来世の風が吹く頃に。
千年の寿命を持つと言われている桜の木の下で、彼女は目を覚ました。
肌に心地良い風が彼女の長い髪を靡かせる。
眼前に広がるのは、果ての見えない草原。透き通った青空には微かに姿を残した三日月があった。
「おはよう、燦」
不意に声を掛けられ、振り向いた先には見慣れた人物が立っていた。
腰下まである銀色の長い髪と端整な顔立ちに線の細い華奢な身体つき。あの頃と変わらぬ姿。色素の薄い琥珀の瞳で見つめられると自我を失いそうになる位、妖艶な雰囲気を醸し出している。
「…サクラ…」
「同じ場所で目覚めて良かった。結構、頑張ったんだね」
「……そう。あたし、死んだんだね」
呟いて実感する。やけに身体が軽いのも、気持ちがすっきりしているのも、その身が生を全うしたからだ。
「此処は何処だろう」
「理想郷って呼ばれてる。云わば楽園」
「なんだ…。地獄かと思ってた」
「感じ方によってはそう思うかも知れない。天国も地獄も所詮は人間が創り出した仮想空間だ」
「そうだね。死んでからも苦しむのは辛いもんね」
「悪人には適切じゃないか?」
「だったら、あたしも悪人かな。想いを利用して傷付けた」
生前の記憶が蘇る。
泣いている彼の姿。静かに想いを告げてくれた彼を、彼女は拒絶した。
「色々あったんだね」
「…サクラが死んじゃった後、結構なドラマがあってさ。聞きたい?」
「無理の無い程度で」
「うん」
彼女はゆっくりと語り始める。
この話が終わったら、互いに生まれ変わりを果たすのだろう。
聞かずともそう直感した。
此処は、生前の記憶を整理する為の憩いのひととき。
次に目覚める時には、真っ新な存在で息吹を上げる。
それまでの、ほんの僅かな時間。
─────そう思っていた。
急に勢い良く風が吹き荒れ、燦は目を閉じた。
空気感も変わり、穏やかだった空はグレーな異質感を放っていた。一瞬で、澱み始めた世界に、サクラが辺りを見渡す。
「……燦、ごめん。楽園の時間は終わりみたいだ」
肩を叩かれ、目を開けた燦を支え起こしながら伝える。
再度その世界を目にした時、彼女の瞳に映ったのは歪な存在。
「……なに……」
「急に始まるんだよね。悪魔の使者は気紛れだから」
「あ、悪魔……?」
人の声とは思えない嗄れた呻き声が響き渡る。
この世の終わりみたいな表情をした人間達がのそのそと二人に近付いてきた。
「あれに触られたら生まれ変わりは出来ない。ずっと此処で後悔の念に囚われる」
「来世が無いってこと……?」
「そう。あいつらは自殺した人間だ。自然死と違って自らその命を絶った者には来世のチャンスが無いんだよ」
「えぇ……?巻き込まれるのは嫌だな」
「でしょ。だから、次の場所に逃げるよ」
「他にもあるの?」
「離れないでよ」
ぎゅっと手を握られ、燦は振り返らずにサクラとともに走った。