エピローグ 月刊少年○○。
穏やかな夏の放課後だった。
強い陽光が窓から差し込む長い廊下を、僕は歩いてる。
窓の外からは元気が出るような運動部のかけ声と、気温がいっそう暑く感じるようなアブラゼミの鳴き声が聞こえてくる。
人通りの多い校舎を抜けて、部室棟の片隅へとやってくると、周囲から人はいなくなり、いきなりしんと静まりかえる。僕は明るい照明の廊下を歩き、『漫画研究会』の表札がかかった金属扉の前に立つ。
ノックもせずに、僕は扉を開いた。
「よっ」
部室の奥から、軽い調子で声をかけてきた人間がいた。僕はその姿を見て驚いた。
「エイコ! もういいの!?」
僕は長い作業机をまわりこみ、彼女に駆け寄った。鹿羽は長い髪を後ろでまとめたジャージ姿だった。
「それはこっちのセリフ。マコトは?」
エイコは椅子に座ったまま、メガネ越しに僕を見上げた。僕は微笑んだ。
「僕は大丈夫だよ。僕の怪我はあまり深くなかったから、二週間くらいで治った。痕は残ったけど……」
「親御さんは?」
「ひき逃げの交通事故ってことで納得してくれた」
僕はそういいながら、エイコの右腕を見た。彼女の上着の袖は、本来なら肘があるべきあたりでギュッと結ばれている。
僕の視線に気づくと、エイコは笑った。
「さすがに切断されちゃうとね……治らないよ。でも大丈夫」
エイコは左手を掲げた。
「私、左利きなの」
あっけらかんとした物言いに、僕は吹き出した。なんだか力が抜けて、僕は近くの椅子を引いて腰かける。
「それで、マコトは何しにきたの?」
僕は言葉に詰まる。エイコは目を細めた。
「まさか私の代わりに『週刊少年Z』を描いて、ばら撒こうとしてたとか?」
僕はギクリとした。
「な、なんで――」
「ゴミ箱にクシャクシャの原稿用紙。しかも下手な絵の描かれた」
僕はムッとし、そしてすぐに息を吐いた。
「……やっぱり、僕にマンガは無理だったよ」
「当たり前だよ。一朝一夕でできるもんか」
エイコは唇を尖らせ、そしてすぐにはにかんだ。
「描くなら、やっぱり私じゃないと」
「……あれ?」
僕は首をかしげる。
「Zを描いてたのって、エイコなの?」
「そうだけど?」
「じゃあ、前に見せてもらった……ええと……『天皇と不良の禁断の恋 〜ほとばしる僕のカルピス〜』は――」
「わーっ! わーっ! わーっ! わーっ!」
エイコが顔を真っ赤にして腕を振った。僕はびっくりしてしまった。
「あ、あれを描いたのはビイだから! 私じゃないから! あ、話を考えたのは私だけど……でも絵は違うから! ビイだから!」
「あー、そ、そうなんだ……」
僕は力なく笑いながら、額の汗を拭った。エイコは僕から目をそらす。
「私が作画してたのは『Z』のほうだよ……」
「じゃあ……もしかして」
「そうだよ」
エイコは強い光の宿った目でうなずいた。
「『週刊少年Z』は終わらない。まだまだゾンビハートはたくさんいる。やつらを殺しきるまで、連載は終わらないよ」
「……いや、それはちがう」
僕は静かに言った。エイコは訝しげに僕を見た。
「『週刊少年Z』は終わりだよ」
「マコト……? あんた、何言って……」
「だって、その腕じゃもう戦えないだろ」
僕はエイコの右腕を指差した。袖の結び目がぶらんぶらんと揺れている。
エイコは僕を睨んだ。
「なんなら、今からあんたをくびり殺してやろうか」
「やれるもんならやってみろ」
「なんだと……!?」
怒気をはらんだ声だった。
僕とエイコは睨み合う。
窓の外では相変わらずアブラゼミがジジジジ、ジジジジと鳴いていて、天井の古いエアコンがカタカタ音を立てている。
静かな緊張は、突然の破裂音で終わった。
エイコは目を見開き、驚いていた。彼女は素早く立ち上がって僕を殴ろうとしたのだが、その拳を手のひらで受け止められたのだ。さっきの破裂音は、そのときの空気の破裂だった。
「なっ……!?」
「びっくりした?」
僕は微笑んだ。ゆっくり、手を離す。
エイコは面食らった様子で、また席についた。
「あの夜から一ヶ月。僕も頑張ったんだ。頑張って、ゾンビハートたちを殺した」
「なんだって……!」
エイコはますます驚いていた。
「前にもらったリストをもとに、四人くらい殺したかな。死体はあの堆肥工場で始末させてもらってる。バイクの扱いも覚えた」
「まさか、マコト……!」
「そうだよ」
僕は立ち上がり、にっこり笑った。
「『週刊少年Z』は廃刊。来週からは『週刊少年Σ』だ。」
その言葉を聞いたエイコはうつむいた。彼女が何か考えているようだったので、僕は彼女がまた口を開くのを待った。
「……ひとつだけ、聞かせて」
「なに?」
「マコトは、どうして戦うの? あなたは巻き込まれただけじゃない……」
エイコは顔を上げ、まっすぐに僕の瞳を見た。僕は笑って、肩をすくめた。
「好きな人を傷つけるやつがいたら、ぶっ殺してやるのが当たり前だろ?」
「……マコト」
エイコはからかうような表情で言った。
「そのセリフ、マンガみたい」
僕は笑った。エイコも笑った。ひとしきり笑って、僕は息をついた。
「……それじゃ、行ってくるよ」
「うん、気をつけて……あ! ちょっと待って!」
背を向けかけた僕を、エイコはひきとめる。
「なに?」
「ひとつだけ、訂正させて」
「なにを?」
訊くと、エイコは恥ずかしそうに言った。
「その……やっぱり、週刊じゃなくて、月刊にしてくれないかな? やっぱり、片腕じゃ大変だから……」
彼女は短い方の腕を振った。
僕は出鼻をくじかれたような思いをしつつ、仕方なしと肩をすくめた。
『週刊少年Z』が途絶えて数週間後……町のあちこちに『月刊少年Σ』という謎の漫画雑誌が出現するようになった。
人々は噂しあう。誰が何のためにこのような不気味な雑誌をばら撒いているのかと。不吉な雑誌は人々を恐怖させ、インターネットを通じて全国にその存在を知らしめられた。
そしてそのころから、真夜中にバイクで疾走する、ゾンビ頭の怪人の噂が、まことしやかに囁かれるようになった……。
週刊少年Z おわり




