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堅物騎士団長とトゥシューズ  作者: 采火
第二幕

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35/39

歌劇のフリック・フラック

 レシェの話によると、事はとても単純な経過を辿っていた。

 孤児から一躍抜擢されて周囲にもて囃されていたジュリーが、歌えないという欠点のせいでその座を落とされたのだ。

 どこの世界にもいるもので、他人の才能に嫉妬するという感情は抑えが利かないらしい。

 まさしくジュリーもそれがきっかけで、レシェに対する嫌がらせが始まった。

 最初は嫌味を言うくらいだったらしい。ヒロインを降ろされはしても、歌わない役処を与えられて舞台に出ていた。でも、その注目度はヒロインに比べて落差がありすぎた。

 次にレシェの私物が消えた。服やアクセサリーがあちこちに隠されるのだ。なんとか私物を見つけて取り戻す事を続けると、今度は舞台衣装に関する物が消えた。舞台の時間までに見つからずに、管理がなっていないと座長に叱られた。

 やがてレシェは舞台袖で歌うだけで、舞台にはジュリーが立つことになった。二人で一役。

 座長が考えるよりも客足が増え、表向きは良案に見えた。

 だが、一度できた溝は埋まらない。

 レシェとジュリーの溝は、舞台上にまで現れる。

 役処の解釈が違うということが増え、二人でなんとか擦り合わせろと座長が助言しても、ジュリーは結局レシェを目の敵にして話し合いにはならない。

 嫌がらせは徐々に酷くなっていく。

 昨日はとうとう、何を吹き込んだのかは知らないが、逆上した彼女のファンをけしかけられた。その現場を美嘉が目撃したわけだ。

 ため息をついて、レシェは美嘉に弱々しく笑いかける。


「今だけよ。きっとそのうち、仲直りできるから」


 じっと美嘉はレシェの表情からその心を読み取ろうとする。

 美嘉は他者の嫉妬が理解できなかった。

 理解できなかったから、邪道な方法で蹴落とされた。

 でも、レシェは違う。

 ちゃんと、ジュリーに向き合おうとしている。

 かつて自分が選ばなかった、見向きもしなかったその道を、レシェは選んでいる。

 美嘉はレシェを勇気づけるように微笑んだ。


「仲直り、きっとできるよ」

「そうよね。きっとできるわ」


 うん、と頷いたレシェはハッとして空を見る。太陽の傾きを見て慌て出す。


「いけない、そろそろ戻らないと。今日公演の日なのよ」

「そうなんだ。頑張って下さい」


 レシェが裏門の格子から背中を離した。美嘉もつられてレシェへと体を向ける。

 後ろ向きに手を振りながら走って行くレシェに美嘉も手を振り返す。ちゃんと前を向かないと人にぶつかると心配していると、案の定、レシェは前方から歩いてきた男にぶつかった。


「あっ、すみませ───」


 レシェが謝ろうと体を少し後退させた、ように見えた。

 美嘉の位置からでは分からなかったが、男が腕を動かした。

 レシェの鳩尾に一撃を叩き込む。

 かくりとお腹をおさえてレシェが崩れ落ちた。


「レシェ?」


 美嘉が驚きレシェの元へ駆け寄ろうとすると、ぐいっと腕を引かれる。

 引かれるままに振り向けば、裏門の格子の向こうから、ナディアが険しい表情で美嘉の腕を引き、ぐいっと門の内側へと引き込んだ。


「待ってナディア! レシェが!」

「いけません、ミカ様」


 淡々とした声音で、ナディアは美嘉を引き留める。

 その間にも、男はちらりと美嘉とナディアに視線を向けて、用は済んだとばかりにレシェを担ぎ上げてしまう。


「旦那様が戻られるまで、どうかこちらに。敷地内は旦那様の結界があるので安全ですから」

「でも、レシェは? 助けないと」

「ミカ様が助けに行かれても返り討ちに合うだけです」

「だからって見捨てるの?」


 美嘉がまさかそんな事をするわけないでしょうと強めに言い募ると、ナディアは平然と頷いて見せた。


「ミカ様の安全が最優先です」


 言いきったナディアに、美嘉は頭が真っ白になる。

 パンッと衝動的に、自分の腕を掴むナディアの腕を叩いて振りほどく。


「人の価値に優劣なんてない!」


 声を荒げて、美嘉はまた外へと飛び出そうとする、が。


「……っ」


 見えない壁に頭と体を思い切りぶつけてしまう。


「……旦那様外出時用の緊急措置をさせていただきました。今より旦那様が戻られるまで、屋敷への出入りが出来なくなります。なのでミカ様、ここは一度お部屋に」


 美嘉は触れない裏門の格子に触れるようにして、こつんと見えない壁に額をぶつけた。

 よくよく見れば、硝子のような、シャボン玉のような膜が、目と鼻の先にある。

 いつの間にか、レシェを連れて男は姿をくらました。

 ナディアに肩を抱かれるようにして自室へと戻る。

 ロイクが来るまで、部屋から出ないようにと言われ、美嘉は止めたナディアを恨めしく思いながら、今からでも走り出してしまいそうになる衝動を飲み下した。



 ◇



 屋敷の結界が発動した。

 ロイクは自分が施した緊急時の魔術が発動したことを感じ、執務室で決済していた書類を全て中断する。


「団長?」

「屋敷の結界が発動した。何かあったようだ」

「えっ? それマジすか? また?」

「以前のように大事になっていたら困る。一度帰る」


 書類を片付ける時間すら惜しむように、ロイクは机から立ち上がり外套を羽織った。

 ランディが書類から顔をあげて、くるりとペンを回す。


「うっわぁ、団長の屋敷に襲撃かけるとか……第二王子派はまだ諦めてなかったんですかね?」


 ロイクの屋敷を襲撃する理由があるとしたら、前回もやらかしたオーバンの一派だろう。第二王子派による、異界渡りの花嫁奪還という目的がある彼らならやりかねない。

 だが、オーバンは既に牢の中のはずだ。

 大きく表沙汰にはできなかったものの、美嘉を誘拐し、ロイクに怪我を負わせたことに間違いはないのだから。

 とはいえ、筆頭であったオーバンが牢にいる今、彼以上に美嘉に執着する人間がいるとは想像しがたい。ロイクの屋敷の守りは強固であると、前回十分に理解したはずだ。わざわざ失敗すると分かって屋敷に襲撃をかける理由にはならない。

 だからロイクはランディの言葉を否定するように首を振った。


「奴だけとは限らない。とにかく、一度様子を見に戻る。俺一人だけでは対処できんと判断したら風を送る」


 百聞は一見に如かずとはよくいったもので、焦らず冷静に対処しようとするロイクにランディは感心する。

 こと美嘉の事に関してはロイクは自制という言葉があるのか疑っていたのだが、自分の結界に自信があるのか案外余裕だなぁと考えつつ、ランディは了承の意を示した。


「すぐに動けるように部隊編成しときますか?」

「念のため頼む」


 これまた冷静に返すロイク。ランディも書類をそこそこにロイクと一緒に廊下へ出た。

 ロイクは自邸へ、ランディは団員のいるだろう訓練場へと足を向ける。

 ランディと別れたロイクは厩舎で愛馬を引き取ると真っ直ぐに自邸へと駆けた。ランディの手前、落ち着いて対処しようと努めていたが、一人になった途端、美嘉は無事だろうか、怖い思いはしていないだろうかという思いが胸に去来してくる。

 愛馬には無理をさせるが、王宮からの短い距離を全力で疾駆させる。街中も通るので体力よりも神経がすり減った。

 そうして急いで帰宅したロイクに待ち受けていたのは、何かに耐えるように表情を落とすナディアを筆頭とした使用人達だった。

 重苦しい空気の中、出迎えられたロイクは着ていた外套を差し出しながら執事長に声をかける。


「何があった。何故ナディアはミカに付いていない」

「それは……」

「私から、説明いたします」


 ナディアが一歩、歩み出た。

 ロイクはナディアに視線を向ける。執事長が話すように促したので、ナディアはありのままにあったことを伝えた。

 美嘉がいつものように外で一人散歩をしている折りに、一人の少女に声をかけていたこと。

 美嘉が少女を引き止めるために外へと飛び出したこと。

 二人仲良く話をし、少女が立ち去る際、怪しい男が近づいてきて、案の定少女を殴って気絶させたこと。

 美嘉が今にも男に向かって行きそうだったのを引き留め、何があっても良いように結界内に連れ込んだタイミングで執事長が緊急時用の結界を作動させたこと。

 男は少女が狙いだったのかそのまま立ち去り、屋敷には見向きもしなかったこと。

 ナディアからの報告を聞き終えたロイクは彼女に「よくやった」と労いの声をかけるが、ナディアは形式的に礼を述べるだけで、その表情は沈んだままだ。


「何か気にかかることでもあるか」

「……いえ。あの、ミカ様に……」


 何か言いかけて、ナディアはやっぱり言うことを止めたようで、力なく首を振った。


「ミカが何か」

「なんでもございません。今ミカ様は自室にいらっしゃいますので、お顔を見せて差し上げてください」


 言われなくともそうするつもりだ。

 ロイクはしかと頷くと、美嘉の部屋へと歩き出そうと踏み出して、その前にやることがあったなと執事長に魔術を使わせて自分の副官に風を送った。ロイクは魔術を使うのが苦手なため、連絡用の簡単な魔術であろうと、詳細に言葉を送る必要がある場合は適性のある人間に任せるのが常だった。

 執事長が確かにランディに声を乗せた風を送ったのを確認したロイクは、改めて美嘉の部屋へと歩みを進めた。






 美嘉の部屋の前まで来たロイクは、ノックをした。

 最初は軽く叩く。

 返事がない。

 もう一度、今度ははっきりと叩く。

 それでも返事はない。


「ミカ、いるか? 入るぞ」


 扉の向こうへ呼び掛けても、返事はない。

 ロイクはただでさえ寄っている眉をますますしかめると、扉をゆっくりと開けた。

 部屋は暗かった。まだ昼間だが、カーテンが閉めきられているせいで薄暗い。部屋を見渡して、ロイクはベッドの上で膝を抱えている美嘉を見つけた。

 扉を閉めて、ゆっくりとそちらへ歩み寄る。美嘉は眠っているのだろうか? ロイクはベッドの傍らまで来ると、ベッドを軋ませながら腰かけ、顔だけ美嘉の方へと向けた。


「ナディアから何があったのか聞いた。お前が無事で良かった、ミカ」


 ロイクが心底安堵して手を伸ばし、美嘉の頭を撫でてやろうとすると、不意に美嘉が顔をあげた。

 その表情に、ロイクは息を飲む。


「良く、ないよ。私が無事でも、レシェは無事じゃないもの……っ」


 駄々をこねる子供のように声を荒げて、美嘉は苦しそうに顔を歪める。

 抱えていた膝を崩して、ぺたりと脱力したように座る。


「ロイクさん、どうして? どうしてナディアはレシェを見捨てたの? あの時に助けられたらまだ間に合ったかもしれないのに!」

「落ち着け、ミカ」


 ロイクの服の袖を掴んで言い募る美嘉に、ロイクは困ったように表情をゆるめた。


「ナディアはお前を守ってくれたんだ。他人の事を守ろうとするのは、自分の安全を確保してからというのは鉄則だ」

「でもそれで手遅れになったらどうするの!?」


 取り乱して叫ぶ美嘉に、ロイクはそんなに状況は切羽詰まっているものだったのかと訝しげに眉をひそめた。



「フリック・フラック」床をすって前後に二回クペをしながら回転すること。

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