リョウ/Ryou
「あんたは誰にでも優しいよね」
別れ際に彼女が放った一言は、生涯足枷となった。
モデルとして人気が出てきた頃に、リョウはアイドルと付き合い始めた。地下アイドル。売れれば万歳、目が出なければ解散。彼女は後者だった。
出逢ったのはモデル仲間との打ち上げで行ったBAR。そこの店員をしていた彼女にリョウは惹かれた。
何度も通う内に親しくなり、恋人となった。
「誹謗中傷なんてクソ喰らえだよ」
当然、密会デートと称されて撮られた写真が報道され、彼女も一気に注目の的となった。それと同時に彼女に対する嫌がらせや酷い扱いも増えていった。
「幾ら何でも限度があるだろ……!」
「仕方ないじゃん。世間なんてそんなものだよ」
どんな酷い仕打ちにも彼女は平然としていた。寧ろリョウの方が怒りを抑えきれず暴れていた。
「リヴィアは必ずアイドルとしてのし上がる。絶対だ」
「ありがとう、リョウくん。味方は一人居てくれれば充分」
「訴えれば良いだろ……?名誉毀損で罰せられるぞ!」
「んー……それって意味あるかなぁ。今だけだと思うし」
「……本当に傷付いてないのか……?」
「メンタルはズダボロだよ。でもいちいち気にしてたら死ぬって言うか……無駄と言うか……。ほら、誹謗中傷したい奴らって自分に劣等感抱えてるって言うし、構って欲しいだけみたいな?」
「ファンでも許せねぇよ……」
「駄目だよ。好きだって言ってくれてる人達を安易に手放したら痛い目見るよ。本当に好きって想ってくれてるなら卑怯な事はしないでしょ」
「……解った……。お前が良いなら……俺は見守るだけだ」
「うん。その内冷めるよ」
彼女は報道されてからBARを辞め、アイドル活動に精を出していた。どんなに歌ってもサービスをしても伸び率は低く、会場も満員には程遠い。それでも、彼女は歌うことを辞めなかった。
「さっさとくたばれよ、ブス」
いつものように客を見送っているとフードを被った小柄な女に彼女は切りつけられた。一瞬の事で理解するまでに時間が掛かった。右目が痛い。開かない。左目からの視界には紅い雫が床を染めている。女はその場で取り押さえられ、警察に連行された。
彼女も病院へ運ばれ、処置を施された。どうやら綺麗に右目を切られたらしく、そのまま大きな傷となって失明した。
「リヴィア!」
駆け付けたリョウを片目だけで捉える。まだ違和感が拭えずフラフラしてしまう。
眼帯姿になった彼女を見てリョウは膝から崩れ落ち、頭を下げた。
「……俺の所為だな……」
「そうみたいだね。リョウくんの熱烈なファンだったって聞いたよ」
「……ごめん……!その傷……消えないだろ……?視力も……。俺が奪った……」
「嘆いてもどうにもならない事だよ」
「アイドル活動は……?歌うの好きなんだろ……」
「辞める。傷持ちのアイドルなんて絶対流行らない。あたしは欠陥品を売りにしたくない。今はアイドルじゃなくても歌手になれる方法は幾らでもあるんだよ」
「……ごめん……リヴィア……」
「そんなに謝られても気まずいだけだから。リョウくん、あたしとまだ恋人でいる?」
「当たり前だろ……」
「そっか。見た目関係無いか」
「リヴィアは……?俺の事、恨まねぇの?」
「なんで?」
「俺のファンがやった事だし……」
「リョウくんが命令してやらせた訳じゃないでしょ?」
「あぁ……。けど……」
「いいよ。もう過ぎた事だし、気にしない方向で」
それからも二人は恋仲でいた。
彼女はアイドルを辞めた後、医学の道に進んだ。元々興味はあったらしく、貯めたお金で夜間の専門学校へ通い始めていた。
「医者ならさぁ、障害抱えてても資格取れると思うんだよねぇ。ほら、経験者として患者に寄り添えるかなって」
「そうだな……。ってか、医者になるの?ナースは?」
「それも取る。まずは看護師で経験積んで医者の勉強もしていく予定」
「結構考えてたんだな」
「まぁ……勉強は出来る方だったし?」
「なんでアイドルの道に行ったの?」
「華々しいじゃん。笑顔で歌って踊って何より楽しんでるのが良いなって。別に誰かを勇気付けたいとかじゃないんだよ。ただ、後悔しながら歩んでいくのは勿体ないからさ。あたしは人生を悔いて死ぬのは御免だ。やり切ったぞってにこやかに万歳して終わりたい」
そう語る彼女の表情は誇りに満ちていた。リョウも応援していたし、アイドルになってからもその想いは変わらなかった。
けれど、彼女との関係は呆気なく終わりを告げた。
「信じてたんだけどなぁ……」
涙声で呟く彼女をリョウは支える事が出来なかった。
仕事関係で知り合った広報の女性と二人で飲んだ夜、深い眠りに誘われたリョウは翌朝、青ざめた。隣には全裸の女、リョウも全裸でベッドの上には使い捨てられたコンドームが幾つか散らばっていた。記憶にない現実に呆然としていると目覚めた女が彼の耳元で囁いた。《身篭ったかも知れない》。卑しい笑みはリョウを震えさせた。
その事実が漏れる前に女はリョウの彼女を呼び出させ、不埒な光景を目の当たりにさせた。
「リヴィア……」
「……浮気なんて下らないって思ってたよ。でも……リョウくんは頼まれたら委ねちゃうから……」
「……そういうとこだよな……。この人を責める事も出来ない……」
「誰にも言わない。リョウくんの迷惑になるような言動は一切しない。だから……うちらの関係も、終わりにしよう……」
後から知った事実では、全てリョウのマネージャーが仕組んだ事だったらしい。
人気も上がってきたリョウをもっと売り出したかった当時のマネージャーは、リヴィアのいるBARを紹介し、彼女と引き合わせ恋仲に発展させ、ファンにばら撒いた。深手を追った彼女を更に追い詰める為に熱烈なファンをマインドコントロールし、大事にさせた。頻繁に注目される中でトドメの一撃。知り合いの広報の女をリョウに近付けさせ、既成事実を作る。リョウを眠らせた後、別の男を呼び、身体を絡ませて偽装工作を演出させた。
マネージャーは全て自らの言葉で説明し、自ら警察へ出頭した。
リョウの潔白は証明されたが、彼女は遠くへ行ってしまった。今は連絡先も分からないままだ。
「──助けて下さい……」
過去に耽っていたリョウは小さな声に我に返った。
役作りの為に読んでいた恋愛小説が影響したか、随分と鮮明に思い出してしまった。
「……燦……?」
振り返ると扉に寄りかかりながら血を流している燦がいた。押えている右手首から血が流れ出ている。
「お前……また……」
「血……止まらなくて……。いつもならすぐ止まるのに……」
「すぐ止血するから!」
急いで救急箱を持ってきたリョウは手際良く燦を手当した。傷跡はそんなに深くは無い。けれど、ガーゼは重ねて巻いた。
「嫌なことでも思い出したか?」
「……ネットに……友達だった子が出てて……イラついた」
「そうか」
「バカだなって嗤えばいい」
「思わねぇよ。燦がそれで発散出来るなら止めはしない」
「……リョウもサクラも優しいね……。怖くないの?」
「なんで?自傷行為なんて珍しくもない」
「……あたしは自己嫌悪だよ……。いつも思う。何してんだって」
「生きる為だろ?」
「……は?」
「まだ死ねないから生きてるか試してんだろ?血が止まらなかったのは癌の所為じゃん?病院行く?」
「やだ……」
「まぁ、安静にしてれば治まるだろ」
「……手当て、ありがと……」
「おう。また頼れ。いつでも包帯巻いてやるよ」
その優しい笑みに燦は答えられなかった。
「──燦。少し外行かね?」
誘われてドライブで向かった先は海。夕方近くで遊泳禁止の場所だった為、人は居なかった。車を止めて桟橋から海を眺める。穏やかな波音が心地好い。
「落ち着いた?」
「……少し……」
「もう切る所無い位傷だらけだな」
「どうせ死ぬから……。何だっていい」
「……燦は、そういう性格なの?」
「……子どもの頃は積極性あったよ。担任の影響で、自分から動かないと将来詰まらないって言われて無駄に張り切ってた。友達もいたし、班長にも立候補したりした。でも……中学に行ったら性格悪い奴らに打ちのめされて自分から発しなくなった」
「荒れてたんだろ?そんな凄かったのか」
「毎日窓ガラス割れてたし、男子はバカだし女子は性格悪いし、楽しい事なんて何も無かった」
「部活は?」
「吹奏楽やったけど、やりたい楽器になれなくて辞めた」
「それでも学校行ってたの?」
「他にやること無いし。だから高校は私立にしたし、大学も繋がってる所にした。うちらの子どもの頃って先生達の配慮無かったんだよね。出来ない子はそのまま放置状態。酷くない?」
「今はちゃんとやらねぇと親が煩いもんな」
「……リョウは、順風満帆って感じする」
話す気力も薄れてきた燦はリョウの方に話を振った。
「子どもの頃はやりたい放題だったかも。男子は楽しければ人間関係なんか気にしねぇし、良い意味で気が利かないってやつ?まぁまぁ楽しかったよ」
「人気のアイドルにも成り上がったもんね」
「お前のお陰」
「……何が?」
「燦と出逢った頃さ、俺……迷ってて……。モデル一本でやるかアイドルと掛け持ちかどうしようってさ。そしたらお前が言ったじゃん」
燦は彼らと出逢った時の事を思い出していた。
「"欲張って生きればいい”って。出来る事があるなら手放さないで限界までガンバレって。俺、凄い嬉しかったんだよ」
「……そんな事言ったっけ?」
「俺は覚えてるよ」
「……随分と偉そうな事言ったんだね」
「糧になった。今の俺があるのは燦のお陰だ」
「……それは良かった」
「また何かあったら今日みたいに助けてって求めて。燦の為なら手を貸すから」
微笑む彼に沈んでいた気持ちが軽くなった気がした。
一時間程、海を眺めた後二人は家路に着いた。
「ズルいよ、リョウ!燦を独り占めしてー」
帰るなり、燦に抱きついた那月が文句を放った。
「良いじゃん、たまには。息抜きだよ」
「あれ?燦、また包帯してるよ。また血出たの?」
那月の目敏さに燦は敵わないなと思いながら頷いた。
「痛い?ごめん、今ギュッって握っちゃって……」
「大丈夫だから、那月。心配要らない」
「燦……また怪我したら言って。ね?」
「うん。ありがと、那月」
「今日はボクと一緒に寝よ」
「うん……」
「じゃあ、用意してくるね」
那月は嬉しそうに自室へと駆けていった。
「燦。今日はありがとな」
「えっ……」
「本当に息抜き出来たから」
「そっか……」
「また一緒に行こうな、ドライブ」
「うん。ありがとう、リョウ」
「あー!またリョウがイチャイチャしてるー!」
戻って来るなり那月が声高に叫んだ。
「良いだろ、別に」
「リョウばっかり狡いよ。燦、今度はボクに付き合って」
「良いよ」
無邪気に喜ぶ那月に燦も口角を上げた。