プロローグ 週刊少年Z
少女の頭が目の前で砕けた。
いつも明るい笑顔を振りまいてくれていたあの顔が、いきなり突っ込んできたバイクの後輪に削り取られ、塊の多い赤黒い血をふりまく。
後方から僕の頭上を飛び越えてきたバイクはそのまま少女の頭をつぶしながら目の前に横転した。彼女の華奢な体はその下敷きになり、硬いものが折れる音と水気の多いものが潰れる音を次々と立てる。
僕は腰を抜かして、ただその光景を見ていた。
横転したバイクの上にひとつの影が着地する。黒いレザーのライダースーツを着て、ゾンビをかたどった仮面で顔を隠した怪人は、バイク越しに少女の死体をふみつけていた。
「ぜ……『ゼット』……?」僕の口から言葉が漏れた。名前を呼ばれた怪人は、僕をゆっくりを振り返り、紅い大きな月を背に、無言で僕を見下ろしていた――
週刊少年Z
「ねぇ、『週刊少年Z』って知ってる?」
放課後の部室で、何をするでもなくダラダラとしていた僕に話しかけてきたのは、千代田サヤコだった。彼女は腰に手を当てて、椅子に座りながらマンガを読んでいる僕を見下ろしていた。
僕は彼女を見上げた。
「たしか『ゲリラ同人誌』? でしたっけ」
サヤコはうなずいた。
「今週も出たの。場所は駅の反対側にあるスーパーの、あの袋詰めするとこ」
彼女はそう言って、僕の前に一冊の本を置いた。約13ページくらいしかないそれは、まるで漫画雑誌のような表紙をしていた。
「それ、今週号?」
訊くと、彼女はうなずく。僕は読んでいたマンガを放ってそれを手にとった。
表紙には大きく『週刊少年Z』のロゴと、黒いライダースーツを着て、グロテスクなゾンビのマスクで顔を隠した怪人が描かれている。この怪人は、この漫画雑誌――はたしてその呼び方が正しいのかはわからないが――に連載されている唯一の漫画『少年Z』の主人公だ。名前はゼットという。
僕はパラパラとページをめくった。どこかの薄暗い廃屋で、ゼットが気持ちの悪い怪物相手に戦っている様子が描いた漫画が掲載されている。少年Zの内容は、毎回同じような内容だった。
「けっこう面白いっすよね」
僕がサヤコを見上げると、彼女は不快そうに眉をひそめ、僕から週刊少年Zをとりあげた。
「ぬぁにが『ケッコーオモシロイッスヨネー』だよ! こんなグロテスクで不気味な漫画、教育に悪い!」
彼女は鼻息を荒くしてわめいた。僕は苦笑する。
「そりゃまあ……たしかに」
僕は乱暴に机にたたきつけられた週刊少年Zを引き寄せた。適当に開いたページには、床にぶちまけられた怪物の内臓が見開き一面に描かれている。ゼットがとどめをさしたシーンだ。作者――名前は漫画タイトルと同じ少年Z――の絵はかなり上手く、緻密で、人によっては不快感を催させるのもうなずける。
「こんな漫画を子どもも手に取れる場所に何冊も放置していくなんて! 許せないよ!」
「うん……そうっすよね」
僕はうなずいた。
『週刊少年Z』はここ一年前くらいから出現した『ゲリラ同人誌』だ。駅のベンチや、バス停の片隅、病院の待合室や、今回のようにスーパーの袋詰め用の台の上など、人が集まるところに、いつのまにか何冊も置かれている。果たして誰が何のために置いていくのかはまるでわかっておらず、一種の都市伝説のようなものになっていた。
『売れない漫画家がPRのためにやっているのだ』とか、『異常な犯罪者のしわざだ』とか、はたまた『秘密組織のメンバーたちの合図だ』とか、ネットでは様々な憶測が飛び交っているが、僕――穂村マコトは、別の仮説を立てていた。すなわち、『たんなる趣味』だろうということだ。根拠はないが、なんとなくそんな気がしていた。
「じゃあ、また特集でもやります? 『解明! 謎の漫画はどこからきたのか!?』」
僕がからかい気味に彼女が半年前に組んだ特集の見出しを口にすると、サヤコはかぁっと顔を赤くした。僕はまずい、と思った。
「……いいよ、どうせ私にはジャーナリストの才能は無いよ。こんなイタズラの出処ひとつ突き止められなかったんだから……」
彼女はパイプ椅子に座り込み、膝を抱えてうなだれた。サヤコはこうなるとなかなか機嫌をなおしてくれないのだ。高校三年生で新聞部部長のくせに、ずいぶん子どもっぽい人だった。
僕は頭をかいた。
「すいませんした、先輩」
僕は頭をさげる。
「……まだ足りない」
「すいませんでした」
僕は座ったまま膝に手をつき、頭をさげる。
「もうひと声!」
「すんませんっしたぁ!」
僕は椅子から飛び出し、彼女の前にひれふした。するとサヤコは王様のようなジェスチャーをしながら「うむ、許す!」と言ってくれた。このやりとりは、僕が一年のころに新聞部に入部してから、幾度となく繰り返されたものだ。ふんぞり返るサヤコに、僕は苦笑した。
「では汝に刑罰を命じよう」
サヤコは僕を指差す。エッと声が出た。
「来月の部活動紹介に使う記事を作成してまいれぇ〜。締切は今週中ね」
「またサボる気っすか!?」
僕はあきれかえった。するとサヤコはあははと笑い、顔の前で手を合わせる。
「お願い! 私これでも受験生だから、けっこう忙しいの!」
「いや……まぁ、いいっすけど」
僕はちょっぴり恥ずかしくなって顔をそむけた。サヤコのはにかみ顔は、僕には眩しすぎた。僕は埃をはらいながら立ち上がった。
「取材する部活動は決まってるんすか?」
「うん、漫画研究部。部長さんにはもう話通してあるから」
ケロッとした顔で彼女は言う。
「あ、そうなんすね」
「そんなわけでおねがい。かるーくでいいから、かるーくで」
「先輩はこのあとは? 予備校とかですか?」
「私はちょっと現代視覚文化、とくに現代青年向け戯画の研究を……」
そう言いながら、彼女はさっき僕が放ったマンガに手を伸ばす。
「暇じゃないっすか!」
僕は彼女の襟首を掴んだ。
「やーだー! いーきーぬーきー!」
サヤコはジタバタと暴れる。
「ホラ! 行くっすよ!」
「めんどくさぁあああい……」
「あんた部長だろ!」
僕は彼女を引きずって部室を出ていった。




