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神様の定食屋  作者: 中村 颯希
秋の部
22/27

肉じゃがか、カレーか(中)

 神社から店へと戻る道すがら聞いた話では、このたび俺に憑いたのは、佐藤亜紀さんという女性の魂だった。


 享年二十六歳。

 大学を出て、親の営む会社で事務員として働いていたが、一年ほど前、バレエの公演を観に行ったところ、そこで火事に巻き込まれて亡くなったらしい。


「あ……。そのニュース、聞いたことがあります」


 たしか照明器具からの出火で、避難経路も万全に確保されておらず、ホールの管理者が責任を問われていたはずだ。

 死者が出たため、しばらく世間は、避難訓練や消化器点検の必要性を騒ぎ立てたが、半月も経つと事件は風化してしまった。


 俺の両親の事故死もそうだが、世の中にとって人の死というのは、そういう扱いだ。


「その……おつらかったですね。本当にご愁傷様でした」


 聞いたことがある、とは言ってみたものの、どう話を続けてよいのかわからず、俺はもごもごと呟く。

 亜紀さんは小さく笑い、のんびりと応じた。


(ありがとう。私もびっくりしちゃった。まさかバレエの鑑賞中に死ぬなんてね)

「ですよね……。ええと……バレエ鑑賞がお好きだったんですか?」

(ううん、全然。意味がわからなくて、熟睡しちゃった。それで逃げ遅れちゃったの)

「えっ」


 亡くなったときの話題よりは、趣味の話題のほうが盛り上がるだろうと踏んで水を向けたのだが、ばっさりと否定されて戸惑う。


「そ、そうなんですね。いやあ、亜紀さん、おしとやかな雰囲気だから、てっきりお好きなのかと……」

(それほどでも。バレエなら、みーちゃんのほうがまだ好きなんじゃないかな。あ、妹ね。すごく元気な子なんだけど、お姉ちゃんっ子なだけに、私が死んでから落ち込んでて)


 彼女が手料理を振る舞いたい「みーちゃん」とは、猫かなにかと思いきや、妹であったらしい。

 活発ですごく魅力的な女の子だったのに、最近はずっと意気消沈しているそうだ。


 カレーを食べさせてあげたいの、と気負いなく呟いた亜紀さんは、姉というよりも、まるで愛情深い母親のように見える。

 きっと、何度もそうやって「みーちゃん」を元気づけてきたのだろうな、と思った俺は、改めて気合いを入れて、拳を握った。


「カレー、いいですね! 最高のものを作りましょう。さては、妹さんの好物ですか?」

(え? どうだろう)


 だが、みなぎらせた気合いは、すかっと音を立てて空振りした。


「え……っ? 『どうだろう』、とは……?」

(そのままの意味。私、料理苦手だったから、作れるのってそれくらいしかなくて。みーちゃんが好きかどうかは知らないけど、まあ、カレーにさせてもらおうかなと)

「……そ、そうですか」


 どうしよう。

 大丈夫だろうか。

 成仏を拒むほどの未練を残しておきながら、「これなら作れる」みたいな消去法で献立を決める魂は初めてだ。


 というか亜紀さん、会話の端々から、清楚な佇まいとは裏腹な、ずぼらさを感じるぞ。

 俺の心を読んだわけではなかろうが、亜紀さんは軽く首を傾げ、髪を摘まんでみせた。


(髪も染めずにいたからかなあ。私、どうも周囲からは、料理上手とか、家庭的だとか、おしとやかな人間に見えるみたいで。実際は、全然そんなことでもないんだけどね)


 なんでも亜紀さんは、コーヒーを淹れるのが面倒だからと白湯を啜り、ランチに出るのが面倒だからと親に弁当を詰めてもらっていたら、「意識の高い、和食が得意な女性」と周囲に誤解されてしまったらしい。

 しかも、その手のことは初めてではなく、周りはなぜか、やたらとこちらを優良誤認し、憧れの視線を向けてくるのだそうだ。


 妹からも同様にして慕われていたのだが、きらきらした目で姉を仰ぐ妹はとても愛らしかったので、あえて誤解を解くことなく放置していたと、亜紀さんは言った。


「放置……」

(髪もねえ、切るのが面倒だから伸ばしてただけなんだ。みーちゃんも褒めてくれるし、まあいっか、って。あ、しーくんは、ロングとショート、どっちがタイプ?)

「し、しーくん!?」

(うん。哲『史』だから、しーくん)


 亜紀さんの独特な間合いとネーミングセンスに、俺はもうたじたじだ。

 だが不思議なことに、亜紀さんの、そのちょっとズレたテンポや感性というのは、どうにも憎めないものがあった。


(ねえねえ、しーくんって、どんな子が好きなの? お姉さんタイプ、妹タイプ? わがまま、健気、ひねくれ者、うーん、あとは……)

「な、なんで俺の好みを聞き出す流れになってるんですか……!」

(だって、気になるんだもの)


 体を伴っていたなら、ぐいぐいと顔を近付けていそうな詰めっぷりだ。

 しんと冷えた秋の夜道を歩く間、亜紀さんからの質問攻めは延々と続いた。




 ***




 さて、カレーである。

 スパイスから調合して、三日煮込んで、みたいな品だったらどうしようと少々危惧していた俺であったが、亜紀さんはあっさり――もはや案の定と言うべきか――、「え? 市販のルーを使うよ」と言い放った。


 料理がそこまで得意でない俺としては安心したが、いやいや、大切な妹さん相手に思いを伝える料理としては、果たして市販のルーに頼っていいのか悩ましいところだ。

 ほら、こう、識別性というか。


 過去の事例を思い出しながら、「もう少し、亜紀さんらしいこだわりや、特別な作り方があってもいいのでは」と遠回しに伝えると、彼女は小首を傾げ、こう答えた。


(こだわり……? うーん、あえて言うなら、ルーを二種類以上、混ぜてたかな)


 ルーを数種類混ぜるというと、いかにもこだわりがあるように聞こえたが、このときの俺にはすでにわかりはじめていた。

 亜紀さんはきっと、家に転がっていた半端なルーを掻き集めただけだろうと。


 推論を伝えると、亜紀さんは「すごい、どうしてわかったの?」と目を丸くし、一方の俺は肩を落とした。

 このカレー、無事に再現できるのだろうか。


「過去の傾向を考えるに、妹さんは、『亜紀さんがかつて作ってくれた』カレー、ってところに励まされると思うんですよ。なにかもっとないですか、こう、思い出に関わる要素は」

(うーん。一回、あまりに適当な私の作り方を見かねて、みーちゃんが手伝ってくれたことがあったな。下味を付けるとか、ちょっとした差なんだけど、すごく美味しくて)


 なんでも「みーちゃん」は料理が得意らしく、カレーを作るにも、煮込む前に野菜をにんにくで炒めたり、酒で蒸したりしていたらしい。


 俺が「それだ!」と身を乗り出すと、亜紀さんは「私の、っていうより、みーちゃんのレシピってことになるけど、いいのかな」と首を傾げながらも、最終的には「まあいいか、盛り付けに籠もる私らしさもあるよね」と頷いてくれた。

 やはり、いろいろ無頓着な人だ。


 幸いにして、店の厨房にもカレールーは常備されている。念のため、もう一種類のルーをコンビニで買い足してから、俺たちは「てしをや」の裏扉をくぐった。


 志穂はすでに、店を出た後だった。

 ぴかぴかに洗い上げられた食器から、ぴとん、と滴る水の音が響くほどに、店内は静まり返っている。


 厨房とカウンター席にだけ灯りを入れると、俺たちはいよいよ調理を開始した。


 牛塊肉を角切りにし、玉ねぎとにんじんとじゃがいもの皮を剥く。

 下味を付けた肉と野菜を炒め、酒で蒸す。

 鍋底の水が減ったら、焦げない程度に、少しずつ水を足してゆく。


 亜紀さんの記憶を手掛かりに、調理は順調に進んでいたが、彼女が合間合間にぶつけてくる捉えどころのない発言に、俺は翻弄されっぱなしだった。


(ねえねえ。この材料の組み合わせって、たぶん、炒めても普通に美味しいよね?)


 だとか、


(ルーを変えたら、シチューにもなるのかな?)


 だとか。

 しきりと路線変更を促すかのような質問を向けてくるのだ。


 その都度俺は、「大きく切り分けちゃったから、もう炒められないです」とか、「いや、もう米も炊いちゃいましたから」と答えて、外れそうになる軌道を修正していた。

 煮込む頃になっても質問が続いたため、俺は最後には、鍋を守るようにして叫んだ。


「カレー! もうこの子はカレーを目指してるわけですから! 今さらほかに変身できませんよ。頼むから、この子にカレーとしての本分を全うさせてやってください!」


 ただでさえ男ってのは、二つのことを同時にこなすのは苦手だし、カレーを作るとなったらカレーを作ることしか念頭になくなる生き物なのだ。

 あっちこっちに話を持っていかないでほしい。


 だいたい、もう二種類のルーも入れてしまったので、後戻りなんてできない。

 情けない俺の悲鳴を聞くと、亜紀さんは目を瞬かせ、それからなぜか、上機嫌に笑った。


(……しーくんって、面白いねえ)


 そうして聞くのだ。


(ねえ、しーくんって、どんな子がタイプなの? 女の子にモテるでしょう)


 と。


「残念ながら、モテた試しなんてないですよ」


 俺は、唐突な褒め言葉と質問に、照れと困惑を半々にしながら唇を歪める。


 ただでさえ、元カノと別れてちょうど一年だ。

 その手の質問は、苦い記憶を呼び起こして仕方がなかった。


「付き合ったことがあるのも、二人だけで……いや、一人は中学の頃、ままごとみたいなデートをしただけだったから、実質一人か。その実質一人にも、さくっと振られましたし」

(振られちゃったの? どうして?)

「いや、わからないんですよ。一週間くらい連絡取ってないなーっていう時期があった後、いきなり電話がきて、別れようって言われて……」


 元カノ――夏美は社交的なタイプで、友達が多く、彼氏の俺を放って旅行に出るなんてザラだった。


 俺も、彼女のさっぱりした性格が好きだったし、実質初めての彼女で、どれくらい互いの行動を把握しあうべきかもわからなかったから、踏み込みすぎるのを恐れてもいた。

 だから、唐突に別れを突き付けられて、俺は固まってしまったのだ。


 感情のまま取り乱すべきなのか、鷹揚に笑い飛ばすべきなのか、冷静に受け止めるべきなのか。

 どれが最適なのだろうと考えている間に、状況がめまぐるしく変わり、それに押し流されるようにして別れてしまった。


 でも、こうして折に触れて彼女を思い出すということは、俺の中で夏美との関係は、全然決着が付いていないのだろう。


「もし、あのとき……」


 俺はぽつんと呟いてから、そんな自分に気付いて首を振った。


 もう、遅すぎる話だ。

 ルーを入れてしまったカレーと同じで、今さら事態を取り返すことなんてできない。


 ちょうどそのとき、炊飯器が炊き上がりを告げるメロディーを鳴らしはじめたので、俺はそそくさと飯を混ぜ返した。


 見れば、弱火で煮込んでいたカレー鍋のほうも、いい頃合いである。

 汗を掻いた蓋を持ち上げると、あの、誰もの食欲と郷愁を誘ってやまないカレーの匂いが、厨房いっぱいに広がった。


 ひと匙味見してみれば、野菜のうまみを閉じ込めたスパイシーな味わいが、とろりと舌の上を流れて、飲み込んだそばから涎が出そうになる。


「うん、ばっちり」


 頷くと、脳裏で亜紀さんも頷く気配がする。


(うん、ばっちり)


 ただし、俺の中に入った彼女は、鍋ではなく、玄関に向かって耳をそばだてていた。


(来たよ、みーちゃん。でも、扉の前で迷ってる。開けてもらっていいかな、しーくん)


 どうやら、亜紀さんの待ち人はすでに店の前まで到着していたようだ。

 俺は慌ててお玉を置くと、ガラガラと引き戸を開けた。


「いらっしゃいませ。すみません、わかりにくいですよね。これでも店は営業中――」


 途端に吹き込む、冷えた夜風。

 だが、俺が言葉を飲み込んでしまったのは、なにも寒さのせいではなかった。


「え……?」


 こちらを見た途端、はっと息を呑む相手。

 ほっそりとした体つきに、くりっとした目が印象的な、意志の強そうな顔。


「なんで、夏美が……」

「なんで、哲史が、ここに」


 店先に立っていたのは、なんと一年前に別れた彼女――夏美だったのだ。


 驚いたのは相手も同様であったらしく、大きな瞳を丸く見開いて、ショルダーバッグの肩紐を握り締めた姿勢のまま、ぽかんとこちらを見上げている。


 一年前に比べてずいぶん髪が伸びた彼女の姿は、ふわりと裾の広がったスカートとも相まって、神社で見かけた亜紀さんと、奇妙なほど似て見えた。


 ……ああ。

 そうか。


 俺はこのときになってようやく、亜紀さんの名付けの法則を理解する。


 哲史だから、しーくん。

 夏美だから、みーちゃん。


 亜紀さんの妹、「みーちゃん」とは、夏美のことだったのだ。


「あ……」


 夏美がぎこちない笑みを浮かべて、一歩後ずさる。


「ごめん。いい匂いがするなと思って、ちょっと立ち止まっただけで――」


 ――おまえに引き留める度胸がなかったばかりにな。


 なぜかその瞬間、脳裏に神様の言葉が蘇り、俺は弾かれたように身を乗り出した。


「待って」


 無意識に、相手の腕を掴む。


 目を見開いた夏美の顔、夜気に包まれた服の冷たさ、細い腕の感触。

 押し寄せる情報に声を上擦らせながら、俺は辛うじて告げた。


「寒いから。ひとまず、入って」


 そうして、肌寒さを口実に、夏美を店へと引き入れたのだった。

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神様の定食屋4巻 23年11月15日発売!
神様の定食屋4
― 新着の感想 ―
[良い点] テッシが、料理を我が子のように、、、 成長しましたね 汗を描いた蓋、、、美味しそう (๑・﹃ ・๑)ジュルリ 神様スゲ~な♪ [一言] 途中からもう( ;∀;) 先生、Twitte…
[良い点] 「おせちもいいけどカレーもね」 と言ってなぜかお正月にはカレーという風習を定着させようとしていたようだがお正月にカレーなんか食べてるとすごいズボラ飯感ハンパない気分になるんだけどカレー食…
[良い点] なんか、うらやまけしからんハッピーエンドの予感! [気になる点] 泣けた!! [一言] 肉じゃがって、ビーフシチューの代わりらしいが、まんまカレーになるよなー、としみじみ思う今日この頃…
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