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神様の定食屋  作者: 中村 颯希
夏の部
15/27

3皿目 茹でとうもろこし(前)

「はあ、きれいだなあ」


 夜の部を終え、看板の灯りを落とした「てしをや」。

 最後の客を見送って、がらんと静かになった店内に、妹のうっとりとした声が響いた。


「見て、このふさふさの髭。がっしりとした形。こんなの、なかなか手に入らないよね。超嬉しい」


 流し台に頬杖を突き、目をハートにする勢いでやつが愛でているのは、けっして髭が魅力的なイケメンでも、肉体美を誇るマッチョマンでもなく――とうもろこしの山である。

 志穂は、すりすりと緑の皮を撫でながら、


「はあ……玉城シェフ、なんて太っ腹なんだろ……」


 と、大層上機嫌に呟いた。


「……嬉しいのはわかるが、はしゃぎすぎだろ。ってか、このこと、あんまり敦志くんとかに自慢すんなよ」

「は? なんで敦志さん?」


 怪訝な顔で首を傾げる。

 俺は、深々と溜息をつきながら、「……なんでもねえよ」と、生ビール樽の補充を始めた。


 そう。

 この艶やかな濃緑が美しいとうもろこしは、先ほどまでカウンターでビールと惣菜を摘まんでいた玉城シェフからの、差し入れなのである。


 なんでも、「ラ・ウオーヴァ」の定休日である今日、彼はテレビ番組の収録に出かけていたとかで、その企画に使われたとうもろこしを分けてもらってきたというのだ。

 その糖度はメロンにも匹敵するといわれ、生でも食べられるほどのスーパースイート種。

 皮の緑は濡れんばかりにしっとりとしていて、今朝収穫したばかりというその切り口は、スーパーで見かける黒ずんだものとは異なり、白くみずみずしさを残している。


 収録時に試食して、「うまい!」と思ったシェフは、つい脊髄反射でとうもころしをおねだりし、大量にゲットしてきたのだが――


「冷静に考えて、ひとりで食べきれる量じゃないしね。かといって、テレビ局からもらったものを店で出すのはちょっと考えものだし、でも、やっぱりとうもろこしは、なるべく早く食べたほうがおいしいし。そうしたら、『てしをや』さんを思い出して」


 とは玉城シェフの言。

 なるほど、あまりにネームバリューのある店ともなると、マスメディアの息のかかった食材をやすやす使うわけにもいかないのだろう。


 その点「てしをや」は小ぢんまりとした個人経営。

 経営者の気分で味噌汁を豚汁に変更することもざらだし、八百屋でおまけしてもらった野菜を小鉢に仕立てて、お客さんにサービスすることもある、という具合に大らかなので、出所のたしかな食材の差し入れはウェルカムなのだった。


 使い先も考えずに食材を確保し、一方で素材のおいしさを最優先するあまり、そのほとんどを人に譲ってしまう玉城シェフというのは、いささか変わり者のようにも思うのだが、同じく料理馬鹿である妹には、とにかく素敵な人物として映るらしい。

 先ほどから、相好を崩してシェフ、シェフ、と褒め称えている。


 その、にこにこと愛らしく微笑んでいる様子に、俺は思わず二度目の溜息を漏らしてしまった。


「……おまえ、その満面の笑みの使用先を間違えてんだよ……」


 脳裏にあったのは、定休日を利用して足を運んだ「肉フェス」の光景。

 そして、物慣れなさと不甲斐なさとを、必死に笑顔の下に隠そうとしている、いたいけな敦志くんの顔だった。


 なんとこの敦志くん、憲治というライバルの登場に焦ったのか、このたび見事、志穂をイベントに誘い出すことに成功したのである。


 全国の絶品肉料理がブース出展されるという「肉フェス」。

 敦志くんはその無料券を仕事の関係でもらったとかで、閉店間際の店内で、緊張で顔を強張らせながら志穂を誘ってくれたのだ。


 ついでに俺も一緒に行くことになってしまったという不慮の事故はあったが――だって店で誘ってくるものだから、成り行き上、俺も行かざるをえなかったのである――、志穂も快諾し、ここまではとんとん拍子に事態は進んでいた。


 ところが、いざ行ってみると、どのブースも一時間近くかかる行列ができていて、とても「多種多様な肉料理を食い倒れする」などということはできそうもない。

 それでも、待ち時間の会話でちょっとずつ二人の距離が縮まればいいと思い、


「あ、じゃあ俺はあっちのステーキが気になるからさ、二人で並んどいてよ」


 と、二人きりにしてやろうと企んだ俺だったのだが――


「え?」


 なんと志穂は、ぱっと顔を輝かせたかと思うと、無邪気に切り出したのである。


「じゃあ、私、メンチカツが気になるから、あっちのブースに行きたい! 敦志さん、このまま肉巻きおにぎりでいいですか?」


 そのときの敦志くんの表情が、俺は忘れられない。


 おい志穂よ。

 いいですか、じゃねえよ。

 肉のハントは目的であって目的じゃねえんだよ、効率的に手分けしてどうすんだよ。


 それらの言葉が喉元まで出かかっていたが、力なく笑う敦志くんの前に、結局俺は突っ込むのを諦めた。

 下手に彼を援護射撃して、きょとんとでもされたら、目も当てられない。


 結局、俺たちは個別で列に並び、時折メッセージアプリでスタンプを送り合いつつ、それぞれ虚しくひとりでお目当ての肉料理を勝ち取るという、謎の展開を見たのである。


「ねえねえお兄ちゃん、これ、明日のお昼のお客さんにサービスしようよ。どうやって料理しようかなあ――」


 うきうきとした問いかけも耳に入らず、俺はたそがれ顔のまま、ビールサーバーと樽をチューブで繋いだ。


「いやもう、ほんとおまえのスルースキルの高さっつか、鈍感さには驚かされるよ」

「……お兄ちゃん?」

「これで接客業を五年以上続けてるってんだから、世の中わかんねえよな。ひとりの男の心すら理解できねえのに、ほんとに客のニーズを読み取れるんですかっつー話だよ」

「は……?」


 コルク状のスポンジを使ってチューブの中を洗浄した後は、新しい樽からビール液と泡をそれぞれ少しずつ通し、洗浄に使った水を追い出すのである。

 もはや手慣れた仕草で、俺はまずビール液を注ぐレバーを引き倒した。


「それにその、斜め上にずれた提案力ときたら! 三人で分かれて並ぼうってドヤ顔で言いだしたとき、俺がどれだけ肩身の狭い思いをしたかわかるか? わかんねえよな。おまえ、ずれてるもんな……」

「…………」

「はぁー、まいった、まいった。おまえももうちょっとさ、周りがなにを考えてるのか、求めてるのかってのを、考えてみたほうがいいよ」


 透明の容器でビール液を受け止め、洗浄水がすべて追い出され、混じりけのないビールが出てきたのを確認したら、今度はレバーを反対側に倒す。すると、泡だけが出てくる仕組みなのだ。


 が、


 ――ばしっ。


 背中に鋭い痛みを覚え、俺は思わず「うお!」と悲鳴を上げた。

 同時に、レバーを倒しすぎてしまったがために、大量の泡が溢れ出てしまう。


「うお! わ! うおお!」


 慌ててレバーを戻し、容器からこぼれかけた泡を手で受け止める。

 なにごと、と思い振り向けた視線の先には、力なく床に落ちたエプロンがあった。


「――言ってくれるじゃん」


 向かいでは、据わった目をした志穂が、消える魔球を投げ終えたあとの選手みたいな恰好をキープしたままこちらを睨みつけている。

 声にはドスがきいていた。


「……し、志穂?」

「さっきからねちねちと……。なんで善意でした提案をさあ、そこまでディスられなきゃなんないわけ? なんで料理人としての素質まで否定されなきゃなんないのよ」

「ちょ、落ち着け……」


 前にも思ったが、ムッとするたびに、ものを投げつけて啖呵を切るその習性はどうなんだ。

 おまえは手袋を投げて決闘を申し込む騎士かなにかなのか。


 だが、怒れる妹は、俺の制止など聞き入れることなく、顔を紅潮させて続けた。


「鈍感? 相手の気持ちが読み取れない? 提案力がない? ざっけんじゃないわよ、こっちだって努力してんのよ!」

「……志穂さん?」

「一番長い列に並びつづけて話題がなくなって、初めての外出が気まずく終わったらどうすんのよ。揚げ物が好きって言ってたからメンチカツに並びなおそうって言ったんじゃない。なんであっさり肉巻きおにぎりに並びつづけちゃうのよ」


 てっきり、料理に関する地雷を踏みぬいたのだと思ったら、どうやら違ったらしい。


「なんで『おいしかったですね』って送っても、返信に絵文字がないわけ!? せっかく『今度は肉巻きおにぎりにもトライしてみたいです(笑)』って送ったら、――スタンプすら返ってこないのよおおお!」


 妹は、顔目当てのチャラい男にからかわれることには慣れていても、敦志くんみたいな男性にまじめな想いを寄せられることには免疫がない。

 追いかけられることは何度かあっても、自分から踏み込んでいくことはなかったわけで――どうやら、慣れない状況に、こいつなりに苦悩しているようだった。


「お、おい、いやおまえ――」

「鈍感!? なんか私、踏みにじってた!? 間違ってた!? 提案力……肉巻きおにぎりがいけなかった!? ストレートに揚げ物の話題を振ればよかったの!?」


 いや、志穂よ。

 メンチカツかおにぎりかという話じゃなくてだな。

 たぶん敦志くんは、おまえの一連のメッセージ――どこまでも飯にしか興味がなさそうな感じ――に、希望の芽なしと踏んで、意気消沈したんだと思うぞ。

「肉巻きおにぎりにもトライしたい」の前に、「敦志さんと一緒に」の八文字を添えるだけで、事態は劇的に変わったと思うぞ。


 だが、俺がそれらのフォローを入れるよりも先に、志穂はふっと遠い目をすると、黙々と床に落ちたエプロンを拾った。

 そうして、ぱん、ぱんと軽く埃を払ってから、それを畳んだ。


「……帰る」

「は!?」


 ぎょっとして聞き返すと、志穂は潤んだ目でぎっとこちらを振り返り、言い捨てる。


「私、提案力のない鈍感だから、もう帰る!」

「わけわかんねえよ!」


 すかさず突っ込むが、志穂は傷心の態だ。

 そのまま厨房を抜けようとし、だがとうもろこしの山に気付いてはっと息を呑み――思いきり悩ましい表情を浮かべた後、ぷいと顔を背けた。


「……このとうもろこしは、お兄ちゃんが調理してやってよ」

「……はい……?」


 思わず頬を引き攣らせると、志穂はニヒルな笑みを刻んだ。


「私、スルースキルの高い、斜め上の人間だから。提案力の高いお兄ちゃんが、お客さんのニーズをばっちり掴んだ、とっておきの一品に仕立ててあげてよ」

「え、ちょ、待っ……」

「頼んだ」


 言うが早いか、すたすたと勝手口に向かう。

 だが、アルミ製のノブに手を掛けながら、「ただし」と、やつはおもむろに振り向いた。


「ネットで『とうもろこし レシピ おすすめ』とか検索しようものなら、――『提案力(笑)(ワラ)』って、指さして笑ってやるから」

「…………」


 俺は、「と」まで入力していた検索画面を閉じ、調理台にスマホを伏せた。

 それを見届けて、志穂はふっと笑う。


「他人に相談するのもなしだからね。――それじゃ、お疲れさまでしたー」


 ぱたん。

 夜の籠った熱気を取り入れながら、扉が閉まった。


「…………」


 残された俺は、こんもりとした小山を形成しているとうもろこしを、まじまじと見つめる。


 調理。

 客のニーズをばっちり掴んだ、とっておきの一品に調理。


 ……俺が?


「……ば、馬鹿にすんなよ、志穂め。俺にかかりゃ、瞬殺だっつーの」


 ネット検索? するもんか。

 他人に相談? するもんか。


 そんなことしなくたって、ここ最近でめきめきと腕を上げている俺にかかれば――






「神様ー」


 がろん、がろん。


 わずか十分後、俺は神妙な表情で神社の鈴緒を鳴らしていた。

 賽銭箱のすぐ横には、缶ビールも置いてある。


 夜の境内には、蒸すような熱気以外には人の気配もない。

 それをいいことに、俺は、恥も外聞もなく神様に縋った。


「ピンチです。助けてください。妹が横暴すぎて、兄の沽券が危ういんです。夏にうれしい、ちょっとイカしたとうもろこしの食い方を教えてください。今すぐ! 簡単なやつを! 材料も少ないとなおよし!」


 どうせ恥をさらしているのは一緒なので、遠慮なくこちらの望む条件もすべて叫んでみる。

 しばらくすると、ほうっとため息をつくように静かに、御堂が柔らかな光を放った。

 

 ――おまえ。私をなんだと思っているのだ。検索機能の充実したレシピアプリかなにかか?


「いやだって! 明確な願いがないと叶えようがないって、神様が言うから」


 ――空気を読め、たわけめ。条件ばかり上から目線で並びたてられて、いそいそ叶えてやろうと思い立つ神がいるものか。もっとこう、庇護欲というか、自尊心をくすぐるようにだなあ、上目遣いのひとつ、揉み手か柏手(かしわで)のひとつもして願わぬか。


 この神様の中で、柏手は揉み手と同列の扱いなのだろうか。

 そんなことを思わないでもなかったが、俺はぱん、と手を合わせて「この通りです!」と叫び、それからばっと両腕を広げた。


「ささ、どうぞ!」


 ――む?


「引き換えに魂の未練を晴らすって流れでしょう? どうぞ、俺の身体をご用立てあれ!」


 にこやかに宣言する。


 そう。

 どうせいつもの展開になるならば、今回に限ってはこちらから申し出てしまえと思ったのだ。

 毎回神様に乗せられて「こんちくしょう!」と思いながら体を貸す展開ばかりだったので、意表をついてやりたいという思惑もある。


 まな板の鯉、というには堂々とした態度で魂の顕現を待っていると、神様はちょっと当惑したように押し黙った。


 ――……なにか、こう……。


「なんでしょう?」


 ――いや。つつがなく事態が進展してありがたいのとは裏腹に、得も言われぬ物足りなさを覚える。


 俺はにやりと笑った。


 だが、神様は早々に思考を切り替えたらしく、やがて俺の目の前に、すっかり見慣れた白い靄が凝りだした。

 細い手足に、小さな顔。シュシュで清楚に結んだポニーテールに、小柄な体。

 靄は徐々に輪郭を結び、やがて女の子の姿を取った。


 そう、女の子。

 若いどころではない。ぱっちりとした二重の瞳にあどけなさを残した――おそらくは、中学生になるか、ならないかくらいの女の子だ。


 以前だったら、「おや、珍しい」くらいの感想しか抱かなかったであろう魂の姿。

 しかし、龍司くんとの一件を経た俺は、彼女のように幼い魂が現れた哀しさを思って、無意識に眉を寄せた。


『お兄さんが、体を貸してくれるんですか?』


 しかも、少女はその細い手をそっと組み、心底申し訳ないというようにこちらを見上げてくる。


『お忙しいところ、すみません……。ありがとうございます……!』


 そんないたいけな感謝まで捧げられて、俺はとっさに首を振った。


「――……神様……」


 ――む? どうした?


「だめですよ……。俺……、自信ない……」


 こんな年齢で人生を閉ざされてしまった彼女は、どんなにつらかったろう。どんなに悲しかったろう。

 彼女が大切な誰かに料理を振舞うことを望んでいるのだとして――俺なんかが、その痛切な想いを代弁できるだなんて、とうてい思えなかった。


 俺には荷が重すぎる。

 そう言って口を引き結んでいると、神様は、ほう、と相槌を打ち、淡々と少女に話しかけた。


 ――だ、そうだが。


『そんな……裏目に出るなんて。……ちっ』


 大きな瞳を見開いた少女は、困惑の呟きと舌打ちを漏らし……――舌打ち?

 唖然とする俺の前で、さっとシュシュをほどき、がしがしと頭を掻いた。


『ちょっと、神様。ヒゴ欲と自尊心をくすぐるには、上目遣いか揉み手じゃなかったの?』


 ――やはり柏手が必須だったのではないか?


『柏手って、魔を(はら)うためにやるんでしょ? これから体を乗っ取る相手のこと、祓っちゃってどーすんのよ』


 先ほどまでの健気な口調が嘘だったかのように、ずけずけとものを言う。

 態度も随分大きくなったようだ。


 というか、「乗っ取る」って。

 言葉の不穏さと不遜さに、俺はひくりと唇の端を引き攣らせた。


「ちょ……君……君ね……」

『お兄さんさあ、デキない新入社員じゃあるまいし、「僕できません」なんて言って展開投げないでくれる? 体を貸す。それだけでいいの。あとは全部、私がうまくやるし』


 ぽんぽんと大人びた言葉を放つ様子は、どこか俺の妹にも通じる強気さがある。

 いや、あいつだってこのくらいの年の頃には、もう少し可愛げがあった。


「いや……せっかく人がさ……、よほどの未練なんだろう、大切な人に料理を振舞いたいんだろうって……それなら絶対失敗なんてできないって、気負って……」


 たじたじとなりながら言い返すと、彼女はふんと鼻を鳴らし、傲岸不遜な笑みを浮かべた。


『お兄さんに、四方八方を丸く収める手腕なんて期待してないし。私の場合、手の込んだ料理を振舞いたいっていうよりは、嫌がらせに近いし。四の五の言わず、体を貸・し・て』


 あげく、語尾を強調される。

 それから彼女はこきっと首を鳴らすと、準備運動とばかりに手足を振りつつ、ふと思いついたようにこちらを睨みつけてくるではないか。


『ねえ、念のため聞くけど、お兄さん、ロリコンとかじゃないよね?』

「――は?」

『うら若き乙女がさあ、お兄さんの身体とフュージョンしちゃうこのシチュエーション。それにコーフンするような変態じゃないですよね、って聞いてんの。万が一したら、乗っ取ったその身体、裸に剝いて、町内ぐるぐる走り回ってやるからね?』

「な……っ!」


 言うに事欠いて、なんてことを。

 絶句していると、少女は再びふふんと笑って、前傾姿勢を取った。


『それじゃあ、そういうことで――』

「ちょ、ちょっと待て、待て待て待て!」


 まだやるとは言っていない。

 ついでに言えば、ロリコン疑惑も撤回させてないぞ。


 だが、俺の意思も名誉もまったく考慮せずに、彼女はだっ! と効果音がしそうな勢いで、こちらに向かって走りはじめた。


『フュー……――』

「ちょ、待……っ!」

『――ジョン!!』


 ふわん。


 勢いから予想される衝突の規模とは、まるで見合わない軽やかな音が響く。

 次の瞬間には、


(わ、視界が高い! ……でも、魂として浮いてるほうが物理的には高いか。うん)


 脳裏に、小生意気な女の子の声が聞こえだした。


「…………神様」


 きゃらきゃら笑いながら、俺の身体を弄ぶように点検する少女から、主導権を奪って拳を握る。

 先ほどと同じようなセリフに、先ほどとは少々異なる感情を乗せて、俺は神様に訴えた。


「俺……っ、こいつとうまくやってく自信、ないんですけど……!」


 こんな生意気で無礼千万な魂、とうてい御しきれる気がしない。


(えー? 失礼しちゃう!)


 ――案ずるな。私から見れば、こやつもおまえも似たようなものだ。


 同時に上がった反論を無視し、俺はもうひとつ付け足した。


「あと俺、――ロリコンじゃねえからあああ!」


 むせ返るような緑の匂いと、じっとりと水気を含んだ夜の風。

 そこに、俺の渾身の叫びと、


 ――うむ。やはりこうでなくてはな。


 どこかまじめくさった口調の、神様の相槌が響いた。





***





 このたび俺に憑依した女の子の魂は、この春に進学したばかりの中学一年生。

 名前を、蒲田(かまた)みのりと言った。


 本人いわく、「スカウトだってされたこともあるプリチーな容貌とよく回る頭脳、気配りもできる、クラスカーストの最上位者」であったらしいが、小学六年生の冬に血液のがん――いわゆる、白血病を発症。

 化学療法を施したものの、合併症が元で、中学進学後わずか二週間で亡くなったとのことだ。


(まったくさあ、美人薄命とは言うけど、美女になりきらない、美少女の段階で芽を摘んじゃうことないじゃんねえ? どんだけ早くから美人認定されてたんだ、って思わない?)


 みのり――本人の希望で呼び捨てにさせてもらう――の口調は、独特な毒に満ちている。

 あっけらかんとした様子にはだいぶ救われるものがあるものの、自虐の色を帯びた内容にどう返してよいかわからず、俺は曖昧に頷くばかりだった。


 結果、年頃の女子ならではの残酷さというか、下手な大人よりもよほど容赦なく繰り出してくる波状「口」撃に、俺の精神は、店にたどり着くだいぶ前からぼろぼろだ。


(どんだけ、と言えば哲くんさあ、定食屋で働いて半年以上になるのに、いまだに玉ねぎのみじん切りで泣いちゃうってほんと? 魚を三枚おろしにするつもりで、二・五枚おろしになっちゃうっていうのも?)

「……ほんとデスガ、いったいどういった経緯でそれを知ってるんでしょうねえ?」

(哲くんの妹さんのぼやき、からの神様、からの私。ていうかやばいよね、その成長速度? よく今まで、魂の指導付きとはいえ、料理で未練を晴らしてこれたよね。なによりまずそこに奇跡を感じない?)

「……ははは」


 彼女の話題は、野を駆けるうさぎのようにあちこちを飛び回り、そのたびにごりっと地面を抉っていく。

 平常心、平常心、と胸の中で唱え、


「みのりの番で大失敗しないように、頑張らなきゃなあ」


 と我ながら大人な対応で臨んだところ、みのりはそれを踏みにじるような発言を寄越した。


(あっ、大丈夫、大丈夫。失敗するほうが奇跡、みたいな超初心者メニューしか作らないつもりだから)


 言外にものすごく馬鹿にされた気がする。

 だが、純粋にメニューの正体が気になり、俺は首を傾げた。


「なんだよ、超初心者メニューって。目玉焼きとか?」

(んーん。もっと簡単かも。茹でとうもろこし)


 茹でとうもろこし。

 それはたしかに簡単そうだ。茹でるだけなのだから。


 だが、そのあまりの難易度の低さに、俺は困惑して眉を寄せた。


「ほんとにそれでいいのか? とうもろこしが好きな人が相手だってんなら、もっと凝ってもいいんだぞ? なんかあるだろ、ポタージュとか、ちょっとおしゃれなサラダとか」


 とうもろこしを茹でるだけじゃあ、提案力が求められる課題のヒントにもならねえよと、ひそかにそう思ったのも事実だ。

 だが、俺の申し出に、みのりは軽く笑って首を振った。


(いいの、いいの。あの人には茹でとうもろこしで十分)

「あの人?」


 どこかよそよそしい言い回しに、首を傾げる。

 するとみのりは、小さく首をすくめて「父親」と答えた。


「え……」

(父親よ。お父さん。私の入院中、一回しか顔を見せに来れなかった、ダメダメなお父さん)

「それは……」


 突き放した言い方に、思わず口ごもってしまう。

 同時に脳裏には、先ほどの彼女の発言がよみがえっていた。


 ――私の場合、手の込んだ料理を振舞いたいっていうよりは、嫌がらせに近いし。


 薄情な父親への仕返しということだろうか。

 思わず、冷や汗がにじむ。


「と……とうもろこしにアレルギーがある、とかじゃ、ねえよな……?」

(それはないよ。でも、目にしたくもないほど避けてはいるかもね。あはは)


 あはは、じゃねえ。

 が、つっこむ前に、「てしをや」の裏口に着いてしまう。


 真意の読めないみのりの発言に、内心で「とうもろこし以外にも緊急避難メニューを用意しておこう」と決意を固め、俺たちはアルミ製のノブに手を掛けた。





(ふーん。お店の中って、こんな風になってるんだー)


 みのりは、業務用の冷蔵庫やずらりと横に並んだコンロを興味深げに見回すと、店内で気になったらしいものをひとつひとつ指さした。


(これはなあに?)

「ダスター。使い捨てしやすい台布巾みたいなもの」

(この流し台に伏せてあるグラス、すごく古いけど、こんなのお客さんに出していいの?)

「それは俺たちが調理中に飲む用。最近特に、冷房かけてても厨房は暑いから、ちょこちょこ水分補給しねえと倒れちまうの」

(ふうん。お! これは、アレでしょ? ビール入れるやつ!)

「そう。ビールサーバー」


 気分は、子どもの社会科見学を引率する先生だ。

 一通り質問攻めにすると満足したらしく、やがてみのりは「超初心者メニュー」の準備を始めた。


 といっても、用意したのは大きめの鍋に、たっぷりの水。そして塩。それだけだ。

 それよりも彼女は、小山をなしているとうもろこしを見つけると、その検分にじっくりと時間をかけた。


(あ。これ、たぶん、おばあちゃんちで育ててるのと一緒の品種だ)

「そうなのか?」

(うん。ほら、黄色と白の粒が混ざってるでしょ。こういうの、バイカラーっていうんだけど)


 緑の皮を一部剥いで覗き込みながら、そんなことを言う。なんでも彼女のお祖母さんは、北海道で農家をやっているそうだ。


 皮は緑の色味が濃いものがよいこと。

 切り口はみずみずしいものを選ぶこと。

 先端までぎっしりと、かつ、ふっくらとした粒が詰まっているものがおいしいこと。

 みのりは、はきはきとした口調でそれらのレクチャーをしてくれた。


(髭の数はね、とうもろこしの粒の数と一緒なんだって。だから、髭がふさふさしてればしてるほど、粒もぎっしりしてる。この中では――この子が一番かな)


 彼女は慎重に髭の量を確かめてから、おもむろに一本を選び出した。

 持った手にずしりと重みを感じる、たしかにうまそうな一本だ。


 それを、


(よいではないかー、よいではないかー、あ~れ~)


 などという寸劇を挟みながら皮と髭を剝く。

 そして、陽気な黄色を露わにしたとうもろこしを、水を張った鍋にぽちゃんと、丸ごと一本を放り投げた。


「え、水から入れんの?」

(うん。沸騰した後に入れるとシャキシャキ、水から入れるとじゅわって感じになるの。私はジューシーが正義だと信じる女子だから、水入れ派)


 彼女いわく、去年の自由研究で、大量のとうもろこしを湯がき、食べ比べまくったらしい。

 自信満々に言い切るみのりを信じて火をつけ、それから俺は塩のタッパーを手に取った。


「なあ、塩忘れてるぞ」

(忘れてないし。後から入れるんだよ)

「ほほう?」


 平然と答える彼女に、「本当は忘れてたんじゃないだろうな」などと内心で疑わしく思っていると、まるでそれを読み取ったかのように、


(やれやれ哲くん、浸透圧って言葉、知ってる?)


 たいそう人を小馬鹿にしたような声が響いた。

 最初に塩を入れてしまうと、水分が粒の中に入っていきにくくなるらしい。


 言い方にかちんと来なくもなかったが、俺はあくまで大人であるので、実に平然と答えてやった。


「知ってるし。聞いてみただけだし」


 ……ちょっと、大人げない口調になってしまったかもしれない。


 その後、ぼこぼこと泡を立てて鍋が沸騰してから、きっちり三分をタイマーで測ると、みのりは、


(今だ!)


 と叫んで塩のタッパーを手に取った。

 火を止めた鍋の中に、大きな匙ですくった大量の塩を投げ入れていく。

 ひと匙、ふた匙、さん匙――


「入れすぎじゃね!?」

(いいの、いいの。海水くらいしょっぱく、ってのが秘訣だから)


 そうして、さあっと溶けた塩をまとわせるように、鍋の中でくるくるととうもろこしを回すことしばし。


(こんなもんかな!)


 みのりは満足げな声とともに、とうもろこしをザルにあげた。


 いまだ、しゅわしゅわと音がしそうなほどの湯気に包まれているそれを、あち、あち、と言いながらまな板に移す。

 大きめの包丁でぶつ切りにして――あっという間に、茹でとうもろこしの完成である。


(味見してみる?)


 得意げにみのりが言うので、俺は頷き、小さめに切ったひと切れを手に取った。


 茹でていっそう色の深みを増した、黄金色と呼んで差し支えない塊。

 ところどころに混じる薄黄色の粒が、まるで宝石のようにつやつやとしている。

 熱く滑らかな粒はぷっくりとしていて、中で渦巻いているのだろう汁気の感触が伝わってくるようだった。


 芯を指先で挟み込むようにしながら、口に運ぶと――


「――……ふはっ!」


 一番に感じたのは、熱だった。

 粒に食い込ませた歯の先が、ちんと熱い。


 それから、強めの塩気と、つるりとした皮の感触。

 それを食い破ると、じゅっと迸る勢いで、とろけるような甘みが広がる。


 うまい。熱い。甘い。


 塩を存分にきかせたおかげで、とうもろこしがひたすら甘く感じた。

 噛めば噛むほど汁気がじゅわっとあふれ出す粒は、ものすごい食べごたえだ。


 それ自体もうまかったが、芯からにじみ出る汁がまたうまい。

 ほんのり甘みを残したしょっぱい汁を、行儀悪くじゅるじゅる吸いたくなる。

 ――いや、正直に言おう、じゅるじゅる吸っちまいました。だって、そのくらいうまいのだ。


 結局、食欲が着火してしまい、遠慮のかたまりを一切れ残して丸ごと食いつくす俺を、みのりは呆れたような、微笑ましいような様子で見守っていた。


(その一切れって、残す意味ある? あーあ。また一から作り直さなきゃだ)

「……いいじゃねえか。茹でるだけだろ?」


 ちょっとしたばつの悪さを覚えながら、俺は再び鍋に水を張りはじめる。

 みのりがこれ、と指定したとうもろこしを火にかけて――すみませんお父さん、一番ぎっしりしているのは俺たちが食ってしまいました――、俺はふと顔を上げた。


「っていうかさ、ほんとにこれだけでいいのか? もっと、味噌汁とか、おかずとか、用意したら? うち、干物もあるし、漬け込んだ肉もあるから、唐揚げとかもできるけど」


 脱・嫌がらせプロジェクトである。

 いくら薄情な父親相手とはいえ、せっかく神様の力を借りてまで振舞う料理なのだから、負の感情になんて囚われず、気持ちよく食わせてやったらいいのに、と思ったのだ。


 だがみのりは頑なに、いいの、と首を振り、少しだけ考えた後、譲歩するように肩をすくめた。


(まあ、ビールくらいなら付けてもいいかな。茹でとうもろこしにビール。完璧じゃん)


 たしかに、夏の晩酌セットとしてはアリだと思うが、目にしたくもないほど嫌っているもの、しかも単に茹でただけのものを料理として出すというのは、やはり気が引ける。


「いやほら、店として出すのに、それだけっていうのもちょっと……」


 店の体裁を言い訳にしてまで、説得を試みたが、みのりもまた譲らなかった。


(なんで? ビールって麦でできてるんでしょ? 炭水化物と野菜。バランスもばっちりじゃん)


 ああ言えばこう言う子である。

 俺はちょっとむきになって言い返した。


「残念でした! とうもろこしは野菜じゃなくて穀物だから。穀物と穀物で、炭水化物攻めになってるから!」

(…………)


 一瞬口ごもった相手に、よし、勝った、と内心で拳を握る。

 が、みのりはふっと小さく鼻を鳴らすと、


(どう? 中学生から全力で奪いにかかった勝利の味は)


 とせせら笑ってきたので、俺はうがあと頭を抱えた。

 ああ言えば、こう言う!


「おまえ……おまえなあ! せっかく人が――」


 だが、そのとき。


 ――カラ……。


 小さく音がして、玄関の引き戸が開いた。


「こんばんは。……まだこちらのお店は、やってますか?」


 音を追いかけるようにして、男性の低い声が響く。

 時間切れだ。


 俺は天を仰ぎそうになりながら、せめて愛想よくと思い、「いらっしゃいませ」と声を張り上げた。

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神様の定食屋4
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