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第2話 インドネシア編(後編)

5、頭の傷跡


 トムクが壊された棚田周辺に、唐傘の男たちが片手に農具を持ち歩き回り、ひたすらアリイシャを探している。


まるで村から逃げ出す事を阻むよう、点在された農民たちが椰子の木に座り、一方、青年団の若者は谷間を取り囲む森や草木を、鉈を掴み列になって斬り進んでいた。


「おうおう、けったいなこったね。」


近付いてくる草を踏む音に身を潜め、そのアゴン山を背後に村を見下ろすは木に登って手をかざずキティである。


眼下に見下ろす緑の中に動く赤や白、茶色にレンズをあてひっそりとシャッターを押す。と、真横に突然虹色の尾を持つ鳥が、キティのカメラをつついた。


「わっ、ちょ、駄目。」


それにつられて揺れる木に一瞬村人が目を向ける。


「しまっ…!」


しかしそれを直ぐ飛び出つ鳥のせいだと思った彼らは、元の作業へと戻った。


「はっ!」


その一瞬の合間にキティは見た。

草を刈る青年団の背後で指揮をとる男の顔に、左目を覆う程の深い傷跡があった事を。


「見つけた…!あいつが、スバックの頭だ…!」


オンパンから聞いた情報に、嬉々として葉を揺らしカメラを構えた。


白髪混じりの茫々とした短い髪と髭に、痩せこけた褐色の頬に慇懃に光る右目の黒い瞳、長い木の棒を持つ土だらけの手。見た目はこの通り一見貧相であれど、長としての態度を示す唇を結んだ無口の性格は、その重厚さを醸し出していた。


「頭!」


その男の側に同じスバックが駆け寄ってくる。


「見つかったか。」


その声も凛と響いた事にキティは動揺した。


「いいや!まだっす!んでもそれも時間の問題でしょう!この辺りさえ固めりゃぁ、奴らもいづれは出てくるに違いねぇ!」


下品な笑みを浮かべ三又を回す男にキティはぞっと背筋を震わす。

それに男は淡々と杖を掘った土に突き刺し、


「後はまかせた。」と横切って歩いた。


「昼までにそこの捜索を終わらせろ。次の場所はまた言う。」


「はい!」


若者たちの忠誠の言葉を解し、傷の男は後ろを横切り1人で畦道を歩いていく。


「…どこへ行くんだろ。」


キティもそそくさと木から飛び降り、森の中に沿って彼の後をついて行った。


***


 傷の男の家は、アゴン山が一番迫って見える所に位置していた。

家の前で構える石造りの神殿に花を添え、男は家に入る。キティも森を抜け田畑をぬけ、すり抜けるようにその入り口へと入った。


家―、といっても窓のない寝殿造りの部屋が梯子と繋がっている構造だ。

それを見渡す形で石造りの土手を歩きながら、男は奥の方へ行く。キティもその後をつきながらその部屋の中を確認した。


「あら・・・。」


その1つ、ある作業部屋には、大量の椰子の木材があった。

皮をはがされ、彫刻刀で掘られた肌色の木屑が大量に土手に散らばっている。そして幾つか、やりかけたままの木材と側に置かれた刀があった。


最初キティはバリ彫刻を彫るものなのかと思ったが、その木材が正方形の溝で均等に彫られているのを見て、それを「トムク」だと知ったのだ。


「そうか、ここはトムクを彫る家なのね・・・。」


部屋の端に手をつき、キティはその、幾つも作りかけのトムクを見る。

トムクを作った者としても、やはり今回の事は非常に腹立たしいのだろうか・・・と思うと同時に、キティにある、頭に対する「1つの可能性」が浮かび上がった。


「よもや。」


慌ててDiMAGE―Xで撮ったその写真を確認する。

そこに映る無表情な頭の顔をそっと近づけながらその傷を見直した。


褐色の皮膚が深くえぐられ、まるで彫刻のごとく彫られたクリーム色の傷跡。それは荒々しい線が重なっている事によって出来ているのが分かる。


「これ・・・自然についた傷ではないわ・・・。」


キティはカメラを降ろし、茫然とその椰子の編み目絨毯に覆われた作業場を見通した。


スバックの頭。トムクを彫る男。公開処刑をも辞さない村の厳しい掟。そして、その男の人為的な傷跡。



『俺、あのトムクを彫る奴の役なんて、絶対にしたくないね!おお、くわばらくわばら!』


煩い蝉の音と共に、オンパンの声が遠くから耳に入る。


「もしかして・・・・。」


口をぼんやりと開けた、どり着いた「仮説」に恐れたキティの顔に汗が伝った。それが首筋に至った時―、

その汗を2つに割る彫刻刀がひんやりとキティの首を冷やす。


「何をしている。プティ(白人)。」


「!」


いつのまにか、スバックの頭がキティの横につき彫刻刀を構えていたのだ。刀を持つ左手は石のごとく固まり、そしてその右目は明らかに殺意をおびえいた。、


「あら、あら見つかっちゃったわねえ。」


それにキティはあえてうやうやしく男を横流しに見、手を掲げる。


「貴様が…トムクを壊した犯人か?」


「だとしたらどうする?9歳の女の子じゃなかった方が、安心?」


「!」


処刑の事を知ってる外人に、男が動揺した隙を狙い、キティは笑いながらすっと後ずさりした。男は慌てて彫刻刀を両手で構え直し、キティを睨みつける。


「慣れない事はするもんじゃないわよ?」


と、キティも身を掲げて対抗した。


「うるさい。何故私の事を追ってきたのか分からんが、幾らお前でも、村の掟として生かしてはおく事は出来ない。覚悟しておけ。」


男の手は震えていたが、その目は本物であった。


「・・・あーあ。結局アンタも所詮そこまでの人間だったか。残念だわあ、貴方なら話が通ると思ってついてきたのに…。」


狙われた身も構わず悠々と頭をかく仕草に、男は眉を顰めながら彼女の意味を察そうと頭の中を巡らす。


「…成程。スバックの頭である私にさえ説得出来れば、助かる事が出来ると思っての魂胆か?甘いな、言っとくが、トムクを壊された事で一番怒っているのはこの私自身だぞ。」


その「頭」としての威厳を放つ男の言葉を、キティは


「頭としてして、ではないわ。」


と、否定する。そして翡翠の目を細めて言った。


「私はただ、この結末の是非を貴方から聞きたかったのよ・・・・刑を受けた者、としての。」


「!」


男は一瞬その潰れた目を開く。キティはその目にぴっと指をつきさした。


「知ってるわよ。その傷は昔、村の罰として請け負ったものなのでしょ? おそらく、トムクの彫る加減を間違えた、その失敗の代償として。」


「誰から・・・・誰から聞いた・・・・!」


男が一瞬その無表情を崩す。彫刻刀が更に震えていった。


「別に。何よりもあんたその目が「語りかけて」いたわ。村人たちに向ける言いようもない恨めがましい瞳が、何よりもその事実をね―。」


男の動揺する動きに合わせ、「最もらしい」事を言ったキティは、男の震える身体に合せながら、真剣な面持ちで更に言った。


「その傷は村人にやられたもの?いいえ、そうだったら、貴方はすでにここにはいないはず。そうね、きっと自分でやったんだわ。」


そして、言うのも憚るためらいを示そうとキティは一瞬眉を顰め、続ける。


「・・・刑によって殺される前に、村人たちのによって撲殺される前に、勇気ある貴方はトムクを削ったその刀で―、自分の左目をえぐった。」


黄色い歯を震わせる男に向かって、キティは男の傷を映すカメラのレンズを突きつけ、詰め寄った。


「それが、結果として「勇気ある行動」として村の人に認められ、許され、そしてスバックの頭として恩恵を受ける事となった。そして貴方はそれで納得してしまったんだ! 

この痛みは自分の罰だから仕方ないと!それで仲間たちに認められるなら、あってしかるべきだったのだと!それが歪んだ絆であった事も知らずにね!でもね、やっぱりこんなのはおかしいわよ!」


キティは男の彫刻刀を掴む手を、間合いを詰め寄って片手で掴み叫ぶ。


「う、うるさい!うるさい、うるさい!お前に何がわかってたまるか!」


一方男は、汗をかきながらぶんぶんと首を振って唾を吐き散らす。それから逃れんとキティの手を乱暴に引っ掻いた。


「っ!」


宙を浮くキティの手の甲に、彫刻刀で削られた傷が血を噴く。


「この村では掟は絶対なんだ!その中で俺たちは今までも、これからもずっと生きていかなくてはいけないんだ…!水がないと…俺たちは生きていけないんだよ!プティの女に、この村の何が分かるっていうんだぁっ!?」


「そうやって誤魔化しても、雨が降る夜に痛いものは痛いじゃないの!」


男ははっと、目を開く。

自分の切実な思いを「ごまかし」と切り捨てられたショックにもだった。何年経っても「痛い」その傷は、男の心に残る「傷」をも思い起こさせる。それを更に抉るようにキティが言葉を放った。


「村の頭としてより、村の人間としてより、たった一人の男として、そして刑を受けた側としてこの状況がおかしいとは思わないの!?実はもう、すでに分かってんじゃない!? 貴方の受けた傷は、罰は!この村のためだとしても…村人の笑顔を引換にしたものだったとしても、それをも通り越してしまう程に割に合わない「痛み」なんだって!」


「黙れ、黙れええええええええ!」


頭は遂に憤怒の形相で叫び、彫刻刀を振った。しかし、所詮「農民」である彼の動きはおぼつかなく、キティはそれをしゃがみ、飛び跳ねてよけきる。


更に距離をとって構えた時、息をきらした頭は途端、作業場に落ちた金槌をとりあげ、椰子の実を強くたたいた。


「誰か来―――――い!!ここにいたぞ―――――!」


それは仲間を呼ぶ声だった。途端、向こうで仕事をしていた農民たちが頭の声に反応し、少しずつ歩みよっていくのが壁の向こうから見える。そして、頭が青色のワンピースを着た女と対面していると気付くな否や、男たちは雄叫びをあげ一気に迫ってくる。


「ちっ、追手か!」


キティは金槌を持つ頭を今一度きっ、と睨みキティは背を向け入り口を逃げ出した。

横切るキティを男たちは石を投げつけ追いかけるが、それをもよけきりキティは畑をぬけ、そして正面の森の中へ逃げ込む。


「森に入ったぞ―――!」


「囲め―――――――!」


農具を振りまわし、森の中へ駆け込む男たちであったが、その東南アジア特有の幅の広い草花は、キティを隠すように広がっていった。


「へっ。NYよかこっちの方がずっと楽だわ!飛び道具もないしね!」


と思ったキティの隣の幹に、飛んだ矢が突き刺さった。


「え、ええ!?」


走りながら振り向けば、男たちが椰子の木で作った手作りの弓矢で次々に矢を放っている。


「えええええええええ!聞いてないわよ、こんなのおぉぉおおおお!!」


と、聞こえる弓矢の空気を切る音に恐れ、前を向いて一気に駆け抜けるキティであった。


「大丈夫ですか頭!」


一方槍を持った男が、作業場の前にへたれこむ頭の横について構える。


「あ、ああ…大丈夫だ…。とにかく、あの女がトムクを壊した犯人だ…何としてでも捕まえろ…。」


「言うまでもありません!」


と男は、すぐに追う仲間の後を追った。


「ったく・・・あの女ァ…。誑かそうとしやがって…。」


彼らに気付かぬよう、頭は動揺で流れた汗をそっと拭い、その死んだ目をキティが逃げた森の中に向け、睨みつけていた。


***


 向かいの山の向こうから木の叩く音と、男たちの騒ぐ声が聞こえる。


「なんか騒がしいな…。」


「もしかしたらキティ、見つかったのかもね。」


「な…!」


慌てて山に向かって身を乗り出す武士を、その裾を掴んでオンパンは止めた。


「キティが逃げてくれる分、僕たちは見つからずにすんでるんだ。彼女の努力を無駄にしてはいけない。」


「く、糞…!」


ぐっと唇をしめつけ、武士は仕方なく胡坐をついた。


「ったく、本当にろくでもない所だな!」


しかし怒りは収まりきれす、武士は拳を叩き悪態をつく。


「オンパンさん、ここで言うのも何なんだけど、解決するにしろしないにしろ、アンタ達はもうこの村から出て行った方が良いよ!このままこの村に居たって、アリイシャは幸せになれねえ。9歳のアリイシャがあんな事を思うような、この村自体の仕組みがもう、おかしいんだ!」


それに対しオンパンは、その温厚な性格で武士の言葉を受け止めつつ、ゆっくりと頷いた。


「うん、そうだね・・・・。でも、仕方ないんだ。このバリはね、本当に神様の存在を信じていている所だ。それを代行するスバックの「掟」はここでは絶対なんだよ。そういう感覚は日本人でもわかるだろう?」


「だが・・・・。」


「そう。その分、迷信や、まじないも信じられてる事が多くて、時としてそれが邪魔になる時も正直あるさ。僕にみたいに「生まれつき」痣を持って生まれた男と、血の繋がらない難聴の娘が突然、村に現れ出てもしたら、誰もが「悪霊に取りつかれた親子」って、この村に災いを起こすって思うだろう?

でも、そうやってどこにも受け入れてもらえなかった僕たちがなんとか暮らせる所、それがこの村だったんだ。例えそれが君達にとって「こんな村」だったとしてもね―。」


ふっと笑い痣をゆがめる男の、その見透かした黒い瞳に、武士は言いようのない空虚に襲われ目をそらす。


「僕たちはどっちにしろこの先、どこへ行ってもこれからずっと2人ぼっちなんだ。仕方ないんだよ。例えアリイシャがそれにどんな苦しめられても、それを受け入れる事しか僕たちはできない。それが、インドネシアという国に生まれた、僕たちの(カルマ)だ。」


「そんな…。」


武士は何も言えないまま、そのインドネシアの景色を見上げた。そこから艶やかに見える熱帯雨林の風景に昨日とは違う、一種のむなしさを感じ取った。


神々に守られたこの美しい風景は、その分人々の迷信やまじない、そして厳しいムラ社会に振り回され、流れて行った人々の涙と血を吸い込んで、咲き誇っているのだろうか―。


「でもね、僕、今日あんなに話したアリイシャを見たのは初めてだったな。

普段からああいう事思ってただなんて…、耳が聞こえないから分からないだろうって思ってたから、正直今とてもビックリしてる。彼女の難聴を、侮っていたのは・・・本当は僕たちの方だったんだねって事もね。」


申し訳なさそうに言うオンパンの、「difficulty in hearing」という英語に一瞬武士は首をかしげた。


「難しい・・・って事はアイツは全然聞こえないってワケじゃあ、ない・・・?」


「あ、うん。言ってなかったけ。あの子は難聴者。かなり低い声だったらなんとか聴きとる事の出来る娘だよ。」


「これ位か?アーっ」


「もっと低くないとなー。あー、あーあああーいや、もっとかな?」


「これか? ―アーッ!」


「あ、うん、それ位!」


とオンパンが声を上げた時、途端に武士は咳き込んだ。


「冗談じゃねえ、誤解されっぞコレ!つーか、こんなに低い声じゃあ、聞こえるっつても、相当難聴じゃねえか。」


「そうだね。だから一時期、補聴器を付けていた事もあったんだけど・・・。」


とそう呟いた時にオンパンは一番、苦虫を噛みしめたような顔をした。


「僕が医者としてふがいなかったせいでもあったけど、アリイシャが補聴器の音を頼りに4歳から口語を習っても、ちょっと遅かったんだ。もともと手際の悪い子でもあったし、どうしてもうまくいかなくてね、話しても普通のようにはいかなかった。」


「え、アイツ喋れんの!?」


「滑舌はすごく悪いし、ゆっくりだけど、何とかね。」


武士は一瞬その事が信じられなかった。今まで接したアリイシャはずっとアイパットの声を借りて出すだけで、一度もそんなそぶりを見せなかったから―。


「…その難聴者特有の喋り方をクラスメイトからすごく馬鹿にされてたんだよ。それでひどくいじめられた事があってね…せっかくの補聴器も悪ガキに踏み潰されて・・・・あれが相当ショックだったのか、去年位からアリイシャも全く話さなくなって、学校にも行かなくなっちゃったんだ…。」


「…聞けば聞くほど、ひでえ話だな、前後多難じゃねか。」


武士はあの寂しそうなアリイシャの黒真珠からその悲哀さを感じる。

がしかし、父親は苦笑しながらも、諦の目で遠くを見た。


「…仕方ないんだ。可哀想だけど、僕たちにはもう、どうしようも・・・。」


そのオンパンの目に従い、武士も外を見る。目の前に広がる熱帯雨林の風景、椰子の木が心地好い風にのって一斉に揺れる。しかし、武士は心元なかった。今度は、オンパンのその諦めの言葉に釈然とせずに―。


その頃になって武士はこの理不尽な出来事にも、さっきまでの顔を変わらずどこか他人事のように、微笑んでいるこの、頼り気のない父親の性格に懸念を感じていたのである。


「もしかしてキティ・・・あいつは・・・。」


憤怒の形相で叫んだキティの言葉を思い出す。

今なら、彼女の、アシイリャに対する気持ちが分かるような気がした。


***


 一方アリイシャは、寺院の階段の下に広がる水広場の前で1人でしゃがんでいた。石畳みにつくられた水広場の四角い水溜まりには、蓮の葉がスキマなく生え揃い、その桃色の花を咲かせる。

その口から、透明な水を溜りに注いでいる目玉の大きい神像の横にしゃがみ、アリイシャは壁に頭をつけていた。


その先に見える山の向こうに聞こえるはずもない男たち騒ぎが起こっているような気がして肩を震わせつつ、思う。


「キティさん、 私、耳が聞こえなくてよかったかもしれないわね。」


やがてぼんやりと遠くを眺めながら思った。その男たちの声に恐怖する事もない、と同時に、自分に対する肯定の示しとして。


アリイシャは今まで耳の聞こえない自分が嫌いだった。その事で村の人に疎まれ、学校でも友達を作る事も出来ず、


「父さんとイブおばさんに頼る事の出来なかった自分に…。」


少しずつ身体が大きくなって、皆と顔立ちが違った事に疑問を持った事に対し、父は自分に本当の出自を教えてくれた。


自分を路地裏に捨てた顔も知らぬ母親が、唯一自分に残したこの真紅のビンディを堂々と見せる事の出来るようにと、父は宗教戦争の激しい故郷、アンボン島から自分のためだけにここまで逃げてきたという事を。


アリイシャはそっと自分の額を撫でた。そんな父親がアリイシャは大好きだった。

いままでこの村で2人ぼっちで生きてきて、彼が自分のすべてなのだと信じて疑わなかった。


しかし今、その価値観がキティの言葉によって、己の心臓の内側から崩れるように変わっていく。それを諭す心音に激しく動揺していたのであった。


アリイシャはあの時初めて「怒る」事には「憎しみ」以外のものもあるのだと知った。

キティの怒りは、「いつも」のように泣きながら縮こまって「聞いた」あの怖い大声は、意外にも自分に対する「肯定」の言葉を綴っていた。


怒られた事にこんなに嬉しいと思うなんて。

どんなに泣きじゃくってもしがみついても、その悲しそうな眼差しで、自分の頭を撫でる事しかしなかった父親の慰めの言葉より、それはとても愛おしく、そして嬉しいものだった。


「私は生きていい…。」


そっと、久しぶりに口にした乾いた空気の揺れに、心臓が高鳴っていく。

アリイシャはその膨らみ始めた自身の胸に手を置いて、その心音に乗って溢れる自分の本心に気付いていく。


「耳の聞こえない私…。」


キティの言葉にのってアリイシャは心の中で呟いた。。


そうだ。そんな私を、否定する村を、そして殺そうとする村はやっぱりおかしいんだ。


「そう、思っていいんだ。」


と思った途端、何故かはじけるように高揚感がわきあがる。


アリイシャは、口を開け立ち並ぶ苔むす石像の間から、すくと立ち上がった。

その黒い目は父親とそれとは違う色をしていく。


「この問題は私たちのものだわ。それを、何も関係ないキティさんにまかせたまま、このままでいて良いはずがない。」


アリイシャは向こうでいるであろう彼女に目を向ける。


「行かなくちゃ。」


そして、その細い脚で石畳を歩き始めた。

もう、あの寂しそうな父親の目にはすがらない。

どんなに泣いたって、すがったって、あの頃のようにあの人が、私の前に現れる事もない。


「だって言ったじゃない。今度は私が会いに行くんだって。」


相棒のアイパットを握りしめる。アリイシャは長い黒髪を靡かせ、そして―、


***


 「あ、ぁぁぁあああああ!?い、いねえええええええええ!」


数分後、アリイシャの様子を伺った武士は、壁の上からアリイシャがいない事を確認して叫んだ。


「うっそ、だろお!?」


慌ててオンパンもその横に身を乗り出すが、その蓮の茂る水広場に少女はいない。

そして、その水槽からはみ出すように現れた石畳の水の線には、


「maaf, saya mempergi ke subak」

(ごめんなさい、やっぱり私、スバックの所に行くわ。)


とだけ書かれていた。


「まさか、また1人で解決するために…!?」


途端、武士は「馬鹿が!」と悪態を付き、走り出す。


「ちょっと待ってよ!」とオンパンは手を広げ、寺院から出ていこうとする武士を止めた。


「あのアリイシャが2度も言う事を聞かなかったんだ!きっとあの子なりに何か手があるんだと思うよ!いっそのこと、あの子にまかした方がうまくいくこともあるんじゃ…!」


「はあ!?あんた本気で言ってるの!?」


武士は苛立ちの顔でオンパンに向かい、振り向いた。


「ここは迷信を信じる村だって言ったな!なら、教えてやる。俺の国にあるジンクスってヤツを!」


「・・・え、何・・・?」


首を傾けるオンパンに、武士は噛み付くように口を広げて叫んだ。


「女の子がよかれと思ってした事は、大抵ロクな事にならねぇんだよ!」





6、女の子がやったロクでもない事


 今日もスコールがやってきた。

灰色の雲が沈む太陽を覆い、ぼつりぼつりと滴が落ちて雨となって降る。唐傘を被り、寺院から棚田を見下ろす頭は、差し出された傘を拒否し、腕を組んで出てくる者を待っている。

その高い褐色の鼻先にボロボロと音を立てて雨滴が落ち、その白い服を濡らした。


「来る…!」


痛む左目と共に眉を顰めば、棚田の周りから、湧いたような男たちの叫びが響いた。

雨によって消えかける松明の火が暗がりの中に浮かび上がり、男たちが棚田のあぜ道を走る。その中心に這い出ている者は―、森の中から出てきた蒼の女、キティだ。


キティは棒のように震える脚を必死になって動かし、雨の中、溢れる茶褐色の水田の中へ駆け込む。泥をかきわけるように逃げるキティの疲労した顔に、泥が散った。


「きっさまああああああ!」


後ろから追っかけた男が、獣のような形相で後ろにつきクワを持ち上げる。

一気に振り下したその切っ先が遂にキティの後頭部に直撃した。


「っがはあっ!」


鈍痛に声をあげ、キティは泥の中に倒れ込む。つづいてとどめを刺そうと振り上げたクワに向かい、キティは必死に横から仰向けに転がり、それを避けた。


「っ冗談じゃないわァあああああ!」


横から飛び上がり、キティは段を駆け上がって再び泥の中を這いつくばるように駆ける。泥まみれの顔から爛々として光る翡翠の目を寺院から見下ろす頭に向けるが―、


「今だ!とりかかれ!」


棒を振り下した頭の合図に、周りで固まっていた男たちが一斉にキティ向かって走り出した。


「はっ!」


途端に周りを見渡すが、どこもかしも自分に迫る男たちが―、それに茫然と構える間にキティは、一気に背後から押し倒される。


「うああああああああ!」


2、3人の男たちに手首を掴まれ、その体重で泥の中に押し付けられるが、キティはぐねぐねと這いつくばり、そこから逃れんと顔をあげる。


「ちょ、この女!力が強い!」


「おさえろ、押さえつけろ!」


慌てて駆け寄った2人の男の腕によって、脚もおさえつけられ、ついにキティは捕まえられた。動けなくなった身体を無理矢理上げて、キティは叫ぶ。


「かぁぁあああしらあああああああああああ!」


眉を吊り上げ、雨の中怒声をあげるキティに、頭は無表情のまま、脇からナタを取り出した。雨の音と共にぴちゃぴちゃと田んぼの中に細い足首踏み入れて、やがてキティを真上から見下ろし、無表情のまま唇だけを動かす。


「心して見よ。これが罪を犯した者の咎めだ。」


「それが本当にアンタの言葉かっ!」


歯を食いしばりながらも、キティは叫んだ。


「しつけえなああ!このまま溺れ死にてぇか!?」


腕を掴んでいた男がキティの髪を乱暴に掴み、泥の中へと押し付ける。

ばしゃりと弾いた水音と共にぶくぶくと息をはきながらも、キティは男の褐色の指の隙間から「抵抗」するように翡翠の目を向けた。


「馬鹿者が。」


と、言われたように見えた頭は一瞬動揺に瞳を揺らすが、皆の手前淡々としながら鉈を振りかざしていった。


「よし、行くぞ。俺の後に…皆つづけ。」


自分を見る翡翠が抵抗から恐怖に映る様を見、「所詮お前もそんな者だ。」と説きながら頭は力強く、その栗色の頭を2つに割らんと手首を動かした―。その時である。




「待ちなさい!」



弾けたような声に、頭は、キティは、そして男たちは驚きで目を開く。


「・・・・誰?」


聞いたこともない、少女の声。

しかしその幼く、ほぞぼぞしい声に、誰もが「ある者」を思い浮かべた。


「そんな・・・・。」


顔をあげ、唖然とするキティに続き、男たちが、そして頭が寺院の方へ向く。とそこには―、


「キティさんに手を出したらコレを壊すわよ!」


寺院の手前、トムクに足をかけたアリイシャが、雨で垂れ下がる黒髪をそのままに怒りの声をあげていたのだ。


その突然の展開に皆が一斉に驚きの声をあげた。


「あ、アリイシャお前なんでそこに…!」


「しかも貴女、話せたの…!?」


と同時に、壊すと言ってトムクにかけた足に男たちが悲鳴をあげた。


「何をしやがる!そのトムクが壊されちまったら!」


「そうね!このスコールで一気に水が溢れて、大洪水になってしまう!そうしたらこの田んぼ、すべてがお仕舞よ!」


少女のかすれるような、かつ張り上げた声に怯え、一斉にアリイシャに足を向ける男たちだったが、それを恨めしく見渡しながらアリイシャはさらに強くそれをかけた。


「やめろ!」


男たち、そして頭はアリイシャが今まで見せなかった「怒り」に戸惑い、身構える。

その水音にはねる鉄製の刃物がアリイシャの小さな身体を突き指さんと迫る。


「なってたまるものか!」


その光る刃物への恐怖から逃げるよう、アリイシャは小さな口を思いっきり開き、叫んだ。


「アリイシャァ!邪魔をするな!トムクを壊した者を処刑するのがこの村の掟だ!お前もこの村人の一人として分かってる事だろうが!」


「何が村人の一人ですって!?いつも私をのけ者にしたくせに、こういう時だけ調子良い事を言わないでよ!」


雨の中に涙も合わせアリイシャは怒る。

物言えぬ少女として今まで溜まっていた言葉が、吐くようにして溢れ出した。


「でも、田んぼが大事なのも分かる!水が大事なのも分かる!それは何より私がよく知っている事だわ!」


「それなら、なんでそんな真似を!」


「それでも、おかしいと思うからよ!こんなの…人間として、どうかしてるからっ!」


アリイシャはアイパッドを掲げて言った。

ぼたぼたと水滴を散らすアイパットは雨にも構わず光を放ち、少女のために文字列を表す。まるで、その壊れる最期まで、冥府の境に立った彼女と共に添い遂げようとするばかりに。


叫んだ9歳の少女の言葉には、大人のように飾ったものは何一つとしてなかった。雷鳴よりも大きいそれは、宝石の原石のごとく野暮ったく、そしてだた真っ直ぐで純粋なものだった。


「こんなの嫌なのよ・・・嫌なの嫌なの嫌なの!嫌、嫌、嫌!

キティさんが殺されるのも嫌!私が殺されるのも嫌!疎まれるのも嫌!耳が聞こえない自分が嫌われてるのも嫌ァ!こんな村の掟なんて、大っ嫌い!」


恐怖と悲しみで泣き崩れそうになる足元を必死に踏ん張り、そして、アリイシャは地面に残っていた足をもう1つトムクの上にのせた。


「きっさまあああああ!」


ついに鉈を片手に棚田を駆け上がる頭が、鬼の形相でアリイシャに詰め寄るが、それに怯える事もなくアリイシャはその意思のある目で睨み返した。


村の掟に従い、自分の左目を潰してまでそれを忠実に守った村の長と、

その秩序を崩壊するも構わず、その理不尽な運命を断固として拒否する少女。


疎み、そしてそれを享受した者、何の交わりもない「刑を受ける2人」がこの時初めて視線を合わせた。


「今ここで話し合っても、どうにもならない。」


その遠い世界にいる互いの同じ黒い目を見、2人は同じ事を思って居た。

だからアリイシャは、頭は、「こう」しているのだ。


「・・・貴方が、それでもキティさんに手を加えるというのなら、すぐにでもこれを転がすわ。」


「それなら、お前は私が殺す。」


「結構よ!どうせ殺されるなら、最後にあんたらを滅ぼしてから死んでやる!今まで嫌われ者にした恨みを果たせるなら、後悔なんてない!あんた達が思ってた通り、最期まで迷惑なヤツとして死んでやるわ!」


「アリイシャ…!」


泥の中からキティが這い上がった声を震わせた。


「やめて…!こんな奴等のためにあなたが殺される筋合いなんて…!」


アリイシャは応えず、淡々として前を向いたままだった。

それはすでに、外部のキティが付け入る隙のない、村人同士の問題となっていたのだ。


2人はただ黙って向かい合う。互いの「命」をかけた一瞬の駆け引きの間に、大粒の雨がその隙間を生めていく。


「やけくそになっては駄目・・・!本当は分かり合っているはずよ…!」


それでも、泥を飲み込みながらキティは顔をあげて言った。


「カメラ、カメラさえこの手にあれば、この瞬間を切り取れれば・・・・!」


「あるよ!」


やがて、切羽詰まる沈黙をつきやぶったのは、もう一人の、村人の女の声だった。

横の畔道からオンパンと武士に抱えられ、ぼろだらけのイブが、その手にしっかりカメラを握りしめ出てきたのだ。


「やめな!あんたたち!」


イブは前に出てカメラを掲げる。突如鳴り響いた雷鳴と共に、この騒動のピリオドを打った。


「アリイシャも、キティも、トムクを壊した犯人じゃない! あんたらのやってきた事はすべて無駄だって事を、今からあたしが証明してやるよ!」



掲げたカメラが雷鳴の光をあびて黒く光った。


「コイツらが犯人じゃねえ…!?どういう事だ‥!?」


すると、さっきまで殺気を放っていたはずの村人が、途端に動揺する雰囲気があちこちから広がり、やがてイブの一点へと集まっていく。


頭は途端、顔を歪め辺りを見渡した。自分から離れていく村人たちの、その細やかに口角をあげる様に頭はざっと顔を青ざめた。


「おい、何故。」


何故、そんな顔をしてる。あれだけ、共に掟を守ると誓った仲であったのに―。


「なに、やってんだ、よ。そんな、本当は殺りたくなかったなんて顔をしやがって―そんな。」


頭の「信念」を打ちくだすような村人の、その心の中にある「安堵の顔」。そこから見える今日の真実を聡明な頭が悟っていった。

そして、それを悟った瞬間、途端その固めていた無表情がふっと崩れて、


カタンッ


「!」


軽い音が響き、一同が振り返る。

嫌な予感に皆が恐れ見上げる先、2人の立つ畔道に転がっていたのは、トムクではなく、鉈だった。


頭がアリイシャの前にひざまづき、あぜ道の草を握りつぶしている。

雨に混じって落ちる左目の涙、涙腺さえ潰れた左目には溢れる苦しさと共に、収まらない痛みだけが頭に響いていって。


「どうして、私も…どうして‥あの時…、こう言えなかったんだ…。」


「頭…?」


「くそっ!くそっ!クソおおおおおおお!」


飢えの苦しみも、殺される事の恐怖を、その痛みを―、

すべてをひっくるめて誰よりも2人は分かり合えるはずだったのだのに―。


ただ見下ろす事しか出来ないアリイシャの下で、頭は感情すべてを嗚咽に託した。やがてアリイシャの聞こえない耳にどこかで、シャッターの切る音が聞こえた、ような気がした。





7、何かが変わる


 それから2週間後。

夜になり、それより黒い蝙蝠の影が飛び交う熱帯雨林。それらが取り囲む棚田の中央に位置する寺院に、灯があった。


そこから響くアンクルンの素朴かつ美しい音色。その軽いテンポに合わせて手を叩く音と、人々の笑い声が聞こえる。


神殿を取り囲む多くの村人がその祭りに寄っていた。床に置かれた数々の白米と共に、きつい香辛料の湯気を漂わせる魚料理、肉料理、そして椰子の葉で囲まれた色鮮やかな果物を食べ、老若男女が手を叩き合わせて盛り上がっている。


その中に特別のゲストとして、キティと武士が左端の席に座り、豪勢な料理が振る舞われていた。


「あーあぁー。前の事件がなかったら、純粋に楽しめただろーにな。」


と、制服姿の武士はふてぶてしく呟きながらあぐらをかき、ランブータンを頬張っている。赤い実の中から出てくる透明な果実の弾力性にはまり、1つ、2つと手にとっていた。


「まあまあ。その反省会を兼ねてのお祭りなんでしょ?良いじゃない。」


一方、つい2週間前に自分を殺そうとした男たちと談笑をしつつ、半分に割れた椰子の実のジュースを掴んで飲んでいるのはキティであった。


「反省してないだろコイツら…。って、一番怒っていいのお前だと思うがな…。」


と頬を膨らませる横で、薄汚れた白衣を羽織り、その細い首筋に腕を絡ませるは、顔を紅く染めるオンパンだ。


「ういっへえ~!ありがとう~!あんたタチのお蔭で、今日はサイコーッの気分だぜ~!」


「うわあ…よりによってアンタが…、信じられない…。」


「まあまあ、そう言わないの~!」


とカップを頬に押し付け、未成年の武士に酒を進める藪医者。今までになかった楽しい気分にのせられ、すべてを水に流すような上機嫌であるようだ。


それにどうも釈然とせず、細長いインディカ米を右手で掬って頬張る武士の側から、杖を持つ頭がその横に立っていた。


「…すまなかったな。見苦しい所を。」


その無表情で淡々とした仕草の中に、武士は言葉以上の謝念を感じ取るが、それも居づらく慌てて魚に手をつけた。その間際、音楽の曲調が変わった。今度は鈴の音がメインとなり、穏やかで荘厳な雰囲気を演じる。


「お、ついに、始まったわね。」


それを合図としてキティは座り直す。嬉嬉として待つと、やがて神殿の入り口から、夜の松明によってさらに輝く、黄金と桃に彩られたクバヤを着たアリイシャが現れた。


彼女ために開かれた祭りの参加者が、主役の登場に歓声をあげる。


「綺麗…!」


思わす口に飯を含んだまま、目を開く武士に、アリイシャは口紅をぬった唇でふっと笑い、瞬きする。

それと共に揺れる睫毛の長さと、手入れされアップした黒髪の輝きに、武士は初めてアリイシャが「美人」である事を知ったのだった。


薄い金色の掛け布からのぞく、褐色の細い腕が音楽に合わせて宙を舞い、金の腕輪がシャリンと鳴った。

細長い脚も幼さの中にほのかに香る妖艶を漂わせ、神殿の前で絡まった。

駆け布を強く仕草は「怒り」の踊り、それを空に舞うは「喜び」の踊り。音楽に合わせて少女は、優雅に靡かせる黒髪と共に桃色の裾を靡かせ、それを身体全体で表現している。


「デヴィ・スリの踊りだね。」


と杓を掲げながらオンパンは呟いた。


「デヴィ・スリ…そういやアリイシャもあの時同じ事…。」


「うん。デヴィ・スリはバリ島にいる稲作の神さまだよ。昔々、穀物の神さまだったデヴィ・スリは、不作続きで飢えた男たちになぶり殺しにされてしまいました。するとバラバラにされた彼女の身体から稲が生まれたのです。―それによって男たちは飢えをしのぎ、彼女を信仰するにしたのでした、と。」


「はーん、ハイヌヴェレ系神話ね。俺ン所にもそういうのあるな。」


「きっと、アリイシャもそれと、自分を重ね合わせていたんだろうね。でも、それでも、神話のようにならなくて良かった、」


とオンパンは小さく笑いながら杓をついだのであった。


「ああ、神話は神話だからこそ、美しいんだよ。」


「お、言うねえ。」


そうしてオンパンと武士は、イブを含めた村人たちと乾杯をしたのであった。


「耳が聞こえないのに、よく音楽に合わせて踊れるわね。」


一方、カメラを構えながら呟いたのはキティだ。それに一番奥に座った頭が答える。


「…この間に、近所の娘たちがタイミングで手取り足取り教えてくれたらしい。手際は悪かったらしいが、頑張ってあそこまで出来るようになったってよ。」


「いえ、上手だわ。とっても。」


この踊りは耳が聞こえないアリイシャでも出来る事を村人が提案し、それをアリイシャが実行した示しであった。新しい世界を見出し踊る彼女の笑顔は、汗をかきながらも人一倍輝いている。


「…写真の件によって、この問題はひとまず解決出来たとみて間違いないかしら。」


やがて、キティはファンダーを除く目で頭を見下ろしながら言う。


「ああ、約束しよう。」


と頭は血管の浮いた腕を組んでいった。


「あのオートのヤツはどうやら外部の者らしい、―となると最早我々が追う術はないさ。許せないという気持ちに変わりはないが、アリイシャに対しては今回はすべて水に流す事にした。」


「本当かしら?」


「誤解するな。言っとくが俺たちは悪党じゃない、普通の農民だぞ。誤解が解ければ、ちきんと許す。それに、アリイシャのあの言葉から一応反省だってしている。あの事件をきっかけにな。」


きっと、これは一つの「きっかけ」だったのだ。と頭は言った。

今までになかった新しい村と村の結束を高めるために、神が託した機会だったのだと。


村人に口笛を吹かれ、笑うアリイシャが腕輪をならして舞う。

その様子を微笑ましく思いながらも、その腕輪の音と共にいつか簡単に壊れそうな絆にキティは眉をひそめる。


まだ信じられないといった様子のキティを見て、頭はふっと微笑み、キティに呼びかけた。


「…今度、壊されたお詫びとして、アリイシャに補聴器を買う予定だ。近いうち誕生日に送る予定だから、アイツには秘密にしておけよ。」


「え、補聴器って結構高いのよ?そんな簡単に…。」


「スバックと村人のみんなで金を出し合って買う事にしている。どうだ、こういう目で見れば「村」ってのも結構まんざらでもないだろう。」


と黄色い歯を見せて笑う頭の写真を一つ撮って、キティもふっと微笑んだ。


「まあお前の言う通り、なかなかうまくいかない時もあるだろうな。それでも、少しずつでも俺はこの村を変えていきたい。もっと、良いムラになるように、それで・・・俺が本当にこの村を好きになれるように。」


「そうならなかったら、今度こそ許さないわよ。」


と笑うキティにもう一度微笑み、頭は前を向いた。


かつて自分が望んでいた姿を、踊る少女に重ね合わせ頭は彼女と目を合わせた時にゆっくりと口角をあげる。アリイシャも頭に向かって「ありがとう」と微笑み、くるくると回る。


「それにしても、あの白いオートの男、今どこにいるんだろうな…。」


***


 同じ時間帯の夜、ジャワ島に位置するインドネシア第二の都市、スラバヤ。


むさ苦しい暑さと熱気の中、若者が多く集まり賑わっているネオンの市街地がある。その下で多くの若者と賑わい、2人乗りの原付があちこちにクラクションを鳴らす活気に満ちた光景が広がっていた。


その、とある通りでモヒカン男が店から弾き飛ばされ、道路に倒れ込んでいた。白色のオートと共に倒れ込んだ男は、更に胸倉を掴まれ息苦しさに眉を顰める。


「もう一度言え!今さっきここで話した事はなんだったぁ!?」


街灯に光る犬歯を見せつけて牽制するは、そのバットマンシリーズの店から出てきた、NYPDの警部補ジョージだ。褐色の青年たちが集う中、バットマンスーツTシャツを着ている金髪碧眼の白人(プティ)に一斉の視線が集まるが、


「見せ物じゃねえぞオラアッ!」


とジョージはギルデットをつきつけ、その人だかりを散らした。


「は、話せって…言っても何もねえ、くだらねえ事で…。」


と、殴られて出た鼻血を拭いながら、恐怖の目で男はジョージを見上げる。


「はあっ!?お前の頭はトサカと同じで、鶏か!?さっき言っただろ!パリかなんかで栗色ポニーテールの女を轢きそうになったとかなんとか!」


「フランスじゃねえよ!それ、バリだよ!バリ島のバリ! …正直、それあまり言いたくな…あ、いやいや言います!バリ島の田舎村で、ちょっと事件があったんです!そこでちょっと轢きかけた女がソイツだったんですう!それだけなんですゥ!」


ぐらぐらと胸倉を揺らすと、男は喚きながら涙を流した。


「バリ島の田舎村ぁ?いつの事だそれは!」


「丁度2週間前かなぁ・・・あはは…。」


「あっそう!なら今から案内しな!」


「え、えええ?!」


ジョージは驚く男を投げ捨て、転がった白のオートを持ち上げる。そしてバットマンTシャツのままで乗

り込んだ。。


「イテテテ…そんな事急に言われてもって…アンタ、一体どういうつもりなんだ…!」


転がった痛みに、後頭部を抑えながら男は言う。

それにジョージはきっと横を向き、蒼い目を向けながら叫んだ。


「たっっりめえだろ、今から行くんだよ!バリ島に!」


***


アゴン山から吹いた風に、両手を掲げていたアリイシャは、気配に気づいて空を見あげる。


「何か、来る…?」


風と共に揺れる胸の疼きに足を止めるが、聞こえない音が振動するリズムを捉え、床の上をすっと滑り再び踊り続けた。心地好い風にのって感じ取った、この昂揚感と確信は、外から来るものなのか、内から来るものなのか、


「いいえ、きっとどっちもなのね。」


と悟り、アリイシャは温かく見守るオンパンとイブを、武士とスバックの頭を、そしてカメラを持つキティに向かってその妖美な目を細める。


過去、現在そして未来、すべての事を見透かすように、

神々の住む山、アゴン山は明かりが灯る村を静かに見下ろしていたのであった。


(終)



あとがきにかえて


こんにちは、今日も元気に変質な根井舞榴です。


CK第二弾(なんか、ここで書くと、この弾が銃「弾」ぽく聞こえて仕方ないですねえ、気にし過ぎ?サーセンwww)の「舞台」は、東南アジアのインドネシアでありました。私が行った事のある数少ない外国の中でも、一番多く行った事がある国です。

と、言いましても、バリ島には行ったことはないんですけどね(笑)←


今回は日本ではあまりなじみの無い事柄について扱いましたが、これはインドネシア語の授業に流れた、DVDを見た時に知った事でした。


「分水堰を壊したら公開処刑。撲殺もの。」


というのは先生からの口添えです。びっくりするかもしれませんが、キティの言う通り、これが本当の現実にありえる話なんだそうです。


その言葉が私の心の中にずっと印象に残っていまして、残っている事ならば、やはり一度真正面から取り組んでみようと思い、題材として書いてみた次第です。


あともう1つの契機としましては、それはバリ島に旅行に行った妹が、運ちゃんから聞いた逸話から基づいています。


まず、この2話を読んで、おそらく皆様が疑問に思う事として、


「何故キティたちはまず警察に状況を伝えなかったのだろうか。」


というのがあるでしょうが、妹の話曰、それでは全く何の意味も持たないんだそうです。バリ島の警察も、村の組織には介入できる空気にはなっていないんだそうで、仮に警察側に引き渡されたとしても、それは一時的なものであり、その後はさっさと村側に引き渡してしまうんだそうです。その後に村人の罰が襲いかかっても警察は何も咎めない・・・。それが「伝統」だから、だと。


だから、もし、アリイシャが警察に引き渡されてしまったら、情報を聞きつけた村人に引き戻されて、アリイシャは確実に村人たちに殺されていました。


私もその話を妹から聞いた時は武士のように、「どこぞの19世紀だ。」と思ってしまいましたけどね。だがしかし、21世紀にある本当の話なんだそうで。


それを聞くとつくづく思ってた以上に「現実」というものは、厄介な様相をしているようです。その中でも、私の願望の表れとして書いた今回の2話でした。


その中から少しでも、

「バカスカ銃撃って人が死ぬの楽しんでるように見えたけど、意外に根井舞榴って優しい所もあるんだなぁ。」と思って下されれば幸いです。(そっちかよ)


それではここまでありがとうございました。次回の舞台も暑い所でありますが、また引き続きお付き合いして下されれば幸いです。なにとぞよろしくお願い致します。



スバックの頭と同じ、左利きの

根井舞榴


                       


《登場人物紹介》


アリイシャ・ルンコレム(9)

…インドネシアバリ島の田舎村に住む難聴の美少女。身長129cm。インド人。難聴故のコンプレックスに浸り、諦めがちな性格であったが、本編ではその自らの力を見出していく。前作のGG5話にも出演したこともあり、ジョージ・ルキッドに憧れている。テーマソングは「コトバトラボラト」















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