Zは果たして何をしたのか?
僕がふたたび学校へ行くことができたのは、あの夜から二日後のことだった。
ガンガンする激しい頭痛と、恐怖体験からくる激しい動悸も、一日中ベッドで布団をかぶっていたらなんとか動けるまでに快復したし、これ以上母親や父親に心配かけるのもいけないので、僕は這うようにして登校した。
いったい何がどうなっているのか、まだ少し頭が混乱していたが、自分のやるべきことはわかっていた。千代田サヤコが、今はたしてどこにいるのかを見つけるのだ。
「千代田なら引っ越したぞ。いきなりだったからなぁ、俺も驚いた」
三年の、彼女のクラスの担任である加藤先生はのんきな口調でそう言った。
「引っ越したって……え?」
僕は愕然とした。
「まぁ、そうなるよなあ」
僕の顔を見た加藤は顎を撫でる。
「でも長いこと教師やってると、たまーにあるんだよ、こういうの。『家庭の事情』ってやつがさ。千代田がこうなるのは意外だったが……ま、あんまり考えすぎないこった」
「そんな……」
僕は肩を落とした。彼女がこの学校に存在した痕跡は、いともたやすく消え去ってしまっていた。
僕は気分が悪いまま職員室を出た。そして数歩歩いたあたりで異常な吐き気を催し、へたりこむ。たまたま通りがかった加藤先生がそんな僕を見つけ、保健室に連れていってくれた。
「それじゃ、お願いします、陣内先生」
「はい加藤先生。担任にはこっちから連絡しておきます」
陣内先生がお辞儀した。
「穂村、あんまり辛いときはすぐ保健室にいけよぉ」
加藤先生が、養護教諭の陣内に僕を引き渡して立ち去った。
ドアがしまると、陣内先生は丸椅子に座る僕を見下ろした。
「さて、とりあえず熱を計りましょうか」
陣内ナオミはそう言って、僕に体温計を手渡した。僕はのろのろとそれを脇にはさむ。すぐに結果は出た。
「七度八分……微熱ね。いいわ、ちょっとベッドで寝てなさい」
陣内先生はそう言って、僕をベッドに導いた。寝かされるとき、彼女の長い黒髪が顔にかかった。
「じゃあ、おやすみなさい」
彼女はそうしてベッドまわりのカーテンをしめた。
僕は胎児のような姿勢で寝転びながら、あの夜の記憶を何度も何度も反芻した。
謎のゲリラ同人漫画雑誌、週刊少年Z。黒いライダースーツ。グロテスクな仮面。目の前でバイクの後輪に頭をくだかれる千代田サヤコ。彼女の体内から這い出てきた奇妙な生き物。ゾンビハート。少年ゼット。痕跡すら残さず消えた千代田サヤコ。様々な言葉とビジョンが頭の中で延々と回り続け、僕はまた気分が悪くなってきた。
「先生……陣内先生……」
気がつくと、僕は彼女を呼んでいた。陣内先生はカーテンの隙間から顔をのぞかせた。
「どうかした?」
「先生は――」
一瞬、僕はあの夜何があったかを洗いざらい話したくなったが、恐ろしい可能性に気がついて、言葉につまった。もしも、あの夜の記憶がなにもかも本当だったとして、今、僕の前で優しく微笑んでいるこの美人の養護教諭の体内に、あの白い芋虫が潜んでいないとは限らないからだ。僕は口をぱくぱくさせた。
「……どうしたの? 大丈夫?」
不審に思った陣内先生が僕にかけよってきた。僕はとっさに首をふり、言った。
「――先生は、何か、怖いものに遭ったとき、どうしますか」
僕の質問に、陣内先生は何かを察したようだった。彼女は僕の傍らに腰をおろし、やさしく背中をさすってくれた。
「怖い目にあったんだね」
彼女は言う。僕は彼女の手のひらのあたたかさに、胸にこみあげるものを感じた。
「しばらくは無理をしないで、楽しいことだけしなさい。怖い記憶はそのうちどっかいっちゃうから」
(陣内先生はああ言ったけど)
さらに翌日、僕はあの扉の前に立った。漫画研究部の部室の扉だ。
(あんな目にあって、のほほんと笑っていられるわけないじゃないか!)
僕はつばを飲み込み、ノックをしようと手を振り上げ、その直前でとめた。あいている方の手で腰の後ろにあるものに触れる。それは家からこっそり持ち出してきた包丁だった。刃はタオルで包んであり、ズボンの内側に突っ込んである。
もう一度長く深呼吸をし、意を決してノックをした。
ゴンゴンという音が廊下に反響し、かき消える。扉の向こうでバタバタ動く音がして、扉が開いた。
「いらっしゃいませ、どちら様でしょうか」
賀東ビイが顔を出した。僕は背筋を伸ばした。
「『Z』について、聞きたいことがある」
僕は強い口調で言った。するとビイはわずかに眉をひそめ、僕の全身を眺め回す。
「あなた様は……新聞部の穂村様ですね」
僕はうなずく。ビイは少し考えて、一歩引いて僕を招き入れた。
「どうぞお入りください。我々はあなた様をお待ちしておりました」
賀東はそう言いながら、テキパキと僕の分の椅子を用意してくれた。それから彼は部室の奥で縮こまっている鹿羽エイコをひっぱり出してくる。彼女は相変わらずのジャージ姿で、顔をふせたままだった。「やだやだ話したくない会いたくない人こわいやだやだやだやだ」と、呪詛のようなものを呟いている。
「お嬢、今回は私がお話いたします。お嬢は聞いているだけで結構です」
ビイは彼女を僕の向かいの椅子に座らせた。彼女は椅子の上で膝を抱えた。
「今、お茶をご用意いたします」
ビイはそう言って部屋の片隅にあるポットのところへ行った。
僕は部室内を見渡した。三日前、怪人と格闘した痕跡は何も残っていなかった。作業机の上はきっちり整頓され、床にはチリひとつない。そういえばあのときの警備員はどうなったのだろうと僕は思ったが、たしかめるすべはなかった。最奥の本棚の最上段には、例の黒いファイルがずらりとおさまっている。
「興味あるの?」
いきなり声をかけられて、僕はびくりとした。鹿羽エイコが膝の上に顔を伏せながら、泥水のような目で僕を覗き見ていた。
「え、いや、その……」
僕少しうろたえたが、すぐに口もとを結んでうなずいた。
「……はい、興味あります」
「へぇ……?」
鹿羽エイコが怪しく口もとを歪めた。
「おまたせしました」
ビイが僕のそばにお茶菓子を置いてくれた。湯のみに入った緑茶と、小さな饅頭だ。
「では、詳しくご用件をうかがいます」
ビイがエイコの横に立つ。
「穂村くんはぁ、Zについて知りたいってぇ」
彼女が言った。僕はうなずいた。
「……かしこまりました。ですがその前に一点、確認させていただきたいことが」
ビイは威圧的に僕を見下ろした。
「三日前の夜、この部室を荒らしたのはあなたですね」
「……ああ」
ビイはため息をついた。
「……わかりました。良いでしょう」
「でも、僕だけじゃない」
「なんですって?」
ビイは片眉をあげた。
「他にもいた。ウチの部長の千代田サヤコと、『ゼット』だ」
僕はビイの目を真っ直ぐに見て言った。ビイはエイコを一瞥し、なぜかあきれたように肩をすくめた。
「本当なんだ! あの夜、僕と部長でここに侵入して――」
「信じますよ」
ビイは言った。
「え?」
僕は目をぱちくりさせた。
「我々漫画研究部は『ゼット』が実在することと、彼が戦っているものの存在を知っているのです」
「じゃ、じゃあ!」
僕はあやうく立ち上がりそうになった。
「穂村さん、あなたに真実を教えましょう」
ビイは真剣な表情で言う。
「『週刊少年Z』は、人間と区別がつかないゾンビハートという化物をあぶり出すための餌なのです。あれは漫画の形態をとっていますが、その実、いつどこで誰を殺したのかを表明する、一種の犯行声明なのですよ」




