第10話 今生の専属護衛との関係。
あの話し合いから数週間。
ハーシィーは今日、初めてのネルフェの授業を受けに、ネルフェの指定した場所へと護衛として騎士を一人連れて向かっていた。
隣を歩くその護衛からは隠す事のない怒気が漂っている。
本来であれば、護衛である騎士がそんな態度を隠す事もなく歩くというのは主人が、この場合はハーシィーが叱責せねばならないだろう。
貴族というモノは味方であれば頼もしいが敵対関係にあれば容赦がない。誰かに見られれば家の醜聞として噂を流されても仕方がない。
だがハーシィーはそれをしないでいる。
こんなにも感情的に、隠さずに自分に接してくれるその護衛の騎士の事を、ハーシィーは好ましく感じていたのだ。
護衛の名はイジス=レジスタ。
十歳の時にバートナー公爵領の小さな田舎町からこのリングドット辺境伯領に連れて来られ騎士見習いとなり、めきめき頭角を現しイジェットとダンの目にとまって正式な騎士となり、他の騎士よりはハーシィーと年が近く優秀という事で十三歳という若さながらハーシィーの専属護衛となった男である。
髪は黒に溶け込んだ赤で肩よりは短く整えられ、まだ幼さは残るものの顔立ちは中性的。目も髪と似た様な色…いや、目の方が赤が強調されている。同い年の者と比較して背は高く、すらりとした体格ではあるが、騎士として鍛錬を欠かしていない身体は筋肉が無駄なく綺麗についていて繰り出される剣戟は流麗で鋭い。
先輩の騎士達からも、筋が良く動きが良いと褒められている。
実家は薬師を生業としていて、薬草の知識もそうだが、文字の読み書き算術と騎士見習いとして入ってきた時から修めているのも評価が高い。
そんなイジスは未来であった過去においても、ハーシィーの専属護衛を務めていた。
ただしその時には会話は挨拶程度で、こんなにも感情を露わにする姿などハーシィーは見た事がなかったのだが。
仲間の騎士達からも戦闘と勤勉な部分においてイジスは優秀という評価だった。
人柄は、というと。
細かな事にも気付ける心配りの達人で真面目だが寡黙。喋るのは必要最低限で挨拶や返事のみの簡潔なもの。
騎士としての勤務態度はとても良い。しかし寡黙という言葉は悪く言えば無口という事で。
社交的でなく、それ故に『つまらない男だ』というのが大半で、騎士も含めて唯一親交があったのがキリルだった。どうして仲良くなったのかハーシィーは知らない。
そう、未来であった過去ではイジスとの関わりが希薄だったといえる。
いや、イジスだけではない。
あの時は自分から世界を閉ざし閉じこもり、出会った王子に惚れ王子の事ばかりを気にかけていた。今にして思えば狭い世界しか知らなかった事が悔まれてならない。
だからこそハーシィーは積極的に他者と関わりを持とうとしていて、その違いが色々な所に表れている。
隣でハーシィーがそう思っている事など知る由もなく、イジスの怒りは治まらない様だ。
「まったく!どういうつもりかしら。徒歩で来いなんて、普通ありえないでしょう?!」
信じられないわ!と、とうとう堪え切れなくなったのか言葉にするイジス。
寡黙だと言われていたあの時が信じられない。
ついついハーシィーは笑みを零す。
何の事はない。実の所は、この話し方を気にしていて話す事を忌避していたという。
ハーシィーがイジスに積極的に話しかけるようになって、イジスがついぽろりと「そうなのよね」と零してしまった所から、いろいろ話を聴けたのだ。
イジスの暮らしていた場所はバートナー公爵領のとある村で、周りは女性ばかりの環境で育ったという。
そんなに大きくはない村なので、村全体が家族の様に連帯感を持つ事も珍しくはない。
生活は貧しくはないが、働き手である男達は出稼ぎに近くの大きな街に出たり、村の護りや家業、畑仕事に勢を出し、食いぶちを稼ぐ。女は家業を手伝ったり縫物や掃除洗濯、料理もこなすなどをして日々を過ごしていた。
持ちつ持たれつ、という形で子育ても行われ、イジスはそんな村の中で久しぶりに生まれた男の子だった。
朝昼晩と、大人達は仕事で子供の面倒はなかなか見れない。
しかしながら大人を手伝うにはまだまだ幼い村の子供達…とは言っても歳の離れた少女達が率先してイジスの面倒を見たのだという。
自然とイジスはそんな少女達と共に過ごし。
両親が気付いた時にはこの話し方で、矯正する事も出来なかったのだとか。
「治そうと思っても、自然とこの話し方になってしまうのよね…。男なのにこの話し方でしょう?舐められては大変だ、と両親が見かねて身体を鍛える為に稽古をつけてくれたり、将来の為にと読み書き算術や薬草の知識を教えてくれて、感謝はしているの」
少女達が貴族の子供に憧れを持ち、お茶会ごっこなんてして遊んでいて、その中にいたイジスもその話し方が当たり前になってしまっていた時には遅かったのだ。
幼少の頃の口癖はなかなか治りづらいものがある。
それを矯正する意味もあり、強い男に育つようにと、バートナー公爵領内でなく、亜魔森に近い為訓練も厳しく行われる事で有名なリングドット辺境伯領へ連れてこられたのだとか。
元々イジスの両親は父親が流れの薬師で母親は冒険者。村に落ち着くまでは色々な場所を旅してきた様で二人ともそこそこに強く、そんな二人に稽古をつけられたイジスだからなのか、それはもう入隊してメキメキと頭角を現した。
そんな時にイジェットとダンの目にとまり、見習いから正式な騎士として採用。
その頃からハーシィーの護衛も他の騎士達と共に務めてくれていたのだが、正式に専属護衛として決まり今に至る。
「この話し方だもの。どうしたって周りの目がね。だから今まで話すのは簡潔に、を心がけていたわ。話す事自体が慣れないからどうしてもたどたどしくなってしまって…。もちろん、領主様方にはこの話し方の事は伝えているのよ?お嬢様を護衛するにあたって良いのかも尋ねたわ。でも、『それは個性で気にする事はない、むしろそんなくだらない事を気にする者は我が騎士団には不要』とまでおっしゃって下さって」
感謝してもしきれないのよ。とイジスは言う。
そんな経緯をハーシィーに語った事で、イジスも吹っ切れたのか、素の喋り方で話し始めたのだ。
幼い頃の事も含めて仲間の騎士達に話すと「お前も大変だったんだなぁ…」と何事もなく受け入れられたのである。
イジスだけでなく他の騎士達も自分の過去の失敗談や経験談を語り、その日から騎士達の連帯感は高まったのだとか。それにより錬度が上がり、騎士団全体がさらに強化されたのは亜魔森に隣接するこの地にあってとても良い出来事だった。
そんな事を思い返しながらハーシィーはイジスへと苦笑しながらも声をかける。
「そう怒らないで、イジス。ネルフェ様……いえ、師事するのですから、先生ね。わざわざ徒歩で…と確かに書いてはあったけれど、先生の指示された場所は屋敷からも近いし、何より護衛として貴方がいるのですもの。私は大丈夫」
イジスが怒るのも解らない事はないのだ。
普通は貴族が徒歩で移動する事などありえないとされる。徒歩で移動するなど恥ずべき事だと考えている者もいるくらいで、馬車すら用意する事ができないのか、と。
安全面を考えるなら例え近くの場所であっても、もちろん馬車での移動が正しい事で利に適ってはいるのだが。
ただネルフェの指示した場所はリングドット家の屋敷からも近い場所だったし、何よりダンもイジェットもネルフェのこの指示に対して文句は言っていなかった。
ハーシィーも告げたが、イジスが護衛として来る事もあり、ハーシィー自身に不安はない。
今着ている服装も、辺境伯令嬢としてのものではなく、ちょっと裕福な商家の娘が着る様な動きやすい膝下丈の簡素な薄紫のワンピース。対してイジスも護衛としてきっちりした鎧ではなく、商家の使用人の様な白のシャツに黒のズボンでラフな格好である。護身用としてもちろん帯剣はしているが。
それに一応ここはリエッタの街の貴族の屋敷が立ち並ぶ場所だ。
巡回の騎士もいるし、そうそう危険な事は起こらないだろう。
「そう言って頂けるのは騎士として誉れですわ。けれどお嬢様、やはりリングドット家の令嬢としては馬車を使わず徒歩で外出するなどあまり褒められる事では……」
しかしながらやはりイジスとしてはハーシィーの専属護衛という立場から苦言を呈する。
リングドット家の誉れ高き騎士。主を危険に晒さず護る為に、主を諌める。
ここまで思ってくれる事をハーシィーは嬉しく思った。
イジスの心遣いは本当に有難い。
「解っています。もちろん、常であれば馬車を使うわ。気遣ってくれて有難うイジス」
「いえ、リングドット家の騎士として…お嬢様の専属護衛として当たり前の事です」
こうして話をしながら歩いていれば、屋敷から近く、ともあってもう目的地であろう門が見えてきていた。
ハーシィーはふぅ、と息を吐く。これは近くというよりも。
「よくよく考えてみれば、この立地ですもの。近くというより、お隣なのよね」
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