第293話 √2-98 G.O.D.
遅れて申し訳ないです。
アト1
俺はそうして朝を迎えた。
俺はベッドに座った体勢からそのまま倒れるように眠ってしまっていた。気付けば窓からは冬特有の青く高く澄んだ空が映り込む。
俺は彼女のその可愛い笑顔を見送って、かつてホニさんが居た元の体の主である時ヨーコがそこにはいる。ヨーコは俺に別れを告げたホニさんが居た窓前からそのまま座り込む形で窓下の壁に寄り掛かって寝ていた。
「ああ……」
感じていたのは圧倒的な空虚。
今までの感じていた繋がりが完全に消えうせていた。
「……ううん?」
ヨーコが眼をこすって眼を覚ます。俺は眠る最後に彼女にかけていたらしいタオルケットを一瞥して俺を見つめてから――
「おはよう、下之ユウジ」
そこにホニさんの面影はなかった。姿は瓜二つのはずのに、彼女はホニさんとは全くもっての別人をみているような気分だった。
「ああ、おはよう――ヨーコ」
彼女はそう挨拶し返すと、微笑み返して来た。
その微笑みはホニさんのするものとは違うものだったが――その年相応の可愛らしさがあった。
* *
あれからどれぐらい経っただろう。
数分かもしれないし、数日かもしれない。もしくは数カ月かもしれない。
それはある昼下がりのこと、俺の部屋には彼女が現れてからそうするように、今日も彼女は俺の部屋へと訪れていた。
「ども、ユウ」
「ああ、来たか。ヨーコ」
それが今の日常になっていたのは確かなことだった。
「あれからは何もないよ、うん。音沙汰なし」
「だろうな」
なぜなら俺は彼女と別れてしまっているからだ。
あの冬の日の恋人たちが町に繰り出すなり家に招待するなりして二人過ごしたり、家族そろってダイニングテーブルにケーキやらの料理を囲って家族過ごすであろうしたクリスマスイブのその日。
俺は自室にやってきたホニさんと僅かな時間を過ごした後、話して告白をして告白をされて。そうしてまた会えることを約束して別れたのだ。
「私はあの時ホニさんが離れていくのが分かった。私の中から消え去って行くのを感じたよ」
「…………そうか」
俺もホニさんの存在を見つけることが出来ない。確かにこの世界から、俺や家族の繋がりから抜けてしまった。
その日からは繋がっていたものが崩れるように。新年が明けてみれば、そこにホニさんが居た記憶や記録は完全に失くなっていた。
ホニさんの存在が消えてしまったことを如実に示し、それに俺は憤りを覚えたとしても、それはどうしようもないことだった。
俺がそれを訴えたとしてもホニさんがすぐ戻ってくるわけでもなく、ただ虚しく俺が白い目で見られる――それだけならいいが、おそらくホニさんはそれを望まない。
俺は一度それをクラスメイトの一部に問いただしただけに終わり、それからはホニさんの消えた日常が過ぎて行った。
ホニさんの抜けたヨーコは、ホニさんが持ち得ていた知識を失い、ただの女子中学生という認識へと戻っていたという。
少しの間は姉貴やいつものメンバーもそのことを覚えていたが、少しずつそれは薄れて行き。今は覚えていない。
ただユウジ家には「ヨーコ」という女子中学生が居候している――そういう解釈になっている。
それからヨーコは学校を辞め(記録的には最初から通っていないことになる)俺と姉貴指導のもと家事手伝いとして居候することになった。
「ヨーコ最近どうだ?」
「ぼちぼち。まあ家事はなんとか板に付いてきたかも」
「……それは自分で言うものじゃないな。それに初期はひどかった」
「それを持ち出すのはナシだユウッ! あれは、あれはだな……塩とソースを間違えただけで」
「色も形状もまったくもって異なると思うんだが……ソルトとソースを間違えるのはどうよ」
「一文字あってる」
「逆に考えようか”一文字”しか合ってないと」
「気にしない気にしない」
「ったく」
ホニさんとはまったくもって方向性が違く、大雑把で投げやりだった。
それでも家事に才を見出すことはなかったが、一生懸命に覚えていたらしい。
「まあ、俺から言わせてもらうと」
「貰うと?」
「板にはついてきたな」
「よっし!」
ガッツポーズを決めるヨーコを苦笑いしながら見た。
「いや、私も知識こそ無いけれども記憶を見よう見まねで出来ると思ったら……甘かった」
「やり方を感覚的に知ってても、その通りに手が動くとは限らないからな」
「はあ、冷静なご意見で」
「まあな。自分のことは自分でするべきだ」
「……それはそうかもね」
と、俺は言っていたが。
「だが、俺はこれからもお前を守るつもりだ」
「……クサいです、ユウ」
「敬語になるほどに臭うのかっ!?」
「ちなみにその答えには……うーん。私は守られてばっかだなー」
「……答えにはなっていないな」
「でもそうっしょ? 死のうとした私を救う為にホニさんが憑いて、ホニさんが居なくなってからはユウがこうして君の騎士になるよ宣言してるし」
「……クサいな、ヨーコ」
「ええっ!? 君の騎士ってロマンチックじゃない?」
「いやぁー、うーん、そーだなー」
「……それに私はユウと違うんだよ! そう、私は女の子!」
「女子中学生らしい、か」
「諦めたように言うなぁー」
そう他愛のない会話を繰り返している。内容こそ変われど、ノリは変わりなく。
しかし今日はどこか違う、ヨーコは途端に表情を固くして言った。
「……でも私はこのホニさんが守ってくれた命を大切にするつもりだよ」
ホニさんに感謝するように、はっきりとそう言った。
「そうだな。のたれ死ぬとかもう言わせないからな」
「……言わないよ。でも言わなくなったのは、ホニさんとユウ達のおかげだけどね」
そこで思いだすように少し空を見上げて彼女は続けた。
「ユウ、今だから話させてもらっていい?」
「……何か決心でも付いたのか?」
彼女は、ヨーコはこうして話す中で自分の境遇の片こそ見せるものの。殆ど話すことはなかった。
「ユウの言葉で、これからも守ってもらえる騎士様にお教えしておこうかと」
「……じゃあ、分かった。遠慮なく聞いておくかな」
ヨーコに興味がなかったわけではない。
「引っ越してきて、新学期から学校に行けると思って浮かれてたらさ――両親は交通事故でポックリ逝っちゃうなんてね。笑っちゃうよ、貸家からはすぐに追い出されて、遠くの町の児童相談所なんかに預けられそうになってさ。もう悲しくなって、虚しくなって、逃げ出したんだ。もうどうでもいいや、こんな自分倒れちまえって。走って、走って、走った。このまま力尽きたらいいな、とも思ったけどそれほど柔じゃなかった。だから私も最後にあの場所を選んだ。この町に来てからお気に入りだった、あの場所にね」
「…………なるほど、な。それで」
「文字通り、力尽きて。そんな私にホニさんが入ってきて”少しお借りするね”って」
俺はそうして思った。
「ホニさんは相変わらず優しいのな」
「うん、ホニさんは優しい。私にとって最初はお節介だったのだけど――でもホニさんから見える景色は楽しくて魅力的だったんだ。でもそれはホニさんの世界だから、自分の世界ではないのだからって。私はそのまま引き籠もることにした、それからもずっと、と」
そうして理解する。ヨーコのことを、ホニさんの考えを。
「それでホニさんは自分の思いに気付いて、でもそれを踏みとどまった。変化が怖いからって――人のことも何も言えない私だけど、見ているのは私も一緒だったから。だから私は」
「告白した、と」
「うん」
ヨーコはそう籠っている内にも気持ちは変わっていったのだろう。
俺が知る由も無かった彼女が、ホニさんへと助言を激励をするまでに。
「でもホニさんは私を守るだけ守って行っちゃった。自分の想いを伝えて、その想いに答えてくれて、そして自分の想いと同じものを持っている人がすぐ近くにいることで、ホニさんは自分がいなくても大丈夫と未練をなくしたのだと思うよ」
「……未練ねえ」
俺はそうでないことを少し理解している。ホニさんは自分がここに居過ぎてことで、タイムリミットが訪れたのだ。
それは避けようの無いことで、未練は少なからずあったかもしれないが。おそらくは、そう――
「そ、そういえばユウはその想いを持ってる人が誰だと思う?」
「同じ想いを持ってる人ねえ……心当たりがないな」
「えっ、いやいや! 近くにいるでしょうに! ほらすぐ隣にっ」
「……俺は空気に想いを抱かれてしまったというのかっ」
なんというか、ある程度の境地に達すると無機物も愛せるというが……今の俺にはレベルふが高すぎるようだ。
「鈍感と言うよりそれはただのスルーだ! 逃げるなっ、ユウ! このキス魔!」
「キキキキキキキス魔っ!? そんな魚の魔王な訳ないだろ」
「魚のこと言ってんじゃないよ! ……それは狙ってる? 逸らす為? 逃げる為? 童貞だから?」
「どどどどど童貞だうわっ」
「私も中学生の身である以上、純潔だけどね……ただ」
「ただ……じゃないから!」
「誰かさんには結果的にはファーストキス盗まれちゃったんだよなあ」
「…………へ?」
「他の誰が居るのかなあ~、ホニさんを使ってキスさせるなんて、やーらーしーいー」
「いやいやいやいやいや! なんでそうなるんだ!? 俺からした訳じゃないし、というかあれはもう瀕死の状態で――」
「そう言うならこっちも考えあるよ? セクハラで訴える」
「おいおいおいおいおい! 洒落にならないって――」
「じゃあ責任とってね、騎士サマ?」
「…………」
「いくら鈍感でもここまで言って気付かないことはないっしょ。というか”心当たり”の部分から眼が泳いでるからね」
「…………誤魔化し禁止ねえ」
「誤魔化し禁止、というか誤魔化せてないから」
「はぁ、これじゃあ俺はロリコンみたいだな」
「いくら実年齢幾百歳の神様でも容姿は中学生じゃん。気付かなかったの?」
「……認めたら何か失いそうで」
「失ってるよ、とっくに」
そう言われてショックを思い切り受けて、一気に沈む。ああ俺ってば特殊性癖の持ち主だったんだ……と。
しかし、やはり彼女は笑顔で言うのだ。
「でも手に入れたものはあるっしょ、例えば私とか」
「まあな」
「……それはすんなりと認めるのか。でも覚えてるよ? ミナ姉に”この子は俺が絶対に面倒みるから、頼む! これからも置いてくれっ”頭下げて、でも今考えてると私って犬扱い?」
「うっ。そ、そりゃ言うなよ……」
なんてーか、俺って打ち負かされてばっかだな。
でも、俺は後悔なんてしていない。俺はホニさんの”彼女を守る”という意思を継ぐべきだとも思えば――俺自身がしたかったことに違いない。
途中で投げ出すことが嫌でもあるが、それ以上にヨーコはヨーコとして傍に居てほしかった。
ある程度俺のことを知られているともう一周回って諦めた後に本音で会話が出来る。いわゆる桐やユイのような存在で、俺は気兼ねなく話せる相手だった。
「他にも、ホニさんとの記憶もユウにはあるっしょ?」
「――ああ」
俺の記憶にはホニさんとの思い出がしっかりと刻まれている。
あの出会いから、戦いに、学校に、夏の出来事に、クリスマスのあの日まで。
全て全てを鮮明に覚えている。楽しかったことも悲しかったことも、辛かったことも悔しかったことも――
ホニさんのさまざまな俺へと向けてくれた表情を覚えている。
「ホニさんはどう思ってんだろうな」
「ホニさん、ねえ」
これまでを、俺たちと過ごして日々のことを。
するとヨーコは少し考えるようにして、そしてきっぱりと言った。
「素晴らしいものだったんじゃないかな? ホニさんにとってのこの日常が、ユウとの日々が」
ずっと見ていた彼女がそう笑顔でそう言った。それならばきっとそうなのだろう。
「俺にとっても素晴らしいものだった。ホニさんとの毎日はな」
ヨーコは成仏したと言っているけども、力を失った神様はどうなるのだろう。
本当の幽霊のように成仏して、この世から居なくなってしまうのか。それとも――
「いや、でも俺は――」
待ってる。
どんな形でもホニさんといつか再会出来ることを。
ホニさんが何百年も過ごすことが出来たのだから、きっと俺にも出来るはず。
例え俺がこの世を去っても。俺の最愛の彼女とはいつかまた会えることがあると。
俺はそう信じてる「またね」という言葉を信じてる。
ホニさんとの日々をまた過ごせることを信じてる。
「それまでは俺のここ、空けとくぞ」
「まさかの彼女ナシでいいっすよ宣言!? いや、ちょっとまて! じゃあ私は――」
守れた日常は今日も進んでいく。
ホニさんが守った彼女もその中にはいて、共に歩めたこの俺もそこにいる。
変わりない町がそこにはあり、変わらない空がそこにはあり、変わることのない日々が広がっている。
窓を開けると、その続いていく日常を喜び楽しみ踊るように。優しい風がふわりと吹いた。
空は青く、果てまでそれは澄んでいる。
それは教室。人の気配が感じられない、誰もいない教室。
そこには定数の机が並び、主の座っていない椅子が備え付けられている。
「――ここは、ええと……マナビヤ?」
一つの机に一人がいつの間にか存在していた。
それは長い長い艶やかな黒髪をもった女性で、背丈は中学生の平均的とも言えるほど。そして古びたデザインのセーラー服を着ていた。
『おや、珍客ですね』
更にもう一人が現れる。それは女性で彼女は深い緑色の髪を持ち、前髪で表情は隠れている藍浜高校の制定制服を着ていた。
『窓から飛び出ればそこには現実が有り、教室の扉を引けば架空の世界が広がっています。ここは二次元と三次元の境界です――ようこそ、ホニさん』
彼女は何もかも知っているかのように言って、その長い黒髪の女性を見る。




