第4章-6
高橋君の家を後にした僕達は、駅前の道を歩いていた。時間にして夜の九時ぐらいだろうか。三田駅周辺はまだまだ人で賑わっている。さすがに僕達みたいな中学生と小学生はいないけれど、大学生風の人や会社帰りのサラリーマン達が行き交っていた。
高橋君に教えてもらった情報は、神部電鉄の有真駅の近くであるという事。ちなみに普段僕達が利用しているJRの音等を聞かせてもらったが違いはサッパリと判らなかった。さすがマニアである。一つの事に特化した人間っていうのは凄い能力を発揮できるんだなぁ、なんて思った。
だけど、今からその場所に行くにはリスクが高すぎた。なにせ、もう夜なのだ。有真駅には行った事がない為、高橋君に教えられた場所に辿り着く前に補導されてしまう可能性がある。
さてどうするか、とトボトボ歩いていると、以前に輝耶が立ち寄ったゲームセンターのある曲がり角に着いた。少し気になって覗き込むと、幾人かの警察が居て、何やら集まり話をしている様だった。
「げっ」
僕は煌耶ちゃんの手を取り、足早に通り過ぎる。今、見つかったら確実に補導コースだ。まだ家に帰る訳にはいかない。五十メートルぐらい足速に進んだ後、煌耶ちゃんの手を離した。どうやら見つからずに済んだみたいだけど……そのまま煌耶ちゃんの足が止まってしまった。
「すまぬ……少し、休ませてくれ」
そうか。忘れがちになるんだけど、煌耶ちゃんは普通の小学生だ。道場に通っている訳でもなく、特別に体力がある訳でもない。普通の小学生。夜の九時になるという今の時間帯では、恐らく体力の限界だろう。
「そうだね。今日はもう休もう……でも、僕達が入れるマンガ喫茶とかあるかなぁ」
家に帰る訳にもいかないし、煌耶ちゃんを公園で寝かせる訳にも行かない。最近のマンガ喫茶はシャワー付きで便利だと聞いた事もあるんだけど、まさか中学生と小学生の利用を許可するとは思えない。
「そうじゃな……お婆様に相談してみる」
煌耶ちゃんは携帯電話を取り出し、電話をかけ始めた。婆さん、煌耶ちゃんが出て行く事を許可していたのか。そりゃそうだよな。じゃないと妹の方も居なくなったと大騒ぎするもんなぁ。
なにやら話し込んだ後、折り返し電話を貰うという事で落ち着いたらしい。目立つと困るので再び歩き出したところで電話がきた。
「ふむ、分かった。え~っと、こっちじゃな」
どうやら泊まれる場所を婆さんが確保してくれたらしい。現在地はGPSでバレバレみたいだ。だからこそ、僕達の行動が許されているのかもしれない。
婆さんの電話ごし案内のもと、辿り着いた場所はホテルだった。入口に怪しげなピンクのカーテンがあり、その先には真っ白な階段と赤い絨毯。ネオンで煌く店名は『ホテル・パラディゾ』。
誰がどうみても、
「ラブホじゃねーか!?」
あのババァ! 中学生と小学生をどこに案内しとるんじゃあああ! と叫びそうなところでホテルからスーツ姿の男が出てきた。やべぇ、逃げないと。と、思ったところで男が慇懃に礼をした。
「煌耶様と影守様ですね。どうぞ」
本当に話が通っていたらしい。なんだか満足そうな顔で煌耶ちゃんはホテルへと入っていった。煌耶ちゃんが遠慮もせずに入っていっては仕方がない。でも、なんだろう……なんだか良く分からない内に大人になっていく気分。ちょっとしたピーターパン症候群になりながら、僕は大人の巣窟へと入っていくしかなかった。
ホテル内部は薄暗く、いかにもな雰囲気。スーツの人の案内でエレベータ前まで案内される。いったい婆さんとどういう関係があるのか、どういう話を付けたのか凄く気になるけど恐いので聞けない。
「303でございます。どうぞごゆっくり」
キラリと笑顔な口元が眩しいくらいにスーツの人が爽やかな表情を浮かべた。まるで本物のホテルの人みたいだ。いや、ここも本物のホテルなんだけどね。
だが、これだけは言っておきたい!
「中学生だから! 小学生もいるので!」
「お気になさらず。ご内密にしておきますので」
「違うから! 絶対に違うから!」
「まぁまぁみやび君。私の体力も限界なので早く部屋で休もうではないか」
いや、まぁ、煌耶ちゃんがいいんだったら、いいんだけどね。軽いトラウマになりかねないよ、こんなところ。というか、僕だったらなるね。なんなんだ、この状況……
エレベータに乗り込むとボタンすら無かった。どうなってるのか疑問に思う暇もなく扉は自動で閉まり、自動で動き出した。表示が三階で音もなく止まり、扉が開く。
「ほぅ、素晴らしいシステムじゃな。お店とかもこの様になるといいのぅ」
客の意思を自動で読み取るとか恐いので僕は遠慮したいな。なんて応えながらエレベータから降りる。廊下は薄暗く窓一つ無い。いかがわしい、というより、不気味という感じだ。ひとまず303の部屋を目指して歩く。部屋は幾つかあって目的の303の表示板が点滅していた。なんだか至れり尽くせりな気がするけど……
部屋への扉は少し重く、力を入れて開けて煌耶ちゃんに入ってもらう。僕も体を滑り込ませて扉を閉めた。瞬間、ガチャリと鍵が閉まる。なんだろう、閉じ込められた気分になるなぁ。
「ほほぅ、広いものだなぁ。夕食のサンドイッチまで用意してあるぞ」
煌耶ちゃんの声に僕も部屋を見渡してみる。照明は少し薄暗いけれど、部屋はかなり広かった。大きなベッドにソファにテーブル。テレビもあるし、冷蔵庫もあった。旅館みたいにお茶の用意もあるらしい。
「なんだ、普通のホテルみたいだな……」
と、思ったのが大間違い。お風呂の壁がガラス張りだった。丸見えだ。頭おかしいんじゃない?
「おぉ、お風呂も広いのぅ。どうじゃ、一緒に入らぬか?」
「嫌だよ、恥ずかしい」
「照れるでない。昔はお姉様と一緒に入っていたではないか」
「……そうだったなぁ」
「うむ、早くお姉様を助けて共に入ろう」
「そうだね」
僕達は無駄な苦労しているだけかもしれない。警察に任せていれば、すぐに解決する事件なのかもしれない。それでも、ほんの十秒でもいい。ちょっとでも早く輝耶を助けられたらと思う。ジッと待ってなんか出来ない。今も、輝耶は苦しんでいるはずだ。
頭の中に、輝耶が殴られる音がリピートされた。刹那に怒りが込み上げ、拳を握り締めた。
「みやび君、喰え。しっかりと食べて、寝て、全力でお姉様を助けようではないか」
それを察してか煌耶ちゃんが笑った。やっぱり、彼女の方が大人みたいだ。もっと冷静にならないと。
「……うん」
僕達は用意されたサンドイッチを全部食べた。それから煌耶ちゃんがお風呂に入って、僕がお風呂に入った。お互いに覗かないという約束は守って。もっとも、僕がお風呂から出てきた時には、すでに煌耶ちゃんは寝ていたけどね。無理もないか。ずっと歩きっ放しだったし、なにより姉が誘拐されている心労があるはずだ。僕なんかより、よっぽど精神を磨耗させていると思う。
「…………」
おやすみ、と心の中で声をかけつつ、僕もベッドに潜り込んだ。輝耶の事を慮ると、あまり深く眠れそうにない。静かな時間、ひたすら何処かの誰かに輝耶の無事を祈りながら、時が過ぎるのを待った。