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さくら、あじさい、ひまわり

「さくら、ふるふる」

 学校からの帰り道。上機嫌だった優雨はそんなことを口ずさみながら桜吹雪の中を通っていた。


 対して俺は、バスケットボールを続けようか否かで迷っていた。中学までは歩いて通えたものの、高校はさすがに無理だ。一日に数本しかないバスでなんとか通うことになる。部活動を最後までやってしまうと、最終バスに間に合わない可能性が出てくる。かといって毎度早めに上がるのも、それはそれでなんだか気持ちがよくない。

 下宿、という手もあった。だがそうなると、家の手伝いが出来なくなってしまう。母ひとりではやはり心配になる。姉貴が戻ってくることもあるまい。

 それに、優雨はきっとここから通うだろう。


「さくら、ふるふる」

 嬉しそうな声が風に乗る。優雨は花が好きだ。自分でも育てていたし、山や道端の花を摘んでは飾っていた。そういうことをさりげなく出来る彼女が、俺は好きだ。


「なあ、それなんの歌だ?」

 セーラー服のスカートがふわっと舞っていた。くるっと回った優雨は「うーん」と暫し首を捻ってから「ふるふる?」と答える。

「疑問形で答えるなよ」笑い返すと、彼女も笑う。


 淡い、雪にも似た桜色。花びらが風に舞い、宙で踊って地面へと着地する。日本人は咲いてもすぐに散ってしまうこの儚さを愛でた、なんて良く聞くけれど、これだけ花だけが木を染めて、豪勢に花吹雪になるんだから、それだけで充分愛でる理由になると思う。

 第一、すぐ散るのが儚いなんていうのは、人間の基準だ。


「さくら、ふるふる」

 優雨は再び歌いだす。さくらの絨毯の上を軽やかなステップで進む。まだノリのきいたセーラー服がその度に揺れた。

 彼女はふっと舞い落ちる花びらをひとつかみして、その一枚を唇に乗せた。



 梅雨になると優雨は、お気に入りの青い傘を片手にバスへと乗った。雨の降らない日も、だ。その姿は同級生に奇異に映っただろう。だけど俺は、その傘が中学のとき亡くなった優雨のおばあちゃんのプレゼントだということを知っていた。

 彼女の祖母は、その傘を大事に使う優雨を見てとても喜んでいたから。六月の雨の日、眠るように逝ってしまった祖母のことを想って、彼女は傘と毎日を共にする。


「今年も紫陽花、きれいだね」

 どんよりとした雲の下、優雨はそう言って道端にしゃがむ。視線の先には青い紫陽花が並んでいた。

「あれ、去年と色、違くないか」

「そう? あ、誰かが何か埋めたのかな」

「何をだよ」と言ってみると「えーと、アルカリ性のもの? あれ、酸性?」と優雨が首を傾げる。

「青になったんなら、酸性だろ。だけど土の酸性度で絶対決まるわけじゃないからな」

「えー、そうなんだ。小学校のときそう習ったのに」

「あと毒があるから間違っても食うな」

「わ、食べないよ。ひどいなぁ」

「桜の花びら食ってたくせに」

 俺がそう言うと、優雨は頬を膨らませ顔を背けてしまった。


 ぽつり、葉を叩く音がする。

 顔を上げると、鼻の頭を雨が直撃した。「降ってきたか」俺がそう言うと、優雨は慌てて傘を開く。

 青い、青い、空のような、紫陽花のような傘。


「雨って、綺麗だよね」

 折り畳み傘を鞄から出したときには、優雨が俺のことも傘に入れてくれていた。しゃがんだまま、そう大きくはない傘にふたり。

「こうやって溜まっているのを見ると、ガラスみたい」

 傘の先にいまにも落ちそうになる雫を見て、彼女はそう言った。雨をガラスだと思ったことはない。だけど優雨は、いつもそういう発想をする。そんな彼女が、好きだ。


「まあガラスが降ってきたら、俺たち血まみれだけどな」

「えー、ちょっと夏それ台無し!」

 そう言ってやると、優雨は唇を尖らせて立ち上がってしまった。「もう、早く帰るよ!」そのまますたすたと歩いて行ってしまう。


 深呼吸、ひとつ。

 俺は自分の折り畳み傘を開いて、その青い後ろ姿を追った。



 家の庭にひまわりが咲き始めた。すぐ近くの優雨の家にも咲いている。確かこれは、幼稚園のときにもらったひまわりの種の十代目とかだ。

 最近優雨は、高校に入ってから出来た友達と手芸を始めたらしい。もともと不器用ではないから、色々出来てすぐにのめり込んだのだろう。新しいビーズのアクセサリーやコサージュを持ってきては、嬉しそうに制作過程を語っていた。手芸のことなど何もわからないが、何かに夢中になっている優雨のことを見ているのが楽しかったから、それで良かった。


 商売根性たくましい母がその作品を見ては「うちで売ろうかしら、これだったら売れるんじゃないかしら」とか言いながら乱入してきて、その度に優雨は「まだまだですよ」とはにかんでいた。でもその顔はやっぱり嬉しそうで、いつか並べてみるのも面白いのかな、とか思っていたりもした。

「いつか、夏にも作ってあげるね」

 それが彼女の口癖。もちろん、俺は期待せず楽しみにしていた。


 俺は美術部に入っていて、最近は毎日最終バスぎりぎりまで学校に残り絵を描いていた。作品展の締め切りがもうすぐだった。

 バスケットボールはやっぱり好きだ。でも地方の公立校とはいえ、遊びでやっているような部活ではなかったから諦めた。文化部ならば活動時間にさほど気を遣わなくてもいい。ゆるい感じの中に、個々の情熱があるこの部活は入ってみたら案外楽しかった。もともと絵を描くのも好きだったから、結構自分には合っていたのかもしれない。


 が、やはりバスというものは重要で、逃せば色んなところに迷惑をかけてしまうのは百も承知だった。それでもうっかりしてしまうことはあって、俺は時計を見て慌てて校内にある公衆電話に走った。

 結局、近所のおじさんが迎えに来てくれることになって、俺は校門のところでその車を待っていた。しまったなぁ、と空を見上げると、雨雲が風に乗ってやってきていた。


 夕立か。そう思って木陰に入る。蝉の鳴き声が弱まり、代わりに遠くで雷の音が聞こえた気がした。風が温い。土の匂いが変わる。


 迎えの車は、どんなに待っても来なかった。

 俺は心配してくれた担任に送ってもらい、誰もいない家へと帰り着いた。軽く濡れた制服を脱ごうとして、茶の間の電気を点ける。

 テーブルの上に、走り書きのメモが残されていた。


 どうやら、夕立は、その一瞬で、大切なものを持っていってしまったらしい。


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