第273話 √2-78 G.O.D.
八月四日
夏休みの最初の数日間は海水浴と肝試しが大きなイベントとして過ぎた。
なんだろうか、最近はどうにも朝は調子が優れない。
「うーん」
少しばかり頭が重く感じる。しかしそれはすぐに調子は回復するので意味が分からない……低血圧になって朝に弱くなったのか?
重く感じるのも、何か悪夢を見てしまったかのような目覚めの悪さから。しかし夢を見た記憶はなく、恐らくは以前の教室の夢以来は見ていない。
かといって睡眠不足かと言えばそうでなく……
「わけがわからないよ?」
目覚めが悪い以外にも俺にとっての異変は存在した。
肝試しの帰りに感じた……いつかこれと同じシュチエーションがあったのではないかと思う程の既視感。
それは肝試しの日だけではなく、夏に入る前。春のいつかにでも感じたようにも思う。
「何か俺は忘れてるのか……?」
そんな覚えはない。このIQ千三百の俺としては――って、冗談は名前だけにしとけよ。ってツッコミがはええよ!
それに顔を馬鹿にしても名前はを馬鹿にするな! ユウジの由来はな、それはもう凄いものが――あるはず。聞いた事ないけど。
父親がユウトだったから下之家としては二人目だから、って意味でユウジだったら泣けるけども。
じゃないよね、母さん父さん?
若干自分の名前の由来に疑問を抱きながらも俺のそもそもの疑問へと話を戻そう。
忘れていることを自覚……するはずも本当はあるわけがないのだが、少なくとも俺は何を忘れているのかは分からない。
しかし、それがどうにも頭の隅に引っ掛かって仕方ない。
「何か大事なこと……だった気がするんだが」
分からない。そんな本能が悟り俺に知らせるだけで”その大事なこと”が分からないのだ。
「……うーん」
考え事をすると暑さは増すようで、真夏の蒸し風呂と化した部屋の中では頭がしっかりと回転するはずもない。
そして携帯が着信音とバイブレーションを震わせて……ってこの表現は既視感以前に多用しているような気がしてならない。
その着信音は「さようなら絶食先生」のオープニング曲が流れる。アニソンもどちらかと言えばマニアックなアニメであるそれからは容易にオタクというものが連想出来る。
オタクに関連する友人。そうすると、いつのメンバーの既存組のどちらかに絞られるのだが――
「ユイ……ねえ」
結果はそいつ、携帯ディスプレイを見て呟く。
同じ家で携帯通話とかどこの家庭崩壊と言われそうだが、まあ便利ですし。家族内通話無料ですし、で少しばかり大目に見てほしい。
「はい、もしもし」
『なつまつりに行こうぜい!』
ということで明日、夏祭りに行くことになりました。
先程の疑問も考えれば気になるのだが、違うことに思考が行くと次第に薄れて行くもので。
……バカって言うな! 一つのことしか考えられないのかヴァーカとか言うな!
冗談抜きでそれはないから、うん。
なんというか、俺に思い出させるのを拒む感じではある。その理由は見当もつかないけども。
八月五日
その日は薄い雲掛かった空模様だった。星の光は日中が晴天であった日に比べると少なく小さい。
夏の蒸れ暑い空気が、日が落ちた今でも絶賛継続中であった。
救いと言えば今日はそれなりに風があること、風が吹くだけで体感温度は劇的に下がる気がする。
そんな訳で俺は、なつまつりのメイン会場となる商店街の手前で半ソデ半ズボンの軽装で待ってみる。
夏祭りは商店街を中心に屋台が並び、商店街近くの大きな杉の木の植えられた公園は昔懐かし盆踊りやらのスペースとなっている。
商店街がそれなりに長いので、出店は百前後あるのではないかと思う……勿論のこと全ての出店を制覇しようとするものは誰もいない。
それだけに競合している出店同士では火花が散り、他の地域に比べれば”おまつり価格”が大分良心的だとか。
「ユ、ユウジ様」
「おお姫城……さん」
姫城さんは家の方向が俺らと反対側で、商店街入り口と言っても学校側な為に姫城さんは商店街を抜けなければならない。
それで俺の次に来たとなると、かなり速いわけで。少しばかり息を切らしていた。
「ユウジ様……ど、どうでしょうか?」
姫城さんは両腕を少しばかり上げて、体を動かす。
姫城さんの衣装は見事なまでに浴衣。青や水色を基調としているなんとも爽やかなイメージのあるそれはとても似合っていて、なんとも可愛らしい白い花のヘアピン留められポニーテールとして姫城さんは破壊力抜群だった。
「あ、ああ! 似合ってるぞ」
「本当ですか! 良かった……」
喜ぶ姫城さんはいつもの大人びた、感じと違って無邪気な子供にも見えた。
こんな美人さん方々と夏祭りを満喫できるとは。なんというか、ありがとうございます。
「姫城さん、浴衣は一人で?」
「はい。少しだけなら分かったもので……」
後ろもしっかりと結べているそれは、素人目にもよく着れていた。
しかし姫城さんは……ある一部のボリュームがかなり抑えられている感じもする。
やっぱり女性の浴衣って苦しいんだろうな、と思っているとエントリーナンバー2ことユキがやってきた。
「ユウジー」
「よー」
またユキの浴衣も似合っていて、暖色系を基調とした温かみがあり、これはこれでとても良い。
そしてこちらもいつも通りのポニーテール。浴衣とポニーテールって最強だと思う。
「ユウジにはどう見える?」
「ユキらしくて良いんじゃないか?」
「そ、そう?」
二人並んでも遜色ないその夏衣裳は、選べと言われたら完全に迷ってしまうほどのものだった。
流石学校のアイドル二人は、浴衣をかなりに着こなせている。
「じゃあ、ユウジ行こっか」
「え」
ふいに腕をつかまれた俺は驚きの声を漏らす。ちょっと待って――そう言おうとした時に。
「篠文さん? どうして自然な流れでユウジ様の手を取って夏祭りの露天広がる人ごみの中に入ろうとしたのですか?」
早口で活舌の良さに驚くのと同時に、俺の今置かれている状況を鑑みて姫城さんの疑問を解く。
……いや解くとかいうことでもないような。
「あー……えーとね、一番乗りで! 先に楽しもうかなと」
「篠文さん、それは駄目です」
「ああ、駄目だよね……」
「いやさ、まだ皆――」
「それなら私も一番乗りです」
「えー、いやだからな。二人とも――」
「それがいいかも、姫城さん、ユウジいこー」
「行きましょう、篠文さん、ユウジ様」
「いやいや聞けよ!」
つい怒鳴るが二人には特に影響ナシ……逆二人は行く気マンマンのままだった。
両腕を実質拘束される、という花から見たら”一人の男を二人の美女が取り合う”後継にも見えなくないが。
今の二人には俺の言葉はあまり届かないので、正直困る一方でしかないっす。
助け舟と言わんばかりにやってきたのは――
「ぬー、修羅場だぬー」
俺とおなじように半ソデ半ズボンの軽装と、隣を歩くなんとも着こなした浴衣姿の姉貴と、後ろをゆっくりと付いてくる―
「ユウジさーん」
俺の名を呼ぶその主は、いつもの長い長い艶やかな黒髪と、中学生ほどの小柄の容姿に、どこか幼いその表情。
そして何年も生きている神様で、それでいて俺が共に戦う仲間であり家族であり――大切な人。
そんなホニさんが浴衣を着てやってきた。
「ユウくんユウくん、どう? お姉ちゃんのお古なんだけど、ぴったしのものがあってね!」
「お、おう。凄い可愛いな」
なんとも率直な感想で、俺は思ったことをそのまま口にした。
「か、可愛いのかな!? そ、それなら良かったよ……」
もじもじと恥ずかしそうに俯き両一指し指をつんつんするその様……すんげえ可愛い。
「可愛いということは幼い頃のお姉ちゃんを褒められたも同然……! ありがとうユウくん!」
「今の浴衣は何も言わなくていいのかよ!」
まさか過去に遡るとは。姉貴はいつも以上に年相応かそれ以上の色気と綺麗さを携えていていいんじゃないかと思ってもいたが……言わないでおこう。
「あー、ユウくん! どうかな? お姉ちゃんの浴衣姿はどうかな?」
「……コメントは控えさせていただきます」
「言葉も出ないほどに……そこまで想ってくれるなんて、うう……」
「いやいやいや俺のことになるとポジティブが過ぎるぞ……って何故泣いた! てかガチ泣きですか!?」
先程のアイドル二人がなんかジト目で見てくるのですがどうしたことでしょう。
「やっぱろユウジ様は……」「そうっぽいね」少し聞こえるその声は姉貴をどうどうしているせいで余り聞こえない、しかし最後のところは聞こえた「「両姉妹に対してもシスコン」」
「なんか俺の株が下がった気がする!? なんで?」
「ふーんだ、似合ってるだけで可愛くないですよーだ」
「ユウジ様は小さい子の方がいんです、ええきっとそうです」
「…………」
最近の二人は良くわからない。
「遅くなったー」
本当に全員が直前五分前にはついていたのに、丁度時刻通りの実質襲い登場のマサヒロが来たところで。
きょうの夏祭りへと、いつものメンバーと俺の家族は繰り出すのだった。
ちなみに桐はなぜか来なかった……なんでだろうね?