俺、魔族になります。
魔族。
俺は、魔族だとのこと。
正直、頭がついていかなかった。自分が魔族だったことに対してじゃなく、取り巻く環境の変化に対して。俺が魔病にかかった時、両親はひどく取り乱していた。友人は俺の手を握り、泣きながら神に祈っていた。俺も泣きそうになりながら、自らの体が少しずつ変化していく様を感じ取っていた。でも、俺は死ななかった。かといって悪魔になったわけでもなかった。実は俺は最近巷でよく話されている、魔族とやららしく、魔病にかかったとしても死なず、悪魔にもならず魔にとても近い人間のまま生きていけるんだそうだ。
友人の俺を見る目が変わった。俺を見ると挙動不審になりながら、気持ち悪そうに俺を見てきた。両親は何も言わないものの、明らかに態度が変わっていた。出される飯はそこまで美味しくないものだし、放たれる声は心に突き刺さるような冷たい声だった。
ああ、これが魔族なんだなとどこかで理解した。でも納得なんかできなかった。理解していても、理解していることを理解することを頭が拒んで、気分が悪くなる。きっと俺以外の周りの人が魔族だったとしたら、俺も友人や家族のようになっていたはずだ。魔族とは、そういうものだから。でも、やっぱり嫌だった。当たり前だ。今まで親しかった人たちが手のひらを返してように接してくる。心がもたなかった。逃げ出したくなった。だから、逃げた。
町の門を出てから、無我夢中で走り続けた。これでいいんだ、と。これがいいんだ、と。必死に自分に言い聞かせて。結局のところ、俺はずっと期待していたんだ。もしかしたら誰かが俺の事を追いかけてきてくれるんじゃないか、謝りに来るんじゃないか、帰ろうと、言ってくれるんじゃないか。
そんなこと、なかったけど。
途中で、この小さな小さな国の騎士様に捕まった。そりゃそうか、魔族は今立派な研究材料なんだから、捕まえにくるよな。
もう、誰が俺の事を国に話したのかは、気にしないことにした。それを聞いてしまえば、俺はもう、これから誰の事も好きになれなくなるような気がして……
連れてこられたのは、ひどく質素の部屋だった。とはいっても、牢屋みたいなほんとにさびしい部屋ではない。寝具はあるし、小さいテーブルもイスもある。トイレも、部屋にあるドアの先に、とても小さいものがあった。
俺はてっきり牢屋のような場所に行くのだろうと思っていたので、とても驚いた。俺を捕まえて連れてきた騎士様が言うには「別に罪人ではないのだから」とのこと。嫌悪感丸出しの顔と声で親切に教えてくださり、どうも、本当にありがとうございました。
出された食事も、家で出たものとほとんど大差なかった。もちろん、悪い意味で。家の食事が元から質の悪いものだったのだから、ここで出されるものを食べても、なにも感じなかった。……いや、少しだけ。ああ、そうか。魔族というだけで、家族はこんなにも変わるものなのか、と改めて自らが魔族であることを再認識して、泣きたくはなったな。
俺も、魔族については悪い話しか聞かなかった。体は人間でも魔に近いせいで、悪魔と同じように人を殺したり食べたり……、悲劇的な話しか。なら、両親の態度にも理解はできる。そう、理解は。俺以外にも兄弟は何人もいるんだし、俺一人にかまって残り少ない生涯を棒に振りたくはないもんなぁ……?
その日はずいぶんと、ぐっすり眠れた。
そして一か月ほどが経ち、このひどく質素な部屋での生活にも慣れたころ、俺は人生の分岐点とでも言うべき場面に立っていた。
ふと窓の外から阿鼻叫喚が聞こえることに、気がついた。窓を開けると、焦げ臭いような臭いが部屋の中に漂ってきた。思わず顔を顰めながら、俺は外を見渡す。
かなり遠くに見える教会の屋根に、黒く大きいごつごつとした岩のような肉体を持った、悪魔がいた。その周りでは数十人もの騎士たちが槍や剣をふるいながら、逃げ惑う市民たちを助けようと懸命になっている。
ああ、そうか。悪魔たちがここへ攻めてきたのか。頭の半分が早く逃げなければ、と焦っている一方、もう半分はとても冷静に外の状況を見つめていた。
少なくとも先ほどまではこんな悲鳴は聞こえなかった。ということは、悪魔たちが攻めてきたのは、おそらく数十分ほど前のことなのだろう。さて、どうしようか。このままここにいれば間違いなく死ぬだろう。そんなのはごめんだ。魔族だからって、死にたい奴はまずいないだろう。
けれど、脱出もできない。とりあえず部屋を出ることはできるが、部屋出て廊下の先の扉をどうやってあける?近くの部屋に俺と同じような魔族がいたら協力しあえるかもしれないが、まず期待はできない。なぜかって?簡単だ。俺たちは研究材料なのだ。ようするに、解剖やらなにやらされていたり、なんらかの実験が行われていたりする可能性が高いため、俺以外にいたとしても数人程度のはずだ。
なら、どうする。このままここにいたら死ぬが、逃げることもできない。なにか、手だては……。
ふと、思った。あまりにも、焦げ臭すぎないかと。あわてて、窓の方向の顔を向ける。
「ゥアァァヴヴウウウウウウ…………!」
そこには、口から炎を吐く悪魔が一体張り付いていた。
どうする、なんて考える暇もなかった。俺が奴を見た次の瞬間、奴は俺に黒い炎を吐きだしていたのだから。反射的に腕で顔を覆い隠したと同時に、俺は闇にのみこまれていった。
目が覚めた時、俺の周りには火の手が迫っていた。
「っ!?」
一体何が……?なんて思ったのも束の間のことで、俺はすぐに悪魔たちが町に攻め入ってきたことを思い出した。そして、俺が奴に黒き炎で焼かれたことも。
「ぅぁああっ!いってぇ……!」
炎に焼かれたことを思い出したせいで、先ほどまではなかった痛みが急に体に走り始める。そのことに心の中で悪態をつきながらも、状況理解に痛みで朦朧とする意識をまわした。
おそらく、悪魔の侵攻はすでに終わったと考えていいだろう。悲鳴は聞こえないし、悪魔たちの雄たけびも聞こえない。そのことにとりあえずは安心しながら、俺は自分の手に目を落とした。
真っ黒焦げもいいところだった。というか、半分くらい炭になっている程だ。しかも、被害は手だけではなかった。炎に当たったところ、膝から上はすべて炭になっていて、少し動かせば黒い欠片がぼろぼろとおちていく。炎に直接焼かれたため、服と肌が溶けて混ざり合っていないことが唯一の救いか。けれども、どうしてまだ体が動くのか、感覚があるのか、自分が生きているのか、不思議になるくらいひどい有様だ。
といっても、少し考えればわかることだった。
生きているのは、俺が魔族になってしまったからなのだろう。魔族とは人間のまま魔に近づいてしまった存在ではあるが、その肉体の中身、身体能力などは悪魔たちほどではないものの、ただの人間よりははるかに高いらしい。この一カ月の間に騎士様から少しずつ話を聞いただけなので、詳しいところはわかってはいないのだけど。
さて、今からどうしようか。
悪魔たちが去って行ったことには安心してもいいのだろうが、俺が意識を失っている間に悪魔たちが吐いた黒い炎は町に広がってしまっている。なんとかして、早いところこの建物から出ないと炎で柱が崩れてしまう。そうなれば俺が今いるのは三階なので、いくら魔族といえどもダメージを負っている身では今度こそ天に召されてしまうだろう。いや、地獄に、だろうか……。俺は小さく笑みを浮かべながら、部屋のドアを開けた。
とにもかくにも、まずはここから脱出だ。廊下に出てみると、幸いにも鍵のかかった扉のあった部分が炎で焼け落ちて、先に進めるようになっている。
気をつけるべきことは、三つある。まず、悪魔の炎。奴らの炎は吐きだされてから時間が経つにつれ、炎の中に含まれている魔素が抜けていくため、少しずつ温度や勢いが小さくなるらしいが、数時間程度ではほとんど差はないと考えていいだろう。常人だと近づいただけで焼けていくような威力だそうだし。
次に気をつけるべきは、建物の崩落。俺のいる建物は研究所以外にも、色々な役割を担っていたそうで、とてつもなく大きい。つまり、できるだけ急がないと脱出が間に合わずこの建物と一緒に地に埋まることになりかねない。
俺がいた部屋から鍵の扉があった場所まで、いくつか部屋があったがどれも開いていた。おそらく、俺と同じ魔族だろう。俺は扉の部分が焼け落ちたのだと考えたけれど、実際は俺以外の何人かの魔族たちが扉を壊したのかもしれないな。
鍵の扉の部分は俺がいた部屋よりも、黒い炎が大きかったのでできるだけ慎重に歩いた。急いでいるからといって走ったせいで床が抜けたりして、そのまま死亡なんてことは絶対に避けたいからな。
そして無事何もなく、鍵の扉部分を越えることができた。そこからすぐのところにある部屋はドアが焼けていて、その先に銀色に光る物体を見ることができた。
剣だ。おそらく、鍵の扉の前にいつも立っていた門番が持っていたものだろう。
あの剣はこのさきを生き延びるために、間違いなく必要になるといっていい。俺は神経を研ぎ澄ませ、辺りにできるだけ意識を飛ばしながら、鉄でできた無骨な剣を手に取った。今度もなにも起きることなく済んだので、思わずふうっと安堵の息が漏れだす。それにしても、魔族の体は頑丈だな。ずっと火の立ちこめている場所にいるのに、気分の一つも悪くならない。といっても、さすがに居続けると危険なのだろうけど。それに、肺も全く痛くならないし、焼けている部分も痛かったのは最初だけで、少しずつ痛みが抜けて行っている。いや、もしかしたら脳内麻薬がどばどばに出ているだけなのかもしれないな。
この屋敷の構造を俺は全く知らない。だけど、どうにかして脱出するしか俺に生きる方法はない。そういえば、魔族の体がこんなにも頑丈ならば、襲撃されているとわかったあの時に窓から飛び降りればよかったかもしれないな。いつもなら下には下で門番がいるが、あの時は襲撃のおかげでどこかへ行っていたし、三階程度なら骨にひびが入るくらいで終わっていたかもしれない。
無論、あの時飛び降りていたら飛び降りていたで、悪魔に見つかってすでに死んでいたかもしれないが。もしここから生き延びることができたら、次からは魔族の頑丈さを利用していくことも考えた方がいいかもしれない。まあ、ここを生き延びれたのなら、だけれど。
長い長い廊下の先に、下へおりるための階段が見える。三階は魔族専用の階層のようだが、二階からはわからない。というか、間違いなく魔族以外の人間が使っていただろう。
つまり。
奴らがいる可能性は、とても高い。
気をつけるべき、最後のひとつ。
それは、『不死』。魔素が濃いところで死んでしまった者たちの体に魔素が入り込み、それにより死体が急激に変化し、ぼろぼろに崩れながら魔素によって意識を持ってしまったモノたちの名称である。
奴らは、人を襲い食らう。そして、食われたものの魂の分力を強くしていく。悪魔たちの亜種である。
黒い炎とは、魔素の塊でもある。そんなものに包まれながら死んでいった者たちが大勢いるのだ。この町の中に、一体何人の不死がいるのだろうか。
床を崩さないよう慎重に階段まで足を運び、二階に下りてから、俺はいつ襲われてもすぐに対処できるようにゆっくりと剣を構えた。