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戦車の策略……?

「私は、負けるわけにはいかないんだ……。アルベルデの妻だか…ら……」


「悪いな。俺も、妹を取り戻すために必死なんだよ」


 気を失ったままのフラッシュ。観客席にざわめきが広がって、アルベルデが顔を覆っている。いつまでも立ち上がることのできない黒いドレスの吸血鬼を見て、誰かが呟く。


「フラッシュ様は……負けた、のか……?」


 小さな一言は、瞬く間に広がっていき、悲鳴と歓声が入り混じった大合唱が始まった。いつの間にやら行われていた賭け事では愚者(おれ)に賭けた愚者(バカ)が形容しがたい叫び声をあげる。ちらりとリリシアの方を見てみれば、俺の名前が書かれたチケットを握り締めてピースサインを向けていた。


「あの小娘、お前に賭けたようじゃのう……?」


 魔導書の隙間から赤い光が漏れてきて呟いた。観客席を見渡していると、あまりにも目立ちすぎる緋色の髪の老人が気味の悪い笑みを浮かべている。

 ここ1週間で見慣れたシャルハートの分身体である。


「お前、いつのまに抜け出したんだ? しかも、ちゃっかり俺に賭けやがって」


「何かと金は入り用になるじゃろうからの。手伝ってやったのじゃぞ? 感謝せい」


 思わずため息をついてフラッシュの方へと向きなおる。気絶したまま放っておくのもどうかと思ってゆっくりと近づいていくと、ピクリと指が動いた。


「……ッ!?」


 慌ててバックステップを踏む。突然の回避行動に、観客のざわめきが静まり返る。その場にいる全員が固唾をのんでフラッシュが起き上がるのを待っている中、湖に波が広がるようにフラッシュの影は蠢き始めた。


「愚者、警戒しろ。まだ試合は終わっとらんようじゃぞ……!!」


「分かってる!! もう一回奇跡(ミラクル)を……」


 黒のドレスとの境界が曖昧な影は、闘技場のステージ全体に広がったかと思うと、そこらに転がっていた武器―七賽戦槌―を取り込んで回収する。エモノを手に入れて再戦ということか……。

 彼女から目を離すことなく警戒していると、何事もなかったようにフラッシュは起き上がった。


 サラサラの髪をかき上げると、辺りを見渡し、一瞬アルベルデが座る席で視線を止めて、緩慢な動きで改めて俺を見据えた。もう一発分の奇跡(ミラクル)はチャージしてある。いつでも放てる状態だ。しかし、見つめるばかりでフラッシュは動かない。


 両者の間で緊張が高まり、観客が息を忘れるように俺たちの一挙一動を観察する。


「……私の負けだ。これ以上は戦えない」


 息が詰まりそうな沈黙を破ったのは、細い両腕をあげて、降参のポーズをとるフラッシュだった。


「あの奇妙な雷―奇跡(ミラクル)と言うのか? あれが痛くて立っているのもやっとだ」


 狂気の妄執に取り付かれた『魔術師』のヴァンパイアロード、モーブが作り出した奇跡の魔法とやらは伊達じゃないようで、ヴァンパイアスートでさえ重傷を負わせる結果となった。足掻くことも無くあっさりと降参宣言をするフラッシュに驚くが、その報告を受けて控えから救護班が飛び出してきた。


「いや、いい。クーリアに一言告げさせてくれ」


 治療に来た吸血鬼の手を払ってフラフラとしながら俺の下へと歩いてくる。何を企んでいるのか分からない鋭い目元に若干恐れを抱いて、引きつった笑みを浮かべた。そして、糸が切れたように俺の胸へと倒れ込むと、半ば抱きしめられるような形になる。


 彼女が倒れた時以上の喧騒が闘技場を支配した。意図がわからずに突き飛ばそうとすると、とても小さな声で()()()()を俺に伝える。


「……どうして、それを俺に?」


「別に。愚かな君なら、楽しい物を見せくれるだろうと思って、期待しただけです」


 その言葉を最後に、彼女は救護に来た吸血鬼の下へと引き返していった。耳に残る美しい声と、そこから紡がれた衝撃の内容に愕然としていると、衛兵たちに連れられて闘技場をあとにする。


 言われるがままついて行っているが、どこに連れていかれるのだろうか。アルベルデとの再戦に備えたいなどと考えていると、闘技場に地下の部屋へと案内されて、入るように言われる。扉の上には『選手控室』という奇妙な文言が記されており、中は清潔な部屋だった。


「次の試合の準備まで時間がかかる。ここで待機してくれ」


「ああ、そういうことか。分かった」


 テーブルと壁に設置された大きな鏡。簡単な食事と並べられた血液瓶を見て、意図を察する。先ほどフラッシュの攻撃で闘技場の床がボコボコに歪んでしまったのだ。それを修繕するための休憩時間なのだろう。普段から使われているのか、誰かの名前の書かれた専用ロッカーまで設置してある。


 当然、魔法で鍵が掛かっていて開けることは出来ない。


 ローテーブルに置かれた食事は、ヴィクトレースの国産牛の塊肉だとか、羊の生肉を腸詰めしたものなど明らかに吸血鬼向けの食事である。俺たちが生肉を好んでいるわけではなく、吸血鬼に食わせるのなら複雑な調理はいらないだろうという偏見じみた配慮だ。

 まぁ、ヘタに調理を加えられると毒を疑ってしまうので、生の方が食べやすいか……。


 血を見て目の色を変えるシャルハートを魔導書から出してやる。特に変わらないのに並べられた血液瓶を選り好みしているのをしり目に、テーブルに置かれた水を口に含む。

 近くの清流から引いてきているようで、濁りが無くて美味しい。パッと見たところヴィクトレースは豊かな土壌で植生も豊富な土地。シャルハートの修行でも世話になったあの川は水量も申し分ないようだし、国の人間の表情を見れば、幸福そうであることは間違いない。


 それでも、戦争を続け、愚者(おれ)にまで喧嘩を売る始末。アルベルデは一体何を考えているのだろうか。()()なのか、他に理由があるのか……。どちらにせよ、俺の唯一の幸せを踏みにじった時点で、相応の罰を与えることに変わりはないが。


「決めたぞ。おい、愚者、この血を垂らしてくれ。赤くて綺麗で美味そうじゃ!!」


「どれも変わんねぇだろ……」


 長く生きていると贅沢になるのだろうか。シャルハートは他の吸血鬼に比べて血を欲する回数が多い気がする。それとも、大昔の吸血鬼は血を嗜好品としてみていなかったのだろうか。


 言われた通りに魔導書に血を垂らす。瓶のフチに残った血を舐めとって、元の場所に置いておく。洗う場所も無いようだし、仕方ないだろう。そんなことを考えながらしばらく休んでいると、微かに人間の足音が聞こえてくる。歩幅や踏み込みの具合から女の足音である。それもかなり若い。

 ……いや、聞き覚えのあるアレはリリシアだ。


「クーリア、調子はどう?」


「よお、リリシア。無事で何より。吸血されてミイラになってないか心配だったよ」


 久しぶりにあった彼女は健康そのものといった様子で、特に傷なども無い。むしろ、質のいいシャンプーを使っているおかげか、黄色の髪にうっすら輝きが見える。色は違うが、フラッシュの艶やかな銀髪を見ているような錯覚に陥る。


 俺の軽口に薄い桃色の唇を尖らせた。


「もう~!! 心配してたのに、そんな冗談を言うの?」


「人間風情に心配されるなんて屈辱的だ……」


「クーリアの心配じゃないわよ。ブランちゃんのこと」


 聞かせたい旅の話や教えたいおとぎ話があるとか呟きながら、俺にあっかんべーをする。思わずカチンときて頬を引きつらせる。何しに来たのかと尋ねると、アルベルデとの戦いに備えて吸血させてくれようとしたらしい。けれど、棚に並べられた血液瓶を見て「余計なお世話だった?」とはにかんだ。


「いや、シャルハートは腹いっぱいだろうけど、俺は飲んでない。吸っていいか?」


「ン!? ま、まぁいいわよ……。吸血鬼ってズルいわ、みんな美男美女ばかりなんだもん……」


 彼女のつぶやきを無視して、リリシアの首筋に噛みつく。手首からでも良かったが、リリシアが自分で捲ったのが首元だったので、遠慮なくそこから飲ませてもらうことにする。


 花のような甘い香りと、健康的な鮮血の味。いつ飲んでも甘い味がする血はリリシアらしく、素直に美味しいと思ってしまう。


 目一杯吸血して、首元の傷を舐める。即座に回復を始めるが、牙を抜かれるのが痛かったのか、小さく嬌声を漏らした。艶めかしい表情を浮かべるリリシアの額にデコピンをかまして正気に戻すと、まだ時間があるようなので、椅子に座るように促す。


「それで、血を吸わせるためだけに来たわけじゃないだろう?」


「まぁね。面倒なことは嫌いだろうから、単刀直入に言わせてもらうね。クーリアはアルベルデに負けてほしいの」


 リリシアが1人でこの部屋に来た時点で、なんとなく予想していた展開。俺もシャルハートも特に驚くそぶりも見せずに次の言葉を待つ。ゆっくりと瞳を閉じて長く息を吐く。これだから人間は信用できない。怒髪が天を衝き動かしそうになるのを必死に押さえつけるとリリシアが口を開いた。


「アルベルデは……」

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