第276話 √2-81 G.O.D.
夏以外とはガラリと違う人の海。
暑苦しい掛け声と騒がしい人の喋り声、全てが混ざり合って奏でるのは一つの喧騒。
そんな中を俺はホニさんと二人歩く、手と手を繋いでゆっくりと、それでも確実に目的地へと。
そんな全ての事象が行動が、今の俺には何かを思い出させるのだ。
「(…………この光景をどこかで)」
いつだろうか、どこだろうか。曖昧だとしてもその光景には見覚えがあった。
このホニさんの小さく優しく握り返してくれる手も、隣を歩く浴衣姿のホニさんも、頭に響くほどの祭りの音も。
これは既視感。言うなればデジャブ。俺はこれを知っている、俺はこれを経験している。
「(いつものメンバーで祭りに来て、それで二人はぐれて)」
シュチェーションは同じ。ただ隣に居た相手は思い出せない。
「(出掛かっているだけに……な)」
もどかしい。それはあまりにも生殺し。
先程までのホニさんと楽しんだ日常が、薄れるほどまでに訪れるその感覚。
「(なん……なんだよ)」
そんな俺の訝しむ、苦悩に表情を歪める顔をホニさんには見られないで良かったと思う。
ホニさんは俯くようにこれから歩く地面を見つめていた
「おー、もうそろそろかな」
「う、うん……もう少し」
気分を戻す。ホニさんは祭りの熱気か頬は上気しているようにも見える、少しと言った途端に握る手が僅かに強くなる。
それが嬉しいのに、なぜか今は――それが気になってしかたない。
見えるのは商店街のゲート、手を振る浴衣姿のユキに姫城さん。
お祭りを堪能したぜ、というようななりをして仮面やら金魚の入ったビニールやら水風船を持つユイ。マサヒロはどうでもいい。
「見えてきたけど、どうする?」
「離した方がいいかな?」
「ホニさんはどうしたい?」
「……繋いでたい」
「じゃあ、俺も繋いでたいからっと」
俺とホニさんはそうしていつものメンバーと再会する。
その時にユキと姫城さんと姉貴が残念そうな顔をしていたのが印象的で、ユイもなぜか複雑な表情をしていた。
……マサヒロだけは「祭り楽しんだぜー」というように無駄に明るく無駄に元気で無駄で無駄で仕方なく一人平然と笑っていた。
「ユ、ユウジは何で手を繋いでるのかな? ホ、ホホホホニちゃんと」
「え、はぐれない為だけど?」
「そうだよー」
「…………そっかー、そうだよね」
「てっきりお二方が駆け落ちしたものかと思いました」
「いやいや逃げないから、この町から去らないから」
「…………ユウくん、ホニちゃんばっかずるい。私もぉ!」
「ちょ、おま!」
「じゃあユウジと私も繋ぐ! ホニちゃんはもういいよね?」
「うーん……もうちょっとこのままで居たい」
「会長、ここは私がユウジ様と」
「だーめ! ホニちゃんが譲らないならお姉ちゃんである私が――」
「は、はぁ俺の手は大人気だな」
「……リア充はゲル化すればいいのに」
そんな訳でなつまつりが終わる。楽しい思い出と違和感を残しながら。
八月五日
「日曜か……今日も、か」
俺はある準備に取り掛かる。研ぎ石を取り出して使い慣れた鉈を自室で研ぐ。
矢を弾き切り裂くので刃こぼれが多い。研がないと切れ味が落ちて仕方ないので桐の言われるままに台所包丁用の研ぎ石を買った。
そうして戦いの日には備えてカロリーやらを摂取したあとは他の日と同じように鍛錬をすることはせずに体力を温存して、こうして時を待つ。
「(にしても……桐の奴はどうしたんだ?)」
元気がない、それはあからさまにだ。
夏祭りに来なかったのも危惧していたが、どうにも毎日がダルそうだった。
猫かぶりのやり方を忘れたかのように見たところ食って寝ての自堕落に過ごしている。
俺の鍛錬も続いては居るが、俺が走り込みやら桐の生み出した雨澄と戦うはするも桐の指示は無くなった。
桐の構成した空間の中で縁側に腰掛けて、眠りこけている時が多い。
「(夏バテか……?)」
それに俺は急激な変化にも気付いていた。最初の闘いから俺の”重量制御”の継続時間が減少していること。
七月の間までは十分台で二桁あった時間が、今では一桁を切った。
貰う謎ドリンクの回数も減少して、俺に対する治癒も心なしか遅くなった。
「(あいつ大丈夫なのか……かなり付き合わせて疲労しても仕方ないだろうけども)」
それにしても異常だった。
「おーい桐、大丈夫か?」
傍には桐が寝転がっている、そしてすやすやと寝息までもたてていた。
俺の部屋に来るのが毎日のようになっては、こうして寝落ちしてしまう。
「……う、うむぅ」
つんつんとつつくも寝がえりを打つだけだった。
しかし、今間近に見ていると……
「寝顔だけは可愛いんだがなあ」
その安らかな表情には桐の強張る顔も悪どそうな顔もなく、澄んでいる。
その年の容姿相応の柔らかい寝顔を見せる。
「……わしは……頑張らないと」
桐が寝言を舌足らずに言っていた。その少し間延びした声に笑いがでそうになって口元を抑える、これを見たら十中八苦責められる。
「これ以上は繰り返しては……まずいの……じゃ」
繰り返すってなんだよ……微笑みながらその寝言に答えず見守る。
「本当に……本当に……辛いことをさせて……しまっていると……思う」
どんな夢見てんだろうな、そんな表情で言ってることダークだぞっと。
「すまぬ……申し訳ない……ユウ……ジ」
…………俺の夢? 俺に謝ることって?
桐が頑張り、繰り返され、辛く、俺は謝られる立場。
「なんなんだよ……桐」
お前は一体なにを背負いこんでるんだ?
「……うむぅ、おお寝てしまっていたか」
「……ああ、そうみたいだ。少しは寝れたか?」
「まあの、ここが一番落ちつくからの……ふぁぁ」
欠伸をする小さな妹を見据えて俺は問いかける。
「なあ、桐」
「……なんじゃ?」
「無理……してないか」
「は? …………ぷ、ぷくくくくくっ」
すると桐は何かおかしなこと俺が言ったかのように笑いだす。
「な、なんだよ!」
「ぬかしおるぬかしおる、ぷはははははははははははっ。お主に心配されるほどわしは柔ではないわ!」
「そ、そうか……まあそんな俺を馬鹿に出来るぐらい元気があるなら大丈夫か」
「心配するでないぞ、ユウジ。わしは言ったであろう? 全力でサポートすると、わしが精いっぱいに手伝うと……だからお主が戦うのじゃ」
「ああ……分かってるよ」
そう決意の言葉を口にした途端に世界の色は変わっていく。
取り残されれるのは俺とホニさんと桐、そしてその主は雨澄。
「じゃあ行くぞ、ユウジ」
「おお」
「ユウジさーん、ホニちゃん」
「じゃあ行きますか」
俺含めた三人は戦いに繰り出す。
日曜の午後はこれが定例となった……命の戦いに、俺たちは繰り出し逃げ切るのだ。
いつまでもそうであればいい。戦いがないのが一番だけども、回避する術がないのならば――今はこうして。
しかし何故俺は疑問に思わなかったのだろう。
夏の暑さのせいか、夏の訪れによる浮かれか。
あの後からなぜ銃使いは音沙汰がないのかを、雨澄だけが週一の決められた曜日に訪れるのかを。
練習メニューは相変わらず対雨澄だけで、それ以外は手一杯の側面がないわけではない。
それでも何故、ここまで何も対策しなかったか。
俺はそしてその意味を。桐がそれを言いださなかった訳を、やらなかった訳を。言えなかった訳を、やれなかった訳を知ることになる――
それは限界、抗えぬ事象。