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麗らかな昼下がり。
その部屋は沈黙によって支配されていた。
そわそわと忙しなく羽を動かしている相棒を見かねて、フェイが黙ったままの少年に声をかけた。
「で?その様子だと、どうやら依頼をしにきた訳じゃなさそうだけど」
ユリシーズは相変わらず口元を引き結んだままだったが、やがて膝に置いた手をぎゅっと握った。
「…僕はもう、ギルバート様の傍にいられない」
目線は床に固定したままのユリシーズと目が合うことはなかった。
その代わりに、フェイは彼が引きずってきた大荷物をちらりと見た。
「なるほど。その荷物は家出用ということか、少年」
この一週間の間に、何かしらあったのだろう。
何か仕事で大きなミスをしてしまったとか、自分より優秀な使用人が入ってきて立場を脅かされているとか、そんな感じの。
まさか妖精探偵事務所を頼ってくるとは意外だが。
そこまで考えて、フェイは今までの道筋に引っかかりを覚えた。
自分が殺人の容疑をかけられてもセオドアやユリシーズを庇おうとした、あのギルバートが。
果たして、仕事のミスやルーキーの登場くらいでこんな現状になるだろうか。
いや。もしかたらユリシーズはもっと取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。
だとしても、ユリシーズが「もうお仕えすることはできません」と言ってギルバートが「そうか。では明日から来なくていい」なんてあっさり引き下がることが有り得るか。
断じて、ない。
「…ユリシーズ、まさかギルバート様に何も言わずに出てきた?」
「………」
沈黙が、肯定であった。
フェイは向き合っているユリシーズと同様に床に視線を移して、小さな溜息をついた。
家出というか、これは失踪や蒸発と見られてもおかしくない状況だ。
今頃サリスフォード家では必死になってユリシーズを捜しているかもしれない。
とにかくギルバートに一報知らせる必要があった。
「ラヴァン、紙を持ってきて。手紙を書く」
ラヴァンはカァとひとつ鳴いてから、姿を消して、再びそこに現れたときにはレターセットをクチバシに挟んでいた。
ラヴァンからレターセットを受け取ると、フェイは立ち上がりソファから離れて文机のペンを取った。
それを見て、ユリシーズはこの部屋に入って以来初めて床から視線を外した。
「あの、何を…」
「ギルバート様に、貴方がここにいるって手紙を書く」
すでに何かを書き始めているフェイに気づいて、ユリシーズは焦って立ち上がった。
「や、やめろ!僕が何のためにこっそり出てきたと思って…」
「身近な人が急にいなくなったらどう思うか、貴方にも分かるでしょう」
「…それは」
ユリシーズは先日、唯一の肉親である父を失った。
おそらくそのときのことを思い出したのだろう。
フェイに反論するのをやめて、ユリシーズは諦めたようにソファに座り直した。
「大丈夫、ギルバート様はここに来ないように書いておくから」
「え…?」
てっきりギルバートやヒューゴに連れて帰られると思っていたユリシーズは、予想外のフェイの言葉に数回瞬きを繰り返した。
「寝床とご飯くらいは提供してあげるから、好きなだけここにいるといい。なんなら、助手として雇ってもいい。ラヴァンも後輩ができて喜ぶ」
「………何も、聞かないのか?」
普通、いきなり他人が押し掛けてきたら、事情のひとつくらい聞くものではないだろうか。
それどころかこの少女は、この家を宿代わりにしてもいいと言う。
心底不思議に思ってユリシーズがフェイを見ると、丁度手紙が書き終わったのか、紙から目を離した。
「聞いてほしいの?私の尋問は結構厳しいけれど」
にっこりと微笑むその顔には見覚えがあった。
先日、人の力の及ばない悪魔でさえも恐怖のどん底に叩きつけた、その顔だ。
あの時のことを思い出して身震いしたユリシーズは、「遠慮する」と小さく呟いた。
それに対して「そう」と大して興味なさげに返事をしたフェイは、手紙に封をしてラヴァンに持たせた。
「これ、お願いね。ついでにパーティーで遊んできてもいいよ」
「ホントに!?ありがとう、行ってくるね!」
嬉しそうに羽をばたつかせて、ラヴァンは窓から慌てて飛び出していった。
騒がしい、と言ってもラヴァンの声はこの場ではフェイにしか聞こえないので、ユリシーズからすれば鴉がけたたましく鳴いているに過ぎないのだろうが。