第284話 √2-89 G.O.D.
アト10前後
右手には鉈、下方へと刃を下ろした状態で箸から手一つ分のところで柄を握る。
ただの木製で、ただの円柱を体をしていたそれは今では驚くほどに手に馴染んでいる。
鍛錬で走り込み終わるころには足は筋肉痛で、鉈を振るえるようにバットを振り回せば腕が悲鳴をあげる。
それでも俺は今までの、夏休みの時間を、与えられた二週間の猶予を必死の思いで努力を重ねた。
悔し紛れ、付け焼刃。
剣道を姉貴にしごいてもらったからといって本物の剣使いである相手から一本が取れるとは思っていない。
そんなことで倒せるならば、なんて甘い世界なんだろうと。
しかし俺はそんな甘い世界にすがる。
一瞬の隙と僅かなチャンスにかける。
あまりにも一方的で惨く残酷で、そんな惨状を示してしまった前回の戦い。いや戦いではなく一方通行の弄り殴られだったのかもしれない。
だとしても、俺は――
「(全てを守ってみせるっ)」
「――重量制御。人物指定男一人、綿毛のような軽さへと――書換。追加申請、重量制御を指定した人物への一任。制限時間十一分三七秒」
その時俺には二週間ぶりとも思える翼が生えた。
地球の引力やら重力に成すすべなく平伏していた今までの鍛錬や戦いとは違う――あまりにも身軽な自分。
そうして地面を大きく蹴飛ばし剣使いの居座る空へと俺は飛び向かう。
「来たね、それじゃあ消させてもらうよ」
男は背負う剣を鞘から引き抜き両手で前へと構える姿勢に持っていく、そこに達する過程だけで空気がかき混ぜられ疾風のごとくな風が吹き荒れるのだから、それはもう強い。
でもこれで吹き飛ばされてはいけない、あくまで口内を潰さないように口を締め中の物が破裂しないように堪える。
俺は鉈を右手左手と両手でしっかりと握り畑を耕す要領で振り上げ、振りかざした――もちろん男は速く一瞬にしてその場から消えうせ、そうして風が巻き起こる。
「(やっぱりはええな)」
声に出さずに鼻のみ呼吸をしながら思考する。前回の敗因の一つとして男があまりに身軽ですばやく、それでいて振りかざされる一撃があまりに強いものだったこと。
振り動かすだけで風を動かすそれは、意図的に振るうものならあらゆるものを切り裂くほどに鋭い一撃を見舞われる。
”重量制御”で”翼”を持っていたとしても、俺ははっきり言ってそのまま追いつくのは困難を極める。体そのものは翼のおかげで動いても体そのものが持たない。
相手の振りかざされる一撃を本当に寸ばかりで避け退き、そしてまた切りかかりに男目がけて向かい飛ぶ。振り向き際にも空気がシャッフルされた。
その風に体を取られないように力を入れ体を動かさずに堪える。そう、まだ風は堪えるべきなのだ。
目の端に映るのはホニさんを連れて走る小さな陰、桐の姿。生みだされ起る風に二週間ぶりのバリア。
前回とは比べ物にならないほどに桐の状態は良く、顔色も挙動も行動も良好だ。
そう、以前とは違うのだ。
「あー……君は思いのほか頑張るね、以前の厄病神もこれほどまで――」
以前と同じ言葉を発する言葉はもちろん耳に入らない。聞こえる余裕がないわけではないが、聞く価値がない。
だから俺はそうして右に左に振りかざし、その度に避けられ振られ飛ばされそうになる。
「逃げても無駄だよ?」
「!」
男の視線の先は地上、俺はその瞬間に空気を爆発させて飛び向かい寸前で振られた剣の一撃を食い止める。
「がっ……」
その時には体の皮膚が一瞬であちらこちらが裂けて、出血の痛みが走る。
でもまだだ、まだ動ける。まだこれは使うべきでない。
「喋らないね、無言だと少し寂しいかな」
そんな敵の言葉は真面目に聞くこともなく一心不乱に鉈を振るう。やはり空気を裂くだけで相手に掠ることもままならない。
「……そろそろ終わりにしよっか?」
「(きた)」
渾身の一撃が来る、余りの衝撃に地面へとふるい落とされる。
剣を空へと両手で付きあげて、それを一気に振りかざした――少し高い建物が一気に砕け、俺にもその衝撃が向かい来る。
「(桐、瞬間転送頼むっ)」
「(了解した――瞬間転送。人物指定男一人、あらゆる場所へと一時で行ける力を持て――書換。追加申請、瞬間転送を指定した人物への一任。使用回数制限五十九回――強化防膜。人物指定男一人、身を守る盾となる見透かす膜を構えろ――書換。追加申請、強化防幕を指定した人物への一任。使用回数制限五十七回)」
「(受け取った――守れ、そして飛べっ)」
「!」
桐とホニさんが居るところまでは飛ばず、その人を切り裂く風が干渉しない位置まで瞬間的に移動し、桐の使うバリアを出来るだけ広く張った。
「……そんなことも出来るんだ」
俺はそれに応えない。そして枷を外したかのように縦横無尽に飛び動く。
背後へ、前へ、右へ、左へ、下へ、そして――
一メートルもない真上。
「たぁっ!」
力をこめて、今までとは比べ物にならないほどの勢いをつけて――振りかざす。
「っ!?」
男は上に気付く頃には流石に体全てを移動することはままならない、そうして避けようとする右腕を大きく抉り取る。
「がっ……やってくれたね」
剣を持ち替えず、左手で裂かれ大きく抉られた腕を抑える。
「それなら僕も――手加減なしだ」
「っ!」
止まっていたはずの男が背後へと周り、それに気付いた俺は体を飛ばす。
しかし――
「ここだね」
「なっ……!」
俺の転送地点では剣を構える男が居て、俺は転送待たずして剣の餌食になった。
「があああああああああああああああああ」
左腕に大きくめり込み、それは通り抜けていく。もう少しで腕が自分から落ちてしまいそうなほどに力なくぶら下がり、一瞬にして体を駆け巡る激痛に俺は叫びをあげた。
「(だめだ、痛みで動きそうもねえ……それなら、今が使いどころだ)」
一時の思考、そして俺は口に忍ばせたそれを歯で弾かせる――これは桐に貰った錠剤タイプの謎ドリンクの入った袋。
それによって口内に錠剤が瞬間の内に溶けだすことで体はその効果を受け入れる。
痛みを失くし力を増させる、これは桐謹製のチートアイテム。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「なっ」
驚く男を気にも留めずに俺は瞬間移動を繰り返した末に――
「っ!」
「がっ…………!」
背中を背骨まで通じるまでに差し込み抜けさせる、血糊が溢れ血が返る。
「…………君のような接続者はここに居ることで調和を乱す。異とおなじようにね――だから僕は君を全力で消す」
「なっ」
動きが一気に変貌を遂げ、今までは考えられて計算されたのように振りかざしていた剣が無造作に振り回される。
「くっ……うがっ」
俺はその乱暴に振りまわされた剣を移動をすることを敵わずに受け続けた。
胸が裂かれ、腕が裂かれ、額寸前を通り抜け皮膚が切れる。
あまりにもそれは粗雑で、それ故に凶暴だった。
「うわあああああああああああああああああああああ」
俺は錠剤にしたせいで効果の薄くなっていた謎ドリンクの効果が切れて、その響く痛みに移動することを念じることも出来ずに地面へと衝突する。
仰向けに投げだされてコンクリートの固い地面に体を大きく打ち付けた俺は指一本を動かせないほどまでに硬直する。
「ユ、ユウジさん!?」
「ホ二!」
連れられていたはずのホニさんが桐の手をほどいて、傷ついた俺を見つけて顔を真っ青にして駆け向かってくる。
そんなホニさんを桐は守りながらもこちらへと向かう。
「ユウジさんユウジさん!」
「あー…………」
痛みで声を出すのもおっくうだ。この体中を抉り取られた感じは慣れない。
「ユウジさんっユウジさんっ!」
「…………」
俺は声も出せずに、涙を流して俺を揺さぶるホニさんを見上げる。
ここで声を出さなかったら、きっとホニさんは――
「……これ以上はユウジさんを――傷つけさせない!」
さあ声をだせ、何かを言うんだ俺。
ここで言わなかったら全てがやり直し、また世界をループする。
いいのか? 今まで日々は無駄なのか? 考えろ、声に出せ――さぁっ!
「ホ……ニ、さんっ」
「ユウジさん!」
「ポケ……ットの」
「ぽけっとの……ポケットだね!」
桐が吹き荒れる風をどうにかして抑えながらホニさんは俺のズボンのポケットをまさぐる。
左を探しては見つからず、右を探すと――そこには一瓶。
「ユウジさん、これかなっ!?」
「それ……を、飲ませ……」
飲ませてくれ、そうすれば、きっと俺は動きだせる。
「え、ええと……どうすれば……っ!」
「ホ……ニさ……んっ」
俺はホニさんがその瓶を開けると自分が飲みそして、一気に口を寄せて――
「んっ――」
「!?」
俺の口を塞ぐのはホニさんのそれは優しい唇、そして口内に流れ込んで来るのは美味しくない謎ドリンクの味。
どうでもいいが、ファーストキスだった。
「……っし」
「ユウジさん!?」
俺はドリンクの効果が表れ、痛みがすっと抜けて――力が溢れてくる。それもいつも以上に。
痛みの意識を取られて動かなかった舌がやっとのこと動き、流れるように。
「ありがとう、ホニさん」
「え、えっ、さっきまで、あんなに、今もあちこちから血が――」
「後少しだから、行ってくるよ。ホニさん」
「ユウジさんっ!?」
俺は痛みこそないが、一部が動かなくなった体を違う部分で補って飛び向かう。
そこには未だに剣を振りまわす男の姿があって――
「これが、最後だああああああああああああああああああああああああああ」
一秒も留まることも無く瞬間移動を繰り返した後に、正面から一気に鉈を振りかざした。
未だに刃のような風が吹き荒れて体が裂かれている感覚がある、それでも痛みは無く俺は力をこめた――
俺は容赦なかった。男の頂点部から腰にかけて刃一杯に抉らせた鉈で男を切り裂いた――二分割されるように体が分かれる様を見せつけられた。
握っていた大剣が落ちて行く、がっくりと裂かれた首がうなだれる。
俺はそうして人を殺した。
今までの俺は甘えていただけだった。でも今回は、これからは、だ。生き残るためには、もう遠慮はしない。
そうして世界は消えていく。そして俺は地面へと着く頃には、意識が遠のいていた――
その後俺は目覚めることが出来て、血だらけで体のあちこちが皮一枚で繋がった瀕死で重篤の俺を。ホニさんは目を腫らせて、俺がその流される涙に気付くほどにボロボロと泣いて――そんな風に覗きこむホニさんの姿がそこにはあった。
生き残った――俺はボロボロにしながらも守れたのだ。




