夜の学校の怪人
時刻は夜十時をまわった。校舎内の明かりが全て消され、菱屋高校に闇が満ちる。僕と千代田サヤコは、部室内で息をひそめて、見回りの警備員の懐中電灯の灯りと足音が遠ざかるのを待った。
「……よし、行った」
サヤコの合図で、僕と彼女はダンボール箱の中から這い出た。
「意外とバレないもんですね」
こそこそと僕は言った。彼女はにっと笑った。
「なにせここは新聞部だからね。資料のダンボール箱があってもおかしくないでしょ。鉄板だよ」
「……もしかして、今までにも何度も……?」
「ジャーナリストとして当然ですよ」
サヤコは得意げに鼻をならした。僕はあきれた。ときどき、彼女が出処のわからないネタをとってくるのはそういうことだったらしい。
「さぁ、行こう。警備員が戻ってくるまで一時間しかない。忍び足でね」
サヤコが静かに部室のドアを開け、身をかがめて廊下に出た。僕も続いた。
夜中の学校は昼とは別世界だった。廊下に並んだ窓から間接的に差し込む無機質な街の灯りが、壁や床を青白く浮かび上がらせている。遠方に非常口の灯りだけがぼんやりと暗闇に浮かんでいて不気味だった。同じ場所の昼間の騒がしさを思うと、自分の息づかいと小さな足音しか聞こえないこの静寂は、まるで深海のようだった。
僕とサヤコは慎重に廊下を進み、部室棟へと向かう。その端に、夕方に訪れた漫画研究部の扉があった。しかしドアノブに手をかけても、扉は開かない。
「鍵がかかってる」
するとサヤコが僕をおしのけた。
「ちょっと見張ってて」
僕は言われたとおりに扉に背を向け、廊下の奥に目を凝らした。その後ろで、なにやらサヤコがごそごそする気配があった。
「開いたよ」
彼女がそう言ったのを聞いて、僕はやや驚いた。
「本当? どうやったの?」
僕がふりかえってそう訊くと、彼女は照れくさそうにした。
「ちょっとした魔法を使ったの」
「……ピッキング?」
「そんなことより、ほら」
サヤコは静かに扉を開けた。本当に鍵が空いているのを見て、僕はますます驚いた。
サヤコはそんな僕を気にせず部室の中にすべりこむ。僕も続いた。
慎重に扉を閉め、鍵をかけると、やっと安心できた気がして、僕たちは長い息を吐いた。
「あー、怖かった。腰痛い」
サヤコがまっすぐに立ち、大きなノビをした。僕はも腰を叩きながら立ち上がった。
「これってやっぱり、バレたらめっちゃ怒られますよね」
僕が言うと、サヤコはうなずく。
「ドロボウ未遂だしねー。最低でも停学かな」
「げ、マジすか」
「マジマジ。パパッとやっちゃお」
彼女はスマートフォンをとりだし、そのあかりで部室をあらためはじめた。
僕も自分のスマートフォンで手もとを照らしながら、なにかないかと調べはじめる。正直言って、なぜ自分までつきあわされているのかはなはだ疑問だったが、僕は千代田サヤコ部長のこの破天荒さに心地よいものを感じていたので、それの手伝いができていることを思うと、理由なんかどうでもよかった。
部室中央の長い作業机にはなにもなかった。かろうじて見つかったのは、どうやら恋愛ものの短編らしい漫画のネームだった。僕はそれをひと通りながめ、そっともとに戻した。
「よくこんな恥ずかしいものをかけるなぁ……」
「ねぇ、穂村くん」
サヤコが僕を呼んだ。彼女は部屋の奥の本棚を見上げていた。
「あれ、怪しくない?」
彼女が指差したのは、本棚の一番上にある黒く分厚いファイルの列だった。棚のほかの段がすべて漫画や資料でうまっているのを見ると、たしかにそこだけ周りから浮いているように見える。
「とどかないから、おねがい」
「わかった」
僕はつま先立ちになって手を伸ばし、端っこのファイルを棚から引き抜いた。ファイルはずっしりと重く、僕は少しよろけた。
僕は作業机の上にファイルを広げた。サヤコと一緒にその中身を目にした瞬間、驚きのあまり目を見開いた。
「『週刊少年Z』だ……!」
ファイルに収められていたのは、いままでの週刊少年Zのすべてのバックナンバーだった。僕は週刊少年Zがそこにあることよりも、それらが『すべて』揃っていることに驚いた。
「町のどこに出現するかわからず、数も少ないものを全部揃えるなんて……」
サヤコが僕の思っていたことをつぶやいた。僕もうなずいた。
「相当な執念か、もしくは……」
僕はその先の言葉を呑み込んで、ふたたび本棚に向かい合った。もしこの黒いファイルが週刊少年Zを集めたファイルなら、その一番古いものを見れば、わかるはずだ。
「創刊号があるはずだ……!」
僕はさっき引き抜いたのと逆側の端のファイルを引き抜いた。
ファイルの中にははたして『週刊少年Z』の創刊号があった!
「やった、もう間違いないっすよ! こんなのを持っているなんて、作者か、そうとうなマニアだけっす!」
僕は小さく歓声をあげた。横からのぞきこんでいたサヤコも、興奮した面持ちをしている。するとおもむろに、彼女は僕に抱きついてきた。
「やった! やった! ついに見つけた!」
サヤコは僕を抱きしめながらぴょんぴょんと跳びはねた。僕はびっくりしたのと恥ずかしいのとですっかり固まってしまった。なにしろ、彼女の大きめの膨らみが、真正面から僕に押しつけられているのだ。赤くならないほうが無理だった。
「あ、あの、部長、ちょっと……」
「え? あ、ごめん!」
気づいた彼女は慌てて僕から離れる。僕はぎくしゃくしながら、なるべく気にしないようにした。
「き、きっとこの部室内にZの原稿もあるはずっすよ。探しましょう」
「うん、そうだね!」
僕らが興奮した面持ちでうなずきあって、さらに部室内を物色しようとしたときだった。
――カチャリ。鍵が開いた。
僕とサヤコはとっさに身をかがめ、机の影に隠れた。突然のことに心臓が早鐘をうち、額から冷や汗が噴き出した。僕らは入り口から一番遠い机の影で声をひそめた。
「え、なに、鍵?」
うろたえる僕。
「警備員? はやすぎる!」
サヤコも狼狽している。
「しっ! 静かに」
僕が言った直後、扉が静かに開く音がした。
警備員は硬い靴音をたてながら、ゆっくりと部屋に入ってきた。僕らのいる位置から姿は見えないが、なぜかその息づかいだけは聞こえてくる。ハァー……ハァー……と長く、荒い呼吸だ。なぜか音がくぐもっている。
警備員は作業机の横を進んできた。僕らは静かにその反対側へと、精いっぱい見を低くしてまわりこむ。そのとき、ふと僕は気づいた。
(あいつ……灯りを持ってない……?)
警備員は懐中電灯も、代わりになるようなものも持っていないようだった。そのことに気がついた瞬間、僕はぞっとしない気持ちになった。なぜなら、懐中電灯を持っていないということは、この人物は警備員ではないからだ!
(こいつ、誰だ!?)
僕の頬を汗がつたう。
そのとき、僕は謎の人物の正体がどうしても知りたくなってしまった。危険な状況と異常なトラブルに、僕の中の恐怖が麻痺し、冒険心がうずいたのだ。僕はスマートフォンをとりだし、無音カメラアプリを起動した。
「ちょっと」
サヤコが小声で咎める。僕は「大丈夫だって」と返した。
謎の人物が僕らに背を向けた一瞬を狙い、腕だけ机の影から出してその背中を撮影する。画面の光が漏れないように手で覆いながら、写真を確認する。
息を呑んだ。
窓からの青白い光に照らされたその人物は黒いレザーのつなぎを着ていた。顔は見えないが、体格からして男性のように見える。その手には、大振りのナイフが握られていた……!
(異常者だ……!)
僕は確信した。一緒に画面を覗いていたサヤコも同じことを思ったようだった。彼女は口もとを結び、青ざめて、小さく震えていた。
僕は彼女の手をとった。
「逃げよう」
スマートフォンをしまい、小さくそう言って、慎重に出口へと向かう。急いで、しかし静かに机をまわりこみ、まっすぐ入り口に向かった。あとほんの数歩だ。
(これで助かる――)
そう思ったときだった。
いきなり後方で大きな音がした。聞き覚えがある。机同士がぶつかる、ガタリという音だ。猛烈な、嫌な予感が僕の脳を揺さぶった。
僕は震えをこらえながら、ゆっくりと後ろをふりかえった。
グロテスクなマスクで顔を隠し、ナイフを持った人物が、作業机の上に乗ってこちらを見下ろしていた。




