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フェイの過去が見え隠れする章。
その日は、一年を通して曇天が多いこの街にしては珍しく晴れていた。
霧も出ていないため、窓から見える景色はいつもと違って遠くまで見渡せた。
ガス灯の天辺にとまった小鳥の番を眺めながら、妖精探偵事務所の女主人フェイ・リードは淹れたてのコーヒーをすする。
この街は霧が濃いことで有名だが、フェイ自身はあまり困ったことがない。
というのも、フェイには妖精の加護がついているからだ。
霧のせいで視界が悪いときには、自然とフェイのまわりに風が生まれ霧を退かしてくれる。
もし竜巻を起こすくらいの大事になれば風の妖精たちの協力が必要だが、そよ風程度ならフェイ自身も呼ぶことができる。
後は薪の火を大きくするとか、雨水をはじくとか、植物の成長を少し早めたりとか。
自然に関するちょっとしたことなら妖精たちに頼らずとも自分で出来ていた。
「そんな暇そうにしているなら式典に行けば良かったのに」
やけに間延びした子供の声が部屋に響いた。
フェイの相棒、白鴉のラヴァンである。
彼はコーヒーを飲むフェイの横で、おやつに出されたパンの耳をコツコツとつついていた。
「人混みは好きじゃない」
「でもせっかく招待状までもらったのに…。陰からちょっと覗いてくるくらい良いじゃん」
「ラヴァンが行きたいだけでしょう。鴉はキラキラしたものが好きだからね」
「うっ…、お見通しか」
サリスフォード伯爵殺害事件から一週間と少し。
爵位継承の儀に必要な短剣が返ってきたことから準備が進み、今日ロンドンでは、ギルバートが女王に謁見して正式に伯爵となるための式典が行われていた。
謁見自体は厳かに執り行われるものだが、そのあとのお披露目も兼ねてのパーティーは大々的に行われるらしい。
そしてフェイの元には数日前に、そのパーティーの招待状が届いていた。
しかし、いまフェイが探偵事務所でコーヒーを飲んでいるという事実から、パーティーには欠席したことが窺える。
「大体、貴族の社交界なんて場違いすぎて壁の花になる。花になるかすら怪しい、服もないし」
「この間の依頼でギルバートから多額の依頼料もらったじゃん。ドレス買いなよー、いつ社交界に潜入捜査があるか分かんないよー?」
「…物は必要なときに買う」
そう、ドレスなんて優に何着も買えるほどの大金がこの間舞い込んだ。
普通に暮らしていれば二月は仕事をしなくても暮らしていけるほどの大金とも言える。
貴族の金銭感覚はこんなものなのだろうか。
「とにかく、私はパーティーに行くつもりはない」
「えー…。今後の仕事のためになるかもしれないのに、どうしてそこまで頑なに…」
ラヴァンの言い分に、フェイはコーヒーカップの縁をカリッと噛んだ。
フェイは基本的に仕事人間である。
今回のようにラヴァンに「仕事のため」と言われれば、人混みが苦手でも社交界に慣れていなくてもカツラでも被って出席する。
通常なら、の話だが。
―――ギルバート様に会うのが気まずくて行けない、なんて言えるか
先日、急に後ろから抱きしめられたあの日。
逃げるようにして帰ってきたが、本人から招待状が送られてきたとなると嫌われたわけではないらしい。
あの日、耳元で囁かれた縋りつくような声がこびりついて離れない。
あのときから、恐怖のようで焦燥感に似た感覚が胸の中にぐるぐると渦巻いている。
―――また、置いて行ってしまうかもしれない
フェイは、仕事関係の調査や個人的な調べものを行うために異界へ赴くことがある。
そこで問題となるのが、時間だ。
異界と人間界の時間の流れは一定していないことが多く、例えば異界での一日が人間界での一年だったり、その逆の場合もある。
もし、ふらっと異界へ出向いて帰ってきたとき百年近く経っていたら。
この世界での知り合いは誰もいなくなる。
フェイのことを知っている人間は誰ひとりとして、残っていない。
そのことが怖いと思えるくらいには、こちらの世界に愛着があるらしい。
そこまで考えあることに気づいて、フェイは口元を緩めた。
自嘲的とも言える微笑み。
―――これが「執着する」という感情か
どんどん、「人間らしく」成っていく。
それを望んでいたはずなのに。
今まで知らなかった感情を覚える度に、パズルのピースがはまっていくような嬉しさと、もう後戻り出来ない恐怖で一杯になる。
自分は一体、何を求めているのだろうか。
飲み干して空になったカップをソーサーに置くと、かちゃりと音を立てた。
それとほぼ同時に、事務所の玄関をノックする音が響く。
ラヴァンが「お客さんだ!」と叫んで玄関へと一目散に飛んでいく。
彼が出てもしょうがないので、フェイは憂鬱な気分を溜息と共に追いやって玄関へと向かった。
しかし、フェイは玄関の扉を開けて固まることとなる。
「…ユリシーズ?」
扉を開けた先で待っていたのは、何やら覇気がなく大きな荷物を抱えたギルバートの従者、ユリシーズだった。