瑰麗の雨
夜になっても雨は降り続いていた。
昨日の朝から勢いは変わらずとも、東京の街は人で賑わっている。
傘を片手にすれ違う人々は不思議とぶつからずにスムーズに交差点を渡り、楽しそうに笑っていた。
「あの。今、落としましたよ」
後ろから声を掛けられ、フードを被った青年が静かに振り向いた。
大きな傘を二人で共有している女性たち。学生だろうか、雰囲気から若さを感じる。
差し出された財布を受け取った瞬間、突風に煽られ、フードが外れた。
「…えっ…あ、うそ…!マジ…?」
「ラフィルの…彩世!?」
その素顔を間近で見た女性達は興奮気味にその名を口にした。
彼女達の眼前にいるのは、かつて絶大な人気を博したアイドルグループのメンバー。
その歌声に惹かれてファンになった者も多いと囁かれている。眉目秀麗な見た目に推したファンも多勢だろう。
「本物…?」
アイドルとして活躍していた彼は、文字通り輝いていた。大らかな性格が好感度を増し、テレビの出演も激増していた。
けれど、数か月前、そのグループは突然、解散を告げた。
悲しむファンの中には自殺した者もいたらしい。
「……もう、過去の事だから」
はしゃぎそうになる女性達に青年は淡々と答えた。その声に覇気は無く、表情にも感情が伴っていない。
「え、でも…」
「もう歌わないんですか…?」
解散発表をしてから彼はメディアに出ていない。ソロ活動の期待もされていたが時間の流れとともに薄れていった。
「ごめん…。歌い方すら忘れたから…。ごめんね…」
スッと女性達の横を通り、青年は人混みの中に入っていった。
「好きだったんだけどなぁ…。【ラフィルフラン】の歌」
女性の一人が囁く。
絶頂期だった頃は行く先々で彼らの歌が流れており、ランキングも制覇していた。
今ではもう、CDすら目に出来ない。
「まぁ、でも仕方ないか。メンバーの二人が死んじゃったらさぁ…」
「えっ、一人は病気で逝去したって聞いたけど」
「もう一人、体調不良で療養中だって言われてた子も、自殺しちゃったらしいよ。メディアでは取り上げられてないみたいだけど」
「なんで?」
「事務所が止めたんじゃないの?ファンクラブ通信でそういう通知?が流れてきたからファンの子達は知ってるんだけど」
「そうなんだ…。うちも入りたかったなぁ」
「当時はファンクラブ入っててもチケット取れない位の人気だったのに…」
「…やっぱりさ、それでも、歌ってて欲しかったよね…」
「うん…。ある意味、裏切りみたいな感じで後味悪いかなぁ」
暗い囁きなどもう十分に聞いたであろう青年は、行く宛も無くただ彷徨っていた。
歌を辞めたのは、メンバーの死ではない。
解散したのは、彼女の所為ではない。
全て、自らの我儘だと痛感している。
メンバーの一人は、病が悪化してこの世を去った。
もう一人は、恋愛のよくある関係で罪悪感に蝕まれて自殺した。
人気アイドルグループと謳われた【ラフィルフラン】は元々繋がりのあった六人で結成された。
メンバーが二人欠けてから、一人はモデル業に勤しむようになり、あとの二人は幼馴染とあって仲良く渡米した。向こうで成功したいと言う願望を叶える為に。
だから、選ぶ道は一つしか残っていなかった。
出した結論に、仲間は反対しなかった。
グループ活動には制限がある。いつでも一緒はもう通らない。
一人残った青年は、歌う事を辞めた。
芸能界からも姿を消した。
夢も希望も若くして叶えてしまった。
他に欲しいものなど何も無い。
彼女を失ってから喪失感が増し、歌う事に意義を見い出せなくなった。
それから歌い方を忘れた。
今までどうやって歌っていたのかも感覚が分からない。
声を出そうとすると吐き気を催した。
「おにーさん、なにやってんの?」
休憩所のある公園で止まない雨を眺めていると、フラフラした男性達が近寄ってきた。不意に香る匂いに酔っている事が解る。
「あれー?なんか見たことある顔だなー」
「あ!なんかアイドルだった気がする!」
「おー!アイドルなら金持ってるー?」
「相当印税とか貰ってんじゃないのー?」
酒が入っているからか、チャラチャラした口調が気に障る。
「おれらすっからかんでー。金ちょーだい」
「奢ってくれてもいーよー」
肩に腕を回され、絡み方にも気を悪くしそうになった。
「……現金しか入ってないけど……」
財布を差し出すと彼らはバッと奪い取り、中身を確認した。その札束に顔がにやけている。
「おにーさんすごいねー」
「金持ちじゃーん」
「これ貰っちゃうよー?」
「使い道があるならあげる。落とさないようにね」
「おにーさん優しー」
「ありがとねー」
きっと彼らは酔いが覚めて青ざめる。
この大金はどうしたのだろうかと。
けれど青年には関係ない。
早く去ってくれと願っていると彼らを窘めている声が聞こえてきた。
「あの、すみません。ダチが不躾に…… 」
見上げると爽やかそうなイケメンが彼の財布を持っていた。イケメンの後方には地面に寝転がっている酔っ払い達の姿が見えた。
「要らない……?」
「頂けませんよ。貴方のお金でしょう?」
「でも……使わないから……」
「あるだけでも助けにはなりますよ。返しますね」
イケメンは自然な対応で彼に財布を渡した。
「失礼ですが……彩世さんですよね?アイドルの」
「……もう辞めたよ。今は、なんでもないただの人間だ」
「失ったものは大きいですか」
「そうだな……。この手で掴んでいられる程、優しくはなかったよ」
「私、ファンだったんですよ。【ラフィルフラン】の歌は、生きる糧になります」
「……過去形って事は、解散したから見放したか」
「ショックでした……。活動休止の方がまだ救われましたよ」
「休止にしたって元には戻らない。だから散った」
「もう新しい曲は聴けないんですねぇ……」
「悪いな。歌はもうおれの武器じゃない」
そう言って青年は立ち去ろうとした。
雨は未だ止む気配すらない。 それでも彼は傘を持たない。
「風邪引きますよ」
「どうなろうがもう関係ないんだ」
「……生きる意味など無いと?」
「そうだな……。これから得るものも無いかも知れない」
「随分と寂しい事を仰るんですね」
「……何も残らなかったからな」
「後悔もしないですか?」
「あぁ……」
ドンっ──と背中に衝撃を受け、青年は鈍い痛みを感じた。
耳元でイケメンの吐息が聴こえる。
「なら、死んじゃえよ」
冷たい声で囁かれた瞬間、身体から何かが抜き取られるのが分かった。痛みは更に増し、青年はふらつきながらイケメンを見る。その手には、血が滴っているナイフが握られていた。
「……刺した……のか……」
「やっぱり背後からだと一発で殺るのは無理だね」
「……なんで……」
「何で?お前がユズを殺したからだろう!」
その豹変振りに青年はたじろぐ。先程とは別人の様な顔つきをしている。
「……ユズは自分で命を絶った……」
「違う!お前に……好きな女を奪われたからだ!あいつは……彼女を愛してた……!なのにお前が……!お前の存在がユズを自殺に追い込んだんだ!」
歯止めの効かない苛立ちが見て取れる。感情が爆発して自身でも抑えきれない位、イケメンは興奮していた。
「……部外者が……知った様な言い方するなよ……」
「私はユズの親友だ!あいつから色々聞いてた!好きな子がいる事も、その子に好きな奴がいる事も全部知ってる!全部話してくれた……。ユズはいつもお前の事を話してたよ。彼女はお前を選ぶだろうって。お前さえいなければユズは死ななかった!」
泣きながら叫び、イケメンは青年を押し倒して馬乗りになった。
「何もかもあんたが悪い。あんたの所為だ。生きてる意味無いって言ってただろ?殺してやるよ!」
太腿を刺され、また痛みが加算された。
「死ねばいい……!お前なんか誰も必要としてない。死んだってもう誰も悲しまねぇよ」
次に腹部を刺され、間髪入れずに左肩にもナイフが貫いた。
激痛の連鎖で青年はまだ意識を保っていた。
「…………もう……終わりか……?」
返り血で全身紅く染まっているイケメンに青年は優しげな声で聞いた。振り上げられたナイフは最後に胸を刺す。けれど、その手は震えながら留まっていた。
「死ねよ……。お前なんか……お前が死ねば良かったのに……」
イケメンはナイフを両手で握り直し、青年の喉元に突き付ける。アイドルとして歌を奏でていた青年にとっては、そこが何よりも致命傷となる。潰されたらもう二度と歌う事は叶わない。声すらも失うかもしれない。
それでも、後悔なんて一つも無かった。
グッ、と手に力を入れたイケメンはふと動きを止めた。
微かに聴こえてきた懐かしい旋律。何度も聴いて覚えた大好きな曲。雨音にもかき消されないその歌声に、涙が止まらない。
「……なんで……」
「…………生きる糧になる……って……言ってたから……」
「……な、なんで笑ってんだよ……。そんな事言うなよ!殺されかけてんだぞ!命乞いでもしろよ!」
「……ファンになってくれて……ありがとう……」
青年が微笑むと、イケメンは彼から素早く離れた。ナイフも棄てた。雨と混ざった血が青年を飲み込んでいく。
「何なんだよ……。訳わかんねぇ……。頭おかしいんじゃねーの……」
吐き捨てる様に叫びながらイケメンはその場から立ち去っていった。
もう痛みが感じなくなってきた青年は仰向けのまま、ポケットに入れていた携帯を僅かな力で取り出し、連絡を取った。
『──悪い、彩世。今、仕事終わったばっか……』
相手は共にグループで活躍した仲間の一人。彼はモデル業を盛んに行い、ファンを魅了している。
「…………リョウ…………」
『……彩世?どうした?雑音酷いぞ』
「…………ちょっと…………やらかした…………」
『彩世……?おい、お前今どこ……』
「助けて下さい!」
そう叫んだのは先程まで寝転がっていた酔っ払いの一人だった。不意に目を覚まし、青年の無惨な姿を見て怯えながら声を放った。
『……なに……』
「誰か、助けて……!このままじゃ……死んじゃうよ……!」
『え、死……?なんなの……』
「あ、あの!彩世さんの仲間さんですか?すぐ来て下さい!公園で彼刺されて……」
電話が繋がっていることに気付き、相手に必死に伝えた。
『刺されたぁ?』
「お願いします!早く……!」
尋常ではない事を察した仲間は駆け足で青年の元へと向かった。
手術中のランプが点き、院内の廊下は静寂に包まれた。
あの後、青年は急いで救急車で運ばれ、大きな病院に案内された。すぐ様手術が行われ、時間との戦いだと医師から事前に聞かされた。
「勘弁してくれよ……」
青年と活躍を共にした仲間の一人であるリョウは頭を抱えながら呟いた。
グループ解散から数ヶ月。久々に会った仲間は凄惨な姿にされていて言葉すら飲み込んだ。
「彩世……」
小さくその名を口にする。
「……頼むから……もうこれ以上……誰も居なくならないでくれよ…」
悲痛な叫びは誰にも届かない。
ただ祈ることしか彼には出来なかった。




