表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/27

第4話 パキスタン編(後編)

5、少年VS少年


 頭上に絡み合う電線が、乾いた風に揺れるギルギットの街並。


その中を武士は警官からもらったアラビアン模様のフードを首に巻きながら歩いて行った。鶯色の制服姿を着る外国人の武士を、ターバンを巻いたバザールの男達が怪訝そうに見つめている。

やがてバザールの露店の間、そこから水を汲んで出た褐色肌の裸足の少年と、黒髪の隙間から鋭く目を突き合わせる。武士はぎゅっ、とフードと、その中にある無線を握りしめて彼の元へ歩み寄った。


***

 

武士が私服に着替え直した警官に諭した作戦は以下の通りだった。


悪魔が「少年」であるという事実が明らかになった以上、その両親や家族を周辺にいると仮定し、それを拘束し「交渉」または「脅し」の手立てとして、カメラを引き渡す事を提案する、というものである。

看護師の言う通り、彼が元々出稼ぎ出身のアウトローというのであれば、家族がいるはずだ。という、不確かな予想故の行動であるが、考える限りではそれ以外に方法がない。


東西に広がるギルギットの街を、武士と警官は2人で分担してその出生を探る事にしていたのだ。そしてそれを訪ねる相手とは――、出稼ぎで働く子ども達だった。

平日でも甲斐甲斐しく働いている彼らの元へ寄り添い、そこから「悪魔」の情報を聞き取る。その事を述べた時、警官は頭をかきながら憂鬱そうに武士に助言した。


「あーいう子ども達はね、結構あくどい事も平気でするような事も多いんだよ?くれぐれも、子どもだからと言って甘く見ない事だね。特に、バザールの路地裏には絶対に行かない方が良い。連れてこまれたその瞬間、君はもうおしまいだ。いいね、絶対に行くんじゃないよ」


土色の手から無線と共に武士の手を握り締め、念を押す様に言った。その言葉を胸に留め、武士は緊張した面持ちで彼に歩み寄っていく。

向かいの少年も緊張で水かめを抱きしめるが、武士のフードから出た手に、レモンキャンディーが乗っていることでぱちくりと目を瞬かせた。


「話してくれたら、あげる。」


と、フードの中から乾いたカタコトの英語で、武士は腰をかがめて言った。


「君や君の友達か知り合いに、赤い目をした16、17歳位の男を見た事はないか? 眉毛の濃くて、眼力のある結構ハンサムな奴なんだけど」


これくらいの高さだったと、自分の頭少し上に手を掲げる武士に、彼はヘーゼル色の瞳を三度目を瞬かせながらも首を傾けた。


「…うーん。知らない」


フードと共にぶんぶん首を振った少年に武士は「そっか、ありがと」と軽く答えて目を伏せる。しかし、そのやりとりを終えても少年はじっと武士を見上げたまま、ゆっくり口を開く。


「…それでも、飴、もらって良い?」


こくりと首を傾けて尋ねる少年に、武士が「いいよ」と言った途端、彼は武士の指ごとキャンディを口に含んで顔をあげた。


「えへへ、ありがとっ」


にっこりと口の中のキャンディをのぞかせ笑う少年に、武士は呆れながらも薄く笑ってため息をついた。

やがて喜びに背を向け、軽く飛ぶように歩き出した彼を見守った後のため息は諦念だった。探し続けて早2日。一日中脚を棒にして歩き続けても結果はずっとこの調子なのである。と、その時無線が音を鳴らした。警官の合図に武士は慌てて無線に耳を当てる。


「どうした、何があったか」


「やった!やったよ!今、モティモスクで新聞を売る子どもに聞いてみたら、悪魔の事について少し話を聞けたぜ!」


彼の歓喜の声に、武士も驚いて声を荒げる。


「マジか!?なんて言ってた!?」


「どうやら、悪魔って野郎は、名前をカマラって言う、アフガニスタンの難民出だったらしい!8年前にギルギットへ出稼ぎにやってきたコイツらと職をかけもちしながら、物売りしてたんだってよ!」


無線の奥から子ども達の笑う声が聞こえた。


「アフガニスタン!?て、要は悪魔の家族は、そっちにいるって事か!?」


「んまあー、確かにそういう事にはなるけど、一番年の近い妹が一緒にギルギットにやって来てたらしいぜ。でも、3年前に悪魔がいなくなった途端、彼女もここでは見かけなくなったてさ。でも…」


その後に続いた言葉に、武士は更に目を見開かせた。


「彼女の働いていた場所は、エアポート通り、国際ターミナル近くの雑貨店らしい。そこから話しを聞いてみれば、もっと手がかりがつかめるかもね。」


「な…に…!?」


それは武士が今居る所である。条件反射的に辺りを見渡してみると、その時だった。


「きゃあっ!」


 激しい衝撃音と共に人々の騒音が武士の耳に届く。その方へ振り向くと、黒い人影の間から水甕が割れた横に転がっているさっきの少年がいた。


「大丈夫か!」


 慌てて駆け寄ってみれば、倒れる彼のレモンキャンディーも遠くの地面に転がって土色に汚れてしまっている。武士に抱き上げられながら、すべてが台無しになったその惨状に少年は途端涙を流し、叫んだ。


「わあああああああん!さっき!さっき!グールにどつかれたああああ!」


 涙と鼻水を小さな顔にどうどうと流し、少年は路地裏の方へぶんぶんと指を差す。


「グール?何だ、その子、君の友だちか?」


「うん、友だち!さっきまで一緒に話してた!友だち!突然逃げるように僕を突き飛ばして行っちゃったああああああ!」


 まさか、逃げようとしていたのは、「俺」から――?!


 妹、という警官の言葉に武士ははっ、と少年の指差す路地裏を見返った。ぼんやりと露店より更に汚れて灰暗い小路道。まるでそこから武士を誘うように、ぼんやりと裸電球が浮かんでいる。


 行くしかない。


 警官などの助言など当に忘れ、武士は立ちあがった。這いつくばって泣き叫ぶ少年の手に再びレモンキャンディーを乗せながら、武士はフードをかぶり直して道を横切っていく。


「絶対に、捕まえてやる…!」


 キティの顔を思い浮かべで走り抜ける路地裏。土色の壁と、そこに描かれた猥雑な落書きがその危うさを諭すが、彼はひたすら頭の中で黒髪を靡かせて走る少女の背中を追う。裸電球の前に立って左右を見渡すと、途端、鼠がちゅうと鳴って逃げ込んだが、その音の向こう、誰もいない先にガタンッと物音が響いた。


「そっちかあ!」


 武士は左へごみ袋を蹴とばし、路地裏を走り抜けた。その騒ぎを聞きつけ側から睨みつける少年たちを無視し、時には少々荒々しく突き飛ばし、音のした方へ走り寄るとその先には途端強い光を放つ小道に至るのだ。路地裏のその先へ武士はついに踏み込んだ。

 汗を飛ばし息を荒らして走り抜けたその視線の先には、まばゆい太陽の光を背景に影をつくる石垣に囲まれた広場だ。

 その礫から生える、蒼青しい葉の輝きを放つ2つの木。その幹に身体を寄せながら息をあげる、赤いカミースを着るウェーブかかった黒髪を持つ少女を見つける。

 武士は突然の光に手を覆い眼を細めながら、声をあげた。


「お前は――…!」


だがしかし、その途端背後に影が成る。


「はっ!?」


 それに気付く間もなく襲いかかるは、後頭部の激しい痛み。その鈍音に武士は自分の頭蓋骨が割れた心地に駆られて俯いた。


「ぎゃああっ!」


 それと共に武士は礫の地面に転がった。そして次々と呻く間もなくのしかかられ、こん棒のようなもので何回も頭を地面に叩きつけられ、身体が跳ね上がる。


「やめろ!やめろおおおお!」


 痛みに耐えられず武士は頭を腕で覆ったが、側に寄った誰かがそれを脚で蹴とばした。それはさっきの少女。そして自身の身体にこん棒を振り上げるは、ぶくぶくと太った顔の丸い少年。


「てんめェェッ!カマラの兄貴に何の用だあっ!?」


 髪を逆立て少年は憤怒の形相で武士の顔面にそれを撃ちつける。鼻のひしゃげる音と共に、鼻血が白い武士の顔に飛び散る。


「そうよ、そいつよ!そいつがカマラを探していたの!」


 何度もこん棒を振り上げる少年の横で、少女、グールが指を差しながら武士の腕を蹴とばして叫んだ。


「何のためだが知らねーがよくも!俺たちの兄貴を捕まえようとしやがって!ガキの分際で!ブッ殺してやる!」


 唾を吐き散らし、痣だらけになった武士に、まだ足りない怒りと共に、今度は覆う腕を叩き潰す。と、その騒ぎに裏から少年たちの影を、痛む目端から武士は伺った。


「そうか、コイツが…兄貴の敵か」


「運良く死んだらさ~、金目の物とってやろうぜ」


 こん棒の音に歓声をあげ、侮蔑の眼差しで彼らは脚を絡ませて襲われる武士を見下ろしている。


「も、もう…駄目だ…」


 その光景に武士はついに絶望し、口端に血を流しながら痛みに薄れる手を地面に落とした。途端、空いた身体に容赦なくこん棒が振り下される。その勢いと痛みにびんくと身体は跳ねるが反応する気力も、最早無い。声などとうに上げる事はない。助けなど、呼ばなかった。呼ぶ暇もなかった。


「…ごめん」


 誰かに言ったか分からない言葉を最後に、武士は首を傾け、垂れる血もそのままに最期の瞬間を待ちわびた。その諦めた顔に少年はニヤリと笑い、いよいよ高くこん棒を振り上げる――。


「死ねえ!」


 その時だった。こん棒が途端、木屑となって少年の頭上を弾き跳んだのだ。


「なっ!?」


 それに彼が顔を空へ上げた寸時、今度は彼が、後ろから迫った「誰」かに横蹴りで胴を叩きつけられ、武士の身体から弾け飛んだのだ。仰向けに倒れる武士の上を横切る黒く、太い棒のようなものは――、人の脚。


「だ…れ…?」


 武士はうっすらと、膜が覆う視界から側に立つ黒影を見た。巨漢を片脚で弾き飛ばしたその勇姿なる影は、顔の位置からレンズを覆う枠がはみ出ている。そして、額からはみ出ている数本の前髪が己の起こした風に揺らいでいる。見覚えのある姿に武士はあっと声をあげる。

 と、横から回りの少年たちが一斉になって彼に襲いかかってきた。しかし、彼は淡々と方脚を軸に腰を回し、彼らと正面から立ち向かう。


「くっそ!邪魔すんなああああ!」


 唾を弾き飛ばした怒声と共に颯爽として殴りかかってきた少年を、彼は脇に避けかすめたその腕を掴んで捻り回した。それに声をあげる彼を振り回して胴を固め自身の盾にして、次に来た相手の攻撃をすべて彼に当てさせる。それに動揺する相手ごと、彼は2人を上段蹴り3回で壁に叩きつける。

 途端、後ろから回って脇を固める少年をその踵を荒々しく叩き潰し、その開いた隙に後ろ回し蹴りで弾かせた。その、勢いの良い力技で荒々しく礫の埃を舞って構える、肩幅の広いしなやかな筋肉を持ち主のシルエットに、武士はいよいよ確信をもって彼を見る。


 それは、キティから聞いたジョージ・ルキッドの付き人。


 その誠実な性格、確かに身に着けた格闘能力は正に警察官の鏡――NYPDのディンゴ(野犬)「ヨーナス・トラヴィス」


「まだ、だああああああ!」


 続いて、武士を跳び超え横から少年がナイフで襲いかかった。その必死な形相を逆にあざ笑うように淡々として見るメガネの奥の黒い瞳は、びゅんびゅん音を立て切りつけるナイフを見定め、身体を縦にし、しゃがんで、その隙にナイフより素早く、彼ののど仏を突いて仰向けに倒した。

 そして、最後に来る相手にはバク転してよけた後、脚でナイフを飛ばそうとするも、それは相手がよける方が早かったようだ。それに軽く舌打ちしたヨーナスは、今度は両手を地面につけ、そこから胴を浮かし素早く回転して脚を振り回す。


「カポエイラの足技だ…!」


 ついにナイフが横から弾かれ空に舞い、太陽の光でギラリと光った。それに慌てて後ずさる少年をヨーナスは唇を結んでずんずんと歩いて行く。

 その勢いに恐怖に駆られ、裏声をあげながら襲いかかった少年の腕を肘つきで弾いて、そこから鳩尾を膝で打った。衝撃に胃液を吐き出す合間、すかざす身長差を生かして彼の向う脛を蹴り上げる。その勢いによって、ヨーナスの横に少年が仰向けに一回転して倒れたのだった。


「す、すげえ…」


 武士は上半身を起こしながら、壊滅された少年たちの屍を見渡す。そして、その中央に立つヨーナスの脚を締め付ける、使うまでもなかった2丁の黒い銃が、余計に彼の「強さ」を醸し出したのだった。

 最後に残された少女は、自ら追い詰めた袋小路に逆に追い詰められ、木の幹にしがみつきうろたえる事しか出来ない。それを確認した後、ヨーナスはぱっと目を丸め、傷だらけの武士に走り寄っていく。


「ああ、間に合ってよかった!大丈夫ですか!?武士くん!」


 さっきまでの獣の目が嘘のようなその温かい眼差しと穏やかな口調に、武士は拍子抜けする。するとその緊張感がとれた途端一気に激痛に襲われた。


「あっつつつう…」


「動いちゃダメですよ!」


 厚い胸板に支えられ、固い膝の上に頭をのせられた武士は、呻きながらも口を開いた。


「助かった…でも…どうして…アンタが…ここまで…?」


「君たちを探すために警察へ行った矢先に、事情は大体聞いていたんだよ!それに…。」


 濡れたタオルを武士の口元に当てながら、ヨーナスは足音のする方へ顔をあげる、と入り口から肩にSMGを抱えて汗を流す警官も、武士に走り寄った。


「そうか…アンタが…教えたのか…」


「もーっ馬鹿!あれほど路地裏には回るなって言っただろ!?俺がこの人に知らせてなきゃ、今頃どうなっていたか…!」


「駄目ですよ揺り動かしちゃ。それにしても、本当に災難でしたね武士君。でも、さすが「サムライ」の名を受け継いだ事はありましたね。よく頑張った。」


 武士に掴み寄る警官の腕をかわし、ヨーナスは優しく武士を抱き留め、腫れた右目に冷たいタオルでゆっくりと撫でる。それにさっきまでの死への恐怖から武士は思わず、そのタオルで涙をぬぐって頷いた。


「さて、と…」


 そしてヨーナスは武士を抱き留めたまま、きっとメガネを光らせ広場の奥を見る。その木に立ち尽くす少女はヒィッと息を吸いこんで、その木漏れ日に輝く青い目を恐怖で瞬かせた。


「さあ、洗いざらい教えてもらおうじゃないですか、悪魔の妹という貴女に」


 一方、警官も肩に掲げた「黒い物」を見せつける様に牽制して歩み寄る。


「そうだな。君のお兄さんが今、どこにいて、そしてどういう経緯で強盗になったのかをね」


 それに少女は黒髪を揺らし、桃色の唇を震わせて声をあげた。


「違う…違うわ!カマラの妹は…私じゃないわ…私は妹…アムナの友だちよ…!」


「妹の友だち?まあそれも都合が良い。案内してもらおうか、妹の所によ。」


「それは駄目…だって、もう、もう…居ないのよ…」


「なんだって?」


「もう居ないって、言ってるのよ!」


口調を強めた警官に、グールは裾を握って声をあげた。

そして、金切声で続いた次の言葉に、警官は驚愕で目を開く。


「死んだの!アムナは病気で死んだのよ!カマラ兄さんはそのせいで、強盗になるしかなかったんだからぁっ!」





6、ついに魔の山へ


そこから少女、グールは、恐怖と屈辱に嗚咽をあげながら語った。

やがて語り終えると同時に、その涙は悲しみとなって溢れ出て彼女の声を震わせる。それを3人はそれぞれ神妙に聞いた後、丁重に彼女を警察まで送ったのであった。


翌日の午前、まだ朝もやがかかるギルギット川の桟橋にて、並び立つ2人の影がある。

轟轟と白波を立てる川の向こう、礫の塊に聳え立つ灰の山々を見上げながら、影の1人、ヨーナスは翠色のシャルワーズ・カミーズと共にフードを首に回す。そしてもう1人、背の低い方の影、武士はありこち痛む顔の痣に眉を顰めながら、灰色のカミーズの釦を整えていた。


「今まで外国に行っても基本制服でいたからな。なんか奇妙だ」


「私もです」


短いやりとりと共に2人は同時に顎をあげて山を臨む。

今日2人が民族衣装を着ているのは「変装」のためであった。すべてはその山の向こうに潜む、ギルギットの悪魔を追い詰めるがための――。沈黙の中、川の音を聞きながら2人は、昨日彼女から聞いた悪魔の過去を思いだし、その感傷に浸っていたのであった。


***


少女、グールはその時ぐしゃぐしゃに瞼を引っ掻きながら、少しずつ彼の「悲劇」を伝えてくれた。


「ギルギットの悪魔」。


 その本名はムハンマド・カマラ・ドスダム。アフガニスタン生まれの18歳の少年であった。幼い頃、父親と兄3人をアフガン戦争の空爆で亡くして以来、母親とお腹に宿っていた妹と共に、パキスタンの難民キャンプに移り住んだという、いわゆる「戦災児」という出自だ。


 しかし難民キャンプでの長い生活の中で、母はキャンプで出会った男と再婚し、そこから多くの異父弟妹が生まれた事がカマラの人生を大きく変えたという。

 カマラが死んだ実父の「生き写し」だった事、そして生まれつき目が赤かった事から義父はカマラを嫌悪し、血がつながらない事を何度も強調しながら、「悪魔」と罵る屈辱の日々を屈したという。


「それを、唯一慰めていたのがその父親にも愛されていたアムナなの。

アムナは、弱気で義父に逆らう事の出来ないお母さんに代わって、父とカマラの間を結んでいた唯一の、カマラにとっての心の拠り所だったのよ」


 しかし、やがて難民として生活が停滞し儘ならなくなった時、義父は長兄として自分の家族を支えよと、カマラに働きに出る事を命じた。


「家族のため」、に、幼い時から働く事になったカマラは目が赤い事を理由に、過酷な労働と虐めに苛まれながらも、兄についていくとかって出た妹の励ましによって、今までずっと耐えてきたという。

 やがて5年前にやって来たギルギットの街で、グールを始めとした出稼ぎの子ども達のリーダーとして慕われる様になった時には、姉貴分と共に慕われた妹と、慎ましくも一番幸せな生活を送っていった。


 しかし――、


「そんな矢先にアムナは死んでしまったの。隙間風が走る古ぼけた小屋で、私とカマラ兄さんに看取られながら死んでいった…原因は…栄養失調よ…!」


 「幸せながらも恵まれない生活」は、皮肉にもその気持ちに反して彼女の身体を少しずつ、そして確実に蝕んでいったのだ。それによって、自分の世界そのものを失ったカマラは夜、泣き叫びながらダストの吹き荒れるギルデットの街を飛び出し、山の向こうへと消えてしまったのである。それが――、悪魔誕生の瞬間であった。


「カマラ兄さんは悪くない」


 最後にアムラは、痣に顔を歪ませる武士に泣きながら迫り彼の胸倉を掴む。それを押さえつけて止めるヨーナスの腕の中で彼女は暴れ、叫びながら言った。


「あの人は、悪魔になっても私たちにその盗った物で、私たちに施しをくれたの!

私たちにとって兄さんは「天使」みたいなものだった!アンタ達にとっては戯言だと思うでしょうけどね、こうでもしないと、アンタらはこうして向かってくれなかったじゃないか!この貧乏の苦しみに気付いてくれないじゃなかったじゃないか!

そうよ!あたしたちの苦しみをカマラ兄さんは「金持ち」にしてやってくれてるのよ!それの何が酷いっていうの!?」


***


 武士はぼんやりと、晴れ行く空と白い尾根が光瞬く山を見ながら、彼女の言葉を思い出していった。


 だた、皮肉だと思った。


 キティを擁護するための自分の言葉と、カマラを擁護するためのグールの言葉が、これほどに似通って居たとは。


 「分かる」という理解の糸が、自分からキティへ、そして赤い目をした悪魔へ確かにつながっているはずなのに。その交差する間に入ろうとすると、互いの糸に挟まって「動けない」。


 山とそのイメージを重ね合わせて、やがてふっと武士の黒い目は開かれた。


「でもだからといって、」


と、武士は「記号の言葉」を当てはめて裾を握り、顔をあげる。


「だからって、悪魔を見逃せ。というわけにもいかねーよな」


「その通りですよ」


 ヨーナスも布越しからでも分かる逞しい腕を組み顎を引いて、それに力強く答えた。

以上、唯一の家族である妹が死んだ事が分かってしまった限り、2人が悪魔に対してとるべき行動はもう一つだけ――、捕まえるしかない。


「…でも、良いのですか武士くん。キティさんはもう私たちによって確保されしまっているのです。これ以上、貴方がキティさんのためにカメラを取り返したとしても、貴方たちはもうこれ以上旅を続ける事なんで出来ないのに…なのにどうして?貴方「自身」がそこまでカメラを好きでいる様には見えないんですけどね…」


「ああ。それでも俺はキティの相棒として彼女に対する誠意を示すだけだ。そういうアンタだって、キティさえ確保出来れば、俺や、ましてや彼女のカメラがどうとなろうが構いやしないだろ?なのに何故俺たちに協力する?」


「ははっ、確保といってもこの2週間はキティさんは絶対安静。ずっとこの病院の中で眠り続ける事になってますからね。それなら当分、私達もここにいなければいけません。その間、少し位警官としての別の仕事をしたって良いじゃないですか。それにしても、キティさん、本当に無事で良かったです。」


 山を見上げながらうっすらと笑う黒い安堵の瞳から、武士は「手配人の無事」を知る安堵とは異なる眼差しを伺い知り、鋭い眼を光らせる。しかし武士はそれを隠し、そしてヨーナスはそれに気づかないままに、2人は向かい合い、そしてゆっくりと頷きあったのであった。


「武士くん!ヨーナスさん!悪魔の居場所が他の色んな証言で、大体見当がつきましたよぉ~!」


 やがて、明るくなった地面に影を成して走り寄る警官が執務机を礫の浜辺に置いて声をかけた。その上に広げた地図を確認するため、2人は一斉に駈け寄り、彼の脇に手をついて地図を見つめた。


「ほう、ここが…」


東西にのびるギルギットの地図。その南端に付けられた山谷の青い点、そこが悪魔の居場所である。


「…危ないですね。これは思ってた以上にインドとの非確定領域に近いじゃないですか」


ヨーナスがメガネを整えながら眉を顰めた。


「ええ、だからやっぱり、どうしてもこんな騒ぎになっても、警察隊を出す事は先送りになってしまいます。でも、それでも捕まえたいのなら最早私たちで遊牧民のふりでもして行くしかないのです。警察隊の出動を待つにしても、カメラが市場に売り出されてしまったら目的は達成されないし、だからと言ってもむやみに暴れてしまっては気付かれる。それもそれでいただけませんし、なんとか隠密に動いてもらわないと…ああ、でも最近国境付近で未曾有の雪崩が起きたって聞きますし、その制御で聊か監視も免れるかもしれませんね。でもそれも後に解除されたらそれもそれで…」


「はいはいはい。ぐだぐだ言ってねえでまとめろ。要はつまり?」


「やるなら今しかない」


「「そういう事」」


 3人は互いに指さして頷いた。


「ですから、早速行動に移しましょうよ。この場所なら車より馬の方が良いと思ったので、馬を用意しておきました」


 と、警官は背後に立つ木を見返る。その影から鞍の乗っかった葦毛と栗色の馬二匹が鼻を鳴らして足踏みしていた。その脇に抱えられている荷物の中に、見覚えのある黒い物を見てヨーナスはほっ、と安堵に胸をなで下ろす。


「SMG1つとUZI2つですか…まあまあ、頼りにはなりそうですね…だけど…うーん」


 馬のたずなを引く警官と側に立つ武士を見据え、少々困惑気味にヨーナスは眉を下げた。


「ですが、少し…」


「どうしたんだ、ヨーナスさん」


「あー…人数が少ないなーっ、と思いましてね。武士くんの言う通りならば悪魔を含めた強盗団は総数8人になるじゃないですか。それを、たった2人で立ち向かうのは、幾ら私が居るからって少々不利なのでは…」


「おい、俺最初から戦力に入ってないねーのかよ」


と、武士が肩をすくめた時、途端背後から誰かが礫を踏みしめる音が聞こえた。


「俺も行くぜ」


 爽やかなテノール声が聞こえた時、警官は、ヨーナスは、共に眼を見開いて彼の姿を見返った。


「お前は…!」


 礫の上にサンダルで立つ細長く白い脚、それと同じ純白のカンドールの皮ベルトに挟まれた、銀色に光るジャマダハル。上に羽織る装飾めいた金色の上布、そして白のゴトラを覆う黄色のアガルと云った、如何にも土産物からごちゃまぜに取り入れた服装を堂々と着こなす男は、ゴドラの隙間から朝日によって稲穂のごとく輝く金髪と、筋の通った鼻を間に、均等にして並べられた青い目を持つ美しい男だった。


「ジョ、ジョージさん!どうして貴方がそこへ!?」


「キティさんの病院にいるんじゃなかったんですかぁ…?!」


「だーって、アイツずっと寝てばっかでつまんねーんだもん。監視はココの警察に任せておいたしな。こっちに行った方がずっと面白そうだろ?」


 キティを追いかけるNYPDの警部補、そしてNY随一の美青年、ジョージ・ルキッドは首を傾けにやりと哂う。それに慌てる2人の横で、武士は無表情のまま、たずなを強く握りしめジョージを見据える。それは2人以上にジョージの存在に驚いてたからであった。


その気配に気づいて顔をあげたのは、足踏みを止めた馬だけだった。


***


 「Lift Off!!」


 ジョージの掛け声によって、遂に人と荷物を載せた馬は甲高く唸って走り出した。

ギルギットの川面を、2匹の馬はその隆々とした筋肉質の脚でかきわけ、そして向かいの岸部に立った。そこから勢いよく埃を舞って、悪魔の潜む山谷へと一直線にかけあがるのだ。先頭を走る栗色の馬には警官とジョージ。そしてその一馬身後ろを追いかける葦毛の馬には、ヨーナスとその腰に手を回す武士が乗っている。


「全く…馬に乗れない人が2人なんて、これのどこが遊牧民族のフリなんですか…」


 山の景色を眺めるジョージの横顔を伺いながら、ヨーナスはたずなを持ってため息をついた。


「なんか、アラビアのロレンスみたいだな、あの格好。」


 一方、その背後からジョージを見て呟く武士に、ヨーナスもそうだねとフードを共に靡く髪から目を細めて笑う。


「ったく、「呪い」の次は「悪魔」かよ。ちっ、どいつもこいつも俺たちの邪魔ばかりしやがって」


 その合間、ジョージは目前に揺れるナンを頬張りながら愚痴り、ヨーナスはあははと誤魔化すように笑うが、武士はそれにきっと眉を顰めたまま「それは俺にとってはお前らの事だ」と、ヨーナスの身体を更に握りしめて思った。


「…ヨーナスさん」


「ん?」


 やがて、武士は粉塵の舞う蹄の音に紛れる様に呟く。それは3人に対する武士なりの、悪魔に関する「助言」であった。


「俺は…悪魔と年が近い者として、それなりに彼を「理解」してると自負している。その上での事なんだが、俺は、グールの言った事そのままを信じてはいけないと思っているんだ」


「えぇ?」


「あれは美化しすぎだ」


 武士は斬り捨てて言った。


「グールの証言は悪魔本人のものじゃない、概ね妹からのものだったんだろう。で、あの妹の性格を考えると、兄が故に、彼の像を良い方に「捻じ曲げて」喋っていた可能性が高いと思う」


「と、なると、嘘があるって事になるんですか?」


「ああ、少なくとも悪魔が、義父や雇人の屈辱やいじめに「耐えていた」というのは嘘だ。多分、いや絶対に、奴は力ずくで反抗していた事が多かったんだろうよ。それ位の体力と、身体を奴は持っていた。それを弄ぶままにしておくなんて事、「俺たち」には有り得ない」


「そりゃ、そうだろうなあ」


 ジョージは横流しに武士を見て笑うが、武士はそれにあえて気付かないフリをして話を続ける。


「確かに彼の身の上は理不尽で、気の毒だ。だが、奴には思春期が故の情緒の不安定さと、精神の見の丈に合わない「男」としての力をコントロールできず、溜まりにたまった暴力ですべての理不尽を叩き潰す様な、かなり心がささくれた一面もあったんじゃないかと思う」


「そう、ですか…」


 ヨーナスはどことなく身覚えのある感覚に戸惑い、目線を空へと移した。


「と、なると妹のアムラってのはグールの言うような、「心の拠り所」なんていう生易しいもんじゃねえ。言うなれば、彼の不安定な情緒をコントロールしていた唯一の、血のつながった存在。そうだな。「抑止力」と云った方が現実に近い表現だろう」


 インドとパキスタンの国境に至る山々の尾根が、素早く視界の端に通り過ぎていく。


「そのアムラが死んだことによって、遂に奴が人間らしくする「理由」がなくなったんだ。あいつはもう家族の事なんか何も思っちゃいねえ。アイツは今はただ、自尊心を守るためと、退屈と鬱憤をははらすための憂さ晴らしと、ちょっとした思いやりだけで、生きているだけなんだよ…」


 武士の額から汗が一筋流れ、風と共に舞い飛んだ。


「過剰な自意識と「若い」という勢いにただかまけてただ好き勝手に、将来の事なんて何も考える事なんて最初からなにも無しに奴は――」


「詳しいですね。やたらと」


「俺だって同じだからな。まあ、女にはおおよそ想像もつかない世界だろうが」


「…そうですね」


 無表情のままはっきりと云った武士の言葉に、ヨーナスは成程と不思議と腑に落ちた。


「ヨーナス、さっきから俺の事のチラチラ見てんじゃねえよ、気色悪イ」


「え、いや、私は…別に!」


 慌てて手を振って笑うヨーナスを、ジョージは舌打ちしつつ胸元から何かを取り出している。それはショルダーホルスターから出る黄金銃ギルデット。風と馬上で揺れるカンドールの「白」と映えているそれを掲げ、チンッと鉄の音をならして、弾を装填した。


「まあ、テメーの言う事に沿うんなら、野良犬の発情期みたいな「シシュンキ」に対峙するためなあ、同情はいらねえって事か?」


 続けて取り出したギルデットを装填し、顔の下に交差しながら目前の山を睨みつけてジョージは言う。


「躾けるしかねえって事か。自分をコントロール出来ねえで大暴れするんなら、それよりもっと大きな力で、出鼻を潰す程に踏みつけて、自分が本当はどれだけ弱い子犬だったか思い知らせて程にやらねえとな。「ああいう類」は大人しくならねえんだよ」


 びゅうっと吹きすさんだ風がジョージの殺意を醸し出したように、荒々しくフードを絡ませる。光のない蒼い目に武士はぞっと「同士」としての嫌悪感に顔を歪ませた。


 そしてそれから2時間後。


「道が開く!そろそろです!構えて下さい!」


 さっきまで空気だった先頭の警官が、指を差して叫んだ。それにヨーナスは片手でグロック18を掲げ、武士は身体を引き締めてヨーナスの胴を固める。

 そして、ジョージが薄く笑って向かい風に髪をなびかせ、正面を向いた。その蒼い目に写ったものは、尾根を越えた先、十字路の谷間を囲む黄土色の山――。


 まるで映画セットと思わせる雄大な景色に、ジョージは緊張より歓喜に口笛を吹く。


「ここらへんのはずなんですけど…やっぱりなかなか見えづらいな…」


 興奮気味に鼻を鳴らし首を上下させる馬を宥めつつ、くるくると回りながら警官は手を掲げて辺りを見渡す。中東の山らしくどこもかしこも同じように見える景色の中、転がる大小の石が黄色い太陽に照らされ、幾つもの影を作っている。そこで警官は懐から手鏡を取出し、それを馬上に掲げた。そして、太陽を背景に白く光った鏡はやがて、11時の方向の何かと反射する。


「あそこです!」


 警官は勢いよく叫んで指を差す。その寸時「誰」かが大岩に隠れる黒影を捉えた。


「見つけたぁ!」


「行くぞ!」


「はい!ってわああ!」


 ジョージに蹴とばされた勢いで栗色の馬は斜めに逆を下った。ヨーナスも覚悟の息をのみ、その後に続く。遮りのない山中に馬の蹄が響き渡り、それと共に緊張と興奮がヨーナスと警官を奮い立たせる。そして、遂に斜めに移動していく視界が、その、大岩に隠されていた―「洞穴」を映し出した。武士は歯を食いしばってそれを睨む。


「そこが、悪魔の…住処!」


「ついに…見つけましたね…!」


 谷を挟んだ数百m先に距離を保ち、ついに4人は真正面からその洞穴を見据える事となった。それは、高さは3m程、横幅2mと比較的大きい。洞穴の中は全く見えず、その暗さはまるで入り口から黒い絵の具で塗り潰した様であった。


「誰もいなさそうに見えますね」


馬を留めたままヨーナスが双眼鏡からその様子を見る。


「ああ、ですがさっき確かに光りました。となるとあの中に誰かがいるにはまず間違いないでしょう」


洞穴の入り口を見ると、馬を結びつける杭が刺さっているのをヨーナスは確認する。馬がいないのを見ると、何人かは出払っているのか――。


「人数が少ない今の内、という事でしょうか…」


「ごだごだ言ってねえで、さっさとおっぱじまおうぜ」


 一方、ジョージは軽々と馬から飛び降りて1人洞穴に向かって坂を悠々と下っていく。その間際ギルギットは一旦ホルスターにしまい、代わりに馬の脇からUZIを取り出した。


「あ、待って下さい!」


 ヨーナスも布擦れと共に飛び降りて、SMGを片手に後に続いた。そして警官も、肩からSMGを取り、大仰に装填して飛び降りる。中央にジョージ、その脇にUZIとSMGを抱えるヨーナスと警官が並び、「悪魔退治」に坂を降りる無言の彼らを土埃を吹き上げる風が横から迎い入れた。


「リトルボーイ!お前は馬を止めて終わるまで、馬と一緒に隠れてろ!

いいな!絶対に馬を逃すな!そうなりゃ俺たちは帰れねえからな!」


 突然、武士の方へ振り向き、眉をつり上げて叫ぶジョージ。それに武士は軽い悲鳴をあげて慌てて馬から降りた。そして後は前へ進むだけの3人の背中を見守り、背丈ほどの大きな岩に身を潜む。


「中がどうなってるか分かりゃしねーからな。とりあえずお前らは脇から入って、側の部屋から侵入しろ」


「ジョージさんは?」


「俺は正面を引き受ける。俺の合図で一斉に駆け込め、いいな」


 ザッザッと砂の音を響かせて少しずつ、そして確実に3人は洞穴へと近づいて行く。それに対し、洞穴からは全く反応がない。それが余計にヨーナスの肝を冷やすのだ。

そしてそのまま何も起きないまま、遂に3人は洞穴の脇にその身をかがめる事になる。相変わらず一寸先も見えない洞穴をその脇から伺い、3人に沈黙が流れる。そして、


「行くぞ」


 ジョージはそっと囁くと共に、グレネードのピンを外し、びゅんと軽い音を立ててそれを中に転がした。途端、パッとプラッシュがたいたような光が放たれたかと思えば、瞬時にそれは白い閃光となって洞穴を一瞬にして真っ白に染めたのだ。閃光発音筒の効果である。それが収まっていく合間に3人は一瞬見えた洞穴の中を垣間見た。それと同時に、ジョージはヨーナスの背中を蹴って叫ぶ。


「Move NOW!GO!GO!GO!GO!」


ヨーナスが始めに、続いてジョージ、最後に警官が腰をかがめたまま荒々しく、いよいよ彼らの領域へ踏み込んだ。


「オラアッ!誰がいるかぁぁッ!」


ヨーナスは左を、警官は右の部屋に潜り込んで銃口を構える。そしてジョージはそれを擦り抜け、そのまま真っ直ぐ奥の暗闇へ歩き出す。


「警官だ、覚悟しろ!」


ヨーナスはトリガーをかけたまま部屋にある椅子を蹴とばし、あちこちに銃口を向けて叫んだ。が、その時彼の背後から弾が横切った。


「ええ!?」


「正面から来たぜええ!」


ジョージは壁に背をつけSMGを振り回し構え、迎撃した。ヨーナスも側からその奥へ相手に負けんと援護をするが――、今度は部屋から自分に襲いかかる黒影を見た!


「ぐあっ!?」


寸時、自分より大柄な男の「影」によってタックルを決められる。


「くそっ!どけえっ!」


 その勢いに倒れそうになるも何とか上体を起こし、ヨーナスはふんばりつつ片足を彼の鳩尾に何度も打ちつける。そしてSMGを振り回しその顔を殴りつけ弾き飛ばした、が、部屋の奥からまた影が、持っていたAKをヨーナスに突きつけていた!


「やばい!」


 一方警官も、向かいの玄室で隙を突かれ、刺された脇腹の痛みに耐えながら、落ちた銃を奪われんと、男の首根っこを掴みそれを壁へ上段回し蹴りで押し付けていた所であった。そして、ぼんやりと暗闇の中に見える床のSMGを取ろうとするが、それをもう一人左手からやってた男に蹴り飛ばされる。と、共に頭を踏んづけられ、その後頭部にAKを突きつけられてしまう。


「くっそお!」


 互いが暗闇の中で、「詰んだ」と覚悟し目を瞑った時、AKを構えていた2人はその瞬間肩から血を飛ばして仰向けに倒れた。


「「え…?」」


「次、さっさと動け!」


 それは、正面の通路から両腕を広げそれぞれの部屋にギルデットの弾を撃ちつけたジョージの早業であった。そしてジョージの怒声に安堵する間もなく、2人はすぐに距離を保って、後ずさりする残りの男を、構えたライフルでとどめを刺す。しかし、さっきの手助けで胴ががら開きになってしまったジョージに、今度は正面から敵が構えるが、それは素早く脇から2人が援護する事でなんとか阻止した。

 それに応じてジョージは土埃をあげてスライディングしたまま、転がるUZIを拾いヨーナスのいる部屋へ転がる。


「これで半分は食ったな!」


 そして、ヨーナスがSMGのマガジンを取り換える間にジョージは側から立ち上がりUZIのフルオートで1人でも撃ち負かそうと声を張り上げた。


「とっとと、腸から出てこいやああああ、デビル!」


 すると、向かいから鳩尾を抑えた警官がピラピラと手を振って2人にある事を報告した。その血だらけの手は、鼻血を流して白目をむいている強盗の首を掴んでいる。


「吐かせてやりましたぁ!この洞穴の奥、そこを左に曲がった突き当り右が、奴らの「宝庫」だそうですよ!俺はもう動けません!あと2人で何とかしてやってください!」


「はあ!?くっそ!残りの人数が分からねえってのによ!」


「やるしかないですよ!」


鳴り止まない弾幕の中、ジョージは苛立ち歯を食いしばった。


***

 

 一方、太陽が照りつけるその外で、暗闇の洞穴から発砲音が鳴り止まない事に聊か武士は難儀に思っていた。


「ああーあ、あんなに大暴れして、あの中でカメラが壊れてでもしたら意味ねえぞーおいおい」


と、双眼鏡をにぎりしめ歯ぎしりをするのだが、ふと、銃撃音とは違う地揺れに武士は髪を揺らす。この聞き覚えのあるものは――、馬の蹄だ。


「どこから…?」


 岩に身を隠し双眼鏡を回すと、10時の方向から尾根を越え坂を下る2頭の馬がいた。その姿、武士にとって忘れもしない強盗団の男達だ。


「え、2人…!?」


 更に武士は胸が高鳴り声をあげた。その内の1人、前にいる髭を生やす「仲間」と対照的に、小柄で顔の小さい、フードをより深くかむった「少年」がいる。そのフードから太い眉毛と赤い目をのぞかせ、細長くも筋肉がしっかりついた薄褐色の腕でたずなを引く少年は、紛れもなく彼らのリーダー「カマラ」。武士は双眼鏡を握り潰さん程に掴んだ。


「来た…悪魔だ…!」


 その昂揚感と共に、一気に肝が冷える感覚に囚われる。双眼鏡から確認すると、2人は馬を止め、アジトの異常事態に怪訝に顔を見合わせているではないか。


「やっべえぇぇええ!あれで2人が入り口からヨーナスさんたちを挟み撃ちにし出したら…、そしたら俺たちは全滅だ!」


 その予感の通り、彼らは歩を緩めながらも、洞穴へと近づいていく。悪魔の背中につけられたAKの鈍色の銃身が光った時、武士は岩に背を向けへたりこむ。


「どうしよう、どうしよう、どうしよう。」


 冷ややかで不快な汗をだらだらと流しながら目をひん剥き、最悪な状況に武士は必死に思考を巡らせていた。姿が見えない2人。そうこうしている間に2人が洞穴の入り口に手をつけてしまっていたら。そんな恐怖に涙をためた視界の先には、共に岩に身を潜めている馬が2匹悠々と草を食っている。


***

 

 首を振り上げる馬の悲鳴が蒼空に鳴り響いた。それに2人が馬上から見返った時、大岩の後ろから栗色と葦毛の馬が興奮して脚を振り上げ、バラバラに走り去っていく。それに、「悪魔」は眉毛をぎゅっと顰めた。続いて部下も悪魔の様子を伺う。


「なんでしょう、あの岩の向こうに誰かいるんでしょうか」


「…確認してこい」


「へい」


 悪魔に命令された部下は、頷いて馬の首の向きを変える。そして勢いよく坂を駆け上がってその大岩に近づき、その後ろにいるであろう誰かに警戒してAKのスライドを引いた。一方、その鉄の音を聞いた武士はもう駄目だ、と膝を抱え涙と鼻水をすする。


「くっそお、全然時間稼ぎにならなかったなぁ…くそ…」


 その啜り泣きに、いよいよ男が状況を察知し銃口を持った――、その時である。突然、もう一匹の馬の雄叫びが空に響いたのだ。男の馬のものではない。悪魔のものでもない。それは、向かいの尾根から武士の頭上を跳び超えた「白い馬」。


「はえ…?」


腑抜けた声をあげたと同時に、激しい着地音で白馬は武士の背後の大岩を蹴り飛ばした。


「ぎゃっああああ!」


それにのぞけって武士が走り逃げる間、白馬は坂をバランス良く四本の脚で滑って止め、男の馬の腹へと向かう。

振り向き際に武士は見た。その白馬にのる栗色のポニーテールを靡かせる青色チェックのカシミールの女。武士は髪を砂嵐に靡かせてその名を呼んだ。


「キティィィィイイイイ!」


 翡翠の目を怒りで灯す女、キティは手錠にかけられた手首を回し、その先に病室ベットの柵を繋げていた。突然の展開に戸惑った男を、キティはその柵を振り回しその首に向かって乱暴に叩きつける。男は胸元を柵の端に一瞬にして突かれた激痛に呻いて馬上から転げ落ちていく。


「思い知ったかぁぁああああ!」


仰向けに転がり落ちる男を見ながら、キティは柵を右手に掲げ、孤を描くように滑らかに坂道を下りて叫んだ。が、しかしその白馬に悪魔は赤い瞳を大きく瞬かせると、そこからAK-47を掲げキティに銃口を向ける。


 がしかし、それを今度は武士が許さなかった。



「く、来るなぁぁああぁぁぁぁぁ!」


 乱雑にして荒々しく、トリガーを引いて武士はUZIを両腕に構えてそれをぶっ放したのである。初めての乱射、当然のごとく弾幕はばらばらに飛び散って、遠くの悪魔には遥かに及ばない。が、悪魔はそこからAKの矛先を武士へと向ける。。

 ばしばしと、それに乗じて武士の辺りに礫が弾で飛び跳ねる。が、それも構わず涙を飛ばしながら武士はただ「キティを守る」事に必死で熱い銃身を握りしめて撃ちつけて悪魔と向かい合う。


 それが契機となった。

その隙を突くように、キティは弾幕から逸れるため旋回しつつ、一気に馬の歩幅を広くしてぐんと悪魔の背後に迫ったのだ。その無駄のない動きに悪魔は驚きで振り返る。


「武士!弾幕を止めて!」


 その合図に武士はヒイッと尻もちをついて銃身を上に掲げる。と、悪魔はその後ろに迫るキティにAK-47を向けんとした。がしかし、タタンッと跳ねた銃口からAK弾が土を弾いた時、そこには何もいなかったのだ。


「はぁ…!?」


 それに驚愕したその右手に翡翠の目が光った。それは、血の気の引くほど冷淡で冷酷な虹彩の光――。モノローグのごとくゆっくりと目端に向けられた赤い目は、その通り過ぎる翡翠色の残照を追う。


「たずなを引いて左に方向転換…!?あんな速さで…そんなバカな…!?」


 解釈してる間もなかった。横に回ったキティは揺れる馬上から手を離し、両腕で力強く柵を悪魔へ振り回したのだ。ごおんっと鋼がぶつがる鈍音と共に、ついに悪魔を突き落とし、そのフードから素顔を暴き出した。


「よっしゃああああ!」


 倒れた瞬間、パニックに陥った悪魔の馬が彼を踏みつけんと走り出すが、それを前転で何とかかわす悪魔。が、一方キティの乗る白馬は冷静かつ、何事も無かったかのようにゆっくりと優雅に旋回し、再び地面の悪魔に向かって走り出す。そして馬上で憤怒の形相で迫るキティはこう言い放つ。


「カマラ、私のカメラを返せええええ!」


 高低差を生かしキティは悪魔の上に飛び上がった。礫の地面に柵を振り下して悪魔の首を挟んでそれを突き刺す。


「うわっ!」


それで動きがとれなくなった彼の硬い腹の上に勢い良く跨り、そのフードの胸倉を掴んだのだ。


「くっそ…、なんで…お前がココに…!?」


 悔しさに顔を歪ませ、野太い声をあげる悪魔の素顔。薄褐色の肌に光る赤い瞳太い眉毛、そして棘のように固い漆黒の短髪。鼻筋が真っ直ぐにのびたその顔立ちは、悪魔という名前にしては皮肉にも、「オリエントの美青年」というに相応しい造形を為している。ジョージの様に薄くて長い金の柳眉とは異なる、黒く太い眉毛も美青年としての有り方でもあるのか――、と、その時キティはその新知見に寸時驚いていたが、今はそれさえも腹ただしい。


「っ、だから言ったでしょうが!どんな事でも奪い返してやるって!アンタ達の素性はもうバレバレなのよ!諦めて降伏してとっととアフガニスタンへ帰っちまえ!」


 その間、キティは柵に首を何度もぶつけさせて悪魔に詰め寄った。最初は驚きと展開に無表情でなすがままにされていた悪魔であったが、やがてその「アフガニスタン」という言葉に途端、逆鱗に触れた様な荒々しい形相で歪んだ目を開き髪を逆立てた。


「なんで…お前が…嫌だ、いやだ…いやだ!」


「何が嫌だコラアッ!こんな事までしといて!」


「嫌だ!あんな所にはもう、俺は帰りたくないっ!」


 怒りに柵にかかった右腕を振り上げるキティに、その開いた胴へと悪魔は角ばった骨が浮き出る腕を振り回し、尖った部分を突き刺すように肘打ちをくらわせたのだ。


「離せぇえええええ!」


 その時、キティの撃たれた箇所に再び血が飛び散った。


「あっ…が!」


 未完治の部分を突き刺され、キティは再び血を吐いて悪魔の横に倒れる。そこから這い出るように後ずさった悪魔は三度AKを掴まんとするが、武士の弾幕に遂に諦め洞穴の中へと駆け込んでいった。


「キティ!」


 腹を押さえて蹲るキティの元へ、武士は銃を抱えながら一気に駈け寄っていく。


***


 洞穴の銃撃戦はしばらく続き、ヨーナスの脚に2発のAK弾が当たる事により、いよいよ残る戦力はジョージただ1人となった。が、ヨーナスが戦闘不良になった瞬時に暗闇に潜む奥の敵が、マガジンを取り換える様子を「音」で聞き取る。それにジョージは遂に撃たれる事も躊躇せず、正面より走り出したのだ。

 ギルデットで右手に潜む相手を牽制しながら一気に、マガジンを取り換える相手に駆け寄ってそのバナナマガジンを長い脚で蹴り飛ばす。と、突然の横の攻撃についに向かいの相手はギルギットの弾に敗れ、蹴り飛ばされた相手も止めの肘打ちで耳の骨を砕かれ、脳震盪を起こし卒倒する。


「っしゃあ!これでついに…終わったかぁ!?」


 と、ジョージが一旦息を整え身を屈めた時、入り口近くで蹲るヨーナスの声の怒声がなった。

 

「ジョージさんっ!後ろから悪魔が!」


 それに気付いた時、背後から何か通り過ぎる感覚に背中が震える。暗い洞穴から見える黒影、しゃがむ自分をちらりと見据えた、そのぼんやりと光る赤い瞳。それを蒼い瞳が見定めた時、その主は怒りに犬歯を剥き出しにして叫んだ。


「悪魔ぁぁあああああ!」


 そしてジョージは「猟犬」として悪魔の首を噛み砕かんと追いかけた。暗闇に見えなくなったギルデットを放っといて、その長い脚を大きく開いて身体を前屈し、その獲物を狙うためにすべてを賭ける。黒影、悪魔はそれから逃げるように更に洞穴の奥深くまで走り抜けていった。


「待てやコラアアアア!」


 やがて、その音を頼りにジョージは左へ曲がり、乱暴に木の扉が開かれる音に反応して突き当り右に目を向ける。すると、その扉の向こう、机の上に照らされたランプの影に映り、縁に手をつき息をあげる少年を見た。そして、その回りをぐるりと取り囲む白く円い縁取りは、幾つものレンズの集まり。

 ジョージはその映像を重ねて見た時、いよいよ他なかった胸の中に「殺意」を自覚する。それにぐっと端正な鼻筋を歪め、がむしゃらに正面から襲いかかったのだ。


「殺す!殺す殺す殺す!殺す!」


 激しく勢いのある回し蹴りを、悪魔は斜めに身体を傾けて避けた。蹴りは壁へぶつかりカメラを幾つも弾き飛ばし、その勢いに次々とカメラが床に落ちてレンズが立て続けてに割れる音が煩く響く。それをも構わずジョージは続けて脚を軸にしてもう一度蹴りをしようとするが、間にあった机を悪魔は跳ね飛ばしてその軸脚を突いた。

 が、それをジョージは伸ばした片足を机の上に置いて、飛び跳ね一回転でその脚を額から鼻にかけて踵落としをしようと脚を振り上げる。


「くっ…!」


 しかしそこは悪魔も伊達に「強盗団のリーダー」ではなかった。その意表を突いた踵落としも、悪魔は素早い後ずさりにとって前髪をかすめるだけに留め、その優雅な避け業にジョージ更に苛立ちを増す。そして、キリが無いとベルトからジャマダハルを取出し、その切っ先を彼の目へと突き刺したのだ。それを悪魔は体力差を生かして片手で弾き、のばしたジョージの腕を掴んで高め関節技を決めようとする。


「あがああああ!」


 その筋肉の盛り上がりがジョージの細い腕をみしみしと音と立てて締め付け、その痛みにジョージは目を瞑って声を荒げる。


「くっそ!俺が、俺が、仕留めるばずだったのに!このくそ悪魔がぁぁあああ!」


 関節技を決められ背中を見せてしまったジョージは、痛む右腕に力を込めて暴れた。2人しかいない暗闇の空間での戦いで、ジョージの「本音」が突然として悪魔にふりかかった。


「キティは!キティは「俺」の獲物だ!俺の!俺の獲物!それをテメーが勝手に、横取りしやがってぇぇえええ――っ!」


 悲鳴にも似たその怒声はジョージの切情を腕を振りほどき、ジャマダハルを振り回した。それを悪魔も皮ひもからペシュカドを回転させて受け止める。

 ぎいんっと孤月に曲がった剣と剣が交差する音と光が成る。それが次々と連続して狭い暗闇に響き渡っり、幾重に壁に引っかき傷が作られる。


「お前が、お前さえいなければ!キティを捕まえるのは俺だったんだ!あいつの身体に弾をブチ込むのは「俺の」じゃないといけなかったのに、それを、それを貴様があああああっ!」


「はぁぁぁ?!何言ってんのか意味分かんねえぞぉぉぉ!」


 悪魔もやがて余裕のない表情で、ジョージの怒りを嘲り、遂に両腕でジャマダハルを刃で受け止めた。と、筋肉で波打つ腕を曲げその刃先を割ったのである。


「はあ…!?」


 その強力業にジョージが眉を釣り上げた時、彼は下から顎に頭突きを食らわす。それにジョージが首をあげ舌をかんだ血を吐き、飛び跳ねる。その合間を狙って柱に刺していたペシュカドを取り白く浮き出るその喉に刺そうとした――、


「これで、終りだああああああ!」


 しかし、決着の決め手は「身長」によって決まった。およそ15cmの差はあるであろう高低差では、ジョージの蹴りによる鳩尾打ちの方が、喉につきつけるペシュカドよりも早かったのである。


「ぐあああああ!」


 獣のような叫びで胃液をはいた悪魔を、態勢を立て直したジョージはその髪をひっつかんで自分に引き寄せ、肘打ちと膝打ちを同時に食らわせる。その忌々しいと軽蔑する赤い瞳を潰さん程に強く、容赦なく顔を撃ちつけた。その痛みについに悪魔は跪き、ジョージのサンダルの底をそのまま顔面に受け入れてしまう。そして彼は弾き飛ばされまた、幾つものカメラが崩れ落ちガラスの音を立てて割れていく。

 その反射によってほんの少し闇の中から浮かび上がった少年、カマラの顔は生気のない赤い目をして口と鼻から血を流し気絶していた。ぴくりとも動かない仰向けの彼に、ジョージは青い目で見定め、やがて懐に残っていた煙草を血が流れる唇で咥え哂う。


「へっ‥…悪魔の目にも涙ってヤツか……」


気絶しているはずの悪魔。煙草の煙が舞うその隙間、血と共に薄褐色の顔に流れるは、透明色の一筋だった。それが、「悪魔が猟犬に敗れた」瞬間だった。


***


「帰ろう、キティ」


ガラスの割れる音が聞こえる洞穴を伺い、武士はキティの腕を肩に回した。


「あんな騒ぎじゃあもうカメラは戻らねえよ。諦めよう」


 キティはその言葉に目を瞑り、結んだ後ろ髪をぶんぶんと振って躊躇するも、痛む腹に手を抑えて呻く。ぼとぼとと礫の上に落ちる赤い滴が、キティの決意を引き裂いていく。


「なんで…こんな事に…私が…彼らに、何をしたって…言うの、よ…」


 と、血と共に流れる涙が俯くキティの鼻にたまって血の上へ落ちていく。武士はその頬に頬を寄せ、囁いた。切れ長の目を伏せて、愛しい眼差しでキティを見めて相棒として答えを紡ぐ。


「…何にもしてねえよ。でも、これでヤツも平等に「罰」を受けた。こうなれたのも全部、お前が理不尽に抵抗してくれたお蔭だ」


 その中で、武士が呑み込んだグールの言葉は、遂にキティに届く事は無かった。それにキティは何も言わずただ俯いたまま。そして、彼の肩の上に寄り添う様にして、長い睫毛をふわりと閉じて眠りについた。


「良かった。何よりお前が生きていて…本当に良かった…」


 キティを優しく抱き留める武士の黒い瞳には、変わらない広大な山の景色が広がっている。やがて、武士が顔をあげたその視界の先、十字谷の尾根からキティを乗せていた白馬が、帰る2人を迎えんと黄色い粉塵を巻き上げ、細長い四足を雄々しく振って正面から駆け降りていく。





7、ギルギット発○○行き

 

 所戻って3日後のギルギット。警官らが確保していた重要参考人が逃げ出した事に大慌てである。あちこちに出払っては、「彼女」の行方を追い詰めんと走り出す警官たち。そんな騒がしい光景を、灰色のアパートの一階の窓からペルシャ調のカーテンを引いて、白いジャーマ・モスクと共に見守るは、黒いカブルを身に着ける看護師だった。


「へっ、何か起こってから行動するやり方で今までやってたツケが回ったのよ」


 と、銃を担ぐ土色の男達に唾を吐き捨て、彼女はシャッと音を立ててカーテンを閉めた。そこから振り返る部屋の中では、白い石畳にあぐらをかくワンピース姿の「当人」と、その肉付きのよい太ももを枕にし、脚を揃えて眠っている制服姿の武士がいる。


「う……ん……」


 緊張と不安がすっかり解けた顔で寝返りをうつその様子に、キティと看護師は互いに顔を合わせて微笑みあった。


「ヒーローもヒロインの前では形無しねえ」


 と、看護師も側に座ってその黒髪を細く綺麗に整った爪で撫でる。すると、武士はその指をキティのものと思ったのか、まるで猫のようにその手に頬をすりよせ、キティの太腿を気持ちよさそうに掴んだのであった。


「ヒーローだなんてそんな」


 その仕草を子供っぽいとして笑うキティの一方、看護師は、


「少なくとも、彼はそのつもりだったわよ」


 と、武士の黒髪を掻き分けながら言った。


「それにしてもキティさん。どうして…まだ子どものこの子が、貴女のためにここまで頑張ってカメラを取り返そうとしたと思ってる?」


 それにキティはきょとんとして栗色の髪を傾けた。


「え?それは、やっぱり相棒としての誠意だってさっき彼が……」


「馬鹿。それはあくまで建前よ」


 キティの鼻をつんと啄いてその鈍感を咎める看護師。そして、やがて目を細めて語った。


「この子はね、病院で眠る貴女を見ながら薄々感づいていたのよ。カメラのためにここまでする貴女なら、目覚めた途端自分の手を弾き飛ばしてでも悪魔の元に走って死に急ぐに決まっているってね。この子にとっては、それがとても、とても怖かった。そう、彼が起こした行動のすべては、ただ「貴女から見捨てられたくなかった。」それだけのものなのよ。」


「……!そんな…!」


 キティはクマの覆った翡翠の目を見開いて、何かに気付いたように痣だらけの彼を見下ろした。まだ、カメラを失ったショックを隠し切れないでいる自分に対して、どこか諭された心地に駆られたのだ。


「だから、解ってあげてね。キティさん」


 武士の頭を撫でるキティの浅黒い手の上に同じ手を重ね、看護師は長い睫毛を瞬かせながらキティの側に寄った。


「この子が、どれだけ、どれ程貴女を愛しているかのかを。今まで、彼が精一杯形にして示した思いをどうか、受け取って頂戴ね。私だって、彼がここまで貴女への想いを行動に移そうとしなかったら、貴女を病院から逃がす手立てを立てようなんて思わなかったんだから」


 紫色の斑点が残っている透き通った頬をしばらく撫でながら、キティは頷いて呟く。


「そうね…ありがとう、武士……」


 そしてごめんね、と囁く様にキティは反省し俯いたまま目を瞑るも、看護師の方に顔をあげて一旦息を整えてからゆっくりと微笑んだ。


「でも、その前に「告白」って行動をしてくれないと、この事については何とも言い難いわね」


「まあ、薄情だ事」


 でも、それもそうよね。と、武士の寝息よりも小さな声で2人は笑いあった。やがて看護師は向かいの白壁を見た。もうすぐ祈りの時間だ。そしてそれは――、キティ達との別れの時間でもある。


「そろそろ出発のようね。次はどこへ行く予定なの?」


 それにキティは間を置いて言った。


「ええ、そうね。ここからいよいよヨーロッパに突入する事になるわ。そう、次から、遂に、ね。


 壁に掲げられたコーランの文書を睨みながら、キティは低い声で応える。看護師は睨んでいるのは文書ではないと悟り、一度は微笑んでみせるも、その複雑な思いが絡み合う翡翠の瞳に映る「ヨーロッパ」とは、どの様な光景なのだろうと懸念に思っていた。

 妖精の出る森か、それとも、幾何学なビルとゴシック調の教会が立ち並ぶ街か、見たことのない「西洋」の憧れを重ね、しかし、それとは別に次元の離れた切実な「何か」を見定めるその翡翠色を、看護師は興味深そうに見据える。

 何故ヨーロッパに対して、そんな顔をしているのか。そこから伺えそうな彼女の正体も、その出自も、結局何も知る機会はなかったけれど。


 看護師は思わず手を組んで祈っていた。今はだた、神に祈る間に入れ替わりのごとく消えてしまうだろう貴女に向けて――、


「……全知全能のアラーの神が、貴女の無事と、残した家族や友人の安全を守ってくれますように」


 その気遣いにキティはふっと口角をあげて「シュクラン(ありがとう)」とアラビア語で笑った。


「そうだ、最後に貴女の従兄弟に託をお願いできないかしら。その…さん店ん」


「分かってる分かってる。「あんな事」を貴女が本当に思って言ったなんて今さらアイツだって思っちゃいないわ。言葉ってのは、必ずしも本音を語るものではないものね」


 彼女は眉下げるキティに向かい、手を振りながらケタケタと笑った。はるか遠くの山谷の洞穴から救助隊の馬に乗って泣きすさむ、その警官の顔を思い浮かべながら。


***

 

 そうして旅立ちの日はやってきた。2人は夕焼けのギルギット、その光を反射して輝くモスクから聞こえる祈りの声を聞きながら川を越え、雲が影を作って横切る傾らかな礫の道を斜めに登っていく。

その向こう、K-7は潜んでいた山道の岩陰から2人が近づいているのに気付いたかのように、ゆっくりとその機首をのぞかせ車輪を動かしていた。


「あーあ、硝子はやっぱりコナゴナになったままだな」


「どこか途中の鉄工所にでも行って修理に出してもらいましょ。幸いPCはあるから口座の貯金はまだ残っているしね」


 大きな胸を叩いて明るく口角をあげるキティに、武士は「無理をするなよ」と腕を振ってその後に続く。それにキティは「ありがとう」と薄く笑って武士と向かい合ったのだった。

こうして、強盗団の到着という最悪の到着から、何とか穏やかな出発へが出来ると確認しあったその時、


「おい!」


 突然、後ろから太い男の声が聞こえた。「ジョージ」ではないとすぐに悟った2人は、一体誰なのか、驚きと疑念に振り向く。そこには、遠くギルギットの展望を背景にして、風で黒髪とドゥバッタを揺らす褐色の少年が仁王立ちしていた。

 白装飾のシャルワニとシャルワールを着こなし、毛先の整えられた太い眉毛を顰めつつ、長い睫毛と共に紅い瞳を瞬かせる美少年は――、


「あ、悪魔ぁ!?」


 その瞬時、彼と対峙した恐怖と危機感を思い出し、武士は思わずキティを守らんと身を乗り出していた。


「逃げろキティ!あいつは…!」


「違う。俺はもうその時の俺じゃない」


 と、武士が慌てるのと対照的に、悪魔――、カマラは無表情にそして淡々として述べる。


「違うだと!?信じられるか!てかおま、捕まってアフガニスタンに強制送還される所だったん」


「ああ、そうだ。でも、それがどうしても嫌だからこうして逃げ出した」


 ガチャンと腰元に構える「相手から奪い取った」であろうAK-47を掲げて睨みつける赤い目に、武士は怯む。しかしそれでもカマラはフードの中に首をすぼめながら横に振って言う。


「だが、今は戦うつもりは毛頭ない。押し付けがましいのは百の承知で言うが、どうかその女と2人きりで話し合わせてほしい」


 必死さも無く別段申し訳無さもない、その単調な口構えに武士はその内容も含め、やっぱりこいつは悪魔だと思って口を開いたままだった、それに対し固まる武士の肩を押し引いて前に出たのはキティだ。


「いいわ。武士、少し離れていて頂戴」


「し、しかし……」


「いいから。」


 凛としたキティの態度に、武士も憮然としながら従う。こうして、遮りのない山の中で被害者と加害者が向かい合った。


「さて、と」


腰に手を当てキティは一見悠々にして悪魔を見下ろす。しかし、その声は怒りが静かに滲み出るものだった。


「私のカメラを理不尽に奪い取った泥棒の貴方が、一体何の用でここまで訪ねたのかしら、

ね」


「謝罪を気持ちを示しにきた」


 片眉をあげて懸念するキティに向かい、悪魔は厚い胸に節々とした薄褐色の手を置いて、言う。


「率直に言う。カメラの事は本当にすまなかった。それでもお前の怒りの気持ちは収まらないし、カメラが戻ってこない悔しさを慰める事は出来ないと分かっている。だからせめて、その気持ちを示すために、俺もお前たちの旅路に連れて行ってもらいたい」


「…は?」


 更にキティはもう片方の眉をあげた。


「無償でいい。飯も作るし、掃除もするし、敵から身を守るためなら率先して用心棒にもなってやる。とにかく、カメラを失った以上の償いを俺に課して欲しいんだ。だから俺を共に、その飛行機に乗せてくれないか。そこにいる東洋人よりかは、ずっと俺の方が役に立つだろう。この持っている力をすべてあんたのために託してやる。それが俺の精一杯の謝罪だと――」


「じょうっだんじゃないわ!」


 キティは思わず彼の声を遮って叫んだ。


「あのね、それのどこが「貴方」にとっての謝罪なの?!故郷に帰りたくない貴方にとっては、それは最早ただの「逃げ」じゃない!謝罪とか言っといて、結局得をするのはアンタだけでしょうが!すべて自分のためでしょうが!大人をなめるなよ悪魔、ガキの思惑位、簡単に見極められるわ!」


 顎をあげ、指を突き差し牽制するキティであったが、それをを悪魔は今だ表情を変えずに受け止めて言葉を続ける。


「じゃあ、俺をこのまま放っておくのもお前にとって一番良い事か?」


「…?!」


「カメラはいずれにせよ戻らない。心理的ショックはともかく、その大損を補うためにはアイツだけの力じゃ足りねえはずだ。その現実をふまえて、これからの行動を考えれば俺を連れて行った方がお前にとっても、そしてアイツにとっても得策だろ。利益のためなら個人的感情は二の次にする、それがお前ら大人の思考じゃなかったのか?」


「なんですってえっ」


 キティは思わず声を裏返していた。彼が元から培っていたその自分の立場を通り越す理論的思想に対し、呆れを通り越して思わず感心してしまいそうな感覚に戸惑っていたのだ。


「でも……確かに、それは貴方の言う通りなのかもしれない…。」


 しかし、一旦キティは震える手で腰を握り締めつつそれを「正直」に認めた。それに悪魔は両腕を掲げてそうだろう?と肩をすくめて魅せる。


「俺だって、こんな境遇でなければこんな事なんて本当はしたくなかった。それを踏まえて、どうか。俺を連れて行ってくれ。ここではない、どこかに」


 上目遣いにして神妙に語る悪魔を見、その淡泊さと図々しさに拳を更にぎゅっと握りしめたキティ。しかし、今度は逆に冷静の気で彼を見据えて呟いた。


「……そうね。確かに、貴方の過去は同情には余りあるし、貴方がそれから逆らうために私のカメラを奪った事も一理あるってのも「分かる、」……わ」


「お、おいキティ!じゃぁお前このままコイツを…!?」


「武士、静かにして。」


 私が悪魔に飲み込まれてしまう前に――、キティは汗をかき唾を飲み込んで続けた。


「そう、それなら私は、それをくんで貴方を連れて行くのは妥当。妥当よ。でも、でもね、それでも私からカメラを奪った罪は――」


「だから、それをこれから償おうと」


「言ってるだけじゃ分からないわよ、今、ここで行動で示してもらう」


「今…?」


 そこでようやく、悪魔が太い眉を顰めた。キティは覚悟したような面持ちで口を結び、胸元からそっと何かを取り出す。

 それは一枚の白い紙。しかしそれを思案気に裏返した時、そこに映った鮮やかな色彩に悪魔の瞳孔が開かれる。それは、灰色の壁に寄りかかって微笑む、肩までかかった艶やかな黒髪を靡かせる大人びた少女。今もその赤い瞳の裏にやきついて離れない、愛しい自分の妹――「アムナ」の写真。


「おま、え…どうしてそれを…!」


「そんな事はどうでも良い。それよりどう、欲しいでしょ。この写真。」


 そう言う前に悪魔は手をのばしてそれを掴みかかったが、キティはすっと腕を後ろに振ってそれをよけた。みるみる彼の顔は困惑と興奮に戸惑い、少年としての顔が露になっていく、


「こういう写真が、大事な写真が、あのカメラの中には沢山入っていたのよ。それを貴方は台無しにした。その罪がどれほどのものか、今から身を持って思い知らせてやる。」


 それに対しキティは、ピラリとそれを何の思入れも無しに礫の地面に落とした。それに悪魔は這いよってその笑顔を掴もうとするが、それをキティはビッと指を差して留め、腰に手を当てて言った。


「それを破り捨てなさい」


 カマラは一瞬、キティが何を言っているのか分からなかった。


「それを、カメラを奪った事に対する謝罪の代わりにしてもらう。さあ、早くそれを自分の手で無き物にしなさい。そうすれば連れて行ってあげる。貴方の退屈で理不尽な運命をすべて受け入れて、ここではない、どこかに連れてってあげるわ」


 悪魔はその一言一言を頭の中で反響しているような心地で聞いていた。四つん這いになりながら見る彼のすぐ下で笑う妹の写真。それを恐る恐る手をとって、今でも口づけしたい衝動に駆られる身体を震わせる。そんな、これほど恋焦がれる妹の写真を今、ここで破り捨てるなんて、そんな――。顔が震える。


「どうしたの?それとも、その写真を大事に持って行って故郷にでも帰る?

夢も希望もない礫の街で、その写真だけを拠り所にしながら生きていく日々を。また?」


「冗談じゃねぇ」


 ぞっとする感覚に答え、悪魔は眉を顰めながら彼女の冷徹な翡翠の目を睨んだ。反吐を吐いた「今」の暮らしなどもうまっぴらだ。そう思っても離したくない――、という思いに駆られて今はただ動けない。ここから逃げ出す気持ちと、妹の写真を持つ思いは交わらず、悪魔の中にずっと鉛のごとく留まったままなのだ。


「どちらかを選ぶなんて、そんな酷な。これは本来、どちらかと選ぶものでもないのに」


 悪魔は涙が溢れそうな心地と共に、まじまじとその写真を見つめ続けた。そこから思い出す、彼女の笑顔、それと共に揺れる自分と似た太い黒髪。

 ああ、つらい事があった度にその黒髪を撫で、何度共に寝床について眠っていた事か、その甘美な感覚を写真を撫でるだけではっきりとその指で思い出す事がで出来る程に。


 しかし、現実の光景では妹は今は亡く、広がる礫の中心にてK-7がその巨大な存在を見せつけるかのように機首を向けて聳え立っているだけだ。


「ああ、乗りたい」


 茫然として悪魔は口を開いてその姿を讃え祀る。銀が描く直線と流線の造形は、悪魔があこがれ続けた「外の世界」を容易に叶えてくれるものなのだ。


 そして、その2つの情熱の狭間に、動けなくなった悪魔の「決意」は。

やがて、風が吹いた時、悪魔は震える手で写真を勢いよく握りつぶした。


「ついに……!」


 武士は驚きで目を見開くがそこから先には、更に異様な光景が映っていた。

悪魔は泣くように眉を歪めて俯き、写真を掴んだその拳を震える歯に寄せて、そして、苦い物を飲み込むような速さで、それを口の中に含んだのだ――。


「な…!?」


「食べる、だと…!?」


 武士は汗を散らし、キティも予想もしなかった行動に戸惑い口を開いた。

悪魔は辛そうに眉を更に歪ませ、長い睫毛をぎゅっと瞑る。そして口を何度も大仰に動かしてばりばりと、そして嗚咽の声をあげ、その写真を飲み込まんと両腕で無理やりさえながら写真を口の中に突っ込んだのだ。

 武士はその光景を見ながら、ようやく悪魔に対する妹の想いを知った。彼は自分の中に取り入れようとしているのだ、と、己の語りに身震いした。

 彼女のぬくもりを、姿を存在を、あの悪魔は今、自分の血と肉にしようとしている。

そうする事によって彼は妹と共に生きる事を選んだのだ。それが彼の妹に対する「愛」なのだと。それに武士は生々しく蠢く胸の高鳴りを覚え、その心臓を掴む。

悪魔は紙を飲んだ苦しみに苦しみに溜まらず、空を仰ぎ、更に指を首の中に突っ込んだ。そうして、唾液に濡れる喉仏をごくりと動かして、写真を飲み込んだ――はずだったのだが、


「ゥ…げ…ぇ…」


 キティはその唸り声に反射的に後ずさった。すると、悪魔は喉を抑えたまま前のめりになって大きく咳きこんだのだ。


「オ…エ…オエエエエッ」


 そこから間はなかった。

 ぼたぼたと胃液と唾液を礫の上に吐き散らし、悪魔は涙の滴を目端に溜めながら、首を上下した勢いで一気に吐き出してしまったのだ。


「あ、ぁぁああ…!」


 武士は黒髪を揺らして、それに思わず身を乗り出してしまう。


「突然の乱食に、栄養不足で縮小した胃がもたなかったんだ!」


 お前のその身体はそれほどまでの――、武士は驚く間、吐瀉物の中からは写真が濡れそぼっていた。それは礫の砂とまじりあい、最早「写真」であるかどうかさえも解らない程に滅茶苦茶になってしまっている。


 しかしそれでも破れては、いない。


「も、もう駄目だわ…」


 その結末に咳き込む悪魔が気付く前に、キティは背を向き離れて行った。彼がそれを見て絶望に浸る顔を見る事に耐えられなかったのだ。


「そんな、そんなあぁぁぁぁ、あああああ!」


 やがて、山の中に響く悪魔の絶叫が目を瞑るキティの耳につんざいた。


「あっああ、あああ、ああああああ。」


 泣き腫らし息をあげる声、自分の脚に這い寄ろうと礫を掻きむしる音。アムナアムナと譫言に妹を呼ぶ声。そこから逃げる様にしてキティは歩調を早め顔をあげ、主人を待つK-7にただ向かって行く。その後に武士も泣き叫ぶ悪魔を悔恨の目で見ながらも、やがて俯き背を向けて、キティの後を追いかける事しか出来なかったのだ。


「あ、ああああああああああああああああ!」


 礫をかきむしり、吐き出しながら悪魔は泣いた。



 こうして悪魔は「夢」、そして「妹の写真」、どちらとも失ってしまったのである。





8、いざ、ヨーロッパへ


 その翌日の事であった。強盗団確保事件の事後報告ですっかり出発が遅くなってしまったジョージ、ヨーナス両人は、馬車に乗ってギルギットを旅立って行く所である。


 ヨーナスは花柄のフードに顔をうずめながらずるずると、馬車の背に寄りかかって膝をつけた。


「あーぁ。面倒でしたねー。その間すっかりキティさんも保護し損ねたし、ギルギットではなーんにも良い事がなかったじゃないですかぁー」


 ずれたメガネをかけ直し愚痴るヨーナスの隣で、ジョージはそっぽを向き、土産物のフードをまき直しながら、雲の上にいるような山の景色を眺めていた。


「おい、そのフード見覚えあるが、誰からの物だ?」


 ヨーナスの愚痴を無視し言った言葉に、ヨーナスもひょうきんに目を開く。


「え、ほら、あの警官さんの従妹の看護師が持っていたものですよ。強盗団退治のお礼って事でもらいましてね」


「違う。んな事はどうでもいい。あの薄情女から、何か聞いていなかったか?」


「え、何をですか?」


「……俺がキティの部屋に乗り込んだ時の話、とか」


「はあ…確かキティさんが一度大きく血を吐いた時、ジョージさんが乱暴に酸素マスクを取り出して看護師さんがいない間に血を、ぐっはあ!」


 途端、ヨーナスの鼻がジョージの裏拳によってひしゃげた。


「なんですかあ!別に大した話じゃないでしょ!でも、あの時、何故そこに何もないのに血をゴボオッ!」


 今度はみぞおちに裏拳を受けた。抗議の声に答えず無言で頬杖をつくジョージに、ヨーナスは顔を覆う指の隙間からそれを伺い首を傾げる。顔を向けないジョージの、滑らかな頬の輪郭が微かながら桃色に縁取られている気がしていたのだが、それをさほど気にせずヨーナスは痛む鼻を撫で、空の冷たさに鼻をすすったのだった。


「にしても、あの悪魔。相当厄介でしたねえ。今、アフガニスタンへ返還される途中だったらしいんですけどあいつ、その護衛車の中で乱暴起こして脱走したらしいんですよ。もーっ全く、今頃どこへいるのやら……。出鼻はくじいておきましたから、もう強盗に走る事はないと思うのですが……」


「まーな、アイツの生命はゴキブリ並だろーし、今ごろどっかでよろしくやってるだろうよ」


「そうですね、だといいですね」


「よく分かりましたね」


「いた―――――――――っ!」


 ヨーナスはメガネが割れそうな勢いで顔を強ばらせつつ叫んだ。背板を掴み、馬を見るとその馬上でドゥバッタを首と頭に巻きつける少年がたずなを引いている。それは、見まごうことのない悪魔――、カマラの後ろ姿であった。


「な、なんでアンタがこんなトコにい!?」


「貴方たちのお供としてついてきました。」


「はあっ!?」


 訳も分からず反応したヨーナスに対し、悪魔は涙の跡を見せぬ様に前を向いたまま、淡々として話しを続ける。


「まあ、本当は……あの女と少年の元に伺いたかったのですがね。断られてしまったもんで、ここはもう貴方たちにすがるしかないなーと思いまして、それで」


「何だその消去法みたいな言い草は!つか、なんでそれで私たちが貴方を預けるとでも思ったんですか!?あんな事があったのに!?わーっ、なんて図々しい!」


 腕をぶんと振って怒るヨーナスを見返らず、悪魔は実に図々しくしてまた語り出す。


「そんな事言いましてもね、兄貴」


「兄貴!?」


「良いから黙って話を聞けってつんです」


 礫をはじき飛ばして転がる車輪の木音の間に挟まり、野太い声が続く。


「俺ぁ、もう何も無いんですよ。妹も遂にいなくなったし、夢も潰されたし、後はもう、この身一つだけしか残ってないんです。だから、俺決めました。すべてをリセットしてから、新たに道を作ろう、って。貴方たちについていって、強い貴方たちの元で修行を積んで、新しい夢を実現するために生きていこうって、決めたんです」


「新しい夢、というのは…?」


「家族を作る」


 そこでようやく悪魔は目をこすりながら振り返り、AK-47の銃身で右手で抱え神妙に語った。薄いシャルワニの布生地が、少年の鍛え抜かれた腹筋の影を映し出す。


「もう一度、最初から、大事な「家族」を自分で作ります。この旅路で身体を鍛え、成長して、どんな事でも出来る立派な「男」になります。それから良い御嫁さんを見つけて、結婚して、子どもを作るんです。ドスダム家の血脈を受け継ぐ唯一の者として、俺にはその血筋を絶やさない使命がある。それを叶えるのが俺の夢なんです」


 あまりにも真っ直ぐな眼差しと内容とでヨーナスはぱっと赤面したが、言う本人は至って真面目に、太い眉をきりっとあげ、顎を引いて口を閉じた。


「…ジョージさ…ん。彼、あんな事言ってますけど…」


 それにジョージは相変わらず景色を眺めたまま、興味無さそうにため息をついて腕を枕にして寝転がる。その間際にあっさりと答えた。


「あっそ、好きにすれば」


「ありがとうございます」


「え、ええええええええええ!?」


互いに背を向けて短い言葉を交わし合った美青年たちに、ヨーナスだけがその間で1人大騒ぎした。


「えええええええ!?本気なんですか!悪魔を!?カマラ君を!?」


「あ、本名で言うのは止めてください。それ名前が名前なだけに「狼の子」とか馬鹿にされて、嫌なんです」


「俺は「悪魔」って言われる方がもっと嫌だかな。」


「そりゃ確かに。って、ああ、もうっ!そうじゃなくて、2人共おぉぉぉ!」


 こうして2人、――3人の一行は、最後まで騒がしい道中となってパキスタンを後にしたのであった。やがて揺れる馬車の中でジョージは空を見上げたまま呟いた。


「よし、このままアメリカには帰らねえで、一気にヨーロッパへ突入するぞ」


「え、そうなんですか?でも、一旦帰らないとアーサー様やウェッブ殿に……」


「構やしねえよ。俺らがついてる頃には、奴等もそこにいるから」


「!」


 ヨーナス、そして悪魔は向かい風に顔をあげた。


 馬車道から北西に聳える白銀色の氷山。その尾根の上をゆっくりと、K-7が青藍な空の中、黒い点となって飛んでいる。ギルギットの片隅で涙を貯めた青い瞳が点を捉え、そして小さく口を開いて呟く。


「暗闇の中に飛び込んでいくんだ……」


いよいよ、キティとジョージにとって因縁の場、ヨーロッパへと。


〈終〉





























〈あとがきに変えて〉


CK4話ここで完結致します。ここまで読んで下さってありがとうございました。


今回、4話を書く際にあらかじめ決めていた事は、今日こそ、ここで武士を活躍させる(笑)でした。何故なら武士くん、1話から登場してここまで全然格好良くなかったですから。


1話→屋上のクラリス。

2話→寺院にいただけ。

3話→海で遊んだだけ。


対して、キティの行動。


1話→難破して漂流。助けてくれた恩返しにと武士の高校を訪ね結果的に助ける。

2話→アリイシャの身代わりをかって出る。そのせいで村人に殺されかける。

3話→十字架と神父を助けるためギャングの群れへ。けれど助けた神父が。


武士、お前ヒーロー失格や。


と、気付いて今回は傷付いたキティに代わり、武士が問題を解決するために冒険をする、という話にしました。何とか格好良くできたかなー…(笑)


今回のテーマとしては、周知の通りですが、「薄情者たちが相手の気持ちを理解して行動にうつす事。」というものでした。それに当てはまる人物はキティ、武士、ゲストの警官、看護師、そして悪魔、です。そのテーマ性をを象徴付けるものは妹の「写真」でした。


ですが後もう一つ、かなり無謀な挑戦でありましたが、4話は二重のメッセージを込めた内容にしました。「もう一つ」を象徴するものは写真と対照的に(いや、非常に似通った対象としての)、「カメラ」です。それは看護師の言った、「言葉は本音を語らないという事。」でした。それに当てはまる人物はキティ(主人公だしね)、武士(彼の活躍回だしね)、グール、そしてジョージでした。


特に、武士と、ジョージ、この両者が「キティに対して」自ら話す内容とは異なった、いや、それ以上の(ましてや本人もそれを良しとしない程の)ドロドロとした「本音」を「言葉」ではなく、「行動」で示していた。という事でした。その具体的な内容は、武士とジョージの奮闘によって悪魔は倒されたのに、あれほどキティがこだわっていたカメラは結局戻ってこなかった。というのが最も分かりやすいメタファーではないのかな、と思います。


ヨーナス…(笑)


あ、ちなみに自分の家族を作りたいとお婿修行を始めたオリエント美少年(笑)、悪魔君、18歳。こいつが将来アリイシャの旦那になります。


そこの過程も、すべてが終わった番外編にでも書こうと思うので、少し気にしていただければ幸いです。


それでは、ここまで小難しく語って恐縮ですが、ここからいよいよヨーロッパ編、転換期へと参ります。もうしばらくCKにお付き合いしていただければ幸いです。

ありがとうございました。

              


新キャラの悪魔君…すごく…童貞です…

                根井 舞榴


〈登場人物紹介〉


ムハンマド・カマラ・ドスダム(18)

…パキスタン北部ギルギットで強盗団のリーダーをしていた眉毛の濃い目だけがアルビノの美少年。身長171cm。アフガニスタン人。元は難民出であったが、家族を養うために出稼ぎでパキスタンへ向かい、その先で妹が亡くなった事を契機に強盗団のリーダーとして身をやつす。しかし、後に改心しジョージ、ヨーナス一行に付き従う事で、新しい拠り所(家族)を見つけるための「お婿修行」に励む事となった。格闘者としての実力と、非常に図々しい性格、そして赤い瞳という様相から異名は「悪魔」。


アーサー・ヴィゴロービチ・ベリャーヘフ(51)

…アメリカ合衆国下院議員を務めるジョージ、ヨーナスにとっての上司。身長182cm。ロシア系アメリカ人。その精明で冷徹な能力によって、ムンダネウムの対策を実行せんと試みている。その方針の違いからマルコムと対立する。GGでは主要人物を務め、4話では主人公であった。顔色の悪い無表情という様相から異名は「死神」。


マルコム・ワイアット(53)

…NSA官長を務めるアメリカ陸軍大将。身長192cm。ムラート系アメリカ人。GGにおいて最終回にて主人公サイドの敵役としての「策士」ぷりを果たした実力者。ムンダネウムに対しては強硬姿勢をとり、アーサーと対立している。ムラートとしての雄々しい色黒の肉体と、策士という様相から異名は「黒豹」、ブラックパンサー。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ