表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

新しい友達

「由愛!由愛!」

 その朝、志帆は由愛の部屋を訪れた。志帆がかつての記憶を取り戻してから、毎日繰り返される出来事だ。だが、今日はいつも以上に足取りが軽い。

「しほ!ご機嫌だにゃ?」

 志帆の機嫌が良ければ由愛も楽しくなる。ピンと立った尻尾がその証拠だ。由愛は猫耳猫尻尾の少女だ。その耳と尻尾は霊感のある人間にしか見えないが、ここ薫風学園は特殊な学校だ。全校生徒、教職員に見えているのだろう。

 薫風学園。忘れ人と呼ばれる、前世の記憶を残す人々が、通う学校。前世の願いを忘れられない存在が、新しい人生を歩む道を見つける場所。絶海の孤島に佇む小さな島に、彼らは集められていた。

 由愛と志帆も、忘れ人だ。由愛については、『人』と言ってしまうのも躊躇われる。志帆の前世は遊女、由愛の前世はその飼い猫だ。これは、前世で築いた絆をもう一度組み立てる二人と、その学友たちの物語。




 ころころ。

 からから。

 由愛は授業の声も聞かずに、『新しいおもちゃ』で遊んでいた。丸いわっかにきらきら光る石のついたそれは、今朝志帆がくれたものだ。ころころ転がるそれは、由愛の猫の本能を刺激する。右手と左手の間で転がすことに、由愛は夢中になっていた。

 それを横目で見つめる少年が一人。

 ーーあれは、『本物』の。

 少年、(にのまえ) 霧夜(きりや)は息を呑んでいた。

 プラチナの台座に、小さいとはいえサファイアとトパーズが一つずつ。高校生が持つには高価すぎる指輪だし、ましてや転がして遊ぶものではない。

 ーーいいなぁ。

 霧夜は軽く唇を突き出した。

 ーー女の子は、ああいうものが持てて。

 薄くネイルした指先を見つめる。可愛くしてる僕と、元から女の子。どっちがかわいいんだろう。

 指輪を転がしている少女を観察する。

 雉色の髪の毛は、濃い色の髪と薄い色の髪が混じって鮮やかだが、短く揃えられている。同じ色のタートルネックに、スキニーパンツ。少年とも見間違えそうな外見だ。

 それを確認して、霧夜は満足する。

 ーーん、僕の方が可愛い。

 そう決めて、霧夜は授業中に漂う睡魔に身を任せた。




「ちょっと霧夜!」

 鋭い少女の声に、霧夜は叩き起こされた。

「ん〜〜、何だよ凪紗ぁ〜」

 ゆるゆると顔を上げると、クラス違いのはずの幼なじみが、両手を組んで立っていた。

「あんたまたおばさんからのLINE返してないでしょ!心配だってあたしのところに連絡きたのよ!」

「んん〜〜?」

 そう言えば、LINE来てたかも。でも今は、スマホを取り出すのもめんどくさい。

「眠い〜後で〜」

「ちょっと!今すぐやりなさいよ!あんたいっつもそう言って忘れるじゃない!」

 勝手にバッグからスマホを取り出されて、突き付けられる。所持品の位置まで把握している、恐るべきは幼なじみだ。

 ようやくスマホをいじり始めた霧夜にため息をついて、凪紗はふと視線を逸らした。

 霧夜の隣の席が空いている。休み時間、どこに行っても自由だが、その机の上に。

 指輪、が。

「あ……」

 本物の、宝石の。

 ぐらり、と視界が揺れる。

 何かを思い出しそうになる。

 私ではない、誰かの思い。

 思い。おもい。思い。オモイ。重い。重い。重い。

 自分と誰かが混ざり合って、自分が自分ではなくなっていく。そんな感覚。

 目眩がする。何かにすがりたくて、その指輪に手を伸ばした。

「あれぇ〜凪紗〜〜?」

 しゃがみ込んだ凪紗を、霧夜は不思議そうに見下ろした。




 ーー最悪。

 保健室のベッドで横になりながら、凪紗は内心で悪態を吐いた。

 気分が悪くなったことも、授業に出られないことも。

 ーーあんな指輪一つで。

 ーー指輪。

 ーー指輪。

 ーー……探さなくちゃ。

 ーー私の大切な、大切な、本物の指輪を。

「……違うっ!」

 凪紗は飛び起きた。

 ーー今のは『私』じゃない。

 『私』の中にいる『誰か』。その人が、私を侵食する。喩えようもない恐怖。紅茶にミルクが混ざってミルクティーになったら、もう二度とブラックティーには戻せない。そんな恐怖。

「嫌よ……!」

 頭をかきむしる。

 ーー『私』は、『私』だ。

「あの……」

 自分の中と闘っていた凪紗は、外部から聞こえた声は天啓のようだった。

 急速に、『私』の中で『誰か』が霞み、『私』が『私』になっていく。

「……何?」

 振り向くと、保健室のカーテンを遠慮がちに開けながら、見慣れない黒髪の少女が立っていた。

「指輪、持ってませんか?」

 指輪。

 少女が発した言葉に、キィンと頭痛が響く。

「指輪?」

 自然と不機嫌になる声に、少女は少し後退りした。

 凪紗は立ち上がろうと、布団をめくった。

「あ……!」

 少女の顔が輝く。

 布団の間で、あのサファイアとトパーズの指輪がきらめいていた。

「あ、ご、ごめんなさい!」

 教室で気分が悪くなった時、うっかり握ってしまったのだ。凪紗は慌てて立ち上がって、頭を下げた。こんな高価なものを、まるで盗んだように。

「ううん……見つかれば、いいの」

 少女はにこりと微笑んで、指輪を取った。

「私は高階 志帆(たかしな しほ )。1-Bよ。……仲良くしてくれると、嬉しいな」

 正直なところ凪紗には、本物の指輪を盗まれかけて仲良くしよう、だなんて言ってくる人物を理解できなかった。

「……四月一日(わたぬき) 凪紗(なぎさ)。同じく1-B。……まぁ、よろしく」

「同じクラスなのね」

 義理で答えた台詞に、志帆は嬉しそうに微笑んだ。




「あ、凪紗〜大丈夫〜?」

 保健室から出た凪紗は、まっすぐ1-Aの教室に向かった。のほほんとした霧夜に腹が立つ。それはいつものことなので無視して、霧夜の隣の席を見る。そこは相変わらず無人だった。

「ねぇ、霧夜」

「ん〜?」

「あんたの隣の席の子、誰?」

「え〜?」

 霧夜はかわいらしく首を傾げた。

「まだ名前覚えてな〜い」

「バカなの?」

 そんなことを言われてえへへ〜と笑っていられる幼なじみにさらにイライラが増す。名前聞いた自分がバカだった。コイツは外見聞いた方が早い。

「その子黒髪?」

「違うよ〜。雉みたいな髪の色だよ〜」

「……そう」

 なら、あの高階とか言う子は何?同じクラスとか言ってたけど、クラスで見たことがない。

 凪紗は眉をしかめた。

「凪紗〜、シワになるよ〜」

「霧夜、うるさい」

 ーーそもそも霧夜の隣の席の子はどこにいるの?

 不快感ばかりが増していく。

 そんな凪紗の頭に響く音で、予鈴が鳴った。




 授業が終わり、寮の夕食も終わった、夜更け。

 凪紗は寮を抜け出して、海辺に来ていた。学園しかないこの孤島では、歩いていれば海辺に着くのだ。

 凪紗は海が嫌いだ。どうしてだか、海を見ると不快な気分になる。

 だが今は、その不快さが心地よかった。

 今日湧き出たごちゃごちゃした感情が、不快さに塗りつぶされて逆に安心する。

 ーー大丈夫、『私』は『私』。

 凪紗は深呼吸した。

 ふと遠くから、歌声が聞こえた。


「Jack the Ripper 切り裂きジャック

 獲物を探して 霧の夜

 見つけた(エモノ)は逃さない

 切り裂き(ハラワタ)覗かせる


 Báthory Erzsébet 血の伯爵夫人(カウンテス)

 少女の血を浴び 霧の夜

 見つけた(エモノ)は逃さない

 より美しい『私』の為に!」


 夜の月に、白刃がきらめいた。

 少女の悲鳴が響く。

 しゃがみ込んだ少女に、包丁を握った人物が襲いかかっている。その人物に、凪紗は見覚えがあってーー

「霧夜!?」

 凪紗は叫んだ。

 霧夜は踊るように包丁を振り回し、振り下ろすーー

「守るッ!」

 木刀一閃、霧夜の手から包丁がはじき飛ばされた。

「後輩を守る!襲ってる方だって後輩だし守るッ!」

 確か、3年の先輩だったろうか。凛とした少女が、木刀を構えて霧夜の前に立ち塞がっていた。

「……あ……」

 凪紗はへたりそうになる脚を無理やり動かして、3人に駆け寄った。近付いて初めて、凪紗は座り込んでいる少女が保健室で会った志帆だと言うことに気づいた。だが今はそれどころではない。

「霧夜!霧夜!なにしてんのよ!?」

「うふふ……」

 霧夜は、唇をねじ曲げるようにして笑った。普段の霧夜なら、絶対にしない笑い方だ。


「Jack the Ripper 切り裂きジャック

 獲物を探して 霧の夜

 見つけた(エモノ)は逃さない

 切り裂き(ハラワタ)覗かせる


 Báthory Erzsébet 血の伯爵夫人(カウンテス)

 少女の血を浴び 霧の夜

 見つけた(エモノ)は逃さない

 より美しい『私』の為に!」


 先輩に取り押さえられながらも、霧夜は歌っていた。

 先生たちが駆けつけて来ても、霧夜は奇妙に顔を歪ませたままだった。




 保健室でベッドに座らされていても、霧夜はまだぶつぶつと何か呟いていた。

東洋風(オリエンタル)磁器人形(ビスクドール)みたいだったのよ……黒い髪、白い肌……うふふ……」

 その横で、凪紗は手を握りしめていた。

 背後のカーテンの向こうで、先生たちが話している声が途切れ途切れに聞こえて来た。

「……一と高階に……前世で……」

「いや、一は……。高階は日本……関係ないはず……」

 ーー前世なんて。

 そんなもの、関係ない。と思った。

 凪紗は凪紗で、霧夜は霧夜だ。誰が何て言おうと、それは揺るがない。揺らいではいけない。

 唇を噛む。

 ーーそう。私は私だ。前世がなんだって、関係無い。

 ーー霧夜だってそう。

「いい加減にしなさいよ、このバカー!!」

 思い切り怒鳴って、手を振り上げた。

 霧夜の頬を思い切り打つ。いい音が響いた。

「あんたは一霧夜!他の誰でもないでしょうが!!」

 霧夜の目が凪紗を見上げる。

 音に驚いたらしい先生たちと、反対側のベッドにいたらしい志帆が、カーテンを開けて茫然と二人を眺めていた。

 虚ろだった霧夜の目に光が戻る。

「凪、沙?」

「……霧夜?」

 霧夜がぱちくりと瞬きする。

「あれぇ〜どしたの、凪紗〜?」

 のほほんとした声に、涙が溢れてくる。

「霧夜、霧夜ぁー!!」

 凪紗は霧夜に飛びついた。

 受け止めた霧夜の体は暖かくて、間違いなく霧夜だった。




「推測でしかないけど、前世の記憶に触れたんだろうね」

 凪紗の担任の玉ヶ瀬が、穏やかに言った。

「一君の前世で関わりのあった誰かが、高階さんに似ていた。四月一日さんの前世で関わりのあった何かが、雉羽さんの指輪に似ていた。そんなことで混乱してしまうのが、我々『忘れ人』なんだ」

 凪紗は顔をしかめた。

「冗談じゃないわ。今まで、こんな事なかったのに」

 霧夜が体を竦める。

「凪紗こわ〜い」

「ふざけないで!あんたが当事者じゃないの!」

「まぁまぁ」

 玉ヶ瀬が苦笑する。

「四月一日さん、落ち着いて。ここはそんな事があるから作られた場所だし、私たちもいる。大丈夫、私たちは君たち生徒を守る為にいるんだから」

「なぎさっ!」

 雉色の髪の少女が飛び込んでくる。猫の尻尾が背後で揺れている。その首元には、サファイアとトパーズの指輪を付けたチョーカーが光っている。

「あ、隣の席の子〜」

「えっ、だ、誰!?」

雉羽(きじば) 由愛(ゆあ)だにゃ!しほがごめんなさいって言ってたにゃ!」

「え?」

「昔のことを思い出すのはつらいよねって!でもなぎさがかっこよかったから、友達になりたいって!」

「えっえっ!?」

「よろしくにゃ!」

 勝手に手を握られてぶんぶん振られる。

「かっこよかったって……そんな」

「指輪も由愛のはチョーカーにしたにゃ!……それでも、ダメかにゃ?」

 じっと見上げる猫目に、しょんぼりと垂れた猫尻尾。

 ーーあたしが動物好きなの、分かってやってる!?

 隣で霧夜がくすくす笑う。

「凪紗、お友達ゲットだね〜。凪紗ツンツンしてるから、友達になってほしいって言われるなんてレアだよ〜」

「うるっさいわね!」

 ーー友達になろうだなんてことを友達に言わせて、自分で言ってこないヤツなんて。

 そう思ったけど、細く開いたドアの向こうに佇む影を見ると、なんだかドキドキして。

 ーーちょっとくらいなら。仲良くしてやってもいいかもしれない。

 と思った。




 end.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ