第272話 √2-77 G.O.D.
我はその後も肉体が朽ちて、この空に浮かぶことも出来る身軽な状態で生き続けていた。
我は「ホニ様」と崇められ、その集落やこの地域での農作物を司る神様という扱いになっていた。
少し前までは単なる偶然で、我は何も施しをしない上で農作物に恵みがもたらされていた。
でも少し前からは違っていた。噂などや偶然ではなく、それは我が想い願ったこと。
願えば土は肥え、祈れば空から雨が降り、太陽のさじ加減で農作物は豊かになった。
豊かな土に訪れるケモノも我がそこに降り立つ時にはすぐに去っていく。我は頼られることで、その力を身に付けて行った。
「(…………はぁ)」
いつまでこうすれば良いのだろう、我はいつまでここにいれば良いのだろう。
確かに我は「知りたい」が故にこの地に留まった。欲望を突き詰めれば突き詰めるほどに「知りたい」気持ちは大きくなっていく。
我はこの集落という閉鎖的な場所から抜け出して、もっともっと世界を知りたかった。
でも我はここを出ることが出来なくなった。それどころか力が増す度に動ける範囲が狭まって行く。
同じ場所で知れる物事には限度がある、そして我は――
「(いつまで、なのかな)」
その声は切なげで、一種の不満と一抹の寂しさを交えていた。
ただ、その声は誰にも届かない。
* *
何百もの季節が過ぎた。太陽の一番元気な季節、葉を赤く褐色に染める季節、周囲の景色を白へと変貌させる季節、柔らかい日差しと桃色の花を咲かせる季節。
何度も何度も何百度も、その季節の流れをみてきた。その度に自然を操って、作物を豊かにさせた。
……操ると言っても出来ない時もある。自然はどこか頑固できまぐれな部分も有り、素直に言う事を
聞くことが毎年とは限らない。
今まで供えものまでしてきた農民は、そんな上手く流れない季節に腹を立て。その矛先は我へと向けられる。
「何がホニ様だ、今年は惨いぐらいの不作だよ」
「まったく、こんなものに供えてる意味ってなんだろうな」
人の心は揺れ動く。そしてどこまでも身勝手だ。
そんな我が操れないのに失望して、我の名を呼ぶことを止める者。我を厄病神だとあまりにも履き違えたことを言う者も現れ始めた。
我は何か間違ってしまったのだろうか。
恩返しの延長でもあったこれは、いつのまにか義務のように慣習化し。
それは当たり前のことに成れ果てていた。
それまでは自然に抗って苦労の末に実らしていたというのに。
我は「知る」過程でそんな人の理不尽な一面も知る。
あの時助けたくれたモノのような心の持ち主は一握りなのだろうか。
邪推し始めた我は、その地に恵みをもたらす気力が次第に落ちて行く。
そして季節が過ぎて行くたびに、この集落は寂れ廃れていった。
* *
「(はぁ)」
我はこの地を見て思う、我が願わなかったことで畑には何度も手入れもせずに植え付けられたことで土地はやせ細っていった。
不作が殆ど毎季節になり、ここからも人は離れて行く。そして人の去ったこの場にはただの枯れた土だけが残った。
「(なんでだろうね)」
誰に問いかける訳でもなく、そんなことを呟く。しかし聞くものは今では誰もいない。
岩から見渡すそこには、ただの荒れ地が広がっている。そして我はその岩に縛り付けられた。
* *
どれぐらいの季節が流れただろう。少しの隙間から見える山から降りたその景色は様変わりしていた。
「(なんで出れないの……あう)」
我はその岩から離れようとすると、急に岩は我を行かせまいと引き寄せていまうのだ。
「(ここは退屈だよ……)」
かつての何もない荒れ地よりは良くはなった。このかつての集落の跡は人の亡きがらを葬る墓場になっていた。
岩のすぐ近くには大きな建物……神社というものだろうか、一部を金色で飾り付けられた建物が建てられた。
「(ここだけ時は止まったままみたい)」
岩の上から見渡すかつての集落の景色は単調で、少しの木々の隙間から見える世界、ひどく魅力的にみえた。
「(隣の芝生は青い……?)」
どこかの子供が読んでいた本を読み説いて理解した。
我は何かのモノをに少しでも我の魂を介すことでモノに触れられた。
しかし介しても離れられる範囲は限られ、出ようとすると引き戻される。
「(ああ、もっと知りたいことは山ほどあるのに)」
そして我は「知る」こと以上に、違う感情が少し前から芽生えていた。
「(……誰か我の話相手になってくれないかな)」
集落が消えた頃から我は誰とも話すことが出来なくなっていた。
そして毎日のように供えられていたものが今では皆無になった。
我の存在は次第に希薄になり、人々の記憶から消えていっていることを自覚し始めていた。
「(寂しいな、寂しい)」
言葉は喋れるようになって、話す相手がいない。声の届く人がいない。
たくさんの知識を取りこんでも、その意味がなくなり始めていたかもしれない。
「(…………はぁ)」
我はため息と言う一種の感情表現のようなものをし始めたのは何時以来で何度めだろうか――それをもう我は覚えていない。
* *
季節が流れた。この場所を取り残すように木々の隙間から見える世界は変貌を遂げて行く。
聳え立つ高い高い塔と、灰色と色とりどりの建物の並ぶ世界。
我は直ぐ先にみえるその景色がとても羨ましくてしかたなかった。
「(あ! 今日は何か本が落ちてる!)」
当たりの日だ。チュウガクセイとか呼ばれるモノが本をここに来る度読み終わると落としていくのだ。
その本はどこか色彩豊かで見ているだけで楽しくなる。
「(なになに”熟女の引き立つ魅力”……?)」
最近の人である女性は結構に肌が出ているんだねー、とその本をめくりながら思う。
その中にはチュウガクセイの発言によれば”マンガ”というものも載っており。
「(洗濯機のボタンを押すと……東京がッ!?)」
東京というと、この世界での首都だったはず――それがこの機会仕掛けの箱一つで。
「(我が知らぬ間にすごいことになってきたかも)」
その雑誌をみながらそう思う。本という友達はあっても、その知識を解放する相手がやはりいない。
そう思うと涙がぽろりと落ちた
「(誰か……誰でもいいから)」
我と話がしてほしい。少しだけでもいいから。
「(ぼっちは……寂しいね)」
本に映る女性や、思わず世界を知りたくなるような事柄に我は更にそう思う。
今日も我は孤独に過ごす。これからもきっとは同じ繰り返し――
* *
季節は冬だった。雪が降りそうな程に寒い――と言われているが、体を持たない我には分からない。
そんな中で、来客者がいた。
「あー、寒い。寒い」
こーとと呼ばれる動物の毛皮でつくったような厚い衣類を身に付けながら、白い息をはく。
そのてぶくろで覆われた手元には何かこの寒い中で湯気立つものを持っていた。
「(なんだろう、これ)」
我は見下ろすことを止めて地上へと向かい、そして手近な生き物を探す。
「(あなたでいいかな? じゃあ少しの間借りるね?)」
体を借りたのはイヌ科イヌ属の……犬という動物のものだった。
一応我は狼だったはずなのだけど、今は小さい小さい犬の容姿。
『ワンワン!』
「おお、犬か……うーん。その大きさを見ると子犬っぽいな」
我の大きさは人の足よりも少し大きいぐらいのもので、覗きこむ人の姿をいつも以上に大きい。
『くぅぅ……』
我は犬の体を借りた直後に空腹の感覚に見舞われた。どこか懐かしいその感じに感動する一方で、空腹によるちょっとした不快感も募る。
「犬、腹が減ってるのか? ふうむ……しかしこれは私の貴重な夕食だからなー」
夕食、それは何か丼ぶりの形をしたモノに紙製の蓋がついていて”どンベィ”と書かれていた。
『くぅん、くぅん』
お腹が減って仕方ない。でも喋れない今では最近身に付けた、この体を借りることでしか我は生きるモノに接触できない。
そして例え体を借りたとしても、それが見えるのがすべてでは無かった。
我がいつか猫の体を借りた時は誰にも気づかれず、鼠の時は振り向くだけで気付くことはなかった。
我の借りた体は一定時間が経つと離れるようになり、そこからは普通の生き物として認識される。
しかし我がそれを借りた途端に、どこか存在が希薄になり。言うなれば半幽霊かしてしまうらしい。
だから今回はかなり運がよかった。
「仕方ないな、じゃあこの”お揚げ”をやろう」
箸と言う人が何かを食べる際に使う食器で、その黄金色のつゆのしたたり湯気の立つそれを丼から取り出す。
『ハッハッハッ……きゃうんっ!?』
熱い! 熱いよ! とてつもなく熱い!
「おお、大丈夫か。犬なのに猫舌とはこれいかに」
猫じゃなくてもこの熱さは相当なもんだと思うよ! それほど上手くはないと――
『ハッハッ』
少し外の寒い空気に触れた冷め始めるそれをやっとのこと租借し始める。
『!』
美味しかった。生きていた時代の時に食べた肉の何倍もの美味しさだった。
これは人で言う甘じょっぱい感覚……これは、驚きかも。
「おお、食べてる食べてる。可愛いな、お前」
そうして我は人の言う”オアゲ”というものかぶりついている途中に、ふと頭の上に違和感を感じる。
『ッ!』
「よしよしよーし」
撫でる。その行動は撫でる行為に等しかった。
何百の時ぶりだろうか、この感覚――どこか懐かしく、心地よい。
「おお、伸びちゃうな。ずるるるるるー」
そのモノは女性だった……いや、人間では少女と呼ばれる類かもしれない。
背は成人にしては小さく子供にしては大きい、短く切られ、栗色に染められたさらさらそうな髪色。
そうして我は死んでから初めて相手を見つけた。言葉通じなくとも、その子とは度たび会うようになった。
知識を明かしたかった――けれど我はそれ以上に孤独が寂しかったのだと思う。
願うならば、もう少し。もう少しと願った。
しかしそれは直ぐに終わったしまう――それは完全に我のせいで。
嘆いた、泣いた、止めた。それでもそれはやらざるを得なかった。
だから我は……そうしてその子と会うことは永遠に出来なくなった。
* *
「――という感じかな?」
「…………」
どうしよう、俺凄いこと聞いちゃったんじゃねえか?
今頃気づくか馬鹿野郎と心の中の俺が叫ぶ……まあ、そうだよなあ。
と、いうことはだ。
ホニさんという名前の由来も。知ることが大好きで性格もあるのだろうが、好奇心に満ちているのも。お揚げが好きなのも。おおよそが理解できた。
名前の由来は農作物の神様で、穂の近くにいるから――好奇心に満ちるのは幾年もかけて人の言葉や心を知りたかったから――お揚げはこの世界に実態をもって現れて初めて口にした美味しいものだったから。
と、俺は勝手に推測を打ち立てる。そういう経緯があるのならば、かなり納得できてくる。
「ユウジさんは我の話し聞いてどう思った?」
「え? えーとだな……」
ホニさんがここまで……ここまで、一人で過ごして来たなんて。
そしてどれだけ考え、ある種は苦しみ、今居ることのできるこの世界がどれだけ待ち望んでいたのか――
「すっげえなあと……思った」
俺はまったくもって素直な感想を述べた。
するとホニさんはどこか笑いをかみ殺すように、俯き、そして――
「あ、あはははははははははははははははははははっ!」
「な、なぬっ!?」
こらえきれずに、溢れだす笑いと笑いと笑い。
なぜか笑われた、それもとびっきりの笑顔で。いや困るぞ……その反応は。
「はぁーはぁー……ユウジさんがそんな答えを寄こすとは思わなくて」
「わ、悪かったな! 馬鹿で正直で!」
なんかホニさんいしてやられた気分だ。
「でもね、そんなユウジさんだからいいんだよ」
「…………あれ、俺の馬鹿要素の否定はされてない?」
じ、冗談で言ったつもりだったのに……くぅう、なんかホニさんが変わってしまった(泣)
「ば、馬鹿だよユウジさんは! 我と自身を守るからってって言って何度も何度も傷ついて……それは馬鹿だよ……」
途端に悲しげな表情になるホニさんに俺は少し慌てて。
「す、すまん……いや、なんというか。頑張ってしまって」
「頑張り過ぎ」
「すいません……」
俺は謝ることしかできない……まあかなりに心配もかけてるからなあ。
「でもね……そんなユウジさん、好きだよ?」
「ッ!」
はぁはぁっ! ……ちょっとまってよホニさん、そういう幼い表情でそんな急に大人びた顔されるとですね――
少しドキリとしてしまう訳ですよ。
「ん? ユウジさん、顔赤いけど――」
「なんでもないなんでもない! 太陽が俺を照らしてるだけさ」
「ユウジさん、今が夜だったら月の方がいいと思うんだけど……」
「――太陽が俺を」
「変なトコ頑固だよね、ユウジさん!」
頑固ですとも、男には曲げられないことが一つや二つに……十三個ほどあるんだぜ?
「そろそろ戻ろっか、ユウジさん」
「お、おう」
そうして俺はホニさんに様々なことを教えてもらった。
ホニさんが生まれ、俺と出会うまでの――
「(ん?)」
でも、あれ。教えたられたのは一人の女の子に出会ってからで、正確には俺と出会うまでは聞いてないような。
それにホニさんはああい言ってたけど……なんでホニさんと女の子は永遠に会う事はできなくなったんだ?
「(…………)」
ホニさんにとって、それはまだ言えないことなのだろう。
「(矢継ぎ早に聞きだしてもしょうがないしな)」
時間はあるだろうし、まだゆっくりとホニさんから話して貰えるといいんだが。
前を歩くホニさんは、いつも以上に嬉しそうで。どこかつっかえが取れたかのように晴れ晴れとしていた――と思うのだけども。
ほんの少し、僅かに気付く程度の何かを思い出したことによる「寂しそうな」表情が汲み取れてもいた。
その正体はまだ分からないが……今はホニさんとの肝試しデートを楽しもう。
「ホニさん、家に帰るまでが肝試しだぜ?」
「そうなんだ! じゃあ、お化けが民家の傍に隠れているんだね!」
そうして二人歩く道を戻っていく――ちなみに、マサヒロの仕掛けは全スルーでした。
なんか帰り際に草むらからすすり泣くような声が聞こえたけど……
「気にしない気にしない」
「ユウジさん、何を?」
……そういえばコレ、というか――
以前にもこんなことなかったっけ?
いや、春の肝試しじゃなくてこの夏の。誰かと二人で肝試ししたような気がする……それにマサヒロのすすり泣きも一回どころじゃないような――
まあ……いいか。どうせこれも気のせいだろう。最近は色んな事あったし、混濁してるのかもしれんな。