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アルベルデの妻

 そのまま屋根から飛び降りて着地すると、いつの間にか王宮の目の前まで着ていた。

 あちこち走り回っているうちにヴィクトレースを一周したらしい。


「さてと、俺の勝ちだな」


「クソが……。必ず魔石は奪い返すからな!!」


 感情の器がごっそりと零れ落ちたような感覚。

 怒りも憎悪もまるで噴き出してこない。必死に炎を体外へと押し出すが、ガス欠になったように小さな爆発音を鳴らすだけで、燃え盛ることはなかった。


「頼みの綱の赤黒い炎はもう使えないのか? 愚かだな」


「許せねぇ……。不条理が目の前にあるって言うのに……!!」


「不条理だとか理不尽だとか、くだらない価値観で物を言うから愚かなんだよ」


 頭の後ろをガシガシと掻きむしりながら深いため息を吐く。

 片方の腕は肘から先が無くなっており、血が滴りながら回復を始めている。


「勝負の土俵に、不条理も理不尽も存在しない。目の前の勝利に貪欲であれ。そうでないからお前は負けたんだよ。そもそも、そんな理想論をほざくのは子供(ガキ)だけだろ」


「何が勝負だ。クソみたいな理不尽を突きつけといて、偉そうに言うんじゃねぇ!!」


「虚勢の怒りなんて、虚しく愚かなだけだぞ」


 アルベルデの鋭い眼光が胸を貫く。

 ブランの魔石を取り戻すために必死で憤怒の能力を発現させようとしていることを見抜かれていた。どれだけ願っても沸き上がってこない怒りに対して焦っていると、気づかれた。あまりに情けない姿に、リリシアもシャルハートも押し黙っている。


「魔石と引き換えにリリシアを渡すと言ったな。その時点で愚かだったんだよ」


「それはッ!! お前がその提案をしたからだろう……!!」


「そうだ。だが、あの時、問答無用で魔石を奪おうとしていれば、まだ可能性はあった」


「どういう意味だ?」


「お前があっさりと、俺の提案を了承したことで、その時点で上下関係が決まったんだよ。それは理不尽でも不条理でもなく、当然のルールだ」


 何も言い返せなかった。思い返してみれば、あの判断は愚かだっただろう。

 要求されたものがリリシアでなかったとしても、俺は同じように引き受けざるを得ない。だからこそ、その提案を飲まず、強引に奪う方法を考えるべきだった。


「お前にとって、リリシアには価値が無くて、魔石には価値がある。だからくれてやっても得をしていると思い込んだ。その実、俺の支配を受け入れているとも知らずにな」


「だったら、今から強引な手を取って……!!」


「それも愚かな判断だ」


 影から魔導書を取り出しページを開いた瞬間には、俺の体は宙に舞っていた。

 片手にリリシアを抱きしめたアルベルデに投げ飛ばされたのだ。陽の光を受けて弱体化していて、なおかつ、吹き飛ばした腕の回復に努めているというハンデがあるにも関わらず。


 『魔術師』のヴァンパイアロードとは種類の違う強さ。あまりに圧倒的な力量の差を見せつけられて、悔しさだとか虚しさだとか抱いたことのない感情が沸き上がる。


 アルベルデは背中から叩きつけられた俺の腹を踏みつけて見下ろした。


「俺が何も考えず国を走り回ったと思うか?」


「ゴホッ!! クソッタレ……」


 今までさんさんと降り注ぐ日差しの中を走り抜けてきたというのに、それをおくびにも出さずに俺の身体能力を圧倒している。

 吸血鬼である以上、どれだけ強くても太陽の下では弱体化しているはずなのに。


 逆に言えば、俺には『太陽』の恩恵によって陽の弱体化はない。


 それだけのハンデをもってしても敵わない!!


「守りたいと口ばかりで、賢い訳でもない。お前のような愚か者、反吐が出る」


「……グッ!!」


「ちょっとまって、吸血鬼さん!! 私はどうなってもいいから、魔石は……」


「ああ、リリシア。それはダメだ。俺が求めているのはお前じゃない。渇きしらずの闘争なんだよ」


 そう言って、吸血鬼らしい牙を覗かせる。

 リリシアを抱きしめたまま、顔を近づかせて唇を奪おうとする。最初こそ抵抗したが、アルベルデと目を合わせると、彼女の目の色が失われた。


 ――いつだって、理不尽に全てを奪われる!!


 痛みと空虚な感情しか抱けないことに歯噛みする。圧倒的な強者の余裕を前に、お題目めいた感情さえ吠えることを許されずに一方的に蹂躙される。その片鱗が微かにでも俺にあったならばと考えずにはいられなかった。


「何してんの、アンタ」


 唐突に鋭く美しい声が響く。

 アルベルデが視線を向けると、慌てたような顔をしてリリシアを解放した。リリシアはいきなり腰を離されたことで驚き、かすかにふらついたが、すぐに気丈な顔をして立ち直す。


「フ、フラッシュ!! どうして君がここに!?」


 こちらに近づいてくる女は、残酷な美しさを振りまくような女だった。

 色気をにじませる銀色のロングヘア―は風になびいており、黒のタイトドレスからは豊満なスタイルが窺える。露出の激しい服でありながら、上品さの身を纏っている。


 細い目元は、アルベルデを睨みつけているせいで更に細い。


「衛兵から聞いたわよ。国外の吸血鬼と追いかけっこをしたんだって?」


「それには理由があってだな……」


「あなたね。ペティンシアとの小競り合いがあったばかりなのに、そんなことをしている場合なの!?」


「いや、あれは楽しくなかったし……」


「戦争に楽しいも楽しくないもあるもんですか!!」


 今の今まで冷徹で傲慢な王としてふるまっていたアルベルデだが、今の彼はまるでいたずらを叱られた子供のようでもある。


「そもそも、アナタはどうして人間を抱きかかえていたのかしら?」


 フラッシュの鋭い視線はリリシアに向けられた。

 険しい眼光を前に彼女は息を飲むが、毅然とした態度で立っている。未だに踏みつけられたまま動けないでいる俺とは大違いである。下等と見下していた人間の方がしっかりとした態度で立っているのを見ると、さらに惨めな気分が襲ってくる。


「お前には話しておかないとな。俺はこの人間を側室に迎えるつもりだ」


「へあ!?」


「……人間を側室? 本気ですか?」


「ああ、せっかくコイツとの勝負に勝ったんだ。このぐらいの報酬はあるべきだろう」


 一段と腹を強く踏まれる。

 思わず苦痛の声を漏らしそうになるが、必死にこらえてアルベルデを睨む。


「俺は……まだ負けてねぇぞ。認めねぇ」


 立ち上がろうと力を込めると、フラッシュから冷たい声が浴びせられた。


「アレは、誰がどう見てもあなたの負けです。完全な敗北ですよ」


「そんなもん、認められるかよ。俺はまだ……」


 アルベルデの足を掴んで立ち上がろうと体を起こす。

 その瞬間にフラッシュは自分の影から大槌を取り出すと、俺の肩へ思いきり叩きつけた。


 耳元でつんざく骨の折れる音。


 一泊遅れて激痛が走った。


「グッ!! ァァァアアア!!」


「まだ戦える。と言いたいつもりですか? それはアルベルデも同じですよ」


 砕かれた肩の骨は不自然な音をあげて再生する。

 徐々に痛みが引いて、ふと石畳を見てみれば、明らかに不自然で気味の悪い殴打痕。


 ――これだけの威力を軽く振り回しただけで!?


 しつこいようだが、普通の吸血鬼は日差しの下では弱体化している。

 その度合いには個体差があり、人間以下まで弱くなるものもいれば、一部の魔法が使えなくなる程度まで様々だ。

 だがすべてに共通して身体能力の低下は起きている。見たところフラッシュは日傘らしきものを持っているわけではないようだし、気だるげな表情を見ればかなり弱くなっていることが窺える。それでも吸血鬼の体を壊すほどの威力。


「どんな怪力だよ……」


「フラッシュ、やめておけ。今の愚者なら、俺の心を埋めてくれるかもしれないんだぞ?」


「ペティンシアとの戦争はどうするんですか?」


「あんなもん、休戦だ。なぁ、クーリア・ナール、一月後、もう一度戦わないか?」


 たしかに、シャルハートの力を借りて一か月修行すれば、かなりマシな強さになるだろう。魔導書が微かに蠢いて、その中から不気味で意地の悪い笑い声が聞こえた。その一月でよほどきつい修行をするつもりなのだろう。

 けれど、俺はその条件を受け入れなかった。


「うるせぇ、馬鹿が!! やるんだったら、一週間後だ」


 フラッシュが呆れたようにため息を吐く。

 それとは反対に、アルベルデの顔は少年のように輝いていた。

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