成り立たない理不尽な取引
ガシャリと鎧が擦れる音が鳴ると、俺の鳩尾に鋭い一撃が叩き込まれていた。
鈍く苦しい感覚に思わず腰を曲げて、魔石を取りこぼしてしまう。何をされたのか理解できないと考えていながらも、縋るように透明な結晶に手を伸ばす。
「悪いが、これは渡せない」
「ゴホッ!! な、何が目的だ!?」
「お前は、鬼ごっこという遊びを知っているか? 逃げる役と追う役に分かれて、追いかけっこをするだけの簡単な遊びだ」
ブランの魔石を手のひらで転がしながら、誰に向けるわけでもなく言う。
「鬼ごっこをしよう。鬼はお前だ。俺を捕まえたら魔石も返すし、リリシアも奪わない。逆に、俺が逃げきれたら、魔石は渡さないし、リリシアも俺の嫁にする」
「何言ってんだ? リリシアが欲しいのなら、くれてやる。別にその女に特別な思い入れはないし、魔石を返してくれるなら、喜んで差し出してやるよ」
アルベルデが告げた交換条件をもう一度引き合いに出すと、分かりやすく顔を歪ませる。それはまるでリリシアにも魔石にも興味が無いような表情。
「それじゃ意味がないんだよ。ダメだ」
聞き分けの無い子供のようなことを言い出すと、リリシアを抱えて走り出した。
唐突な出来事に驚いていると、彼女の悲鳴が、だんだんと遠のく。
「あの野郎……。せめて魔石は寄越せよ!!」
鎧の擦れる音と、リリシアが助けを求める声をたどって、ヴィクトレースを駆けだす。
レンガを綺麗に並べた道のあちこちに、抉ったような足跡が残されており、思いきり地面を蹴って走っていることが窺える。リリシアの悲鳴は、他の人間の声に混ざって聞こえなくなっているが、舗装された道路を吹き飛ばす爆発音と、鎧が擦れる甲高い音が耳に入ってくる。
「ああ、クソッタレ!! 俺はただブランの魔石さえ取り戻せればいいのに!!」
悪態をつきながら、ガシャガシャという独特な金属音を辿っていく。
ついに背中を捉えて、リリシアを横抱きしている鎧をみつけた。国の人間が不思議そうに走り抜ける鎧を見つめるが、追いかける俺の姿を見て、何かを納得したような表情を浮かべる。こういうようなくだらない勝負を見慣れているようだ。
「テメェ、俺からブランを奪うつもりなら許さねぇぞ……」
アルベルデを袋小路に追い込むと、背中からとびかかる。なぜか何もない裏路地で蹲る鎧の首根っこを掴むと、いやに軽い。
――がらんどう!?
バラバラに鎧が崩れたかと思うと、空想上の生き物である『鬼』を模した面を被った人形が倒れる。シャルハートが嘲笑うのを無視して辺りを見渡してみる。
「鎧が抱いてたのは人形……? だったらアルベルデとリリシアは!?」
空っぽのまま動いていた鎧とそれに抱かれた鬼面の人形に不気味さを感じていると、背後から大きな笑い声が聞こえる。
「クヒャハハ!! こんな単純な手に引っ掛かるなんて、ずいぶん愚かだなぁ?」
「アルベルデ……。俺はこんなくだらないことがしたいわけじゃない。最初の要求をきちんと叶えただろう。争いごとがしたいなら、他を当たってくれ。理知的な交渉で収めよう」
「ヒャハハ。じゃあお前は、この勝負がくだらねぇって言ってるのか?」
「ちがう。そういうことじゃない。俺たちには争う理由や意味がないって話だ」
「違わねぇだろ!! その理由とやらを考えられねぇからお前は『愚者』と呼ばれるんだよ」
煌めく緑色の短髪をかき上げる。
片腕に抱いたリリシアをもう一度抱え直すと、その場で跳躍して、5階建て以上あるような民家の屋根に飛び乗った。
「おいおい、嘘だろ!?」
「せいぜい足掻けよ愚か者。出来ることはたかが知れてるだろうけどなぁ!!」
お世辞にも走りやすいとは言えない屋根を伝って、去っていく。
直前でリリシアが手を伸ばしたのが見えて、若干怒りをにじませる。ああも不安そうな顔を見せつけられては寝覚めが悪くてかなわない。
「ああ、腹が立つ……。少しは俺の話を聞けよ!!」
腹の底が燃えるように熱くなる。けれど、まだ浅い。
確実に捕まえられるまで、この炎は温存しておくべきだ。だからと言って何も成さずに追いかけられるほど俺は強くないし、アルベルデは弱くない。
「祝福の象徴よ。愚者に神秘を与えろ」
影の中から魔導書を取り出すと、ページを開く。
青白い炎を腕に惑わせながら、ほんの少しだけ翼を広げて屋根へと飛び乗った。足場が不安定で、立っているのもやっとではあるが、視界が開けているため、アルベルデは追いやすい。
「炎が追いかけてきやがった!? クヒャヒャ、愚者の隠し事ってわけか」
青白い炎が退路を塞ぐようにアルベルデを追い詰める。
だが、それらを器用に躱していくと、ときおり、憐れむような目を向けてくる。シャルハートとは違って弱く愚かな俺を嘲笑うわけではなく、悲しむような表情を浮かべたのだ。
――なんで、テメェに同情されなきゃならねぇんだよ!!
頬が引きつり、歯が擦れて鈍い音が漏れた。
はらわたが煮えくり返るのを必死に抑えて、青い炎を操る。
魔導書から緋色の短剣を取り出して投げつけるが、足場が悪く、互いに激しく動いているせいで全く当たらない。アルベルデは、リリシアを盾にしようとは考えないようで、むしろ守るように抱えていた。その振る舞いに頬を染める彼女が忌々しい。
「さぁて、ほんの少しだけ、本気を出そうかね。前進」
一瞬止まったかと思うと、派手な破壊音が響いて民家の屋根が崩れる。
薄灰色の煙が立ち込めており、何が起きたのかと驚くと、リリシアを抱えたままのアルベルデが遠くの方を走っていた。
100m以上はあるだろうか。
単なる跳躍ではなく、複数回に分けての超遠距離移動。
所々の屋根が破壊されていて、まるで歩幅が大きくなったような錯覚を覚える。鎧を脱いでおり、太陽による弱体化があるにもかかわらず、ここまでの身体能力の差。
「チッ!! クソみたいな技を隠してたな……。俺を舐めてるのか!?」
勝手な2択を突き付ける理不尽。
意味のない勝負に付き合わされる不条理。
勝手に哀れまれ、勝手に手加減されていた。
「そんなふざけた話、認められるかよ。【アルベルデ・シャール】お前はクソ野郎だ!!」
膨れ上がった怒りを一気に爆発させる。
腕に纏っていた青白い炎が変色して赤黒く燃え盛る。
蛇のように荒れ狂う激情を解放すると、胸がスカッとした。
「ぶっ殺してやるよ!!」
最悪、強欲の能力で、魔石だけを奪えばいいとも考えていた。だが、もう許さないと決めた。アルベルデを殴り飛ばして、魔石もリリシアも取り返さないと気が済まない。
アルベルデを追いかけると、変色し勢いを増した炎を見て驚くが、すかさずもう一度足にエネルギーを溜める。だが、再び逃がすほど愚かではない。
とっさに進行方向を炎で遮ると、動きが止まった。
「なんだよ、このまがまがしい炎。まるで地獄か……」
「いーや。お前にはそれ以上の苦痛を味わってもらうぞ」
赤黒い炎をヤバいと感じ取ったのか、諦めたように足のエネルギーを解放する。『愚者』の憤怒を知っているリリシアが怯えたような顔を浮かべているが、あくまで脅して直撃させるつもりはない。リリシアはともかくアルベルデは多少怪我をさせるつもりだった。
「リリシア、口を開けるなよ。少し強引に突破する」
「どうやっても逃がさねぇよ!!」
暴れるリリシアを抑えつけると、拳を前に着きだして、不思議な構えをとる。
「火車、前進!!」
アルベルデの右肘が真っ赤に染まる。
小さな爆発が連続し巻き起こると、彼の右腕の肘から先が吹き飛んだ。
骨肉がはじけ飛ぶ音。衝撃により炎がかき消される。両手で顔の下半分を隠しているが、驚いているのが丸わかりである。自傷を伴う隠し玉にシャルハートさえ苦々しい顔をしていた。
「これは、俺の勝ちだろ」
最期に少年のような笑みを浮かべて、憤怒の炎を強引に突破する。信じられないものを見たリリシアは大きく口を開けて、わなわなと震わせていた。
そのまま屋根から飛び降りて着地すると、いつの間にか王宮の目の前まで着ていた。
あちこち走り回っているうちにヴィクトレースを一周したらしい。




