かなうまでは
志帆は眉根を寄せていた。
ーーおかしい。
放課後になっても、副校長室に由愛も雄哉も来ない。
ーー由愛。どこに行ったの?雄哉くんだって家にいた頃はずっと一緒だったのに。
仕方なく待つのを止めて、志帆は副校長室を出た。
ここは薫風学園。忘れ人と呼ばれる、前世の記憶を残す人々が、通う学校。前世の願いを忘れられない存在が、新しい人生を歩む道を見つける場所。
由愛も雄哉も、それぞれの道を見つけ始めていることに、志帆はまだ気付いていない。
白、黒、灰色、キジトラ、サバトラ、茶トラ、黒白、三毛、サビ、キジ白、サバ白、茶白。
校舎から離れた空き地の、倉庫に囲まれてほどよく物陰になった一角に、猫たちが集まっていた。
猫の集会である。
「んにゃー」
「にゃーん」
「ににに」
「みゃあ」
猫たちに混じって、座り込む人影が二つ。
「ねぇねぇ、なんて言ってるの?」
「今年の新入生のご飯くれる人リスト作ってるにゃ」
「わ。重要。ちゅーるくれる人もいるかなぁ」
「ちゅーるはまさかべとふゆめせんぱいがくれるにゃ」
座り込んでいる人影のうち一つは、雉羽 由愛。忘れ人や霊力のある人見ると、猫耳尻尾が生えている少女だ。
もう一つは、猫屋敷 千世。白い髪と黄色い猫目が特徴的な少年だ。
2人とも、前世が猫だ。飼い主のために、忘れ人となった。猫の性質が強く、猫の集会にもまぎれることができる。
「んにゃっ!」
唐突に由愛の尻尾がピンと立つ。続いて、遠くから由愛を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。
「由愛〜!」
「しほ!」
ぐるぐる、と喉を鳴らして由愛は志帆に駆け寄る。
「由愛!もう、こんなところでなにしてるのよ」
「集会にゃ!」
「集会?……ああ、猫ちゃんの」
猫の集団を見回して、志帆ははっとした。
ーー男の子。
志帆は男性恐怖症だ。前世で遊女だった記憶が、男性に近付くと思い出されるのだ。
思わず身をすくめた志帆に、由愛は抱きついた。
「大丈夫にゃ!千世も猫にゃ!」
「ね、猫……?」
「うん!ご主人を守るために人になった!」
「そ、そう、なの」
志帆は由愛を抱きしめた。前世で飼い猫だった由愛がいてくれるから、志帆は生きていける。
「そう思ってもらえて、ご主人も喜んでるでしょうね」
千世はしょんぼりとした。垂れた耳と尻尾が見えるようだ。
「ご主人……オレのこと覚えてない……」
「そっか……。大丈夫よ、必ず思い出すわ」
「そうかなぁ……」
「ええ。だって大切な猫のことだもの」
志帆は微笑んだ。それは間違いない。志帆だって由愛のために思い出したのだから。
「それより、そろそろ夕食の時間よ?寮に帰らなきゃ」
志帆は由愛の手を引いて、寮に向かった。その後ろを、千世は付いて行った。
寮の入り口ーー男子寮と女子寮の分岐点で、雄哉が女子生徒と話していた。明光院 雄哉。志帆の家に仕える執事の息子で、志帆とは兄妹のように育った。
おかしい、と志帆は思った。
「雄哉くん?」
「おう、お嬢様。今帰りか?」
志帆が声をかけると、雄哉は振り返った。
「うん。……そちらは?」
「同じクラスの雅樂代 沙羅だ」
「1年の高階 志帆です。よろしくお願いします」
「……よ、よろしく」
雄哉の肩に乗った白烏にパンの切れ端を与えていた少女が、どもりながら応えた。
やっぱりおかしい、と志帆は思った。
雄哉が女性と話していること自体は珍しくない。フェミニストでキザなところがある雄哉はむしろ女性と会話していることの方が多い。
しかし。
普通雄哉の付き合いは表面的で、自分の中には踏み込ませないのだ。わざわざ寮の入り口で立ち止まって挨拶以上の会話をすることはないだろうし、ましてや手品のパートナーに餌を与えさせるなんてしない。
じっ、と、雄哉と沙羅を見比べる。
「何だよ、不躾な」
「……ごめんなさい」
志帆は慌てて視線を逸らした。しかし。
「んにゃ?ゆーやとしゃらせんぱい、同じニオイだにゃ!」
由愛の一言で、全てが明かされてしまった。
雄哉は香水を付けている。
その匂いが、沙羅からする。
つまりはまぁ、そういうことで。
高校3年同士のカップル、ということだ。
「……由愛ァ!」
「にゃっにゃー!?何で怒るにゃー!?」
ぐりぐり、と雄哉に両手の拳で頭を締め付けられ、由愛は悲鳴を上げた。沙羅は真っ赤になって白烏を抱きしめた。志帆も赤くなってしまう。
そこでへたり、と座り込んだ少年が1人。
千世である。
「ご、ご主人……」
どうやら複雑な人間関係に巻き込まれたらしい、と志帆は悟った。
「それで」
カフェテリアに移動して、志帆は雄哉を見上げた。由愛と千世も一緒だ。沙羅は逃げた。
「いつから付き合ってたの?」
「……」
「ねぇ」
志帆の圧力に雄哉は屈した。隣で呑気に猫缶を食べている由愛が憎らしい。
「……去年の、文化祭の頃」
「どっちが告白したの?」
「……オレ」
「……意外」
「そうか?」
「雄哉くんが人を好きになるとか、ないじゃない」
「……お前、オレを何だと思ってるんだ」
「だって雄哉くんってば、いつも表面的で、何かに執着することってないじゃない」
雄哉は頭をかいた。
「……まぁ、確かにアイツに告ったのも、半分リップサービスだったけどよ」
「そんな適当な気持ちで付き合ってるのか!?」
立ち上がりかけた千世を雄哉はなだめた。
「最後まで聴け!……ああもう、分かった、最初から話せばいいんだろ。……去年の文化祭の余興に、妬々原先輩と一緒に花火を作ったんだよ」
「何でそんなことを……」
「妬々原先輩が実験したいって言うから、火薬合成するところからやってたら、炎色反応で遊びたくなった」
志帆はため息を吐いた。妬々原先輩とやらに会ったことはないが、雄哉の化学バカについていける時点で変人なのは間違いないだろう。
「雄哉くんってたまに馬鹿らしいことに本気になるわよね。それで?」
「……それで、部分的に燃えなかった破片が落ちたんだ。で、たまたま近くにいた沙羅が顔に火傷したんだ」
何で近くにいたんだろう、とか近付かせちゃダメじゃない、とか志帆は思った。しかし、志帆が口を開く前に千世が話していた。
「女の子の顔に怪我させるとか最低だろ」
「全く同じこと七五三先輩に言われたよ。『このケガのせいで沙羅が嫌われたらどーすんだ!?』ってな」
志帆は首を傾げた。
「それでどうして付き合うことになったのよ?」
「……あー。オレが、『オレが好きだから問題ない!!』って言った」
「ちょっと、そんなその場のノリみたいな感じで」
志帆は立ち上がった。雄哉も立ち上がって志帆を座らせる。
「だから最後まで聞けってば!そしたら、沙羅のヤツ、オレが言った瞬間耳まで真っ赤になって……そんなリアクション、されたこと、なかったし」
目をそらしながら顔を赤くして話す雄哉に、志帆も頬を染めた。人が人を好きになる瞬間なんて、聞いただけで胸が弾む。
「納得いかない」
今度こそ立ち上がった千世を、雄哉は見上げた。
「何でお前を納得させる必要があるんだよ」
「やだー!ご主人にせっかく会えたのに、なんでご主人の1番がオレじゃないんだよー!」
「ご主人?」
雄哉の疑問には、黙って聞いていた由愛が答えた。
「千世の前世は由愛と一緒で猫にゃ。ご主人がしゃらの前世にゃ。千世も由愛と同じで、ご主人のために生まれ変わったにゃ。だから、ゆーやは邪魔者にゃ」
そう言い放った由愛の目は、炯々と輝く獲物を見る目だ。
雄哉はちょっと引いた。
「……それって、お前にとってもオレが邪魔者ってことか?」
「しほが嫌がることしたらひっかくにゃ」
「しねぇよ!」
志帆は苦笑して、由愛を抱きしめた。
「大丈夫。私の1番は由愛よ」
「にゃーん♪」
いちゃつく女子2人を尻目に、男2人の視線が交わされた。
「……とにかく、沙羅はオレの彼女だからな」
「その前からオレのご主人だ」
「前世は終わった。今を見ろ。オマエは、ただの、他人」
「〜〜〜!絶対!仲良くなってやる!」
そう言い捨てて、千世は寮に帰っていった。
やれやれ、と言わんばかりに白烏が羽ばたきする。
「じゃあオレも戻るな。お休み、お嬢様」
「……お休み」
雄哉を見送る志帆の目が複雑な色をしているのに、由愛は気付いた。
「しほ、しゃらが嫌いにゃ?」
「えっ!?う、ううん、そんなことないけど……」
「ゆーやを取られるのが嫌にゃ?」
志帆は慌てて首を振った。
「取られる!?もともと私のものじゃないし!」
ふーん、と志帆を見る由愛の大きな瞳から、視線を外してしまう志帆だった。
翌日。
じっ、と3Aの教室を見る、2つの影があった。志帆と由愛である。
「Hallo! Herr明光院、先日の手品また見せて頂いてもいいかしら?今度こそタネを見破ってみせるわ……!」
背の高い金髪美女と雄哉が話している。
「Guten Morgen, Fräulein Becker.」
唐突に黄色いチューリップの花が雄哉の手に現れる。
「貴女のような美しい女性が僕の手品を望んでくれて光栄です」
「ふふ、美しいだなんて照れちゃうわね」
言葉とは裏腹に、ベッカーは優雅に差し出されたチューリップの花を受け取った。
「では、お好きなカードを一枚お取りください」
雄哉はトランプを広げた。
「ええ、じゃあ行くわよ」
ベッカーは真ん中のトランプを引き抜いた。
「ではカードを確認して下さい。おっと、僕には見せないで。では、カードをお好きな位置に戻して下さい」
ベッカーの手でトランプが山に戻されると、雄哉はそれをシャッフルした。
そして、トランプの山を二つに分け、上の山の1番下のカードを見せる。
「……貴女の引いたカードは、これですね?」
ベッカーは口元を隠してくすくす笑った。
「…ええ、あってる!凄い、凄いわ、本当に。よく見る類のものなのに全っ然見抜けないもの!ふふ、素晴らしいものね」
雄哉は気取った仕草で一礼した。
ーーそうよ。これよ。
志帆は小さくうなずいた。
こういう、キザで、表面的な付き合い方をするのが、志帆のイメージする雄哉だ。好きとか嫌いとか、明確な感情を表に出すことはほとんどない。
ベッカーが去った所で、雄哉は教室の扉ーー志帆達の方へ、やってきた。そこに、沙羅が現れる。
沙羅は顔を真っ赤にして、雄哉のシャツの手首を握った。
「陰キャにも構え……バカ」
ドサ。
外から何か大きいものが落ちる音がして、教室中の視線が窓に集まった。
窓から外を見下ろした雄哉は、教室横の木から落ちたらしく、下の花壇で花を押し潰している千世を見つけた。
「何やってんだ、あいつ」
「見張りだー!」
千世が叫ぶ。
「ご主人泣かしたらただじゃすまねーからな!」
「そもそも泣かさねぇよ、バーカ」
雄哉はひらひらと手を振ってみせた。
志帆と由愛は顔を見合わせた。これは、割って入るだけ野暮だ。
「明光院くん」
「九石先輩」
「新しい手品を思い付いたんだ。ちょっと試してみないかい?」
「お、いいっすね」
九石は特別学年の生徒で、雄哉と同じく手品を得意とする。雄哉とは手品を切磋琢磨し合う仲だ。
千世はそんな事は知らないが、雄哉が教室を出てくれるのはありがたいことだった。
「ご主人ー!!」
笑顔全開で、沙羅に跳びつこうと、した。
「いやぁぁぁぁ陽キャぁぁぁぁぁ!!」
沙羅は逃げた。
前世は寄っていったら優しく撫でてくれたのに。いつだって一緒にいて、お風呂だって入れてくれたのに。
千世はへたへたと座り込んだ。
だが、負けるわけにはいかない。
ーー明光院だって陽キャじゃないか!
千世は覚悟を決めて、その日突撃を繰り返した。
その度に沙羅は逃げた。
そして、夕暮れ。九石と手品を思い切り楽しんだ雄哉が戻ってきた時も、千世は沙羅に突撃していた。
逃げようとした沙羅の視界に、雄哉が入る。
「雄哉!」
沙羅は雄哉に跳びついた。
「沙羅!?どうした!?」
「ゔ〜っ!なんか変な陽キャに粘着されてるの〜!!」
「変な陽キャぁ?」
雄哉が視線を沙羅から外すと、そこにいた千世と視線が合った。千世は絶望的な顔をしていた。
「千世のことか?」
「名前なんか知らないよぉ」
「白髪で、猫目の」
「そいつぅ!なんなのよ、もうやだぁ」
流石の雄哉も、へたり込む千世がだんだん可哀想に見えてきた。
「そいつ、前世の知り合いだってよ」
「前世ぇ?」
「知りたきゃ自分で思い出せ。お前自身の事だからな。……とりあえず、オレが言えるのは、ソイツはお前に害は与えないって事だ」
「そんなこと、知らないわよ!怖かったんだからね!えぅ……えぅぅ」
「泣くな泣くな!大丈夫だ、なんかあったとしてもオレがいるだろ!」
「うぁーん!」
余計雄哉にしがみついた沙羅を、雄哉は笑って抱え上げた。
千世はそんな2人を見ていることしかできなかった。
「……で、誰?」
真っ赤に泣きはらした目を擦りながら、沙羅は聞いた。こちらも泣きそうに千世が答える。
「猫屋敷 千世。前世、あんたの猫」
「前世、かぁ……あたし、思い出してないんだよね」
「オレ、あんたを守りたくて、人になった」
「……そっか。ごめん、覚えてなくて」
千世は首を振った。
「思い出さなくても、いい。ご主人が幸せなら、オレ、それでいい」
「千世……」
「そっか。きっと、前世のあたしは幸せだったんだね」
「え?」
「そんなに、ペットから愛されてて、不幸せなわけないでしょ?」
沙羅は微笑んだ。沙羅らしくない、とても綺麗な笑顔だった。千世が前世の沙羅の姿を思い出す程に。
「ご、ご主人〜!!」
「跳びつくのはやめて!」
沙羅は雄哉の後ろに隠れた。
雄哉は苦笑した。
「ま、2人とも。これからゆっくり仲良くなればいい。そうだろ?」
千世は喜んで、沙羅はためらいがちに、うなずいた。
...end.