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――第四変 感謝の言葉――

 荒れ狂う竜巻の中、藍は泣いていた。その声は誰にも届くことはなく、既に意識も希薄であった。

 真っ白な部屋、というのは単に空に居ただけであって、少女はそこから地面に叩き落とされた。

 叩きつけられた衝撃によって藍の意識は戻ったのだ。そこで藍は信じられないものを見た。

「え――? お父さん? お母さん?」

 愛のもとに駆け寄ってくる二人の人物。それは紛れも無く、自分が殺してしまったはずの両親だった。

「お父さん! お母さん!」

 薄れていた意識が完全に戻り、二人のもとに走る。距離にして十メートル。その距離があまりにもどかしいと感じていた。

 しかし、彼女の運命はあまりにも残酷であった。もう少しで触れ合えるところで、二人はその場で倒れてしまった。

「え――?」

 倒れた二人の身体は、赤く染まった液体で濡らしていった。すぐ近くに、何台もののロボットがこちらにナイフを向けているのが分かった。

 そのナイフが、二人の心臓を貫いていたことを理解するのに、数秒の時間を要した。

 希望から絶望へ。藍はそれを悲しむことはなかった。

「『暴風の対翼パズズ』――――ッッ!!!!」

 二人を殺した、怒り。憎しみが募り、目の前にいるロボットを破壊し尽くす。既に理性は無くなっていた。あるのはただ一つ、両親を殺したという憎しみだけだった。

 ロボットはゆうに百台を超える数に増えていった。一台一台に銃火器や鋭い刃がついており、普通の人間では到底太刀打ち出来ない。

 しかし藍は止まらない。風の力で爆発的な速度を持って移動し、背中から生える翼から風を起こし、何台ものの機械兵士を切り刻んだ。

「ガァァァァッッ――!!」

 その姿は人間ではない。災害と言っても過言ではなかった。暴れ狂う風は藍の味方をし、大量にあった機械兵士はすぐに全滅した。

「ア、アァ――」

 壊しきってから気付く。藍の身体がどんどん黒くなっていたことに。

「ア――」

 意識が黒く塗りつぶされ、本来の藍の意識が無くなっていく。これが完全に消えたら、もう戻れなくなる。藍は残っている意識でそう思った。

 でももう遅い。藍の両親は殺されてしまった。その事実だけは変わらない。もう帰る場所なんて無いのだ。

「いやぁ、随分と派手にやってくれたね」

 と、急に軽々しく話しかけてくる人が居た。竜巻の内部に何事もなく入り込んだ人物は、藍にとって最も憎むべき存在であった。

「まさに異常能力者だ。量産型のタイプベータがこうもあっさり壊されると参ったものだよ。これ一台だけでも結構金かかるんだぜ?」

 藍はその人物に風を叩きつけた。普通なら圧死するほどの風圧を与えた。が、その人物は少し動いただけで躱してのけた。

「おいおい。本当に俺は嫌われる質なんだな」

 その人物、來先はポリポリと頬を掻く。來先は恐れることもなく、目の前にそびえる黒い災害に向かって手を差し出す。

「確かに俺は君の両親を殺した。間接的にだけどな。でもそれは仕方のない事だ? だって俺たち黒の教会を裏切ったのだから。それ相応の報いってものがあるだろう?」

「ガァァァァッッ――!!」

 藍はそんな言葉に耳を傾けず、連続で來先に風を放った。一発でも当たれば即死の風を、來先は容易く躱していった。

「――チッ。だからガキは嫌いなんだよ」

 諭すように話すのを止め、苛立った様子で頭をガリガリと掻く。もう話しても無駄だと理解したのか、來先は軍服の内側に手を突っ込む。

「ここまでイッちまったら殺すしかねぇしなぁ。なぁに、すぐに両親のもとに行けるってのは嬉しいだろぉ?」

 來先は懐からナイフを取り出す。しかしそれは、ナイフと言うよりも馴染んでいる名前があった。

 柄の部分が長く、刃のほうがかなり短い。今では医療用によく使われるもの、メスであった。

「ウガァァッッ!!」

「うっせぇんだよ。さっさと黙りやがれ、この紛い物が」

 來先はメスを突き刺すように構える。來先が何か使用する前に暴風が目の前に迫ってくる。しかし來先は慌てた様子を全くしていない。そもそも脅威だと思ってもいないようだ。

「興冷めだ。――消去デリート

 來先の言葉とともにメスが振るわれる。すると目の前にあった暴風は、突然消えてしまった。

「ガァ――?」

「そら、もう一撃だ。消去」

 今度はメスを空間に対して振るう。すると空間が切り裂かれたように開いた。そこに來先は躊躇もせずにメスを突き入れた。

 途端、藍の動きが止まった。風が止み、全ての時が止まったように思えた。

「ガ、アア……ああ――」

 藍は黒い姿のまま、自分の身体を見る。何も起こっていなかった箇所から、急に痛みが溢れだしたのだ。

 見やると藍の胸部、心臓辺りの皮膚が裂け、赤い液体を流していた。それは紛れも無く、自分が刺されたことを意味していた。藍はその場に倒れこむと、身体が元の姿に戻っていった。

「……痛い、よ。お父さん、お母さん――」

 地面に倒れた藍は、そこには居ない二人を呼ぶ。藍はまだ認めていなかった。二人が死んでしまったことが。自分が今、死にかけていることが。

「……やだ、やだよぉ――もっと、一緒にいたいよぉ」

 それは歳相応のワガママであり、泣きじゃくる赤子のようであった。こんな過酷な運命を背負った少女を、誰が責めようか。

「――チッ。あーあ、つまんねぇなぁ。異常能力者っつーのに大したことねぇんだな。やっぱ紛い物じゃ俺には勝てんか」

 少し離れたところにいる來先が、メスを拭いて呟く。その声は藍には届いていないが、ただ単に愚痴っているだけだった。

「早く兄貴に会いてぇんだけどなぁ――っと、こいつはどうせ死ぬだろうし、あのままでいいか。ま、最後の悪あがきってのも、一興だしなぁ」

 來先は歪な笑みを浮かべた後、踵を返して、その場から離れようとする。が、一度振り返って藍に聞こえるように告げる。

「そういえば自己紹介してなかったな。俺の名前は來先準夜じゅんやだ。『破壊』を司る異常能力、『滅却の右目ディアボロス』の使い手だ」

 來先はメスで空間を切り裂き、空間内に飛び込むとその場から消え去った。あとに残されたのは、死の淵にいる藍だけだった。

 もうすぐ死ぬ。それを実感し、今度は怒りや悲しみをも超えた、恐怖が襲いかかってきた。

「……いやッ、ゴホッ――! 死にたく、ないよぉ……」

 すがろうとしても周りには誰もいない。あるのは自らが作った大きなクレーターや倒壊寸前のビルくらいだ。いつもは人が歩いている時間であるだろうが、今は何故かこの地区に人はいない。

 それもそのとおりだ。凛華達が藍を応戦するために、避難勧告を発令したからだ。ここに普通の人間が立ち寄ることはあり得ない。

 そう。普通な人間なら、である。

「藍ちゃん――ッ!!」

 藍のもとに近づく一人の少年が居た。それは昨日からずっと藍の両親を探してくれていた、刻己だった。身体は砂埃で汚れ、汗を大量に流しながらも、心配そうに藍の顔を覗いていた。

「おい! しっかりしろよぉ! なんでこんな血だらけになってんだよぉ!?」

「……分かん、ない」

 藍の意識は朦朧としていたが、刻己が近くにいてくれることで安心感を抱いた。一人でいるのと誰かがいるのとでは、まるっきり違う。

「待ってろぉ! すぐに血止めるから――って、んだよこれ。心臓にまで傷があんじゃねぇかよ。コレじゃ止めようが……」

 刻己は藍の傷の手当てをしようと患部に手を当てて、直そうとしたが躊躇する。場所が場所なのだ。心臓という複雑な構造上、安易につなぎ合わせても応急処置にならないからだ。

「くそッ!! これじゃあ血が止まんねぇじゃねぇかぁ! 一体どうしたらいいんだよぉ!」

「……お、兄ちゃん」

「えぁ? 藍ちゃん?」

「……刻己、お兄ちゃん」

 初めて、藍に名前を呼ばれ、刻己は少しだけ呆けてしまった。が、すぐに笑みを浮かべる。

「あ、あぁ! 大丈夫だからなぁ。すぐに直して、お父さんとお母さんに会いに行こうぜぇ?」

「……うん。でも、お父さんとお母さん。もう、居ないんでしょ?」

「はぁ? 何言ってんだよ。ちゃんといるぞ? ちょっと今は避難してるけど、藍ちゃんが元気になればすぐにでも会えるよ」

「え……? 本当……?」

 そんなことは嘘だ。藍は目の前で見てしまったのだから。両親が殺される所を。それなのに刻己は、本当に何を言っているのか、と言った表情で藍を心配していた。

「俺は嘘が嫌いなんだよぉ。二人共、藍ちゃんのことを待ってるよ」

 確かに見たところ、刻己が嘘をついているようには見えなかった。藍の両親は生きていて、今は避難している。しかし、藍の目では二人共殺されたという事実は変わるはずがない。助かるはずがないのだ。それでも藍は、刻己の言葉を疑いはしなかった。いや、そもそも認めたくなかっただけだ。二人はもうここに居ないという絶望を、持ちたくなかったのだ。

「……うん、うんっ! 会いたい……お父さんとお母さんに会いたいよぉッ!!」

 藍はポロポロと大粒な涙をこぼした。一目会うだけじゃない。もう一度、二人と一緒に、もっと長く暮らしていきたいと、強く願っていた。

「そうだよなぁ。――よし。少し待ってろ。すぐに直してやるからなぁ」

 刻己は目を閉じ、患部に当てた手の先にある神経を集中させる。直すは心臓の傷。開かれた部位を、縫って直すだけのことだ。刻己は深く深呼吸し、眼を開く。

「――修復リペア、開始」

 刻己の紡がれた言葉とともに、二人の周辺は暖かい光に包まれる。それは今までの複製や貼付けとは違う。壊れてしまった部分を、出来るだけ直すということに特化した力。しかし、

「――――ッ!?」

 突然、何かに拒絶されたように刻己の腕が弾き飛ばされた。ヒリヒリとした痛みだけではあったが、それよりも突然の出来事に困惑していた。

「ウぁ――ッ!? アァぁぁッッ!!」

「藍ちゃん!?」

 藍に駆け寄ろうとするが、何故か再度発生した風圧によって刻己の足は阻まれてしまった。飛ばされないようにと必死に耐えていると、薄っすらと藍の様子がおかしいのが見てとれた。

 胸部から流れ出ている血は溢れたままであった。しかしその流れ出た血液は、意志を持ったかのように動き出し、元の場所に戻っていった。

 その様子はまるで、時間が戻っているかのように。

「おいおいおい……失敗したツケがこれってやつかぁ?」

 ヒヤリとした汗が頬を伝う。どうみても修復が成功したとは言えない。先日藍の家で感じた、怖気ましい殺気と憎悪によって身を凍らせる。

 目の前には苦しんでいた藍の姿はなく、真っ黒な姿をした人外の姿だった。

 それは刻己の知らない、異常能力が暴走している藍の姿だ。持っている力も元のままだ。

「――やっべぇな、おい」

「――ガァァァァッッ!!!!」

 強烈な咆哮。刻己はそれを受け、恐怖で足が震えた。こんなやつと戦えるわけがない。戦いにすらならないと、頭のなかで理解してしまった。

 藍だったその怪物は、刻己に向けて両手をかざす。その手の中心に風が集まり、一つの球体が浮かび上がる。

 球体は光をも捻じ曲げるほどの圧力を持っていた。飲み込まれてしまえば、一瞬にして紙のように潰されてしまうほどだろう。

「藍! 俺のことが分からないのかぁ!?」

「グガァァ!!」

 藍の耳には既に刻己の声が届いていないのか。藍は獣のように叫び、その球体を放った。

 球体は刻己に向かって一直線で飛んでくる。刻己は覚悟して、両腕で顔を守ろうとする。気休めにもならないのは百も承知。ただ本能で身体が動いたのだ。すると――

 突然、球体が破裂し、刻己の後方に突き刺すように分裂していった。

「なぁ――?」

 身構えていた刻己は突然のことに思考が回らなかった。誰かが藍の攻撃を防いだのだろうか。しかし周りを見渡しても、刻己と藍以外に人は存在しない。人はだが。

 刻己は先ほど放たれた風の行き先を見ると、そこに大量の機械兵士の残骸があった。藍は最初から刻己ではなく、襲撃してくる機械兵士を狙っていたのだ。

「藍! 意志があるのかぁ!?」

「……き、ざみ……お兄……」

 藍は一度刻己の方を向いて、苦しそうに言葉を吐き出す。真っ黒だった身体が、少し元に戻っていた。意志が完全に持っていかれる前に、藍は両手を左右に広げ、力を目一杯放出する。

「『暴風の対翼パズズ』ッ!」

 放たれた風は藍の周りを囲み、大量の竜巻が生み出された。そこに隙間はなく、入り込もうとすればすぐさま木っ端微塵にされるほどの圧力。

 竜巻の内部に居るのは藍と刻己だけ。刻己は周りを見渡した後、藍の方に近寄ろうとするが「……来ないでッ!」という藍の拒絶によって怯んでしまう。

「どうしてだよぉ? 早くお父さんとお母さんに会いに行くんだろう?」

「……もう手遅れなの。藍は、もう力を抑えられない――ッ!」

「抑えられないって、あんだけ力使えばむしろすっからかんに――」

「……ならないの! どれだけ強い風を生み出しても、力が溢れちゃうの! このままじゃ、お父さんとお母さんだけじゃない。全部壊れちゃう!」

 藍は苦しそうに呻き、あふれる風を留めようとする。それでも溢れてしまう風は藍の周りに壁を作るように吹き出されていた。

「……だから、ね。藍がまた暴走する前に、その手で藍を――」

「それ以上ふざけたこと言うんじゃねぇ」

 藍の言葉を遮るように刻己は言う。その言葉に藍は堰を切ったように反論した。

「……でももう無理なんだよ! 藍の力はあまりに強すぎるの。これ以上身体という器が保たないと、中にある力が溢れて大変なことになっちゃうの!」

「んなこと知らねぇよ」

 刻己の言葉に藍は驚愕の表情を見せた。あまりに身勝手な言葉だ。それでも、刻己は藍が勝手に諦めるのが許せなかった。

「他がどうなろうが俺の知ったこっちゃねぇ。だけどなぁ、藍ちゃんが一人でそれを背負っていくのはおかしいんだよぉ」

 刻己は藍に向かって足を踏み出す。藍は怯えるような表情で、叫び声をあげる。

「……お願いだから来ないで! 刻己お兄ちゃんが傷ついちゃう!」

「だから知らねぇっつーの。んなもん」

 藍の抑えきれない力が刻己に向かって襲いかかる。目に見えたとしても、その風の刃は速く、刻己は避けることが出来ず、幾つものの切り傷が生み出される。

 それでも刻己は、足を緩めることはしなかった。

「……これ以上はダメだよ! 本当に死んじゃうよ!?」

「死なねぇよ。それに俺は、一度決めたら絶対に信念を曲げねぇ奴だからな」

 一歩。一歩ずつ足を進める。藍に近づく度に襲いかかる風は強くなり、刻己の身体は赤く染まっていく。

 両腕、両足、腹部、額。あらゆる箇所が切れ、血を流す。それでもなお、刻己は足を止めること無く、藍に近づく。

 そして遂に、藍の目の前に着く。苦しんでいる藍は背を丸め、胸のあたりを掻きむしるように両手で服を掴んでいた。

「ほらなぁ。ちゃんと生きてるだろぉ?」

「……もう、無理、しないでよ」

「その願いは聞けねぇなぁ。藍ちゃんが助からなきゃ、後で藍の両親に殺されるからなぁ」

 冗談を言って刻己は笑みをこぼす。それにつられてか、藍の表情も少し和らいだ。

「じゃあさっさとその異常能力、摘出するかぁ」

「……え――? そんな、こと、出来る、の?」

「いや、多分ムリだろうなぁ。つっても全部って訳じゃ無ぇ。とりあえず、試してみる」

「……た、試して、みるって――ッ!?」

 刻己は藍の狼狽に気づいていないのか、気にせず右手を藍の胸の中心に触れる。藍はそれを見て、顔を真っ赤にして抗議しようとするが先に刻己が口を開く。

「わりぃけど少し我慢してくれ。力の発生源が心臓だから、こうでもしねぇと位置が分かりにくいんだよぉ」

 と、刻己もバツが悪そうな顔をして左手で頬を掻く。その顔も、少し赤く染まっていた。

「じゃあ始めるぞ。――消去デリート

「……え――?」

 刻己は目を瞑り、言葉を紡ぐ。藍の驚く声が発せられたが、刻己の耳には入らなかった。

 異常能力という力そのものを消すのは不可能だ。だからこそ、その溢れかえる力、根源さえ消してしまえば、異能力者と変わらない安定した力になるはずだ、と刻己は考えた。

 事はすんなりと行われた。心臓付近にある、異常能力が生み出される根源。それを刻己は一切の容赦もなく消去した。

「消去完了。これで大丈夫なは、ず――?」

 目を開け、額に溜まった汗を拭う。これで藍の容体も大丈夫だろうと、見やった。

 しかし思ったどおりにはなっていなかった。藍は地面に仰向けになって、先ほどと同じように苦しんでいた。

「何でだよッ!? ちゃんと消去したはずなのに! 何でまだ――ッ!」

 再度藍の胸に触れ、根源を確かめる。すると先ほど消去した場所は確かに消えていたが、すぐにまた他の部分で再生していた。

「ふざけてんな、おい。これじゃあ溢れている力を抑えらんねぇじゃないかよ……」

「うぅっっ! が、ガァ――」

 刻己が悪態付いていると、徐々に藍の身体が黒く染まり始めた。蓄積された力が容量を超えると、意志が持っていかれて身体が真っ黒になるのだろう。その前に何とかしないと、手遅れになってしまう。

「何か……何かあるはずだ! 消去じゃダメ。なら切り取りは? いやそれも出来るはずがねぇ。あまりに容量が多すぎて、先に俺がパンクするに決まっている。細分化したところで先に増加するんだしなぁ」

 ブツブツと呟きながら思考をフル回転させる。絶望して、諦めることだけは絶対にしない。何があろうとも、可能性はあるはず。

「……お、ねが、い。早く藍を――」

「うるせぇ! 絶対にその手だけは選ばねぇからなぁ!」

 藍に当たり散らすように怒鳴る。焦りが募り、苛立ってしまったからだろう。それに気付き、「わりぃ、でもそれだけは絶対にしねぇから」と謝罪した後、深呼吸をした。

「ただ消すのはダメ。切り取るのも不可能。異常能力を摘出するのはこの二つしかないから無理だっつー訳だぁ」

 刻己は自分に言い聞かせるように呟く。どちらも不可能なら八方ふさがりというやつだ。

「いや、待てよぉ。切り取りは俺の容量が保たないからだよなぁ? だけど……」

 ふと、何か思いついたかのように刻己は藍を見る。既に半分は黒く染まり、藍の表情も薄れてきていた。

「――やるしかねぇ、よな?」

 意を決して、刻己は新たな試みを始めた。藍の胸に右手を当て、残った左手は掌を上に向けて鉤爪のように指を曲げた。

記憶管理メモリー、切り取り開始カット

 右手から得た異常能力の情報を分解し、刻己の脳に蓄積されていく。しかし異常能力はあまりに膨大で刻己の脳が先にパンクしてしまう。だからこそ――

二重記憶管理デュアルメモリー作成開始ペーストッ!」

 切り取りと同時に切り取った箇所を作成し始める。右手から得た情報をそのまま左手へと送り込み、具現化させる。刻己自身、初めての使い方だが、理論的には不可能ではない。ただし、本来なら二つの動作を行うための機能を一つの脳で行っているため、処理が遅れればすぐさま脳が破壊ショートしてしまうだろう。

 それに異常能力の容量は桁違いだ。ギガやテラでは収まりきらない。最低でもエクサを超えるほどだ。それを継続して外へ出力するなど、自殺行為に等しい。

「――処理、十パーセント完了」

 脳にヒビがが入ったような音がした。それでも関係ない。まだ思考は巡らせている。継続できる。

「――処理、二十パーセント完了」

 自殺行為だろうが、刻己はそれを選んだ。可能性があるのなら、自分は命さえをも掛けてやるのだと。

「――処理、六十パーセント完了」

 不意に、目眩が生じた。目の前が歪んで見える。それでも力の行使は止めない。

「――処理、七十五パーセント完了」

 切り傷も相まってか、吐血した。最悪、刻己の身体が先に朽ち果てるかもしれない。それでも――

「――処理、九十五パーセント、完了」

 残り五パーセント。遂に視界は黒に染まった。何も見えない。だけれど諦めることはしない。最後の最後までやり切るんだと、決めたのだから。

 この子を、救うと決めたのだから――ッ!

「――処理、百パーセント完了ッッ!!」

 深く息を吐きだして左手を握りしめる。長らく息をするのも忘れていたかのようであった。顔中に汗が溜まり、体中のあらゆる場所が悲鳴をあげていた。

「これで、どうだぁ? 藍ちゃんは――?」

 目の前で横たわる藍に視線を向ける。先ほどまでの苦しそうな表情から一変し、今ではすやすやと寝息を立てていた。

「ははっ……俺だってやれることがあるじゃねぇか」

 周りには既に竜巻は無く、晴れ渡るような空が見えた。刻己は力尽きたようにその場に倒れこんだ。

「やったぜ畜生が……ッ!」

 左手を上空に掲げる。空は晴れ始め。朝日が上がり始めていた。最高にいい天気になりそうだ。

 遂に終わった。藍を異常能力から解放することが出来た。早く藍の両親に会わせたいと思ったが、身体が言うことを聞いてくれなかった。

「っつーか、俺もやべぇなぁ。流石に血を流しすぎたなぁ」

 刻己の身体は五体満足であるものの、あまりに出血が酷い。早く手当をしないと、死に至るほどに。

「少しは処置しておくかぁ。修復――ッ!?」

 傷を手当てするよう、力を行使しようと思った直前殺気を感じた。すぐさま転がるように前へ飛ぶと、先ほどまで居た場所に鋭利な物が突き刺さっていた。

「全く。避けなければ一思いに殺して差し上げましたというのに。あなた、ゴキブリ並みの生命力なんですのね」

「な――ッ!?」

 傷だらけの身体を無理やり起こし、声のした方を向く。そこには、先日紅羽と戦ったフレデリカの姿があった。

「そう驚くこともないでしょう? 私たち黒の教会も、その子が本来の狙いですから。――さぁ、その子をこちらに寄越しなさい。そうすればあなたは見逃してあげてもよろしいですわよ? ええっと……名前も素知らぬ凡人さん?」

「はッ! 寝言は寝てほざけってよく言ったもんだよなぁ。んな戯言、聞いて頷くと思ってんのかぁ?」

「そうですか。ミスレッドといいあなたといい、誰も私の言葉を聞いてくれないのですね……」

 一瞬だけ、フレデリカは顔を伏せ、暗い表情になる。しかしすぐに頭を振り、自らの異能力を展開した。手には二本の鋭い細剣が握られていた。

「あなたには武装礼装なんてものは必要ないですわね。この異能力、『疾走の双剣エクスキューショナー』は切ることに特化したもの。それをあなたごときが防ぐことが出来ると思いまして?」

「やってみなきゃ分かんねぇだろぉ?」

「……それも一理ありますわね。ではまず、二撃だけ――」

 フレデリカは深く沈みこんで、膝を曲げた。そして足を踏み出したかと思うと、人間離れした速度で刻己に近づいた。

「ちょ――ッ!? 作成開始ペースト!」

 挙動に驚くものの、とっさに右手を前に出し作成を開始する。作成するは最強の壁。藍の両親が使ったシェルターのドア、核すらをも防ぐと言われた防護壁だ。

「邪魔ですわ」

 フレデリカは動じることもなく、その壁を片方の剣で切ろうとする。紅羽の異能力ですら傷ひとつ付かない壁だ。そんな細身の剣なんて簡単に折れてしまうだろうと、刻己は思っていた。

 しかしその考えは甘かった。フレデリカの剣は、あろうことかその壁を豆腐の様に真っ二つに切ってしまった。

「嘘だろッ!?」

「驚く暇がありまして?」

 壁を切り抜けられた刻己は完全な無防備だ。右手を前に出したままの状態で、懐にはもう片方の剣で切ろうとするフレデリカの姿が。避けることも防ぐことも間に合わない。詰み(チェック)というやつだ。

 剣は首を捉えようと軌道を描く。刻己はそれを黙って見るだけしか出来ない。

「それでは、チェックメイト、ですわね」

 フレデリカがつまらなそうに呟く。刻己は抵抗することすら出来なかった。諦めかけたとき、ふと目の端に映る一人の少女を思い出す。

 刻己が死んだら、あの子はどうなる。両親と一緒に楽しく暮らせる、そんな生活が無くなってしまうのか。

「――けんな」

 それだけはあり得ない。許されない。認めない。まだ生きているのに、あんな子をそんな目に会わせるなんて――

「ふざけんな――ッ!!」

 そしてそれを、仕方ないと諦めている刻己自身に、怒りを覚えた。

 諦めきれない。その意志に共感を得たのか、左手が光り始めたかと思えば、迫ってきたフレデリカを弾き飛ばした。

「キャッ! クッ、うぅ……一体何なんですか!? その力は!」

 フレデリカは警戒心と苛立ちに満ちた表情で刻己を睨むが、刻己自身困惑していた。何故フレデリカが吹き飛ばされたのか、刻己自身が理解できていないのだ。

 刻己は握っていた左手を開く。そういえばフレデリカと戦闘になってからずっと左手は握ったままであった。

「……なんだこれ?」

 刻己の左手には小石のようなものがポツリと存在していた。刻己が想像していたものとは違い、そこら辺にありそうな石ころだ。ただ、それが普通よりも光り輝いているように見えた。

「……宝石、なんかぁ? つっても、何っていう石だ?」

 僅かな光りで明るく輝くその石は、濃い緑色で全身を覆っている。ただそれだけである。ただの石ころであのフレデリカをどうこうできるとは思えない。

「まさか……加護石――ッ!?」

「加護石? 異能力や異常能力者が、力を使うために必要な源になるアレかぁ? でもこれって、確か物質として現れないんじゃなかったかぁ?」

「つべこべ言わずに、それをこちらに渡しなさい!」

 さきほどよりも速く、鋭さを増してフレデリカは刻己に突貫する。例えその石が加護石でなかったとしても、先の一手は刻己の首を確実に切り落としていた一撃だった。それを防いでいたことに間違いはない。だからこそ必殺の二撃を、躱すことが出来ないよう両面から切ることで、確実に刻己の首を落とせる。そうフレデリカは確信していた。

 至近距離に迫り、左右の剣を同時に横から振るう。神速の一撃。躱すことも防ぐことも不可能な一撃だ。しかしその剣は空を切り裂くだけであった。

「なるほどなぁ……俺が作ったに等しいから、一応俺もこいつを使えるってことかぁ」

 フレデリカは声のした方を振り向くと、そこに手元の石を指で摘んで眺めながら呟いている刻己が普通に立っていた。あの剣をどうやって躱したのか、フレデリカには理解できなかった。

「な、な……ッ!?」

「こいつは藍ちゃんの異常能力を少し拝借した加護石ってやつになるのかぁ。だからこうやって使えば――」

 刻己は石を左手で包む。目を瞑り、意識を集中させるとの周囲から風が吹き始めた。

「うんうん、やっぱり使えるのかぁ。だったら、反撃開始かなぁ?」

 ニヤリと悪そうな笑みを浮かべ、刻己はフレデリカの方を向く。その獰猛な笑みに、フレデリカはビクッと肩を震わすが、すぐにキッと刻己を真っ直ぐに睨みつけた。

「どうしてなのか分かりませんが、その力はあくまであなたのものではないはず! それをどうしてあなたが使えるのですか!?」

「んなこと俺が知るかよぉ。それよりもよぉ、今起こってることを理解した方がいいんじゃないのかぁ?」

「な、何をするつもりですかッ!」

「あんたと同じことだよぉ。まずは――」

 刻己は石を右手に持ち替え、振りかぶる。手の周囲に視認出来るほどの風が生じ、辺りの地面を震わせた。

「一撃、ってなぁッッ!!」

 フレデリカに向けて、振りかぶった拳を叩きつける。距離は数メートルと離れているため、拳が当たるはずがない。ただし、刻己の腕全体を覆っていた加護石の力が前面に放出され、竜巻を横にした様な暴風がフレデリカに襲いかかっていった。

「へ? ひっ――キャアアァァッッ!?」

 暴風はあっという間にフレデリカを攫い、そのままはるか向こうに消え去っていってしまった。異能力者なら死ぬことはないだろうが、ここまで戻ってはこれないだろう。

「うわぁぁ……手加減してこの威力かよぉ」

 力の膨大さに若干、いやかなり引き気味であったが、刻己は手元の加護石を転がす。こんな石っころに異常能力者の力が収まっていると知ると、現実離れな代物な気がしてきた。

「っと、藍ちゃんは無事か!?」

 藍が倒れていた方へと向き直す。そこには依然として安らかに寝ている藍の姿があった。それを見て刻己は安堵の息をおとす。

「はぁ……良かっ、た――」

 藍の方へと足を出そうとした瞬間、刻己の視界が一瞬だけブレた。すぐに戻ったかと思えば、断続的に目の前が歪んでいるように感じられた。

「あれ――? おかしい、な。急に、疲れが――」

 足から崩れ、刻己は藍の元に辿り着く前に倒れこみ、そのまま意識を手放してしまった。最後に見えた光景は、遠くから誰かが走ってきていることだけだった――


 真っ白な部屋に真っ白なベッド。刻己が目を覚まして最初に見たものはそれだった。

 その後に思ったことは、ここが自分の部屋じゃないこと。そして自分の体が何故かベッドに括りつけられていることだった。

「ここ、どこだぁ?」

 少し前の記憶がぼんやりとしていて思い出せない。ろくに起き上がれないため、とりあえずと言わんばかりに動かすことが出来る左手で髪をガリガリと掻いた。

 周囲を見渡すがベッドの周りはカーテンで遮られており、かろうじて見える窓からは薄明るくなっている空を覗かせていた。時刻は早朝か夕刻といったところだろう。

「えー、っと。俺って確かぁ――」

 ズキン、と脳に痛みが走る。痛みは光のように伝播し、それと同時に記憶が舞い戻る。

「そうだ……ッ! 俺は藍ちゃんを――」

 助けられたのだろうか。異常能力の暴走は食い止めたが、結果としてその後どうなったかまでは覚えていない。途中でフレデリカと対峙した記憶で途切れてしまっていた。

「ぐぁ――っ! なんでこんなに頭が痛むんだよぉ……」

 収まるどころか、考えようとするだけで痛みが増す。刻己は痛む頭を必死に耐えるが、耐えようとすればするほど痛みはさらに悪化していった。

「気持ち、悪ぃ――」

 頭を掻き毟っていた左手を下ろし、何度も自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。何も考えず、ただ自分の呼吸音だけに意識する。すると先程までの頭痛がすっと無くなった。

「ふぅ――収まったかぁ。しかしなんだろう――痛ッ」

 収まった頭で考えようとすると再度頭痛が走る。理由は不明だが、今刻己は何か考えようとすると酷い頭痛に見舞われるようだ。理解したものの、何も考えずにいるというのは、存外難しいことである。

 意識を外に向けていると、部屋の外から足音が聞こえたかと思えば、刻己の部屋の扉が開かれた。その後カーテンを開けられると、如何にも私が医者ですと言わんばかりの白衣を着込んだ男性が立っていた。見た目は若々しく、三十代というところだろうか。医者は静かに扉を閉め、きょろきょろと辺りを見渡した後、刻己の姿を確認した。刻己の意識が戻っていることに気づくと、驚いた表情をした後、笑みを浮かべた。

「意識が戻ったんだね。具合の方はどうだい? まだ優れないかな?」

「頭痛が激しいくらいです。それより、何で俺はここで縛られてんですかぁ?」

「ああ、そうだった。すまないね。君が持っているそれは、あまりに強大なものだから、こうやって抑えないと力が溢れてしまうから」

 医者は刻己の身体に巻き付いていたベルトを外す。刻己は疑問を持ちつつも、考えることで頭痛がまた走った。

「あんまり深く考えちゃいけないよ。今の君は脳が焼き切れかけているんだから。もう少し異能力を行使してたら死んでたかもしれないんだから」

「ぐッ――あれから、どうなって……?」

「聞きたい話かもしれないけど、私からは何も言えない。今の君に伝えたとしても、脳に負担を掛けるだけだからね。一刻も早く治さないといけないくらい、酷い状態なんだから」

 刻己はベッドに横たわり、自由になった右手を開く。そこには輝く緑色の宝石が握られていた。

「それが、加護石か。――待てよ。それを使えば可能性が……」

 医者は石を見るやいなや、何やら考え始めた。数秒たった後、「それしか方法はないか」と、諦めたようにため息をついた。

「刻己くん。ごめんね」

「えぁ――? 先生、一体何、を――」

 医者は刻己の目元を手で覆い隠すと、刻己はいきなり眠気が訪れ、医者がかざしていた手を開けると既に眠りに落ちていた。

 そして、医者の身体が一瞬光ったと思うと、姿が変化した。

 小柄で中性的な顔を持ち、左目の辺りに大きな切り傷が特徴的である少年だ。

「何やってんだよ刻己の兄貴。ようやく会えたと思ったら死にかけかぁ?」

 黒い軍服を身にまとい、暗い表情をしていたのは來先だった。刻己の右手から石を奪い取り、その石を思いっきり握りしめ、砕いた。

 砕いた拍子に放出された異常能力の根源を來先は全て取り込んだ。常人なら壊れてしまう程の量。それを容易く吸収してみせた。

「俺はあんまり作ることは慣れてねぇんだけどな。――復元開始リストア

 加護石から得た異常能力で、刻己の脳を修復しようと來先は試みる。

 一瞬だけ部屋を覆うほどの光が発生させられたかと思うと、すぐに止んだ。すると先ほどまで苦しそうだった刻己の表情が和らいでいた。

「はっ。あっさり修復出来たな。しかしこの力、紛い物とはいえ勿体無かったかもな」

 來先は加護石を破壊した手を開く。既にその力は霧散しており、來先の内部にも存在しなかった。

 來先は刻己の顔をマジマジと見るよう近づき、刻己の耳元で囁く。

「また、いつか会おう……バカ兄貴。願わくば、次会ったときこそは、俺と殺し合おうな」

 來先はゆっくりと刻己から離れていき、懐からメスを取り出したかと思うと、いつの間にか部屋から姿を消していた。

 残されたのは、すやすやと寝息を立てる音だけであった。


「ん……んぁ?」

 眠気眼をこすり、刻己はベッドから起き上がる。未だ意識はおぼろげで、覚醒していないまま辺りを見渡した。

「ここって、病院かぁ?」

 ベッドの質感や消毒液の匂い、挙句に腕には点滴が刺され、体中に包帯が巻かれているといえば自ずとその結論が出てくる。それから順に思い出していき、刻己は急に顔を上げた。

「藍ちゃん、どうなったんだ!?」

 こうしていられないと、刻己はベッドから立ち上がろうとする。しかし立とうとしても上手く立てなかった。なんとか点滴がぶら下がっているスタンドを支えにして立てるくらいだ。

 部屋を出ると、思っていた光景とは全く違っていたものが目に入る。周りにも同じような他の病室があるかと思っていたが、刻己がいた病室以外は廊下になっていた。

「ここ、病院、なんだよなぁ?」

 不審に思いつつも刻己は廊下を歩き始めた。刻己の病室が突き当たりだったため進行方向は決まっていた。

 一歩一歩があまりに重い。身体が言うことを聞いてくれないようだった。それでも刻己は自分に鞭を打つようにし、歩みを止めなかった。

「はぁ、はぁ……広すぎないかぁ? つーか、さっきの窓、外見えたよなぁ? 何でこの廊下、窓もついてねぇんだよぉ?」

 刻己が不審に思うのも無理は無い。廊下には扉はおろか窓すらもない一本道。まさに秘密のアジトといってもおかしくないのだ。

「訳、分かんねぇ、なぁ」

 どれだけ歩いたのか、時間が経過したのか分からない。それでも歩みを止めずにいると、正面に鉄の扉が見て取れた。

「やっとかよぉ……」

 あまりの長さの廊下を歩ききった刻己は、扉にすがるように背中を付けて腰を下ろす。すぐにでも扉の先を確かめたかったが、あまりの疲労に身体が休息を求めていたのだ。刻己は頭を扉に当てて深呼吸をしていると――

「だから! いつ刻己の容態が良くなるのかって聞いてるのよ!」

 扉の先から怒鳴り声が聞こえ、驚きのあまり扉から飛び退いた。その声は刻己もよく聞き慣れた声音だった。

「紅羽、か? でも俺の容態って――」

「ですから、彼は今現在の医療技術では治すことが出来ないのです。残念ながら、もう意識を取り戻すことはないでしょう」

 刻己の疑問を遮るよう、落ち着いた声を発する人が居た。多分ではあるが、刻己を治療した人物だろう。刻己はそーっと扉を聞き耳を立てるように扉に近づいた。

「それを何とかするのが、私達白の教会でしょ! どうして刻己の意識が戻らないのは何でなの!?」

「紅羽、そう怒鳴っても状況は変わらないわよー? ――それで、刻己くんはどうしてー?」

「彼の身体に異常はありません。ですが、彼の脳内にあるほとんどの神経が焼き切れてしまっているのです。ここから再生させるのなんて、私たちでは不可能なのです」

「……そんな。藍のために、刻己お兄ちゃんは――」

 紅羽だけでなく、凛華さんと藍ちゃんもいるようだった。刻己はそれら悲痛な声を聞いて、居ても立ってもいられずに立ち上がり、ドアノブに手をかけた。

「深刻そうなところわりぃけど、俺はこの通りピンピンしてるぞぉ?」

 扉を開けた先には、まず先に目が行ったのは驚いた顔をした面々であった。紅羽に凛華さん、涙を流している藍ちゃんに、見知らないが医者であろう白衣の男性がいた。そして、ここが病院でいう応接室であることを理解した。

「つーかよぉ、ここ病院なんだよなぁ? なんであんな廊下長いんだよ? ここまで来るのきつかったぜ?」

「……刻己お兄ちゃんッッ!!」

 泣き笑いの表情をしながら、藍は刻己に抱きついた。その衝撃に刻己は耐え切れず、尻もちを付いてしまう。

「ちょっ!? いてぇって!? 怪我人なんだからそのタックルはキツイってよぉ!」

「……刻己お兄ちゃん! 本当に、本当に刻己お兄ちゃんなんだよね?」

「あの部屋に居たのは俺以外に居たのかぁ?」

 藍は首を横に振るう。藍の姿を見て、刻己はニッコリと笑みを浮かべる。

「だろぉ? なら俺以外誰だって言うんだぁ?」

 藍はその言葉を聞いて、抱きついたまま歳相応な感情で泣いた。それは、刻己自身がこれまで頑張ったことで見ることが出来た光景だった。

「嘘……本当に刻己なの?」

 見上げると紅羽が驚いた様子で刻己を見つめていた。

「何度も言わせんなってよぉ。正真正銘、篝刻己だ」

「……ごめんなさい。あんたをこんなことに巻き込んでしまって」

「え、何? そんな風にちゃんと謝る紅羽は初めて見たぞ? むしろ不気味なくらいなんだけどぉ」

「う、うるさい! こっちだって結構心配してたのよ! それくらい気にしてたのよ!」

「あ、心配してくれてたんだぁ。いやぁ、嬉しいねぇ」

「――ッ! このバカ!」

 すっかり拗ねた紅羽はそっぽを向いて刻己から離れていく。それと入れ替わりに凛華が歩み寄った。

「本当に何も問題ないのー? 刻己くん? 確かに今、満足そうに動けているみたいだけどー、あの人からは目が覚めることはないくらい酷いって聞いたのだけれどー」

 奥で座っている医者も二度首肯する。それもとてつもなく速く、未だに信じられないものを見ているようだった。

「頭に関しては異常はないですよ。ちょっと身体が言うことを聞いてくれないくらい重いだけで」

「身体が重い……? ごめんなさい、刻己くん。少し中を見させてもらうわね」

「中見させてもらうって――うわぁっ!」

 藍が抱きついたままの状態で、刻己の身体に入り込むように凛華の影が侵入した。その感覚は内部をまさぐられている感じで、気持ちが悪いのだろう。現に刻己はとてつもなく嫌そうな表情をしていた。

「――はい。終わったわー。酷い筋肉痛、それに複数の神経が麻痺しているわねー。よくここまで歩いてこれたものねー。でもー、問題だった脳は問題なく動いているみたいだわー」

「それ、やるなら先に言って下さいよぉ! 心の準備ができてなかったですからぁ!」

「ごめんなさいねー。でも、やっぱり不思議だわ。どうしてこんな急激に回復したのかしらー?」

「さぁ……俺はなんとも……って藍ちゃん、もう泣かないでくれよぉ! そんなに泣かれたら俺も困るってさぁ!」

 何気なく会話をしていたが、その間藍はずっと刻己に抱きついて泣いていた。刻己が声を掛けると、藍は泣き止んだようではあるが、しゃっくりを上げながら刻己を見上げる。

「……藍も……すっごく心配、してたの……刻己お兄ちゃんが、このまま起きない、って聞いてて……」

「そうかそうかぁ。心配させて悪かったなぁ。でもこの通り、ピンピンに生きてっからさぁ。それによ、泣いているよりも笑ってくれてたほうが、俺は嬉しいぞ?」

「……そう、なの?」

「そりゃあそうだぁ。だって俺、まだ一度も藍ちゃんの笑顔、見たことねぇもん」

 藍は戸惑うように視線を逸らした後、刻己に向けてとびきりの笑顔を見せた。少し前とは違う、感情が戻った少女。その姿を見て、刻己は――

「なんだ。ちゃんと出来るじゃねぇかよ」

 照れくさくなったからか、藍の頭に手を置いて、ガシガシを乱暴に撫でてやった。その顔は誰にも見せないようにしていたが、一筋の水滴が頬を伝っていた。そのことに藍だけは気づいてしまったが、何も言わずになされるがまま撫でられていた。

 それは遠くから見たら、本当の兄妹のようにも、見えたのかもしれない。


 刻己は車椅子に乗せられ、応接室から移動する。その際、ここが現在関海市にて突貫工事中で建てている白の教会の本部だという説明を受ける。

 まだ完璧に出来上がった訳ではないため、あちこちが組立作業中な部分が見受けられたが、ほとんどが完成しきっていた。

「あんたが寝てたのは集中治療室って名目だけど、本当は隔離っていうのが正しいのよ」

「隔離? それは物騒だなぁ」

「あんたのことでしょうが。何他人ごとのように言ってんのよ」

「自覚がねぇからなぁ。それに理由がわかんねぇよ」

「はぁ……あんたねぇ。異常能力者の力を抑制させるなんてもの、今まで私たちは見たこともないわよ? それをやってのけたあんたは英雄かもしれないけど、それと同じくらい脅威ってことなのよ」

「なるほどなぁ。でさぁ、一つ聞きたいんだけど」

「何よ?」

「俺、どこに連行されてんの?」

 車椅子を後ろから押しているのは凛華。そして紅羽は刻己の横に立って朗々とこの設備について説明している。藍は刻己に抱きついた形のまま、膝の上でぐっすりと眠っていた。

「ああ、別に帰るだけよ。どうせここに居てもあんたは落ち着かなそうだし、あんたの家に行こうって」

「俺んちに? なんだ、やっと帰れんのかぁ」

 刻己はほっと胸を撫で下ろす。長い間帰れないと思っていた我が家へ、ようやく辿り着くのだ。嬉しくないわけがないのだ。

「ええ。でも思っていた家とは違うかもよ?」

「え? それ、どういう――?」

 紅羽は含み笑いをしたまま、先に歩いて行ってしまった。その笑みは、刻己に対して嫌な予感を感じさせるのに十分な破壊力だった。

「うふふ……紅羽、嬉しそうだわー。お友達が出来て嬉しいのよ、きっとー」

「本当ですかぁ? 俺にはそうは見えないんだけどぉ」

「あの子が同年代の子と会話するなんて滅多になかったのよー? 元々年の近い子があんまり居なかったのせいもあるのだけれどねー」

 車椅子を押している凛華が含み笑いしながら話す。

「俺もそうですけどねぇ。こんな稀有な体験、出来たのは良かったかもしれないです」

「――ごめんなさいねー」

「な、なんで凛華さんが謝るんですかぁ!?」

「だって、本来なら刻己くんは保護される対象だものー。それを非常事態だからといって、異常能力者の藍ちゃんにぶつけるだなんてことー」

「結果良ければ全て良し、ですよぉ。俺は五体満足だし、藍ちゃんも助かった。それでいいじゃないですかぁ?」

 刻己は後ろを振り向いて、にっと笑う。凛華はその笑顔を見て、同じく笑みを浮かべた。

「それじゃあ――ありがとう、刻己くん。あなたが居てくれて、本当に助かったわー」

 と、刻己の頭を撫でた。子を褒める母親のように、優しい手つきで撫でていた。

「あ――」

 刻己は少しだけ、撫でられている状態で何かを思い出しかけた。が、思い出すことは出来なかった。正気に戻ると、照れて凛華の手をどかそうとする。

「ちょっと凛華さん! 俺を子供扱いしないでくれないかなぁ!?」

「うふふー。まだまだあなたくらいの歳頃の子は、子供って言うのよー」

「だーッ! いい加減してくれぇ!」

「そんなに嫌がらなくてもいいのよー。――私の愛しい息子」

「そんなに長く撫でなくていいっつーの! てか今何か言いましたぁ!?」

「何にも言ってないわよー」

 機嫌がよくなった凛華は刻己を撫でるのを止め、紅羽に追いつくよう車椅子を押し始めた。

 刻己に届くことのなかった言葉。それを聞くことが来たのは、眠っている藍だけであった。

 その後も凛華に対して文句を言いつつも、藍を起こさないようにして移動すること十分。長い廊下やエレベーターに乗り、外へと繋がるエントランスが見えた。外は明るく太陽が照らしており、春の暖かさをかもしだしていた。

「はい、到着よー」

「はい? 到着って、俺んち行くんじゃなかったんでしたっけぇ?」

「ええ、そうよ。あなたの家よ」

 凛華はそのままエントランスから外に出る。そこには小さな庭があり、この白の教会本部を取り囲むように出来ていた。庭には先に出て行った紅羽の他に、藍の両親も立っていた。刻己は藍の両親の姿を見て、笑みを浮かべようとしたが、ふと奇妙な感じを覚えた。

「あれ? なんかここ見た覚えがあるようなぁ……?」

 軽く辺りを見渡すと、何故かいつもの感覚が呼び起こされた。いつも学校へと向かう前に見る光景。何故かそんなことを思い出した。

「うふふー。答えは、こういうことよー!」

 凛華が刻己の位置を百八十度回転させ、白の教会本部の入り口に対面するよう向けた。

「ここって――俺んちのアパートじゃねぇかよぉッッ!?」

 刻己が驚くのも無理はない。刻己が住んでいたアパートは見る影も無く、外見は完全に新築マンションとなっていたのだ。

「驚いたでしょ。あんたの家はもう使いモノにならなそうだったから、白の教会が土地ごと買い取っちゃったの。あ、さっきまであんたが居た場所は地下だから」

「な、なぁ……ッ!?」

「まぁ、どうせあんたも藍ちゃん達も白の教会で保護するんだし、一石二鳥ってことだから。私達も早く本部作りたかったからちょうどよかったわ」

「待て待て待てぇ! 何勝手にやってんだよ、おいぃ!? つーか待て、俺どんだけ寝てたんだよぉ? こんなもん、そう早く建てられる訳ねぇだろうがぁ!?」

「約二週間てところよ。私達だって全力尽くせば、このくらい余裕よ」

 悪魔の笑みを浮かべる紅羽に対し、唖然とした表情で変わり果てた我が家を見上げる刻己。そのやり取りの騒々しさで、眠っていた藍が目を覚ました。

「……ふぁぁ……あ、おはよう、刻己お兄ちゃん」

「お、おう。おはよう、藍ちゃん。って、和んでいる場合じゃない! 二週間も!? 俺、どんだけ昏睡してたんだよぉ!?」

「つべこべ言わない! あんたがどう言おうがもう決定事項なの!」

「横暴だろうがぁそれぇ!」

「……わぁ、これって痴話喧嘩っていうんだよね?」

「「言わない!」」

 ギャーギャー文句を言い合っている二人を、藍は面白そうに間で見ていた。少し離れた位置に居た両親を見つけると、刻己の膝からぴょんと下りて一目散にかけて行った。

「お父さん! お母さん!」

「おはよう藍。元気そうでなによりだわ」

「……うん! 刻己お兄ちゃんと紅羽お姉ちゃんがいるから!」

「そうかそうか。元気な藍を見ていると、お父さんも元気になるから嬉しいよ」

 母親に抱かれ、頭を父親に撫でられている藍は、とてもうれしそうにしていた。

 そのまま藍を抱いたまま、三人は刻己の元へ向かう。口論をしていた二人も、藍達に気づくと次第に喧嘩を止めた。

「刻己くん、紅羽さん。本当にありがとうございました。あなた達のおかげで、私達の娘を救うことが出来ました。感謝しきれないくらいです」

「二人に、そして凛華さん達白の教会の皆さんには私や妻、藍を救ってくれただけではなく、今後の生活にも手助けしてくれる。こんな幸せな未来なんてあったなんて信じられなかった。本当にありがとう」

 深々と二人は刻己と紅羽に頭を下げる。藍も倣うように軽く頭を下げる。


「そんな仰々しくしなくていいですよぉ。俺、そういうの似合わないですしぃ」

「そうね。マナーとか守れなさそうよね」

「そんくらい分かるわぁ! 茶々いれんなぁ! ――家族が居る。かげがえのないそれを、大事なものを、俺は守りたかっただけですからぁ。だから、その、頭上げてください」

 紅羽に文句を言いつつも、刻己は笑いながら藍達を見やる。藍の両親は顔を上げると、その目には薄っすらと涙が滲んでいた。

「ありがとう――」

「本当に、ありがとう――」

「……ありがとね。紅羽お姉ちゃん。刻己お兄ちゃん」

 三者三様のお礼。刻己は照れくさくなり、そっぽを向いた。すると、刻己が向いた方向にちょうど紅羽も顔を背いていた。心なしか少し顔が赤くなっていた。

 二人は顔を見合わせると、同時に吹き出して笑い始めた。それにつられて、藍も、藍の両親も、少し離れた所にいる凛華も、笑い始めた。

 昼下がりの春。暖かい風が、祝福しているかのように一陣だけ吹いた。


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