでアタシはというと、
「どしたユイ? なんか機嫌悪そうだな」
「べっつにー」
マサヒロにそう聞かれ、ぷいとそっぽを向く。
アタシの機嫌が悪くなるわけがない。そんな要因なんてないはずなんだ。
それでも、アタシはどこか虫の居所が悪くて悪くて。
「ア、アタシも――」
「もう止めろって! ほら、ふざけてないで学校行こ、皆、な?」
「…………」
その言い方にアタシはカチンと来るのと少しショックを受ける。
ユキと姫城さんとは対応全然違うし、アタシにいたってはふざけている扱いだし。
…………あああああああああああああ、なんか良く分からないいいいいいいいいい!
「ユ、ユイ? なんか頭抱えながら座り込んだけど大丈夫か?」
「なんでマサヒロが心配するんだよ!」
「なぜ怒鳴られたし!?」
つい八当たってしまうアタシは自分で分かる程にどうかしていて、もうなにがなんだが分からない。
ユウジが復帰したのに、気分がよくない。
学校が終わり夕食も終え、風呂も浴びた夜のこと。
「お、おう……」
風呂上がりにしては熱っぽい。
まさかと思うが――
「今頃風邪か……」
ずずずと鼻をすする。風邪をひいても一夜でケロッとしてしまうから、明日は普通に行けるだろうけど。
ユウジと会長まで風邪をひいて、アタシがひかないのも変な話だったが……まさかのタイムラグだとは。
「うー」
だるい。生徒会に駆りだされたのと最近覚えたストレスに疲れが溜まっていたのもあって――もう寝よう。
今日は数学やる日だっけ――ああ、でも睡魔が――
* *
五月十三日
夢を見ていた気がする。
――喧騒に溢れる教室の中、一人で机に座ってつまらなそうに俯いている一人の女子生徒。
誰とも喋らず、思いだした頃に教科書を広げて勉強をする――傍から見ればガリ勉根暗女。
彼女は動かずに放課後が訪れるまで席を動くことさえしない、なぜなら動く必要がないから。
そうして放課後が訪れれば一人で鞄を提げて帰るのだ。その家まで続く道が長く長く感じて――
そこで目が覚めるのだ。
「まだ六時に……もなってな……い」
目覚ましをみて忌々しそうに呟く。なんとも中途半端に起きたものだ。
しかしどうにも寝起きの良くない私はふらりふらりと立ち上がって。
「……トイレ」
眠そうに……てか眠い。いつもなら綺麗さっぱりなのに今日はだるい。
まだ風邪の影響でも残ってるのか……んー……?
そうしてアタシは階段を降りて用を足し、二度寝をしようとする。
階段の手すりに未だふらふらとして捕まって階段を上がり、自分の部屋を目指す。
「……んー」
その時アタシは気付かなかった。アタシが自分の部屋を通り越していることを。
そして――アタシは扉を開ける。自分の部屋とは少し様子が違うが、眠いからしょうがないと言わんばかりに扉を締めて布団へと入りこんだ。
「(ね……む……い)」
アタシは睡魔に落ちた。
何かが聞こえる。
「本……誰……」
誰かが一人不思議そうに呟くのが聞こえてくる。
「……ミ……ない……あ」
その声には聞き覚えがあって、アタシがよく聞く人物のはずで。
「ん……」
「お」
アタシは目をこする。これは夢の延長線上だろうか、どうにも視界がぼやけている。
目が悪いどころか、結構な視力のあるアタシはただ単に寝起きだから視界が霧がかっている。
それでも目の前には知り得ている人の顔が映る。
「ふにゃ……」
少しずつ意識が覚醒してきて、やっとその人を認識し始める。
アタシは自分の顔をぺたぺたと触る――ない。眼鏡がない、ということは――
以前にもこんなことが有った。
アタシは寝起きが悪いが、前回は違った。アタシが意図的にその人物の布団へと潜り込んでいた。
「あ、あれ……え、え――ユウジ!?」
そしてそのユウジが今、アタシの顔を見たのなら――
「お、おま……まさか! ユイかっ!?」
アタシの素顔がユウジに知られてしまった。
眼鏡で隠した目元がユウジの目の前に。
「え……いや……本当にユイか?」
「ち、違う!」
「いや! その声は体育倉庫で出してたユイの声だっ!」
「っ」
そ、そんなこと覚えてて……そんなこと聞いてたのか!
「でも、だって……」
「い」
「い?」
「やああああああああああああああああ」
アタシは一心不乱に拳を振り上げた。
「ユイ、まて、おいっ」
「ユイじゃないユイじゃない! アタシはユイじゃない! ユイなんかじゃない!」
「だからって殴るなっ」
そ、そうだ。あの時は首を強く殴ったんだっけ! ……そうだ、殴ってまた夢だと言い聞かせればいい。
「え、えーい」
「待てって!」
「あ」
ユウジにアタシの両腕は掴まれた。抜け出そうとするも、思いのほかユウジの腕力が強くて叶わない。
「とにかく落ちつけって、ユイ」
「…………ダメだよ」
「え?」
「こんな顔見せちゃダメだよぉ! アタシは眼鏡なんだああああああ」
「意味分かんないこと言ってんじゃねーよ」
ぽかぽかとアタシはユウジの胸を殴る。
そうだ、見せちゃいけない。アタシに見せる顔なんてない、そんなことしたら――
色が無くなっちゃう。
「うう……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
「は、あ、え? いやいや!」
アタシは泣いてしまう。最近でも怖くて怖くて仕方なかった体育倉庫の時以来に泣いた。
失ってしまうのが怖い――アタシは怖いことが大嫌いで、暗闇の怖さも幽霊の怖さも、自分が居なくなってしまうような怖さも大嫌いだ。
「アタシは眼鏡でアタシなんだあああああああああああああ」
個性のない自分が嫌いだ。だからアタシはこの眼鏡をかけてアタシなんだ。