偏った食生活は不健康のもとです。
ぽりぽり。
かりかりかりかり。
由愛はカリカリが好きだ。猫缶はもっと好きだし、ちゅーるはもっともっと好きだ。
「ふふ、由愛、美味しい?」
特に志帆がくれるご飯はとてもいい匂いがする。
だから由愛の答えは決まっている。
「美味しいにゃ!」
そう答えれば志帆が喜ぶから、それでいいと思っていた。
「……いや、おかしいよね?」
と、九石が言い出すまでは。
ここは薫風学園。忘れ人と呼ばれる、前世の記憶を残す人々が、通う学校である。前世の願いを忘れられない存在が、新しい人生を歩む道を見つける場所として、設立された。
高階 志帆は遊女として生きた苦しい前世を思い出したが、飼っていた猫である雉羽 由愛の存在も思い出した。志帆と共に生きるために生まれ変わってくれた由愛のお陰で、志帆は前に進む勇気を持てた。
明光院 雄哉は、高階家に仕える執事の家系だ。幼い頃から手品が得意で、志帆を喜ばせてきたが、前世の影響のようだ。学園に入学した頃から白い烏を連れているようになったが、それも前世の因縁らしい。そして特筆すべき点として、志帆に対しては何だかんだと世話焼きである。今回ついに、その世話焼き気質が由愛に及んだのである。
発端はこうである。
雄哉が自室でネットショッピングしていると、同室の九石 澄和がパソコンを後ろから覗き込んできた。
「猫缶?野良猫にでも餌をやってるのかい?」
「いや、由愛のヤツ、猫缶ばっか食ってるんすよ」
「え……?人間として猫缶はやばいと思うよ……?」
その時ようやく、雄哉は気付いた。由愛は人だ。猫ではない、と。本人が欲しがるし、志帆がためらいなく与えているから違和感を忘れていたのだ。
「最初は魚料理とかから食べさせればいいんじゃないかな?何かあれば僕も手伝うから、頑張ろうね」
その日から、雄哉のスパルタ式味覚改善事業が始まった。
「いいか!?前世がなんだろうと、今のお前は人間だ!猫の餌なんか食わないで人の飯を食え!」
「にゃあああ人のご飯は嫌にゃー!!」
「逃げるな!」
首根っこをつかまれて食卓に座らされる。今日のメニューはカキフライ定食だ。
「人のご飯の味なんて分からないにゃー!」
「それは味覚障害ってんだよ!いいか、人間の味蕾は10日で入れ替わる。新しい細胞を作るのに必要とされるのが亜鉛だ。亜鉛を十分摂っていないと、味蕾がなくなって味が分からなくなる。つまり、お前は亜鉛不足の可能性があるんだよ。牡蠣は亜鉛が多い食材だ。しっかり食え!」
「にゃあああ!しほー、ゆーやがいじめるにゃー!!」
「由愛、私も貴方と一緒のご飯が食べられたら嬉しいわ。ちょっとだけでいいから食べてみましょ?はい、あーん」
「ぅ、ううー……あー」
むぐむぐ。
「ぅゔ……ぐにょぐにょするにゃー」
「まぁ、牡蠣だしな」
「えらいわ、由愛。よく食べたわね」
志帆に撫でてもらって、由愛は目を細めた。志帆が褒めてくれるなら、少し頑張ってみてもいい。
ピピピ、と雄哉のスマホが鳴る。
表示された画面を見て、雄哉は真剣な表情になった。
「どうした、明光院?」
九石が問う。
雄哉はメールを2回読んで、閉じた。
「由愛について、調べてもらったんすけど。……やっぱ、味覚改善ぐらいしてやんねーと。協力してもらっていいですか、先輩」
もちろんいいよ、と九石は微笑んだ。
胚芽米のご飯。
高野豆腐と切干大根の味噌汁。
牡蠣と野菜のオイスターソテー。
かぼちゃのアーモンド和え。
タラバガニのトマトソースパスタ。
たっぷり野菜&アーモンドとプロセスチーズのサラダ。
レバニラ。
キムチ奴。
チーズ盛り合わせ。
ミックスナッツ。
たらこおにぎり。
男子寮の食堂で、猫屋敷 千世は目の前に並べられた料理の数々に、正直引いていた。
しかし、見下ろしてくる視線は、一つはキツく、一つは苦笑している。
「さぁ食え。亜鉛強化メニューだ。どれが旨いか判定しろ」
「まぁ……無理は、しないでね?」
さすがに作りすぎたよ、と九石は笑う。それはいい。
問題は、もう1人の方だ。
「なんでオレなんだよ!」
「由愛と同じでお前も前世猫だろ!味覚が近いはずだ!」
「オレは人間の食事メインで食ってるよ!」
「だからだよ!なんで由愛は猫缶ばっかり食うんだ!」
「知らねーよ!」
「いいから食って好きなもん挙げろ!由愛に食わす!」
「こんなに食えねぇって!」
「黙って食え!食わなきゃ沙羅に(ピー)して(ピーーー)するぞ!?」
雅樂代 沙羅は千世の前世の飼い主であると同時に、雄哉の彼女である。
「ご主人をダシにするな!」
「食 わ な い の か ?」
「た、食べますです!」
千世は半泣きになって箸を取った。
「明光院……彼女と仲良いのはいいけど、無理させたらダメだよ?」
笑っているのは、九石だけである。
こうして由愛の味覚改善が始まって半月ほどのこと。
女子寮の庭に面した席で、女子会が開かれていた。
テーブルの上には、ミントティーにさくらんぼのケーキが3人分。
主催者の如月 優奈がティーカップを傾けて、微笑む。
「寮の庭にミントがたくさん生えてたから、もらって来ちゃったの。いい香りでしょ?」
「うん。美味しいわ」
すぅ、と透るミントの香りに、志帆も微笑んだ。
ふんふん、とミントティーの香りを嗅いで、顔をしかめたのは由愛である。
「変な匂いがするにゃ」
「由愛!そういうこと言わないの!」
志帆は眉を吊り上げた。それに対して、優奈は微笑む。
「いいのよ、由愛ちゃんにはちょっと強い匂いだったね。前に桜フレーバーの紅茶の時も、同じこと言ってたし」
「ごめんね、優奈ちゃん。私はミントティー、好きよ」
むぅ、と由愛は頬を膨らませた。
ぷに、と優奈に頰を押され、ぷぅ、と空気が漏れる。
「にゃー!ゆうなー!」
「ふふ。由愛ちゃん、ケーキは食べないの?」
「〜〜〜!!食べるにゃ!」
あむ、とケーキを頬張る。クリームが美味しい、と思った。ミルクのような味が好きだ。
「!美味しいにゃ!」
「本当!?」
優奈と志帆が目を輝かせる。由愛がケーキを『美味しい』と言ったのは、これが初めてなのだ。
「志帆ちゃん、良かったね!」
「うん……うん!」
ちょっと涙ぐんでいる2人を、由愛は不思議そうに見つめた。
「由愛は、どうして猫缶が好きなの?」
一つのベッドにくっついて寝転がりながら、志帆は由愛に尋ねた。
「猫缶美味しいにゃ」
「うーん……」
ーーそういう意味じゃないんだけど。
志帆は由愛の髪を撫でた。入学した当時はゴワゴワだった髪が、随分とふかふかになった。まさに猫毛というやつだ。シャンプーとトリートメントを変えたおかげね、と内心で満足する。
「そうだ。学園に来る前、由愛はどんなお家にいたの?教えてちょうだい?」
由愛は顔をしかめた。
志帆の前では、滅多に見せない表情だ。
「由愛?どうしたの?」
由愛は志帆のルームウェアをつかんだ。そして、絞り出すように話し出した。
「由愛は……由愛は猫にゃ」
「前世は、でしょ。今は人よ」
「……今も、猫にゃ。猫語も分かるし、猫みたいなことが好きにゃ」
「それは、そうだけど」
「おとうさんとおかあさんは由愛がきらいにゃ。由愛は人間じゃないって言うにゃ。由愛は猫と一緒に育ったにゃ。猫の方が由愛に優しかったにゃ」
「そんな……由愛」
「学園に来てびっくりしたにゃ。みんな由愛を人として扱うにゃ」
「由愛……由愛!」
志帆は由愛を抱きしめた。
「ごめんね、辛かったわよね。私、あなたの猫っぽいところが好きだって思ってた」
「それはいいにゃ。由愛は猫にゃ」
「違うわ。あなたは人よ。私の大切な人。忘れないで」
由愛は志帆の胸に顔を埋めた。
「うん……」
その目尻から、涙が一筋、こぼれ落ちた。
「で、結局、雉羽ちゃんって何者なの?情報屋に調べさせたんだよね?」
九石の質問に、雄哉は苦々しく答えた。
「普通の人間ですよ。貧民街で生まれて、親に疎まれた。あの行動と口調じゃ、そうなるでしょうね。そして親代わりに、猫に育てられた。前世云々はともかくとして、食事は猫の餌を与えられてたそうです」
「……酷い話だね」
「全くです。……でも、高階の家としては好都合だ」
「え?」
「お嬢様がお気に召した娘を囲い込むのに、障害になるのは親です。子供に愛着がなくて、金で黙ってくれるなんて、お手軽過ぎるくらいだ」
九石はため息を吐いた。
「明光院って高階家のことになるとえげつないよねぇ」
「そう仕込まれたもんで」
雄哉は口元だけで笑った。
……end.