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堅物騎士団長とトゥシューズ  作者: 采火
第二幕

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歌劇のカブリオール

 数日ぶりに劇場にやって来た美嘉は、仲直りをしたナディアを連れて舞台裏を覗いた。

 開幕直前の今の時間、舞台はとても慌ただしい。

 現に見慣れない美嘉とナディアを目に止めても訝しげな目を向けるだけで誰も声をかけてこない。

 美嘉はこれ幸いと舞台裏を歩き回り、目的の人物を見つけると声をかけた。


「ジュリーさん」

「なに、今忙し……」


 化粧を終えたジュリーが簡素なワンピースで振り向く。これから舞台衣裳に着替えるのか、化粧台のすぐ側には幾つもの舞台衣裳がトルソーに着せられていた。


「誰? 関係者以外は立ち入り禁止よ」

「私、レシェの友達の美嘉です。レシェが今、ただならない用事で舞台にこれないのを伝えに来たんですが、座長さんはどこか知りませんか?」

「レシェ?」


 美嘉がジュリーに用向きを伝えると、ジュリーは真っ赤な口紅に彩られた唇を三日月型につり上げた。


「貴女、レシェがどこにいるのか知ってるの?」

「直接は知らないのですが、でも座長さんにお話ししておくべきかと思いまして」

「そう。それなら、そうねぇ……私も忙しいし、探す時間もないから後で伝えておいてあげる」

「駄目です」


 美嘉はきっぱりと断る。


「騎士団が動いています」


 美嘉の言葉にジュリーの眉がぴくりと動く。

 それからゆっくりと首を傾けた。


「まぁ、騎士団が? レシェったらいったいどんな事件に巻き込まれたのよ」


 白々しい言葉にナディアが顔をしかめた。

 美嘉はさすが役者だと感心する。

 だが今はその役者の皮を引き剥がしたい。

 美嘉は淡々と言葉を告げる。


「レシェは最近、あなたからの嫌がらせに悩んでました。今回の事件の直前……昨日も誰かに追われてた。あれも、あなたの嫌がらせじゃないの?」

「……随分な言い様ねぇ」


 ジュリーは美嘉とナディアの目があるにも関わらず、簡素なワンピースのボタンをはずしてすとんと下に落とした。

 下着姿になったジュリーはトルソーの前でその肢体を隠すことなく艶やかに笑う。


「貴女、世間知らずなお嬢様でしょう。人間はね、蹴落として上に這い上がっていかなきゃ気が済まない生き物なのよ。強くて美しいものが生き残って当然。そのために自分より上の奴をあの手この手で引きずりおろして何が悪いというの?」


 ギラギラと獲物を追い詰めるような威圧的な目で美嘉へと歩み寄り、ジュリーは美嘉の顎へと指を滑らせた。


「馬に蹴られたくなければ余計な手出しは無用よ、子猫ちゃん」


 美嘉はまっすぐとジュリーを見返す。

 ジュリーは美嘉のその様子を怖じ気づいたのかととったのか、くすくすと笑いながらトルソーから舞台衣裳を手にとって身に付ける。

 その身に付ける様子を見ながら、美嘉はゆっくりとジュリーに語りだした。


「そうやって自分の技術を磨くことから逃げて、あなたは胸を張って舞台に立てるの?」

「はぁ?」


 ジュリーが舞台用のワンピースを身につけて、首元のスカーフを結ぶ。


「私は私の努力があってその技術を手に入れた。それ以下でもそれ以上でもない。技術は努力をした分だけ身に付くものだと思う。だから私に嫌がらせをしたあの子の嫉妬が分からなかった」


 美嘉はナディアに預けていた箱を受けとる。

 蓋を開けると、大事に仕舞われたトゥシューズが上品に鎮座していた。


「私の大切な靴に細工をされて、舞台の上で失敗して、初めて他人に目を向けた。でもレシェは違う。あなたに向き合おうとしています」


 トゥシューズのリボンをするりと引っ張る。くるくると指で弄びながら、ジュリーを見据えた。


「あなたはレシェに嫉妬する前に話をするべきだと思う。手遅れになる前に」

「貴女、なんなの。分かったような口を聞いて。貴女に何が分かるのよ」

「私も舞台に上がっていたから分かるよ。だからレシェの気持ちはよく分かる。だけどあなた達の気持ちがわからないの。どうして嫉妬して、引きずり落とすことしか考えられないの? どうして一緒に切磋琢磨しようと思わないの? あの子が大切な舞台で私の靴に細工をしたのは何故?」


 美嘉の言葉に、ジュリーは表情を消した。


「切磋琢磨? 何を言ってるの? 貴女の事は知らないけど、その子も同じじゃない? そんな事したって乗り越えられない壁はあるのよ。だから壁を壊すしかないじゃない」

「越えられないなら超えるための努力をするんでしょう?」

「詭弁ね。それは挫折したこともない天才の言葉よ」


 忌々しそうにジュリーが美嘉を見る。

 すっかり舞台に上がる「花嫁」に扮したジュリーの眼光は鋭かった。


「本当に貴女なんなの? そんな詭弁だらけの天才様のお言葉、うざいだけなんだけど」

「どうしても、レシェと仲直りはできないんですか?」

「はん、仲直りねぇ……」


 馬鹿にしたように美嘉を見下していたジュリーが、ふと思いついたようにその妖艶な笑みを張り付けた。


「貴女、舞台で失敗したのよね? それから舞台に上がった?」

「ない、ですけど……」

「だったらそうねぇ。貴女が舞台で完璧に自分の役を演じきったら、嫌がらせはやめてあげる。どんな嫌がらせをしても、天才様には堪えないんだったらやるだけ無駄だもの。それってレシェにも言えるでしょう? なんたって貴女はレシェの気持ちが分かるんだからねぇ」

「……」


 美嘉の体が震える。

 でも、ここで引けないと思った。

 根本的な解決にならずとも、これがレシェの助けになるのなら。

 バレエ以外に何もなかった自分。

 でもそのバレエでジュリーを納得させられるのなら。……きっと、あの日自分を蹴落とした彼女に対して、けじめをつけられる。

 何者でも構わないと肯定してくれた騎士の顔が、脳裏をかすめる。


 ───何者でも構わないのなら、美嘉はやっぱりバレリーナでいたい。その上で、彼の腕に捕らわれていたい。


 美嘉はジュリーをしかと見据える。

 その瞳に揺らぎはない。


「いいよ。私、舞台に立ちます」


 宣言した美嘉に、ジュリーは不敵に笑って見せた。



 ◇



 誘拐事件の後始末を軽く終えたロイクがレシェを送るために劇団グリシーヌを訪れたとき、劇団の裏方が皆困惑したような雰囲気を醸し出していた。

 不思議に思ったレシェが近くの団員に声をかける。


「どうしたの? 何かあった?」

「レシェ! あなたどこに行っていたのよ! 今、ちょうどあなたが戻るまでの繋ぎにミカって子が幕間に立ってるのよ」

「どういう事だ」


 レシェの問いに答えていた小道具担当の女性にロイクが詰め寄る。


「何故、ミカが舞台に立っている」

「えぇっ? ちょ、なんでこんなところに騎士団長っ?」

「落ち着いて、とにかくなんでそんな事に───」


 困惑するレシェ、詰め寄るロイク、恐縮する小道具担当の女性、三人でごたごたとしていると、それを笑う声が小道具担当の女性の背後から響く。


「私との賭けよ、レシェ」

「ジュリー?」


 声の方を振り向けば、ジュリーが「花嫁」の衣装をまとって、そこに立っていた。


「どういう事だ」

「これはこれは栄光ありしロテワデム王国騎士団の団長様。お目にかかれて光栄ですわ」

「挨拶はいい。賭けとは何だ」


 妖艶に微笑むジュリーを、バッサリとロイクが切り捨てる。

 ジュリーは一瞬目を細めたが、すぐに笑みを作って答えた。


「礼儀も知らぬ子猫にちょっとした躾ですわ。突然押し掛けてきてずけずけと私とレシェの関係に口出ししてきて……聞けばあの子も舞台に立つ人間だそうじゃないですか。丁度よかったのでレシェが戻るまでの間、舞台に立ってもらうことにしたのです。あの子が完璧に舞台に立てたのなら、私はこれまでの事をレシェに謝罪するってね」


 涼やかに答えたジュリーをロイクが冷めた目で睨み付ける。


「ミカを巻き込むな」

「心外にございます。首を突っ込んできたのはあの子の方です」


 美嘉やレシェとそう大して年の変わらないジュリーが、大人でも畏縮するロイクの視線を受けて堂々と立つ。その芯の強さは、美嘉やレシェ以上のものだ。

 ジュリーの語気が強くなる。


「私は生半可な気持ちで舞台になんて立っていない。挫折を前にして八つ当たりして何が悪いの。それを私が何も努力をしてない愚図のように見下して……あの子こそ私みたいな顔だけの人間の事なんて分からないでしょうよ。この顔を活かすための肌の手入れや健康に気をつかって、その上で常人程度しかなかった演技力に磨きをかけることに時間を費やしてきた私の気持ちが!」


 叫ぶように声を荒げたジュリーはロイクから視線を外すと、憎々しげにレシェを見た。


「そうでしょレシェ? 舞台に立った癖に歌以外満足にできないのに私から主役を奪った貴女もそうでしょう? 暢気に歌だけ歌っていれば良いと思ってる貴女が心底憎かったわ。歌と舞台を混ぜ合わせた座長の発想は素晴らしいけど、だからって私を主役から外す? 歌が下手なら練習させてくれればいいのに、その機会すら与えられず、脚本が貴女中心で描かれるこの妬ましさを理解できる!?」


 今にもレシェに掴みかかろうとしたジュリーが、すんでのところでその腕をとられる。

 誰だとジュリーが睨み付けると、そこにはジュリーの初恋の人がいた。


「ジュリー、綺麗な君に醜い嫉妬は似合わないですよ」

「レフェ……?」


 麦穂色の髪をした長身の男が、外套の下から顔を覗かせた。

 レシェの兄であり、ジュリーと同じ孤児院出身のレフェは、ジュリーの腕をそっと掴んで抱き寄せる。

 こんなところにレフェがいるとは思っていなかったジュリーは驚きのあまりに声も出ず、抵抗もできずされるがままになる。


「レフェ? なんでここに? 旅に出たんじゃ」

「旅に出た後、この王都で腰を落ち着けたんです。今は旅の間に見聞した歌や詩を、とある貴族の後見の元、王都で広めているんですよ」


 レフェがあやすようにジュリーの背中を優しく撫でる。

 レフェは自分の見聞を広めようと、孤児院を出る年になったときに旅に出た。置いていかれたレシェとジュリーが劇団グリシーヌに引き抜かれるより、さらに二年も前の話だ。

 そして色々あった末に、吟遊詩人として王都で……というより、貴族の茶会などで一目おかれている人物である。


「風の噂では聞いていました。今回、後見の方が後学のためにと私にもあなた達の舞台の席を用意してくれたんです。ですが、舞台を見てあなた達がすれ違っていることがすぐにわかりました。あれほど好んでいた異界渡りの花嫁の物語の解釈が、あんなにも乖離していたんですから」


 不安に思ったレフェは、時間の許す限り影からこっそりと二人の様子を見守っていた。

 そうしてジュリーが妹のレシェにつらく当たっている現状、そしてジュリーが伸び悩む自分の才能に苦悩していることに気がついた。

 エスカレートする嫌がらせにこのままでは引き返せないところまでいってしまうのではないかと、声をかけるタイミングを計っていたところ、ジュリーを女神だと崇拝している男がジュリーに詰め寄っているのを目撃した。半ば強引にジュリーからレシェが邪魔者だという言質を取った男の存在に危惧し、慎重に事を運び、波風立たないように事態を収拾しようとしていたら、運が良いのか悪いのか、王国騎士団が動員されてしまった。

 自称ジュリーのファンという破落戸曰く「女神様の憂いは俺が断つ」らしい。そのせいで今回の騒動が一層大きくなってしまった。


「ジュリー、頑張り屋のあなたは素敵ですが、根を詰めすぎてはいけないと別れ際に言ったのに忘れてしまったんですか」

「そ、れは」

「頑張るのに疲れたらちゃんと休む。いつも教えていたでしょう」


 とんとんとレフェにあやされて、ジュリーの瞳が揺れる。

 ぐっとレフェの服を掴む手に力が入る。


「……そんなこと、今さら言われたって……なんでもっと早く会いに来てくれなかったのよ……」

「すみません。今のあなた達に変にうちの後見が声をかけて余計に拗らせたくなかったんですよ。後見にはレシェとジュリーの事は内緒にしていたんです」


 だからレフェは顔も声もできるだけ隠して暗躍していたのだ。

 蓋を開ければなんとも人騒がせな騒動を実際にひっかき回していたのはレフェであるのだが、丸く収まりそうなこの雰囲気では誰もその事を指摘しない。


「……レフェに見抜かれるなんて恥ずかしいわ。こんなみっともない姿、知られたくなかった……」

「それだけレシェが真面目に舞台に立っていた証ですよ。だけどその嫉妬心は人にぶつけるものではなく、ジュリーの中で昇華するべきものだっただけです」

「そんなこと言われたって……遅すぎるわよ、レフェ。私がどれだけレシェに酷いことをしたと思ってるの」


 ジュリーがレフェの胸を押して、今にも泣きそうな顔でレシェを見る。


「貴女だってそうでしょ。散々酷いことを言ったし、嫌がらせだってした。私たち、昔のようにはなれないでしょう」

「あたしは……ジュリーさえ良ければ、昔みたいに戻りたいって思ってる」


 困ったように笑ったレシェに、ジュリーが唖然とした表情になる。


「は……? レシェ、馬鹿なの? 私、貴女に散々酷いことしたって言ってるじゃない」

「あたしが馬鹿なら、ジュリーも馬鹿でしょ。気にくわないなら昔みたいに堂々とあたしに文句言えば良かったのに」


 そう言ったレシェに、ジュリーが何も言えずに口をはくはくさせていると、さらにレシェは言い募る。


「ごめんねジュリー。ジュリーの目から見たら、あたしって全然足りないことだらけだったんでしょ? 私も頑張ってはいるんだけど……これからももっと頑張るよ」


 朗らかに笑って手を差しのべたレシェに、ジュリーがたじろぐ。

 そんなジュリーの背中をレフェが押した。

 ジュリーがたたらを踏みながらレシェの方へ倒れ込み、レシェがあわててジュリーを抱き止める。


「ちょっと兄さん! 危ないじゃない!」

「あはは、うん、よし。これで喧嘩両成敗ですね」


 レシェがレフェの暴挙に眦をつり上げると、レフェがほんわりと笑い、さらにつられるようにして憑き物が落ちたように綺麗にジュリーが笑った。

 なんだなんだと遠巻きに見ていた劇団の裏方の人間も大団円を迎えられたと和やかな雰囲気になる。

 そこかしこで穏やかな空気が流れ始めたが、だがしかしロイクは未だ話を忘れたわけではなかった。

 生真面目で融通の効かない騎士団長は、今日も我が道を行く。


「それで、俺のミカを見世物にしてどうするつもりだ」


 不機嫌そうに告げられた言葉に、皆が振り返ったのは言うまでもない。



「カプリオール」ジャンプして空中で足を打つ動きのこと。

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