第9話 彼女にとって兄の様な人。
ネルフェに師事する事が決まって数日が経った。
あの後でネルフェとイジェットとダンと、ハシェリナやクミシィももちろん参加して、ハーシィーが師事するにあたって必要な事を話し合い、契約書を作成した。
やはり辺境伯という立場もあり、日にちや時間、魔法を扱え教える場所や必要な経費など一応は細かく書類として残しておいた方が良いという考えだ。
そういった細かい部分を決め終えてから、改めてハーシィー…というよりはリングドット家に対してネルフェは謝罪をしたのである。
これには皆困惑していた。
一体何に対しての謝罪なのか、と。
ネルフェが語るには、やはりどうしても最初に計測された水晶の『才なし』という記載は消せないと言う。
リングドット領での触れから、今日この日までネルフェはネルフェで色々と魔法士ギルドへ働きかけをしていたのだ。
しかし。
水晶による才のあるなしの判定は覆されるかもしれないという事象があるらしい旨が持ち込まれた、これについて意見を求む、と王都の魔法士ギルドへ探る様に連絡を入れたが結果は芳しくないと。
それは魔法士ギルド創設以来水晶が虚偽の判定をする事などありえないと言う意見がある事と、人種が作りだした水晶が計測できなかったものが亜人種の水晶で計測出来たなどと公表出来るわけがないという理由で。
魔法士ギルドは魔法の研鑚に精を出し種族の違いよりはより高みを目指す者達が集まり意見交換を交わす実力主義の面があるのだが…。
「悲しいかな、人種よりも優れているものなどいない、そう考えている者が中にはいてね…これ以上話を進めようとすると、どうにも怪しい雰囲気となるものだから」
ネルフェの話にリングドット家の皆がそういった者達がいる事は理解している為、文句など出ず、それよりもネルフェの身の安全の方を心配していた。
もちろんハーシィーだって。
ネルフェ自身はあっさりと「王都のギルドでふんぞり返っている金の力でモノをいわせた輩になんて、それに雇われたモノにも私はタダでやられたりはしないから大丈夫だよ」なんて言い放ってはいたが。
けれどもやはり、才があるのに才がないなどとされてしまったハーシィーに気遣ってか「申し訳ない」と口にしていた。
ハーシィーも才がないとされた事に思う事がないとは言わない。出来るならきちんと才はあるのだと記録に残しておいてもらいたいのも事実だ。
でも、ハーシィーが実際に魔法が使用できる事を知っている、理解してくれている人たちがいる。あの時とは全く違いハーシィーの世界は開いている。
それにハーシィーの為にネルフェが危ない目に合う事は到底許せない。
だからハーシィーは「大丈夫です」と言葉にした。その言葉の意味をくみ取ってくれたのか、ネルフェからその後その話題が出る事はなかった。
そうして少々雑談してその日は解散となったのだった。
そして今日。
ハーシィーは父であるダンに呼ばれ、ダンの仕事部屋でもある執務室へとやってきていた。
ここは普段ハーシィー達が暮らしている屋敷から渡り廊下で繋がっている離れにある。仕事でやってくる来客はこちらの離れに通されるようになっていて、仕事とプライベートは完全に切り離しており、だからこそこの離れに来るのはハーシィーも数回程度しかない。
「一体お父様は何の用かしら。貴方は聞いている?フェルド」
ハーシィーはそう思いながら案内をしてくれた執事長を務めるフェルドに声をかけた。イジェットの筆頭執事を兼ねるフェルドは、ハーシィーから見て初老に差し掛かっているだろうか、金糸の髪に白髪が混じっているがすらりとした長身の偉丈夫で見目も良く目元の皺すらも彼の魅力を引き立たせている上に人当たりも良い男だ。ハーシィーの質問にもにこやかな…いや少しばかり眉を寄せ困った顔をして応えてくれる。
「申し訳ありません、お嬢様。私はその答えをお伝えできないのです」
それでハーシィーは理解した。フェルドは答えを、ハーシィーが何故呼ばれたのかを知ってはいるが口止めされている事を。フェルドがいるという事はイジェットもいるのだろう。
フェルドはイジェットの筆頭執事。執事長でもあるフェルドがこうしてダンの執務室へと案内役をしている場合はその場にはイジェットがいるはず。
未来であった過去においてここへと呼ばれた時にも、同じ様にフェルドが来て、ここへ案内され同じ様に尋ねて、答えも同じだった事があるのだ。その時もダンとイジェットがいて、王子の婚約者候補に選ばれたのだと伝えられた事を思い出したハーシィーには少々苦い思い出ではある。
「そうなのですね…」
だからハーシィーは苦笑いでそう返すに留めた。
そして執務室へ到着しフェルドが扉をノックすると中から入室の許可が下り、扉が開けられる。
フェルドに促されて部屋に入り見渡せば、そこにいたのは執務机に座るダンと、その前に設えられた来客用のソファに座るイジェットと、もう一人。
そのもう一人を視界に収めて、ハーシィーは内心戸惑いを隠せなかった。
心境としては、どうして忘れていたのだろうというのに尽きる。
その人は部屋に入室したハーシィーを見て立ち上がった。
ハーシィーはその人を、知っている。
未来であった過去においても出会っているのだから。
彼の名は、キリルという。
目が悪いのだろう割と厚みのある眼鏡をかけていて、身なりは良いのだが、眼鏡にかかる前髪が彼の印象を落としてしまっているのは否めない。実は眼鏡を外すと垂れ目がちの整った顔立ちをしているという事を知っているハーシィーとしてはもったいないと思っている。
そんなキリルと会ったのも三歳頃だったかとハーシィーは思い返していた。
あの時はこの執務室でなく、ハーシィーの部屋での対面だったのだが。
才なしとされ、悪意に晒され、心を閉ざすかのように部屋に閉じこもり外界を拒絶していたハーシィー。
両親祖父母共に心配をかけて、せめて話せる相手を、と宛がわれたのがキリルだった。キリルは根気よくハーシィーに話しかけて、ハーシィーはそんなキリルをいつの間にか兄の様に慕う様になったのだ。読み書き算術もキリルから教わり、良く出来たねと褒められた事を思い出す。
キリルから話してくれた事があるのだが、兄弟がいて、お家騒動の様なものでリングドット家に預けられているのだとか。弟とは会った事がなく、兄とは何度か顔をあわせていて仲が良いのだとも。
『あの日』はその兄に会いに、バートナー公爵領へ行くとハーシィーは手紙のやり取りをして知っていた。キリルと仲の良い、ハーシィーの護衛を務めている男が休暇をとるのが被るという事もあり、途中までは一緒の旅になると手紙には書かれていて。
もう今では確かめる術などないのだが、未来である過去があのまま続いているのだとするのなら無事でいてくれれば良いとハーシィーは願わずにいられない。
そんな風に思い返していたハーシィーだったが、ダンに話しかけられて何時の間にか俯きつつあった顔を上げた。
「ハーシィー、今後、ハーシィーの勉学を見てもらう事になった、キリル君だ」
ぺこりと礼儀正しくお辞儀をしたキリルにハーシィーは懐かしくなる。
「彼はちょっと訳ありで我が家に預けられていて、歳は十。この歳で読み書き算術もこなし、将来は王都の学園の教職に就く事もできるのではと、今から成長が楽しみな逸材なんだが、まだ採用試験を受けられる歳ではなく、しかしその才能を置いておくのはもったいない、と父上と話して、ハーシィーの勉強をみてもらう事にしたんだ」
ダンもイジェットもキリルの学園入学は当たり前の態で話を進めているが、一応学園に入学する為にはその年十二歳となる事と、入学試験に合格しなければならない。
さらに言えば学園の教職に就くにはこれも試験を受けねばならず、受験資格は最低でも学園の卒業だ。現在のキリルの年齢は十。学園の入学には後二年ほどだろうか。
当時もハーシィーは教え方も上手くやる気を引き出してくれたキリルに「教える仕事があっていると思います!」と告げた事もあった。お家騒動で他家に預けられるのは珍しい事ではないのだが、その境遇に遠慮がちだったキリルはハーシィーと関わって「自分にも何か出来る事がある、変えられると解って、誇らしく思う」とまで言ってくれたのだ。
もちろんキリルは十二歳で学園に首席で合格し、毎年の試験も一位となり、卒業後は学園の教師となった事をハーシィーは知っている。
手紙のやり取りは欠かさず、キリルが休みの日にはリングドット家の屋敷に帰ってきて王都の話を聞かせてくれたり、勉強を見てくれたりもしたのだ。
出会いの場は変わったが、キリル自体は何ら変わっていない事に、ハーシィーは微笑みカーテシーをきめた。
「まぁ…初めましてキリル様。私はハーシィー=リングドットと申します。お会い出来て光栄ですわ。私の勉強を見て下さるとの事。宜しくお願い致します」
にっこりとほほ笑みを向けたハーシィーにキリルはあわあわと慌ててしかしその場でビシッと身体を直立とし背筋を正す。緊張のしすぎなのか、手はまっすぐ床に向いていて、足も揃えて不動の状態だ。
「あ、あの…初めまして、ハーシィー様。私はキリルと言います。訳あってリングドット家に預かりの身で恐縮なのですが精一杯努めさせて頂きます………」
段々尻すぼみに言葉がか細くなっていく。
そんなに緊張せずとも、とハーシィーは口を開いた。
「キリル様、そんなに緊張されずとも大丈夫ですわ。ここにはお父様とお爺様。それにフェルドしかおりませんもの」
「は、はい…あの、では、その…私の事はどうぞキリル、と。あまり堅苦しいのも苦手なのです」
意を決したように口を開きそう告げたキリルにハーシィーは頬笑みを深めた。
「わかりましたわ。では…キリル兄様、とお呼びしても?」
「にいさまっ?!」
慌てた様子のキリルにハーシィーは首を傾げる。
「だって、年上の男の方で、我が家に滞在されていらっしゃいますし、私の勉強を見て下さるのですから、呼び捨てにするよりも親しみを込めたいと思いまして」
いけませんか?と尋ねれば、キリルは顔を赤く染めて「……い、いいよ」と答えが返ってくる。
そんなハーシィーとキリルのやり取りをダンとイジェットは微笑ましく眺めているのだが。当の二人はその柔らかなまなざしには気付かない。
「あと、私の事はハーシィー、と。私の方こそ教えを受ける身なのですから」
ふふ、と微笑んだハーシィーを見て、キリルは困惑を隠せずダンへ、イジェットへ、フェルドへも顔を向けて最後にハーシィーに顔を戻す。
そしてぽつりと誰にも聞かれる事のない、か細く消え入りそうな声量でぽつりと呟いた。
「私が教える事なんてあるんだろうか……?」
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