ドナウの真珠
「白飯が食べたい。」
そう言って、あいつは死んだ。
ナチョスを頬張りながら祖父は言った。
「遺言どおりブタペストの墓に入れてやった。」
祖父はあいつの事をひどく嫌っていた。
だから、私もなんとなくあいつが嫌いだった。
子供の頃、祖父の大事にしていた模型飛行機を壊したことが原因らしい。
それからというものあいつの好物であった白米を誰も炊くことはなくなった。
叢雲の間から木洩れ日が差し込んだが、祖父の顔だけが晴れやかだった。
今日は、家に親戚一同の顔が揃う。
あいつの死から1年が経った。
誰も口に出すことはなく、腫れ物に触れるかのような重々しさがあった。
しかし、その暗澹たる空気に、祖母が口火を切った。
「ちょっくら、トイレ行ってくる。」
祖母は、その場で下着を脱ぎだした。
その奇行にブタペスト中が震撼した。
だが、父は微動だにせずその下着を被ったのである。
一同は驚いたが、その少し後には部屋中を笑い声がこだましていた。
「メシにしようか。」
祖父が釜で炊いたご飯を用意していた。
しかし、あいつのぶんの茶碗は用意されていない。
一同にご飯と味噌汁が配膳されたが、祖父の前には白飯ではなく、ナチョスが並べられていた。
「俺はこれがいいんだ。」
祖父はそう言って、いつものようにナチョスを頬張った。
食事が終わり、片付けが済むとあいつに手を合わせ、みな日常へ帰っていった。
その日の夜中、私は目が覚めてしまった。
居間に水を飲みに行くと、釜の蓋が開いていた。
誰かが閉め忘れたのかと思い、蓋を閉め部屋に戻ろうとすると、仏間の方から啜り泣く声が聞こえる。
私は、怖いもの見たさにそっと近づき、障子の隙間から向こう側を覗くとそこにはいつもより小さな祖父の背中と白飯があった。
「ごめんな。。。一緒に白飯食べような。兄貴のために今日は釜で炊いたからよ。」
あいつの前に山盛りの白飯を置いて、祖父は泣きながら左手の茶碗の中から、白飯を小さくつまみ、口に運んだ。
その日から、祖父はナチョスを食べなくなった。
「俺はこれがいいんだ。」
今日も食卓には白米が並び、祖父からは薪のにおいがする。
私のもう1人のおじいちゃんは、写真の中で小さく微笑んでいた。