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フェイが「悪魔に会う」と言ってあちらに行ってしまった翌朝、オスカーはセオドアの薬袋に記載のあった病院へと調査に来ていた。
ロンドン市内でも歴史のある、大きな病院だ。
「―――すみません。スコットランド警察の者ですが、少々お話をよろしいでしょうか」
「は、はい。かまいませんが…」
窓口にて身分証を呈示すると、対応した看護師の表情に動揺が見られた。
「二か月ほど前、こちらの病院にセオドア・アンブラーというサリスフォード家の家令が掛かっていませんでしたか?」
「セオドア・アンブラー様…えぇ、確かにここに通っていらっしゃいましたが…」
「病名やその症状などは分かりますか?」
「そうですね…カルテには、体の中に次々と悪性の腫瘍が発生する病と記載されております。現在治療法は見つかっておらず、鎮痛剤で痛みを紛らわすことくらいしか対応策がなく、主治医も鎮痛剤を処方していたようです」
「なるほど…」
大方、こちらが予想していた答えだ。
やはりこの病のことがあって、悪魔に付け込まれたのだろう。
「ご協力、ありがとうございました。では、僕はこれで」
「あ、あの!」
メモをしまい、立ち去ろうとすると何か思い詰めたような看護師に呼び止められる。
「何か?」
「あの…やっぱり、セオドア・アンブラー様はまだ生きておられるのですか?」
「―――"やっぱり"、とは?」
「…先日、こちらにサリスフォード伯爵の息子さんがいらっしゃって、刑事さんと同じようなことを聞かれたのです。"セオドアは二か月前に余命宣告されたようだが、その病にかかって今も生きている可能性はあるか"と聞かれたので、もし奇跡的に生きながらえていても、歩くどころか起き上がるのさえ難しい状態ではないかとお答えしました。なので、まだ生きておられるのではないかと…」
「先日というのは具体的にいつのことですか?」
「確か…一昨日のちょうどお昼頃だったと思います」
二日前の、正午。
サリスフォード伯爵が殺害された時刻だ。
これが立証できれば、ギルバート・ハウエル=サリスフォードの無実は確実なものとなる。
問題は、なぜこのことを彼が黙っていたのかという点だ。
「看護師さん、サリスフォード伯爵の息子さんが一昨日の正午にここに来たという証言書を書いてもらうことは可能ですか?」
「はい」
確か、セオドアの日記には「病のことは旦那様にしか伝えていない」と書かれていた。
ギルバートが病院に来て彼の病のことを聞いたということは、伯爵から直接聞いたかあの日記を見たかの二点に絞られる。
どちらにせよ、ギルバートはセオドアが余命一か月と宣告されてから二か月経った今も平然と家令をこなしていることを訝しんでいた。
ギルバートがアリバイを話さないのは、誰かをかばっている、そしてそれは真犯人ではないかと考えていた。
しかしギルバートは犯人を捜すために行動している。
それも、「妖精探偵事務所」に依頼をしてまで。
もしかしたら、ギルバートはセオドアの不可思議な行動と人外のモノが関係あると考えていたのではないだろうか。
「ここを頼るといい」と言ってフェイを紹介したとき、ギルバートは「妖精などくだらん」と言いながら渡したメモをじっと見つめていた。
ギルバートがかばっているのが犯人でないとしたら、おそらくそれは―――。
「あの、刑事さん、書き終わりました」
「…あぁ、どうもありがとうございます」
「それで、結局のところセオドア・アンブラー様は…」
「―――主治医の読み通り、ひと月ほど前に亡くなっていますよ」
そう、だってアレはセオドア・アンブラーの皮を被った悪魔なのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「―――お茶が入りました、坊ちゃま」
「…あぁ」
サリスフォード家、自室にてギルバートは相続に関する書類をまとめていた。
あとは短剣さえ取り戻せば、すぐに爵位を継ぐことができる。
実際のところ、ギルバート本人は爵位にあまり関心がない。
だが、遅くまで子供ができず妻にも先立たれてしまった養父がギルバートを養子とした理由のひとつに、爵位を継いでほしかったというものがある。
養父に拾ってもらった恩を返すためにも、ここでサリスフォード家を途絶えさせてはいけない。
ただそれだけの想いでここまできた。
セオドアが紅茶のティーポッドからカップに注ぎ、机の上に置いた。
「なぁセオドア、お前…」
ギルバートがそう言いかけたとき、廊下からバタバタと足音が響いて、扉が勢いよく開いた。
「失礼します!いま犯人と名乗る者から文書が届いて…」
「落ち着けユリシーズ、読み上げろ」
少々息を切らせながら慌ただしく入室してきたユリシーズは、一度息を吐いてから手にしている文書を読み上げた。
「"サリスフォードの短剣を取り戻したければ本日深夜、金を持って地図に示した場所へ来い"と書かれています。ギルバート様、これって…」
「―――おやおや、面白そうな話をしていますね」
ユリシーズの後ろに、いつの間にかオスカー・アドキンズ刑事が立っていた。
その横にはヒューゴもいる。
「アドキンズ刑事、どうしてここに…」
「いやなに、ギルバートさんに少々お話したいことがあったのでヒューゴくんにこちらまで案内してもらったのですが…。犯人からの招待状ですか。いち刑事として、協力しない訳にはいきませんねぇ」
そうして彼は部屋をぐるりと見渡した。
「犯人逮捕のチャンスです。話を聞いてしまった、ここにいる全員で現場に向かいましょう。もちろん、他言無用ですよ」
舞台は整った。
(…あとはお前の言う切り札とやらにかかっているぞ、フェイ)