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貴方の美しい角(上)

上下同時投稿です


修正箇所あり。

素晴らしいご意見をいただき、違和感を諸々解消したつもり。

 螺旋の夢はうつつに移ろい、影さす森の大木を這い上る妖しい蔓草に宿る。



 私が束の間の夢から目覚めたのは、夏も遅い午後の事だった。昇角族(しょうかくぞく)との戦に敗れ、逃げるうちに仲間ともはぐれ。食糧も水もなく、鎧など元より無い。陣笠は破れ、申し訳程度の籠手脛当と胸当ても、へこみひしゃげて穴が開いている。


 悪運の強い私は、敗残兵でありながらかすり傷すら負っていない。他人の血が乾いてこびりついているが、別に手柄を立てた訳ではなかった。戦場(いくさば)に居たのだ。血飛沫を避けることなぞ不可能である。



 疲れた足を引き摺って辿り着いたのが、この深い森だった。海辺で育った私には珍しい植物ばかりで、こんな時なのにすっかり夢中で周囲の風景を楽しんでいた。

 時折村に訪ねてきた行商人から、猿や鹿など森に住む生き物達の話を聞いていた。そうした動物達が見られはしないか、と頭上に絡まり合う枝や複雑に立ち並ぶ木々の間を眺める。


 知っている植物は無く、木や草に生る果実も砂地で育つ植物とは違う。残念ながら水場も見つけられず、飢えと渇きをやり過ごすために樹下に腰を下ろす。うとうと微睡む夢の中、風景はぐるぐる回りながら下へ下へと導かれてゆく。



 底はなく、次第に狭くなる渦の幅を不快に思いながら、いつまでも下降していた。目の前がぼんやりと薄暗くなり、目をあげると、腰を下ろした大木が晩夏の空に枝を広げていた。


「おい親爺、しっかりしろい」


 粗野な中に優しさの滲む壮年男性の声に、夢幻の空から視線を降ろす。


「!」


 言葉にならない現実に思わず立ち上がる。腰を屈めて私の顔を覗き込んでいたのは、巻角族(かんかくぞく)の親爺であった。私と同じ年頃か。戦士ではない。むさ苦しいが穏やかな表情をしている。


 だが、鬼だ。

 人間ではない。



 鬼も多様であり、巻角族(かんかくぞく)は兎と薬草しか食べない事は解っている。食人の凶鬼、昇角族(しょうかくぞく)とは違う。しかし、そうではあっても、同じ鬼である昇角族(しょうかくぞく)を嫌悪したり、角無しの人間を護ったりすることはないのだ。


 親切そうな様子に騙されてはいけない。敗残兵など、すぐに昇角族(しょうかくぞく)へと突き出されてしまうだろう。


「脚は大丈夫なのか?随分と血塗れじゃないか」


 騙されてはいけない。いけないのだが。

 逃げることも出来ない。行く当ても無い。家族なんかもとよりいない。みんな鬼に喰われて死んだ。

 どうせ後は飢えて渇いて死ぬだけだったのだ。せめて死ぬ前に偽りであろうとも、優しさに身を委ねても良いかもしれない。


「俺んちは、すぐそこだ。着いて来い」


 促されて、着いて行く。空腹と渇きでふらふらしながら、なんとか落ち葉を踏んで親爺の背中を追う。ぱきりかさりと、足元で乾いた音が鳴る。今までだって同じ音を聞いていた筈なのだが、急にはっきりと耳に響いてきた。



「ほれ、座れ」


 程なく着いた掘っ立て小屋には、粗末な木の小卓と椅子が置かれていた。床などない。剥き出しの地面には、苔すら敷いていなかった。


 部屋の隅には石を並べただけの、焚き火とたいして変わらない炊事場があった。真上に煙抜き孔が開いている。一応は雨を防ぐように、紐で開閉出来る斜めの蓋がついているようだ。


 頭の両脇から美しく湾曲した巻き角を生やした親爺は、私が椅子に座るのを満足そうに見届ける。それから親爺は、幾つか並んだ大甕から、卓上に出しっぱなしの湯呑みに水を汲んでくれた。


 まるで、私が巻角族(かんかくぞく)の友人であるかのような扱いだ。


「ありがとう」

「礼なんかいいよ。嗄れた声しやがって。声出すのも辛えだろ」



 巻角族(かんかくぞく)は、その食事内容からも解るように、穏やかな種族だ。争いを好まず、森の奥で隠れるように暮らす。行商人から聞いた話だ。そんなの、噂に過ぎないだろう、どうせ鬼なぞみんな血を好むに違いない、と、その時には思っていた。


 豊かな漁場や肥沃な大地に、人は増える。必然的に、食人鬼にとって、そこは得難い狩り場となる。か弱い人間ではあるが、逃げるばかりでは終わらない。時には武器を手にして捕食者に立ち向かう。私達もそうだった。そして、敗れた。



「ほらよ」


 私が水を飲む間に、親爺は濡れた布と衣服を用意してくれた。前を打ち合わせて腰紐で留める、簡単な服装だ。他種族の衣服は難しいかと思ったが、何の事はない。私達が鎧の下に着る胴着と似た構造である。

 ただ少し長めで脛位まである。私達と違って下履きは無く、膝までの長い履物で脚を包んでいた。


(わり)いが靴は余計にゃねえんだ」

「あ、いや」

「こら、黙ってなって。喉裂けんぞ」


 私がじっと履物を観察していたので、親爺は気の毒そうに告げた。喉の心配までしてくれる。


「おい、どうした。どっか痛むか」


 濁声(だみごえ)の親爺が慌てたのは、私が涙を流したからだ。


 だってそうだろう?

 今まで血の海を我武者羅に漕いで、銛を振り回していたのだ。敗けて逃れて、屍の幻影から夢の森に彷徨い歩いていたのだ。

 突然に生身の優しさ、当たり前の心に触れられたなら、涙だって流そうというものさ。


 私は首を振って否定し、泣き笑いを親爺に見せた。もう角など気にならない。寧ろ美しくすら見えてきた。


黒髪冬炎本人主催 螺旋企画参加作品です


架空企画「底辺独り親爺のぼやき」に脳内で参加しております


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