第292話 √2-97 G.O.D.
アト2
この一部は一年と九か月前に完成していましたー
十一月九日
文化祭から数日。
文化祭開催が土・日であり、振替え休日として日曜の次の曜日こと月・火曜と休みが設けられた。
数日が経ち片付けが終わってしまえば見慣れたエスニックテイストの店内は完全に消え失せ、これこそ見慣れた教室の姿へと戻る。
そんなこともありつつも祭りの喧騒はすっかりと息を潜め、また独特な秋の空気感が支配を始める。
肌寒く、木枯らしに時折体を震わせるが。まだ寒さの訪れは本格的にはしておらず、これからがカウントダウンのように気温を下げて行くのだ。
「ユウジさん、授業終わったねー」
「だなー、そろそろ帰るかー」
俺とホニさんは帰路に就いていた。
飽きるほどに往復を繰り返してきた通学路をこうして歩き、次第にメンバーの数が減って行く――それが常のことである。
いつものメンバーでの下校。全員帰宅部の自分たちとしては当然の行動だった。
「”こころ!は深いね! まさかあそこまで感情が錯綜するなんて」
「ホニさんは相変わらずに好きですなー」
「うん! 私はやっぱりに国語が好きだー」
「…………!?」
俺はその異変に真っ先に気付いた、そして「ごめん先行っててと」メンバーに言うと俺はホニさんを連れて、メンバーから離れ人通りの少ないところまでやってくる。
「え、あれ、えと……わっ、下之ユウジさん!?」
「ホニさん……いや、どっちだ?」
「私……我は、ヨー……ホニで……」
「っ、まさか……!」
そう、一気にホニさんの居れる時間が減少し。今の今かとヨーコが顔を出してもおかしくないほどに――人称と自己認識と口調が混濁していた。
「……下之ユウジ」
「”今は”ヨーコだな」
「ああ……これは、危ないな」
ヨーコがそれを更に自覚した。俺はその来るべきであった事実に衝撃を受けつつも受け入れれるべきことだと俺は無理やりに言い聞かせた、それを自分に。
それからホニさんが居れる時間は減って行った。
そのペースは落ちることなく、次第に次第にホニさんがホニさんで居れる時間は減っていった。
まだ下校途中なら誤魔化せるし、家に帰れさえすればなんとか俺がフォローでした。
しかしそれは悪化の一途を辿っていく
「私が出てきちゃ、皆不審がるからさ」
と彼女は言い。出てきてしまった場合は仮病で保健室に行くなどしてクラスメイトや教師を誤魔化した。
俺はフォローしてなんとかすべきだったのかもしれないが、時間的にも限界が有り、そして彼女自身がそれを嫌がった。
朝はホニさんで始まり、五時限目の最初にはヨーコ出てきてしまう。
十二月の初旬には太陽が真上に昇る頃にはヨーコが表れて、保健室に行くことなく早退が増え、十二月も半ばに迫る頃には学校に行く間でも出てきてしまう結果になり、それから冬休みになだれ込む形で不登校になった。
姉貴もユイもユキも姫城さんも、クラスメイトも心配していたが。それほど強く追及しないので少し助かった。
それでも姉貴とユイには事の顛末をホニさんとヨーコに了解を得た上で話した。二人はそれ以上言うことなく「分かった」と一言だけ呟いた。
十二月の二十日を迎える頃には、ほんの少しの時ばかりしかホニさんは居られなくなる。
そしてホニさんと顔を合わせる度に言うのだ「我のせいでごめんねごめんねごめんね」と自分が居られないことで迷惑をかけてると感じて謝るのだ。
「謝らまるなよ、それよりさ――」俺はホニさんと語った。思い出を、自分のことを。ホニさんが居なくなってしまう時までに。
そして二十一日になる頃には。
ホニさんが居なくなった。
十二月二十一日
「ホニさん……もう……」
あまりに突然なことだった。朝に数分でも顔を出していたホニさんはついにいなくなり、目覚めたそばからヨーコが顔を出していた。
「下之ユウジ」
そんな俺の横に座って、彼女は言った。
「まだホニさんは私の中に居る……分かる、下之ユウジも少しは感じてるだろ?」
俺は以前にホニさんを感じることが出来ると話した。
確かにホニさんのことを今は微弱でいまにも途切れてなくなってしまいそうなほどの存在を感じることは出来るのだ。
それでも俺は居なくなってしまった実感に押しつぶされそうになり――
「大丈夫、大丈夫だ。ホニさんはまた出てくれる、でもそれは―」
それはきっと――
十二月二十四日
世間はクリスマスイブで騒がれている頃。俺は自分の部屋に居た。
曇り空の中で、パズルを欠け落としたかのようにぽっかりと月の大きさ分に空いた雲の隙間から眩いほどの月灯りが挿しこんできていた。
「入って、いい?」
「ヨーコか、ん」
俺は振り返らずに了承する。扉が閉められる音が聞こえ、足音がゆっくり近づいてくる。
「ホニさんが最後に、って」
「! お前、今なんて――」
俺はそのヨーコの言葉に思わず振り返った。しかしそこには――
「え、えと。ユウジさん」
「……ホニさん!」
俺はその儚げな容姿をして、耳を出した愛くるしい彼女を強く抱きしめた。
その胸のなかで「ユウジさん……ユウジさん……ユウジさん」と確かめるように俺の名を呼んでいた。
小さな自室に二人、窓が見える場所にあるベッドへと腰かけていた。
隣にはホニさんが居る。それはあまりにも日常的あはずなのに、数日現れないだけでひどく久しぶりに思えてしまう。
「なあ」
「なにかな、ユウジさん」
「本当に……なんだな」
「うん」
「そうか」
あまりにその受け答えは呆気なかった。でもその理由が痛いほどに分かる。
深く染み言ってしまうと、ホニさんは感情を堪えられない――そう我慢するように結ばれた口をみてそう思った。
俺も、実際はそうだからだ。
「お」
「……あ」
窓の外にははらりはらりと降っていた。
月灯りが差し込むその中で、純白に輝かせる雪がほとりほとりと。
「雪……か」
「……うん」
あまりにこの時期には降ることの少ないこともあって、少し見惚れてしまう。
何時以来だろうか、クリスマスの前夜に雪が降ったのは。
「綺麗だね、ユウジさん」
「ああ」
しばらく沈黙が支配する。しかしホニさんは確かに隣居ることだけは理解出来ていた。
そして、少しの時を経て、ホニさんは話しだす。
「少しの間だけど……楽しかった」
ホニさんはこちらを向いてそんな過去形な台詞を放つ。
「我はユウジさんと共に過ごした日々が、長すぎる人生の中で一番幸せだったんだ」
「……それは良かった」
なんでそんな別れ際みたいな、そんなもう会うことが出来ないような言い方をするんだろうな。
……だが、そんな言葉を俺は封じ込めた。
「ホニさんが幸せだったなら、それは俺にとっての幸せだ」
「それはもう、我は幸せだったよ……ありがとう」
その”ありがとう”という言葉に俺の涙腺が反応する。そんなたった五文字の感謝の言葉でさえ、俺の心を痛めつけて行くのだ。
「本当に……ありがとう、ありがとうありがとう」
繰り返し。
男らしくないこんな言葉で目に涙を溜めるなんて――そう言われても今の俺なら構わないさ。
「なんでこんなにも神様は我に冷たいんだろー?」
低い天井を見上げ彼女は呟く。
「ホニさんも神様の一人じゃないか」
目に浮かぶ涙を右手で拭い、そう優しくツッコミを入れる。
「えへへ、そうだよね。神様ならさ、こんな結末を捻じ曲げられても良いものだと思うのにね」
「だよな……」
自分でも思うほどにその自ら放つ言葉は弱弱しく覇気がない。
「ユウジさん」
「ん?」
「我は幸せだったって断言出来るけど。ユウジさんは幸せだった?」
その一つの問いに悩む時間など微塵も必要なかった。
「もちろん」
そうこくりと、首を縦に振ってはっきりと頷いた。
「我は……幸せそうなユウジさんの顔が大好きだよ。実を言うとお揚げの次に好物なんだよ?」
「お揚げの次とは……それは嬉しい限りだな」
大好きで、学食に行くたびにお揚げ入りのうどんを食べる――ホニさんの姿が頭に浮かんだ。
「だからね。我の好物の、幸せいっぱいの笑顔で見送って欲しいな」
そう言ってくれたことが俺は嬉しくて、驚きよりも先に。
「ああ、わかった」
そうして溢れていた涙を拭い去った。そして俺は笑顔を作るのだ。精一杯に、固くならないように、出来るだけ柔らかに、自然に。
「それ……それが我の好きなもの。とても優しくて、温かい……だから好物なんだろうね」
「……」
そして会話はプツリと途切れる。俺は口に出す言葉が見つからず、俺に存在する少ない語彙から必死で探し始めていた。
ホニさんはと言えば、何かを言おうと躊躇していた。そして踏ん切りを付けたのように彼女は口を開いた。
「ユウジさん」
「……なんだ?」
「また……会えるよね?」
「っ!」
堪えるんだ。涙を、悲しみを。俺に今できることは、彼女の好きな物を見せ続けること。笑顔で居続けることだ。
「笑顔で……なんてワガママ言ってゴメンね」
「いや、俺の意思でやってるんだからさ。気にするなよ」
「……ユウジさんは嘘が下手だね」
ホニさんは少し笑って言った。
「……」
「なんてね、我の希望に答えてくれた本当に嬉しいよ」
それは冗談のように見せかけた、ホニさんの気遣い。
ああ、ホニさんに気を使わせてしまった。そんな自分がひどく悔しい。
すると、更に改まるように声のトーンを落として彼女は言うのだ。
「厚かましいけれど、最後のお願い聞いてくれる?」
最後。本当に最後になってしまうのだろうか。それでいいのか? その言葉通りに捉えてしまっていいのか? ……いや――
「……訂正を求める」
「え」
「”最後”という言葉は要らない、だろ?」
俺はそれを認めはしない。それが確証のないことでも、俺はそれを訂正する。
「! ……うん、わかった。じゃあ改めて」
すぅと息を吸って。決意を固めるように。
「我のお願い聞いてくれる?」
たった一つの単語を変えただけだ。最後と言わないだけで”次の”可能性が出来る。
しかし、それは言葉による誤魔化しに過ぎない。自分の希望であり儚い幻想なのだ。
それでもその”次の”お願いが来る。僅かな可能性にでも俺は願い、信じるしか――無力な俺にはそうすることしか出来ない。
「ああ、なんだ?」
「わ、我のことを好きと言ってほしい」
「なんだ……そんなことか」
「そんなこと!?」
「わ、我はこれでも心臓バクバクだというのに!」
「ああ、ごめん。言葉が足りなかったな」
言いはしないけど、そんな当たり前のことか。そう俺は思っていたからだ。
「じゃあ――」
以前の曖昧な告白とはまた違って、確固たる意思で。ホニさんへと向ける。
「俺こと下之ユウジは、ホニさんが本当に大好きです」
隣の小さいホニさんの瞳から透明の雫が落ちた。その悲しみに満ちた表情を消すために。”ホニさんが幸せだったなら、それは俺にとっての幸せだ”を少し変えて言う。
「ホニさんが幸せなら、俺にとってもそれは幸せだ」
「!?」
「だからさ……ホニさんも笑顔でさ」
自分の出来る精一杯の笑顔をホニさんに向ける。するとホニさんは。
「うぅ……うん」
ごしごしと手の甲で涙を拭き、こちらを向いた彼女は。
「……うん!」
神々しいまでの笑顔だった。それは華奢で優美で綺麗で、あまりにも可愛くて。
俺はそのホニさんの特上の笑顔を見れたことで、心の底から嬉しさがこみあげてきた。
それでも、時が来る。
「……もうお別れみたい」
ホニさんの容姿に変化はない、思えば月明かりがやんわりと強くなりホニさんを包み込むように在る事だろうか。
そのお別れは、言葉だけでもきっとそれは本当のことなのだ。
「そう、か……行くんだな」
分かっていた。結末は、その別れの時は。
「うん。私はこの世界に居過ぎたからね。でももっと多くの時間をユウジさんと過ごせたらと思うと、惜しいと思う……改めて言わせてもらうね」
月明かりと純白の粉雪の降り注ぐ空を背景に。
「本当にありがとう、ユウジさん。この時を過ごせて、我は幸せだったよ。そして我は一つだけ誇れることがあるんだ――」
ホニさんは言う。
「我は本当にユウジさんのことが――心から好きであったよ、と」
「ホニさんからの告白だと、初めてだったか?」
「……うん、ごめんね。ここまで遅くになって」
「いや……やっぱり」
ホニさんの言葉で表情で、言ってくれたことが。俺はなんて幸せ者なんだろうと思ってしまう。
月明かりで光を帯びた体は部屋の空気に溶けていく。
そして、
「またね、ユウジさん」
明確に聞こえた言葉はそれが最後で、ホニさんの姿を俺の目が捉えたのもほぼ同時だった。
その後には、体の本来の持ち主であるヨーコが眼を瞑ってそこに座り込む。
今のヨーコは気を失っているのか眠っているのかは分からないが――俺は望んだ表情を維持することは出来ていなかった。
無理な笑顔が崩れ、表情が歪む。そうして俺は泣き崩れてしまった。
月夜の部屋にたった一人、かつて居たであろう彼女はもう居ない。
呟く言葉は暗い部屋に沈んでいき、それを聞くことの出来るであろう彼女は今は瞳を閉じている。
「俺は待ってるからな」
ずっと、ずっと、いつまでも、と付け足した。
外では月が雲の僅かな隙間から顔を出し、やんわりとした雪がしとしとと降り続ける。
その日、世にも珍しい気象が観測されたという。
藍浜町というあまりにも小さな地域でのみ雪が降ったと。
藍浜町を超えてしまうとそこは至って澄み渡る夜の空が広がっていて――