第4話 ギルド職員。
案内されたのは、とても広く、所々に焦げた跡や濡れた跡のある整地された場所だった。
一角には仕切りの壁がありその奥は長椅子が設えてある。おそらくは訓練場、だろう。あの会場で魔法など使用すれば会場に設えられた高価そうな備品など壊してしまう恐れもあったし、問題となったのは辺境伯家の娘。
ギルドとしてもこれ以上の問題をあの場で起こすわけにいかなかったというのが正しいのかもしれない。
「申し訳ありません。ここは魔法士ギルドの訓練場なのですが、あの場での魔法の行使ともなりますと問題になる恐れがありましたので、関係者の方にこちらへお越し頂いた次第です」
あまりにも申し訳なさそうにそう言ったのはハーシィー達をここへ案内したギルド職員の男―――案内の途中でギルドマスターのネルフェと名乗った―――だった。
すらりとした体躯に、魔法士ギルドの職員が羽織っているローブを纏い、魔法使いに良く見られる軽装。髪は紫を帯びた黒。両耳を覆うように髪を伸ばして束ねており、後ろの髪は長く腰のあたりで結わえている。
先程の顔を青くしていた印象からかまさか魔法士ギルドのギルドマスター、つまりはここのトップだったとは思わず、ハーシィーはつい「まぁ」と声に出してしまい、ネルフェは苦笑していた。
「今の驚きの声は何に対してなのか詳しくは聞きませんが…ええとですね、この行事は各魔法士ギルドの長が行う事と決まっていまして、まだまだギルド職員としては若輩者であるのに、長に任命されてしまった私に任されているのです。それにこう見えて私、生まれて百は数えていますので」
「えっ?!」
ネルフェの言葉に、ハーシィーは驚きの声を上げてしまった。
ふふ、と笑うネルフェの顔は柔らかく、艶めかしい。先程までのおどおどとした態度は消え去り、そちらの方がつくりものだったのだろう。今の顔の方が自然に見える。
というよりも、ハーシィーを見て、どこか楽しげな雰囲気を隠そうともしていない。
「ネルフェ、あまり儂の可愛い孫を苛めんでくれよ」
そんなネルフェの態度に、はぁ、と呆れた息を吐き出しそう告げたのはハーシィーの祖父であるイジェットだった。
イジェットは今でこそ己の息子、つまりはハーシィーの父であるダンに領地の事を任せてほぼ隠居している身だが未だ身体の衰え知らずで、威厳もあり、立ち居振る舞いも洗練され、騎士団の尊敬の的となっており、もちろんハーシィーもそんなイジェットを尊敬しているし大好きである。
ハーシィーの前では好々爺だが、家族以外にはビシッとした態度を崩す事が無いイジェット。
そんなイジェットに今の様な呆れ声を上げさせるなどハーシィーは信じられない思いで二人を見やった。
「苛めるなんて、とんでもない!むしろ苛められていたのは私の方だろう?イジェット。辺境伯家に脅されるギルドマスターなんて、他の貴族連中からしたら格好の餌、いや、ネタかな?になってしまうよ!」
「何を言っとる。お主そんなタマではないだろう。まぁ…あのおどおどした態度など、まあまあの演技ではあったな」
「君がそう言ってくれるという事は、私は良い動きをしたのだね?」
時折笑い声も混じる気さくなやり取りに、ハーシィーは困惑を隠せずにいた。そんなハーシィーを見かねてか。祖母のハシェリナが助け船を出してくれる。
「ごめんなさいね、ハーシィー。驚いたでしょう?この街のギルドマスターであるネルフェとイジェットと私はね、所謂幼馴染なの。ネルフェとイジェットは昔からあんな感じなのですよ」
ふんわりと微笑むハシェリナは、ハーシィーに「それとね」と囁いた。
「ネルフェが百を数えているというのは本当なのよ。彼はハーフエルフだから」
「ハーフエルフ、ですか?!」
驚きのあまり大声を出してしまったハーシィーは咄嗟に口元を両手で押さえた。
ふふふ、と笑って補足してくれたのは話題にされた当人であるネルフェだ。
「父がエルフで母が人でして。耳もエルフの様にそこまで尖ってはいないので解りづらいのですがね」
そう言いハーシィーに見やすい様に屈んで髪をかきあげたネルフェ。確かに耳が尖っているが、エルフの特徴とも言える程の耳の形ではないから見ようによっては人で通せるだろう。
エルフもだが、獣人やドワーフといった者達は亜人と呼ばれひとくくりに分類されている。
この世界で亜人達は迫害の対象であり、人の世では生きにくい。
人は人以外を認めず見下し、奴隷として扱っていたのである。人よりも下の、劣る種族として。
近年、それぞれの領によっては亜人も正当に評価される様になってきはしたがそれはほんの少し。
特に貴族にはまだ根強くその風潮が残っている。
人が亜人を嫌悪し蔑視したように、亜人も自分達を迫害する人という種族を嫌悪した。
しかしもちろんすべての者がそうではない。
違う種同士ながらも愛を育み、子を成す事ももちろんあった。子は宝だ。
だが、その周囲の者達が黙っていない。同族と人との混血など認められない、認めたくないという感情が働き、忌み嫌われ、混血児の扱いは酷いものになるというのはよく聞く話だ。
いや、酷い、だなんてそんな簡単な言葉で表して良いのか躊躇われる程。
家を追われ、村を追われ、最悪殺される事だってある。
「あ、あの…私、驚いていたとはいえ、大声で、その、ハーフエルフと言ってしまい、申し訳ありません」
今はリングドット家の人々とネルフェしかおらず他に誰もいないから良かったものの。
もしここに他に人がいて、しかもそれが亜人を蔑視する様な人間だったら。
謝ってすむ問題ではなかった所だ。
ネルフェは百を数えているという。その生きている間にどれだけの事があったのか。今微笑んでいる姿からは想像もつかない。
「……貴方は、優しい方ですね」
ぽすん、とネルフェはハーシィーの頭へ手を置いて目線を合わせる様にしゃがんだ。
「私は、とても恵まれています。父も母も、その周囲の人々も私を愛してくれましたし、腐れ縁とも言うべき友人もいます。頼りにしている部下も出来ましたし、趣味の魔法研究も出来る」
にかり、と子供の様に笑った顔は本当にそう思っているのだろう。翳りはない。
つられてハーシィーも微笑んだ。
しかしながら、やはりネルフェは魔法士ギルドのギルドマスター。次いできらりと瞳が輝いた様に見えたのは気のせいではなかった。
「そして、今日!私はさらなる探求の基に出会った!才が無いはずなのに、すでに魔法が使えるという君に。見せて欲しい。その魔法を。今ここには誰もいない、存分に、さあ!」
すらすらと流れる様に一息に、まるで演劇の台詞の様に滑らかに話すネルフェに、ハーシィーは一歩後ずさった。
怖い。これに尽きる。
「あ、申し訳ない…。魔法の事となるとつい我を忘れてしまいまして……」
ハーシィーの怯え様に気付いたネルフェが冷静になってそう告げた。
それにハーシィーもハッとする。あからさまに怯える態度を見せる等、弱みを握ってくれと言っているものだと思ったのだ。
いや、それは貴族間での事ではあるのだが。
しかし怯えるのは如何なものか。
「い、いえ、私の方こそ……」
だからこそ、ネルフェにそう告げる。先程のハーフエルフと言ってしまった事もそうだが、自身に非があると思うのならば謝罪は必要だ。
ネルフェは「それこそ気にしないで欲しい」と微笑む。
その顔に安堵を浮かべ、ふぅ、と息を吐き出したハーシィーはぐっと手を握った。
「では、見て下さいますか?」