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スタートオーバー  作者: 風時々風
1/9

 校内でも一際太くて大きい桜の木がある体育館裏。美しい花が咲き誇っているその桜の

木の下で、十時柿郎は三人の男子生徒に囲まれていた。三人は同級生であり、柿郎と同じ

中学校出身で柿郎の事を良く知っていた。

「柿郎。なんでお前がここにいるんだよ」

 柿郎の正面、三人並んで立っているうちの真ん中の生徒が柿郎の胸倉を掴んで顔を威圧

するように近付ける。

「お前、こっちにいるつもりなのかよ」

 柿郎から見て左側に立っている一人が柿郎の金色の髪の毛を乱暴に掴む。

「明日、ちゃんと願えよ。そんで向こうに行ってくれ。目障りなんだよ」

 何もしていなかった一人が、柿郎の顔に唾を吐いた。

「黙ってんじゃねえよ。何か言え」

 柿郎は頬を流れ落ちて行く唾を制服の袖で拭う。

「殴りたいなら早くしてくれ。誰かに見られて問題にされたくない」 

 柿郎はぼそぼそと小さな声を出す。

「そういう事じゃねえの。俺達ももう高校生だからよ。もっと根本的にお前との関係を改

善したいわけよ」

「そうそう。お前が、俺達の前からいなくなれば良いんだよ。分かる?」

 胸倉を掴んでいる生徒と髪の毛を掴んでいる生徒が口を開いた。

「お前の、味方、えっと、誰だっけ。あの女。あいつも連れて行けよ。じゃねえと、俺達

の物にしちまうぞ」

 唾を吐いた生徒が下劣な笑みを顔に浮かべる。風などまったく吹いていないのに、桜の

花びらが突然粉雪が降るかのように舞い落ちて来た。柿郎は桜の木を見上げた。

「どこ見てんだよ」

「お前のそういう態度が気に入らねえんだよ。俺達の事舐めてんだろ?」

 胸倉と髪の毛がぐいぐいと引っ張れる。

「木の上に今言った女でもいるのか? 助けにでも来てくれたか?」

 唾を吐いた生徒が背後にある桜の木の方に体の正面を向けた。地上から三メートルくら

いの高さにある桜の木の太めの枝の上に黒髪ショートボブストレートの女子高生が仁王立

ちしている。その女子高生が吊り上げた目をギラギラと光らせながら言い放つ。

「柿郎。ひょっとして、今、からまれてる?」

「おい。お前、加耶音、いつの間に?!」

 唾を吐いた生徒が声を震わせる。

「やべえ。加耶音だ。どうする? どうするよ?」

「慌てるなって。俺達だってもう高校生だぞ。いつまでも加耶音にやられてるわけにはい

かねえんだよ」

 柿郎の髪の毛と胸倉から手を放しながら二人がほぼ同時に声を上げる。

「君は、唾を吐いた。君と君とは髪の毛と胸倉を掴んだ。オッケー?」

「オッケーじゃねえ。降りて来い」

 唾を吐いた生徒が凄む。

「じゃあ、今行くよ」

 加耶音が枝の上から飛び下りる。地上に下りた衝撃で加耶音の豊かに育った胸が大きく

揺れる。

「やっぱでけー」

「加耶音って細いのに出るとこ出ててエロいよな」

「くっそうー」

 三人の生徒が今の状況の事を忘れているかのような声を上げた。

「あ。君。確か、山田だよね?」

 加耶音が唾を吐いた生徒の顔をまじまじと見つめる。

「違うよ。山田って誰だよ」

「おい。山田、どうした?」

「お前、加耶音と何かあったのかよ?」

「ねえよ。だいたい俺、山田じゃねえし」

「はあ?」

「お前、山田じゃん」

 三人の生徒が何やらもめ始める。三人の横を素通りして加耶音が柿郎の側に来た。

「門の所にいないと思ったらこういう事だったんだ」

 加耶音が柿郎のぼさぼさになった髪に向かって手を伸ばして来る。

「何で来たんだよ」

 柿郎は加耶音の手を避けて、自分で髪を撫でて元に戻した。

「探したんだよ。そういう言い方はないと思うけど」

 加耶音が今度は柿郎の制服の胸の辺りに向かって手を伸ばして来る。

「自分でやるよ」

「もう。何よ。そんなにプリプリしなくても良いでしょ」

 加耶音の手が加速して、柿郎の制服の胸の辺りの掴まれて乱れていた部分を直してくれ

る。

「はい。できた。柿郎。帰ろ」

 加耶音が柿郎の右手を掴むと先に立って歩き出す。

「加耶音。手はいいよ。放せよ」

「今日はいつにも増してご機嫌斜めなのね」

 加耶音は手を放さない。

「おーい。ちょっと待て」

「そうだぞ。何勝手に帰ろうとしてんだよ」

「こうなったらもう良い。今日はとことんやってやる」

 三人の生徒達が柿郎と加耶音の前に駆けて来て立ちはだかった。

「何よ。やるの?」

 加耶音が凄む。

「やってやるよ」

「気に入らねえんだよ。お前らよ」

「イチャイチャすんな」

 加耶音が大人しくしていればかなりの美少女に見える整った顔を凶悪と表現できるほど

の形相に歪ませた。

「山田。これって、私にフラれた腹いせ?」

「はぐふぅ。こ、これは」

 唾を吐いた生徒、山田が胸を押えながらその場に崩れるようにして両膝を地面に突いた。

「山田。お前、マジか?」

「山田。ほんとかよ?」

 柿郎は加耶音の顔を見つめてしまう。

「卒業式の後の話。柿郎に言おうと思ったけど、柿郎、話そうとしたら、無視したから」 

 加耶音が顔を俯ける。

「でも、今、言ったでしょ。ちゃんと断ったんだからね」

 ぱっと顔を上げた加耶音が真剣な眼差しを柿郎に向けて来た。

「ふ、ふーん」

 柿郎は反応に困り、ただそんな風に素っ気なく対応する。

「うるせえ。腹いせでもなんでも良い。お前ら二人とも目障りなんだよ」

 山田が柿郎に殴り掛かって来た。

「サイテーっだわ」 

 予備動作なしに繰り出された加耶音の右ストレートが山田の顔面に直撃する。

「ぶばばあ」

 山田がそんな情けない声を上げながら吹き飛んで地面の上に仰向けに倒れた。

「憶えとけよ」

「山田の仇は必ず討つからな」

 山田を抱き起し左右両側から肩を貸した二人の生徒が捨て台詞を吐きながら山田と共に立ち去って行く。

「いつでもどうぞー。今度は殺しちゃうぞ。なんてね」

 加耶音が目をキラキラさせながらやり返す。柿郎は無言のまま歩き出した。加耶音が手

を握ったままだったので必然的に加耶音の手を引っ張る格好になる。

「柿郎。待って」

「ありがとな」 

 柿郎はぶっきら棒に小さな声でお礼を言った。

「何? 聞こえない」

 加耶音が繋いだ手を放さずに背後から抱き付いて来る。

「加耶音。離れろ」

「嫌だ。もう一度お礼を言わないと離れない」

「お礼って。聞こえてたんだろ?」

「バレちゃった?」

 加耶音が抱き付くのをやめると、柿郎の横に並んで来た。二人して並んで歩き始める。

「柿郎。明日何をお願いするかもう決めた?」

 柿郎の手を握る加耶音の手に微かに力がこもる。

「決めた」

 加耶音が体を近付けて来ると柿郎の顔を覗き込むようにして見て来る。

「何々? 何にしたの?」

「顔が近い。加耶音は? 何を願うんだ?」

 柿郎は加耶音の顔から逃げるように顔を横に向ける。

「私が聞いてるんだけど」

 加耶音が離れたので柿郎は加耶音の顔を見る。

「加耶音が教えてくれたら教える」

「何よそれ。先に言ってくれたって良いでしょ」

「嫌だ」

「何でよ?」

「何でも」

「私だって嫌だ。柿郎が教えてくれないと言わない」

「じゃあ、お互いに内緒だ」

「何よそれ」

 加耶音が非難するように声を荒げ押し黙る。柿郎も何も言わず、二人は無言のまま歩み

を進めて行く。高校から遠ざかり、二人は、お互いの家の近所まで来た。昔から馴染んで

いてそこにあるのが当たり前となっている風景が視界の中に入って来る。

「柿郎。あの公園。懐かしくない?」

 加耶音が思い切ったように口を開く。

「別に。家の近所だ。いつも見てる」

「寄ってこ?」

「どうしてだよ?」

「どうしても」

 加耶音がいきなり握っていた柿郎の手を放して、公園に向かって駆けて行く。

「加耶音」

 柿郎は思わず加耶音の後を追い駆けた。

「何で追い駆けて来るのよ? 公園には寄りたくないんじゃないの?」

 加耶音が走りながら振り向く。

「何でって、いきなり手を放して走り出すから」

 柿郎は足を止めた。

「馬鹿らしい。帰る」

 加耶音も足を止める。

「柿郎。いいから来て」

 加耶音が不意に大きな声を上げた。柿郎は突然の事に驚いて、加耶音の顔をじっと見つ

めた。

「いいから、来てよ」

 小さな声で言い直しつつ加耶音が顔を俯ける。柿郎は周りを気にしながら加耶音の側ま

で歩いて行った。

「急に大きな声出すなよ。人がいないから良いけど、いたらどうすんだ。恥ずかしいだろ」

「柿郎は冷たいよ」

 加耶音がまた大きな声を出した。その声音には悲しげな響きが混じっていた。

「加耶音? どうした?」

 柿郎は加耶音のいつもとは違う態度の急変に戸惑う。

「明日だよ。明日で全部変わっちゃうんだよ? 平気なの? 私と柿郎だって、どうなる

か分からないんだよ?」

 加耶音が顔を上げる。加耶音の目から涙の粒がこぼれ落ちた。

「加耶音」

 柿郎は何も言えずにただ加耶音の名を呟いた。

「ずっと、明日の事考えてた。柿郎は? 柿郎は何も考えてないの?」

 柿郎の胸に明日に対して抱いている様々な思いが去来する。

「俺だっていろいろ考えてる」

「本当に?」

「うん」

 加耶音が睨むように柿郎の顔を見た。

「話して」

「何を?」

「柿郎が考えてる事」

「え? そ、そんなのは、いろいろあり過ぎて無理だ」

「じゃあ全部。いろいろあるのを全部話して聞かせてよ」

 加耶音の目からはまだ涙が流れ出ている。柿郎は制服のポケットからハンカチを取り出

した。

「とりあえず涙拭け」

 ハンカチを加耶音に向かって差し出す。

「ずるいよ」

 加耶音がハンカチを受け取り、目に当てる。

「あそこのベンチ。座ってくか」

 柿郎は公園内に据え付けられているベンチの一つに顔を向ける。

「うん」

 加耶音が右手を伸ばすと、柿郎の手を握って来る。柿郎は加耶音が歩き出すのを待った

が、加耶音はそのままその場から動かなかった。

「行かないのか?」

「柿郎が引っ張ってってよ」

 加耶音が拗ねたように言ってから俯く。

「はいはい」

 柿郎は加耶音の手を握り返すと、ベンチまで歩いて行った。柿郎が座ると、加耶音もす

ぐ隣に腰を下ろす。

「加耶音。本当にどうした? 今日だけじゃない。この頃、何か変だ」

 加耶音がギロリと睨んで来る。

「はあーあ。柿郎って鈍感よね」

 加耶音が呟いてから顔を前に向ける。

「鈍感って何だよ」

「その話は良いわ。そんな事より、この公園。ほんっとに懐かしい。いろいろな事があったけど、柿郎は何を一番覚えてる?」

 この公園に関する思い出。柿郎はそう考え時、最初に頭の中に浮かんで来た事を言葉に

した。

「あれかな。あの黒い野良犬の事」

 加耶音がさっと顔を柿郎の方に向けて来る。加耶音が目を輝かせながら、大きく頷いた。

「うんうん。あの野良犬。怖かったよね」

「怖い? 怖くなかっただろ。かわいかったはずだ。何だっけ。二人で名前を付けたよな。

あっちの奥にある木の陰にダンボールで作った家を置いてさ。しばらく飼ったんだよな。最後はどっかに行っちゃったんだっけ。懐かしい。あいつ、元気にしてるかな」

 柿郎が野良犬の姿を頭の中に描き、思い出に浸っていると加耶音が小さな声を出す。

「憶えてないの?」

「犬の名前?」

「違うわよ。あの犬は確かにかわいかったけど、それは途中からでしょ。最初は怖か

ったじゃない。私が追い駆けられてて」

 加耶音が言葉を切って押し黙る。

「加耶音が追い駆けられてた? そうだったかな」

 柿郎は頭の中にある記憶が入っている引き出しを片っ端から開けて、加耶音の言ってい

る記憶を探し始めた。

「私ははっきりと憶えてる。だって、あの時が柿郎とちゃんと話をした初めての時だもん」

「そうだったか?」

 柿郎の顔に加耶音の涙で濡れたハンカチが命中して、ベシッと音をたてた。

「いて。何してんだよ」

 柿郎は顔に張り付いているハンカチを手で取った。

「もういい。もう怒った。今日は帰る。柿郎なんてもう知らない」

 加耶音が立ち上がると、走って行ってしまう。

「加耶音。ちょっと」

 柿郎は加耶音の後を追い駆けた。

「何よ。追い駆けて来ないでよ」

 加耶音が加速する。

「加耶音。待てって。頼む。待って」

 加耶音の姿がどんどん遠ざかり、路地を曲がって消えてしまう。柿郎は加耶音が曲がっ

た路地まで駆けて行ったが、そこで、息が切れて足を止めてしまった。路地の先に目を向

けるが、加耶音の姿は既にない。

「何やってんだよ」

 柿郎は呟いてから、公園のベンチまで歩いて戻った。ベンチに座ると顔を上に向け、ま

だ少し荒くなっている呼吸を整える。

「加耶音も加耶音だけど、俺も、何やってんだ」

 柿郎は自分の顔に手を当てた。目を掌で覆ってから心の中にずっとあって加耶音には言

えていない言葉を口から小さな声で吐き出した。

「加耶音。お前の気持ち、本当は分かってるんだ。けど、しょうがないだろ。俺は、お前

と違って普通の人間じゃない。お前を好きだと言ったら、きっとお前は俺の気持ちに応え

てくれる。でも、そうなったら、お前は不幸になる。俺の所為で、関係ないお前まで今よ

りももっと辛い目にあう。母さんみたいにはしたくない。けど……、諦めたくない。加耶音。ごめん。俺は自分がどうしたいかすら分からないんだ」 

 柿郎は顔を俯けた。指と指の隙間を涙が流れて行く。柿郎は自分の涙の熱さを感じなが

ら、静かに泣き続けた。


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